第83筆 彩武流と家元の条件
俺は静かに指を一本立て、続けた。
「理念、四つ目。──心の武で、社会を変えろ」
ガルダが眉をひそめた。だが、問い返してはこない。ただ、黙って続きを待っている。
「戦うだけが武じゃない。何でもいい、自分にしかできないことで、社会に影響を与えろ。俺はかつて、故郷で有数の画家になった。絵を描くことで、希望を届けた」
言葉にしながら、自分の過去が脳裏に浮かんでくる。
筆を握っていた日々。絵を通して救った心が、確かにあった。
次の瞬間、ガルダが膝の上で拳を握りしめる。
「おれは──彩武流を極め、社会を変えてやろう」
真っすぐな眼差し。
その中に、嘘偽りのない誓いがあった。
口先だけじゃない。
本気の覚悟が、あの一言に宿っている。
理念は、これで全て伝えた。
だが、“家元”を名乗るには、もう一歩先がある。
「──家元の条件は三つある」
俺は腰を正し、真正面からガルダを見据える。
「条件一つ。最低でも、一種類以上の“芸術”を極めること。これは“心”を極めることに直結する。武と同じくらい、いや、それ以上に重要だ」
ガルダは、ほんの僅かに目を細め、やがて何かを思い出したように口を開いた。
「造園なら出来る。趣味だが、好きで続けてた。じっさん──あれを出してくれ」
隣で座っていたクーが、頷いて指を鳴らす。次の瞬間、空間に一筋の亀裂が走り、そこから盆栽が現れた。
それは、青々とした葉を揺らし、幹はまるで風を受けて生きているかのようにしなやかだった。枝振り、苔のあしらい、鉢の選定──どれをとっても、手間と愛情の結晶だ。
思わず、見惚れる。
俺は口元を緩めながら、呟いた。
「⋯⋯見事だ。見事すぎる」
武の才能だけじゃない。
この人は、もう“心”を知っている。
だが、盆栽を前にしてもなお、俺は気を抜かない。
「──条件、二つ目」
ガルダの目が真剣になるのを感じた。
ここから先は、“常識”という足枷を脱ぎ捨てられる者だけが通れる領域だ。
「ブラックホールに巻き込まれて、自力で生還すること。できれば、ホワイトホールに塗り替えて帰ってこい。俺は修行の合間に十個してきた」
「……んん?」
さすがのガルダも、目をしばたたいた。
「いつかできるさ」
言いながら、俺は少し笑っていた。
あの感覚は、クセになる。時間も空間も概念も無に溶けていって、自分という輪郭さえ揺らぐ。
出られる保証なんか、どこにもない。
だが──だからこそ、自分のすべてを全開放して突破するしかない。
己の限界を塗り替える、究極の解放行為。
重力の檻を、光で焼き破り、ブラックをホワイトに塗り替える瞬間。
あれは……最高だ。
「──今から、俺が全身を焼く」
俺の言葉に、ガルダの目がわずかに揺れた。だが、何も言わない。わかっているのだ。ここから先が、“流派”ではなく、“運命”の話であることを。
「意志貫通で、俺の神力と順応しろ。君の体内に──自分の“太陽”を作れ」
”太陽“。それは、死を拒み、希望を照らし、生の意味を炙り出す至高の存在。
俺は静かに立ち上がった。神力を解放する。肉体が焼け、魂が擦り減る。だが、迷いはない。俺の炎は“救済”の火であり、これは俺たちの“通過儀礼”だ。
焔が、肩から胸へ、足元へと広がっていく。神髄を晒すように。
――来い、ガルダ。お前の“赦し”は、ここから始まる。
俺の身体を焦がす神炎は、形を成さず、色もなく、ただ全てを照らす“意志の火”だ。
焼ける霊体の感覚を超えて、魂ごと燃えているのがわかる。これが俺の“本質”であり、“彩武流”という理念そのもの。
──試されるのは、ガルダの覚悟だ。
彼は一歩、また一歩と俺に近づく。その表情に、怯えはない。ただ、まっすぐな瞳だけがそこにあった。
「……わかった。お前の全て、受け取る」
彼の手が、俺の炎に触れた瞬間。
爆ぜる。空間が、時間が、法則が歪む。
ガルダの身体が一瞬、光の中に溶けかけた。けれど、崩れない。折れない。彼は踏みとどまった。
そして、見えた。ガルダの胸の奥で、小さな光が灯る。
それは、未完成だが確かな“太陽”だった。熱を持ち、意志を宿し、彼の中心で鼓動している。
──やったな。
全身の炎を引き戻しながら、俺は一歩、彼に近づく。
互いに火照る身体を抱え、火傷すら意に介さず、視線を交わした。
「……よく、耐えてくれた。これで、君はうちの“家元”だ」
彼は、静かに頷いた。
「“彩武流”……命を賭して、受け継いだぞ。おれが次に、伝える者になる」
ガルダの言葉に、俺は微笑んだ。
見守っていた仲間たち──ミューリエ、クー、メロセディナ、マティアの表情が、そっと綻ぶのが見えた。
“救済の流派”は、今、真に始まったのだ。
彼の視線は、皆へと向かい出す。
おそらくスカウトが始まる。
【次回予告】
第84筆 異空間の新たな住民たち
《10月8日(水)19時10分》更新致します