第79筆 隕星の矢と不動の心拍
盾のようにした的をかいくぐり、騎乗に成功。
「キュイヒヒーーンッ!」
抱きついた鹿毛の馬は激怒しており、所々に血管が浮き出ていた。
まるで、透明な鉄塊が出来たような、重さと引き寄せの感覚がする。
「大丈夫、久々の現世だ。怖かったんだろ?」
的を引き寄せて俺を殴打してくるが、さしたる問題ではない。
「マティアさん、斬って良いですかーー!」
「──いや、弓矢を使うだわさ!」
風に乗せて喋ると、彼女からこのような返答が返ってくる。この馬の磁力操作を解除せねば、的を射ることは出来ない。
「自分よ、人馬一体となれ」
あえて上半身を寝かせて張り付く。段々と、磁力の鼓動に合わせ、心拍が狂い始めた。
皮膚の下を何かが這うような違和感──馬と自分の境界が曖昧になっていく。
「⋯⋯ヒヒーン?」
「君の好きなように走ってみて。俺が合わせるから」
一歩ずつ駆け出すたび、馬から安心感が伝わってくる。やがて、磁力は無くなり、十一の的は一列に並んだ。
「ありがとう。俺と君だけの時間だ。弓神・秘伝〘雷星の環矢〙──!」
俺は星をも貫く矢を引き絞り、的は怒号を上げながら粉微塵へと変えていった。
(残るは一つ⋯⋯!)
馬が疾走するなか、俺は視界の中に最後の的を探していた。
風。音。視界。情報の奔流に飲まれ、俺の意識は前方へと針のように集中していた。
──その時。
ほんの一瞬、疾走する馬の横目に静かな存在感が入り込んできた。
(……え?)
ふとそちらへ視線を送る。
なんと、マティアだった!
──馬上に立っている。微動だにせず、天秤のように完璧な均衡を保って。
馬の背は荒々しく揺れているはずなのに、マティアの身体は一分の狂いも見せない。
それはまるで、風景のなかに突然「一点の不動の星」が浮かんだかのような衝撃だった。
──なんで、今まで気付かなかった……!?
思えば、俺は視野を狭めすぎていたのだ。
眼の力に頼りすぎ、情報の「量」に埋もれ、「質」を見落としていた。
──そうだ。
見るのではない。観るんだ。全体を。世界を。
気付いた瞬間、俺の視界にまた一段、澄んだ層が加わった。
「雅臣、これが決戦の刻! 天に委ね、射ち抜けぇーー!」
マティアの声が響き渡った。
最後の一つずつの的。俺とマティアは互いに馬を駆り、向き合って走る。
──相対した。
次の瞬間には交差する。数センチでも誤れば致命傷。
それでも、マティアも、馬も、そして俺も──信じていた。
この一瞬だけは、互いの命も矢も全てを預け合うのだと。
(⋯⋯揺れるな。いや、むしろ──響け)
疾走する馬体の律動が、身体の芯まで響いていた。
脈動が、俺の心拍と重なり合う。
──矢を引いた。
その瞬間、馬の動き、身体の動き、そして矢の軌道が、ひとつに溶け合った。
引き絞る。
放つ。
──落星のような一条の光。
それは地上から天を裂く隕石のように放たれ、風を斬った。
横顔をすり抜けていく矢──マティアの矢も同じ軌道、同じ意志のもとに放たれていた。
二条の閃光が、交差する。
パァンッ──!
遠くの的が砕ける音が重なった。
〘騎乗隕星弓射〙の威力は底知れない。
回数をこなし、射てば射つほど、きっと錬磨されていく秘技なのだろう。
俺は振り返った。マティアもまた微笑んでこちらを見ていた。
「馬・弓・己、すべての律が合わさった瞬間──それが騎馬弓術の極意だ!」
マティアが愉しげに叫ぶ。
その声は、胸の奥に、静かな火を灯した。もっと弓を使いたいと、体が疼く感覚。
弓神・弦霞がこの武具を愛し、それを司る神になった理由⋯⋯やっと理解した。
「ご教示、ありがとうございましたっ! 弓の世界、奥が深くて素晴らしいです!」
「ふふっ、最高な返答じゃないか⋯⋯!」
ゆえに視野が広がると、観えてくる世界も変わってくるものだ。
「マティアさん、あれ見てください」
「⋯⋯あら、ガルダとメロセディナが仲良さそうにしてるわさ」
俺はやがて二人が親密な関係になるんじゃないかと考え、様子を見守る事にした。
◇ ◇ ◇
──????視点──
一方、その頃。
草原の片隅を、ひときわ艶やかな栗毛の馬が駆けていた。
その背には、長身の青年と女性──ガルダとメロセディナの姿があった。
二人乗りだが、前後の距離はやや離れ気味である。
「メロセディナ、鐙の踏み込みが甘い。落馬するから、もっと意識しろ」
「……はいっ……でも、これ意外と……難しくて……」
馬の揺れと距離感に翻弄され、メロセディナは内心大混乱。
栗毛馬の力強い律動が心臓の拍動と重なり、顔が熱くなる。
(ち、近い……でも、ガルダは全然……そういう感じじゃ……)
ガルダは騎乗技術をひたすら誠実に教えているだけだった。
声も表情も一貫して真面目で、気配りも欠かさない。
──だが、それが逆にずるい。
「……次、半歩左に体を預けよ。馬が右へ反応する」
「は、はいっ……!」
必死に応えながら、メロセディナの鼓動は加速していった。
(こうして教えてくれるなんて……意外と、優しいかも……)
──数周した後、栗毛馬はゆっくりな歩みに変わる。
休憩の合図だ。
「大丈夫か?」
ふと後ろを振り返るガルダの横顔に、メロセディナは思わず目を見張った。
「は、はいっ! 大丈夫ですっ」
「……無理はするな。戦場では馬もお前も、一つになる必要がある」
その言葉に、ますます胸が高鳴る。
(今……“お前も”って……言った……!)
──そのまま、ふたりは馬から降り、しばし手綱を整えていた。
やがて──
「さて、戻るか」
「あっ、はい……!」
少し残念そうに返事をしつつ、メロセディナは一歩後ろをついて歩く。
栗毛の馬の手綱は、並んで持っていた。
◇ ◇ ◇
──雅臣視点──
その頃、俺はようやく草原の中心で呼吸を整えていたところだった。
そこへ、栗毛の馬とともにガルダとメロセディナが戻ってきた。
「お、いい汗かいてましたね」
「⋯⋯雅臣」
ガルダは迷いなく歩み寄ってきて、いきなり言った。
「“慈悲の刃”⋯⋯俺はまだ借りがある。このままじゃ終われねえ。教えてくれ」
まっすぐな目。
義理と恩義で動く男らしい、真剣な頼みだった。
「⋯⋯はい、もちろんです」
その横でメロセディナは、さっきまでの高鳴る鼓動を誤魔化すように小さく咳払いしていた。
【次回予告】
第80筆 衝突! 慈悲の刃と、死を宿す刃
《10月1日(水)19時10分》更新致します