第86筆 決まる旅先と、強者の気配
同じく緑茶を一杯、ゆっくりと飲み干したミューリエが空になった食器を見る。
「食に関わる全ての存在に感謝を込めて⋯⋯ごちそうさまでした」
彼女は祈るように呟いた。
感謝が足りない。ルーティン中に伝えた俺の指摘はかなり響いたらしい。ミューリエの為を思って言って正解だったと思う。
それから彼女は立ち上がり、凛とした声色で宣言した。
「慰霊祭が終わって、冒険者ギルドへ挨拶をした後⋯⋯村を出立するわ」
「ゴードルフさんにも話してたけど、いきなり過ぎないか?」
「食堂に火聖神アウロギさんから連絡が入ったの。『雅臣くんに会いたい』って」
「⋯⋯ご指名か」
──数十分前、俺が異空間ルーティンを終え、着替えて部屋に戻った直後のこと。
ミューリエは耳に手を当て、誰かと話し込んでいた。
『誰かと思ったら⋯⋯お久しぶりです。ご健勝で何より──えぇ、そちらも大変ですね。はい──』
耳に触れた指先が淡く光り、彼女の声音がわずかに低くなる。〘念話〙中の声色だ。
『あるじ、通話中のミューリエ嬢を邪魔してはならん。退室するぞ』
『同感です。又聞きなんて趣味悪いですから』
『きゅうぅぅ?』
俺は首をかしげるルゥを抱っこし、カキアとウィズムに促され、食堂へ向かった。
部屋で誰かと通信魔法の〘念話〙で話し込んでいたのは、アウロギが相手だったのか。
「よし、出立するか。アウロギ様を待たせるわけには行かないもんな」
俺も立ち上がり、お盆と食器を返却。
「ルゥ、出発するよー」
「きゅうぅぅぅ♪」
ルゥは、背中の竜翼でパタパタと飛び、俺の頭上へ着地した。
朝食で身体がちょっと大きくなり──心なしか、昨日より少し重い。
(きゅむぅぅぅ⋯⋯!)
察知したのか、小声で不満そうに鳴いた。
身体が少しひんやりとしており、幻聴が和らぐ。何だか新しいタイプの帽子のよう。
休憩のため、受付嬢ゴーレムから交代したゴードルフへ、チェックアウトを頼む。
「やっぱり俺だけ全部無料なのはおかしいでしょう。ちゃんと払います」
俺は二泊三日の宿泊費、八千リブラ、きっちり払った。
ゴードルフは突き返す素振りをしかけたが、踏みとどまった。
「此度の活躍からタダにしたいのだが、オメェ、言い出したら聞かんからな。毎度あり」
「三日間、お世話になりました」
俺がお辞儀する姿に目を細め、ゴードルフもお辞儀で返答する。他者の話し声が少しの間、遠のく。
(貴方が教えて下さった武具との絆は、一生忘れません)
〈それで良い。戦友と共に、闇を切り拓き、人々の道を照らして作れ〉
元Aランク冒険者として、武の礼儀を知っている証左。お辞儀だけで、彼の武人としての想いと心境が伝わってくる。
顔を上げた時、彼は“武人”から“宿屋の亭主”に戻る。俺の肩に手を置き、激励の言葉を贈ってくれた。
「──雅坊、寂しくなるが、決して無理すんな。いつでも帰って来い。何も一人で邪神に立ち向かう必要はねぇ。俺ら現地民に頼れ。全力で援護する」
厨房からも明るく優しい声が聞こえてきた。“おかみ”シャローズだ。
「雅臣くん、今朝の仕込みがね、以前より二時間速くなったのよ! 貴方には頭が下がるわぁ⋯⋯ありがとね。ゴーレムくんたち、あんたらも雅臣くんに礼を言いなさんな」
皿を片付けていた接客用少年ゴーレムと、緑茶を飲んで休憩中の受付嬢ゴーレムが駆け寄って来た。
