第85筆 潮汁と刺し身、異空間の消失
モーニングルーティンに、追加鍛錬と修行を終えた俺は──異空間から宿屋・青葉のそよ風亭の食堂で朝食を選んでいた。
「昨晩に引き続き、新鮮な魚を使った料理をおすすめする」
ぶっきらぼうながらも、思いのこもった亭主ゴードルフの声が食堂内に響く。
隣のリーザック村にて、朝穫れの海産物を氷魔法で鮮度を維持。荷台が冷凍庫の魔導馬車の届けられたらしい。
まずは大盛りの玄米ご飯。
ジャポニカ米とほとんど味が変わらないのだ。
そして、鍛錬の成果か──みんなが何を好むのか見て取れる。驚くことに、お米の支持率が半分と、高い評価を受けていたのだ。
俺はある冒険者の男女に質問した。
「おはようございます。どうしてお米を選んだんですか?」
「おはよう、退魔ノ紅神。実は米はパンと違って、疲れにくいのさ。自分の体質に合うのかもな」
「伝来から六〇〇年以上。もう定番だわ。私たちの胃腸に合った品種改良もされてるわよ。じゃあね」
男女は俺に小さく手を振って、お盆とお皿を返し、チェックアウトに行った。
定番なのか⋯⋯先代イカイビトさんには、感謝しか無い。
次は海鳴りの潮汁。
貝類と根菜に山菜の若芽が入った、出汁と海の雄大な香りがする潮汁だった。
それと漬物を受け取り、席に着こうとした時。
「雅坊、おあがりよ」
「おぉ、これは⋯⋯!」
亭主ゴードルフが差し出したのは──様々な色彩を持つ魚の刺し身盛りだったっ!
産地は隣の海村、リーザック村で氷魔法を使い、冷やしながら輸送した品だろう。立ち昇る冷気が鮮度を維持している。
花形に盛られており、昔より海の宝石箱とはよく言ったものだ。
「あ、朝から刺し身なんて⋯⋯先生、ありがやぁ⋯⋯!」
「先生じゃねぇ。ゴードルフか亭主と呼べ。あと、海鳴りの魚刺しだ」
ゴードルフ先生を拝み、感動で涙がこぼれるのを抑えながら、席に着き、周囲を観察していた。
これも観察し、視野を広げるため。
オレンジ色のスライム、ルゥは瞳を輝かせ、カウンターテーブルに座る他の宿泊客から朝食を貰っていた。
ミューリエは頬を綻ばせながらお盆を持ち、迷わず料理を選んでいく。
昨日と違ってお気に入りの料理だったらしい。
「ドワーフ金麦の堅パンと陽光のハチミツ、森の果実ジャムでしょ。あとは潮汁に、若芽の炒め物の焦がし醤油風味かな」
「ミューリエ嬢、今日出立か?」
「そうなの、ゴードルフさん。昨日の件の慰霊祭の後に村を発って、転移門で“王都ザフルダル”へ行くわ」
亭主ゴードルフは数秒ほど眉をひそめ、重く口を開いた。
「実は⋯⋯“王都”で邪神教と、邪神の直属配下、十二魔神の目撃情報があったそうだ。もしかしたら、昨日の魔物奔流は十二魔神の策謀かもしれん。くれぐれも気をつけるんだぞ」
「分かったわ。細心の注意を払って行動するわ」
王都ザフルダル──このミゼフ王国の中心地と聞く。明らかに幹部っぽい十二魔神の騒動とは、一体何が起こっているのだろうか。
百聞は一見にしかず。行ってから確かめよう。
今は眼の前の料理、食材、関係者に感謝を込めて。
「いただきま──」
突如、豆乳粥を口まわりに付けたカキアが割り込んできた。
「あるじ! 気付いたら、モーニングルーティン用の異空間がにゃいっ! にゃあの大事な、数百ある次元の一つが消えた。どこにやりおった!?」
「異空間は⋯⋯俺の召喚用画面へ、お引越しした」
「はぁ、今にゃんと!?」
俺の冷静な呟きに、カキアは黒毛を逆立て、睨みつける。
黙らせるため、膝上に乗せて彼の専用料理──“森のキノコソテー”を食べさせた。
「にゃあぁ⋯⋯むぐむぐ、キノコの旨味とバターのコクが最高──って違うわい! 話を逸らすな!」
そこにウィズムもムスッとした顔で、チクチクと言及してくる。
「お兄さま、また異空間で変なことしたでしょう? 異常通知が止まらなかったんですから!」
やれやれ、カキアとウィズム──このふたりは、いちいち細かいんだよな。
もっと自由にさせて欲しい。
「あのさ、俺の待望の朝食を邪魔しないでくれる? 数百時間待ったんだから。ミューリエだって、今朝のルーティンに参加して空腹のはずだ」
「ううん。私のことは良いから、話してあげて」
「さて、どこから話そうかな。朝5時前、ミューリエと一緒にルーティン参加して──」
俺とミューリエで、ことの経緯を話し終わり、朝食も完食した頃。二人はやっと落ち着きを取り戻した。
「ごちそうさま。どれも逸品だけど、刺し身が最高だったなぁ。さて、二人は納得したかな?」
「うむ。英霊召喚をして、その英霊たちが住み始めた。あるじ、これは新世界樹立と同義ぞ。もう異空間とは呼べん。あのエフじぃに首を刎ねられんで、ホッとしたわい」
「はぁ、エフじぃに挨拶したかったのに。でも、彼に一任されたって事は、期待されている証拠じゃないですか」
やはり、エフじぃは有力な権力者らしい。
彼の期待を上回るほど頑張ろう。一行としての方針を告げる。
「今後は、世界を救おうとするこちらの陣営と、邪神勢力の衝突が多発する。予測不能な事には目をつぶってくれ。全てはエリュトリオン世界のために」
「⋯⋯わかったぞい。あるじの意思を尊重するわい」
「承知しました。まだ世界の謎が解けていませんから」
一応、納得はしてくれたようだ。
……もしかすると、邪神との戦い以上に、仲間の理解と信頼を得ることのほうが難しいのかもしれない。
(人の心ほど、移り気なものはない)
俺は格言を思いつきながら、少し冷めた緑茶を口に運び、ふと遠くを見やった。
今日は、慰霊祭がある日。死を見つめ直す一日になるだろうか。
そんな予感は確かにあった。
だが、それは──束の間の静寂に過ぎなかった。
【次回予告】
第86筆 決まる旅先と、強者の気配
《10月12日(日)19時10分》更新致します