「召喚彩主様、召喚して頂きありがとうございます。毎日が楽しい気がします。村のことは僕たちにお任せを」
見事な接客態度と礼儀作法。
相変わらずクールな男の子だ。握手をするだけで、この子の責任感と素直さが伝わってくる。
「雅臣さまっ、どうかお元気で! どんなに村の心が暗くなっても、わたしが盛り上げます。お兄ちゃんと一緒にね!」
生き生きとした表情と満面の笑みにこちらも癒される。可愛くてつい、頭を撫でてしまう。
まるで、心の雨上がりの虹だ⋯⋯。
「ゴーレムたちよ、これからも宿と村を盛り上げてくれ。後は頼んだ」
二人とも自信を持って頷く。
「またのお帰りをお待ちしておりますっ」
深々と礼をした受付嬢ゴーレムは、フリルを揺らしながら、カウンターの隅に戻って行った。
ゴードルフは、名残惜しそうに別れの挨拶をする。
「イカイビトの第二の故郷だと思ってくれたら、わしに悔いはねぇ。六聖神──いや、雅臣を護る全ての神々の加護があらんことを」
バレてたか。
俺の後ろには、十神と宇宙の創造主コスモ、日本の神々から、神力と加護が贈られてくる。
この方には、数カ月の過去と未来まで視える魔眼──“先見眼”を持つから、きっと見通したに違いない。
「雅臣くん、これ持っていってちょうだい。“今年一番”の有望株限定、重箱弁当よ!」
「今年一番か──俺より凄い人なんてもっといるでしょうに。ありがたく頂戴致します」
シャローズからは、三段構造の弁当を貰った。
漆に近い黒染めがされていて、非常に高貴な印象がある。地球なら、三万円は取れそうなほど。
加護付きの梅干しはないのに、わずかながら、癒しの神力を感じる。
彼女の料理は、神の領域に片足を入れていた。
ゴードルフが仕上げに魔除けの火打石が鳴らすと、不思議と全身に活力がみなぎる。
「ありがとうございました! また、お会いましょう」
軽やかな木の扉の上の鈴が優しくも寂しく鳴り、外に出た。見上げれば、いつもの看板と二つの気付き。
〜最後まで寄り添う宿〜
〔青葉のそよ風亭〕
えっ、こんなキャッチコピーが看板の上にっ!?
呼び鈴は、見たことの無い複雑な内部形状をしていた。
(入る時は明るく大きい音、出る時は優しく寂しい音がするのか。呼び鈴を発注した夫妻は、天才だ)
最後まで“おもてなしの心”がある事に、心を打たれた。
ミューリエは指を鳴らし、喪服姿に着替え、慰霊祭の準備を整える。
これは、食堂で喪服姿だと、他者の心理的に負担をかける彼女なりの考えと配慮があった。
俺、ウィズム、カキアもそれに倣う。
「さぁ、村の北西にある集合墓地へ行きま──あれ?」
喋るのを途中で止めたミューリエが、周囲を見渡し、俺と目で語り合う。
〈これって気のせいかな?〉
(いや、違う)
──ドクン。
胸騒ぎがして、全身へ強者の気配が遅れて響く。
「皆も感じたか。敵かもしれない」
他の通行人たちは気に留めることもなく、平然と歩いている。
わが一行は即座に理解し、同じ方向を見た。随分と“圧”を抑えているが、異様な神力密度と制御技術の高さを感じた。
ついさっきまで、温もりに包まれていたはずの空気が、冷たい圧力で心が満たされていく。
その発生源は、冒険者ギルド・シャルトゥワ支部がある方面から。
「何かおかしい。すぐに行こう⋯⋯!」
俺たち一行は、誰も気付いていない民衆を横目に、駆け足で現地へ向かった。
【次回予告】
第87筆 再会と螺旋の気配
《10月13日(月)19時10分》更新致します




