第7筆 いのちの循環、砕けぬオモイ〈斧神修行〉
吹雪が舞い散る雪原の先に、それはあった。
地平の果てまで届きそうなほどの大樹たちが、寒空に向かって無数の枝を広げている。
地球の木々とは比べものにならない……数十倍、いや百倍はある。
なぜなら、比較的若い巨木の幹をぐるりと一周するまで、三十分はかかったからだ。
幾百年も倒れぬ巨木の前、俺は息を呑んだ。
幹に手と耳を当てると、水を吸う命の音がした。
(あぁ、鼓動が美しい⋯⋯)
雪を踏み分けながら歩いていくと、その幹の前に立つ一人の男が目に入る。
針葉樹のような深い緑の髪。
全身が岩のように分厚く、獣の毛皮を肩に巻いた身長約二メートルほどの大男。
(勇ましくも雄大な、いのちの波動を感じる)
背中には、鋼をも一撃で砕きそうな巨大な戦斧を背負っていた。
「貴方が“斧神”⋯⋯グレン・ブラードさん?」
振り返ったその男は、豪快に笑った。
「そうや。よう来たな、ちびっ子。お前しゃん、絵描きなんやろ? “斧”ってな、生活とともにあった道具や」
確かに最古の武具は槍で、斧は生活の道具のイメージがある。
「木ば伐り、薪にして、家ば建て、人も守る。文化ば繋いできたんや。お前しゃんの“絵”も文化ん象徴やったら、よう似たもんやろうて」
なぜか博多弁混じりで喋るグレンは、手にした斧で雪を払い、巨木の根元を軽く叩いた。
「問おう、雅臣。お前しゃんや、“何を切るため”に生まれた? その手で何ば壊し、なん残す?」
(彼は、背負ってるものが別格すぎる)
⋯⋯俺は声に出して答えられなかった。問いの重さに、息が詰まってしまう。
「じゃあ、感じるまでやるしかねぇんな。お前ん試練は“大樹断ち”──ただん伐採じゃねえ」
「自然の重み、命の循環、それは全身で受け止めたとき……そん斧は、ようやく本当の力ば得るぞ。さぁ、始まりだ!」
こうして俺の修行が始まった。だが、振るう斧は重く、幹に跳ね返され、反動で手がしびれた。
「かぁーーっ、痛ってぇ!」
いくら力を込めても、巨木はびくともしない。俺は諦めず、ひたすら斧を振るい続けた。
ただ振るうのみ。この考え方が間違いだった。
◇ ◇ ◇
「くっ⋯⋯何で、なんで伐採出来ないんだ!」
何日も続いた伐採の中、もう心が折れかけたある日。
雪に埋もれた足元で、小さな芽を見つけた。凍えるような森の中で、震える命がそこにあった。
(そうか。この森には、生きている命が⋯⋯!)
その瞬間、俺の中で何かが変わった。ただ破壊するのではなく、命を見つめる視点が生まれた。
(なぜ木を伐り倒すのか?)
そこをよく考えなければ、答えは出てこない。
──休憩のひととき。
俺はグレンの小屋の前で、キャンバスを広げ、雪原の中で生きる命たちを描いた。
苛酷な寒さに負けず、ひょっこりと顔をのぞかせた初々しい若芽。
冷風に吹かれながらも、雄大に躍動する木々。
寒空の中、果物の種を排泄物として落とし、飛び抜ける渡り鳥は植物の循環を担う。
生態系の中心に立つ、森を駆ける獣たち。
俺はその自然法則に惚れ惚れしながら、呟いた。
「⋯⋯あまねく命よ。どうか君たちの美しさと、尊さを、このキャンバスに写させてくれないか」
「⋯⋯⋯⋯ぷぅ?」
小首をかしげた雪兎が走り過ぎていった。
「ははっ、可愛いな」
その愛おしさに俺は微笑みをこぼす。
絵に想いを、生命への感謝と祈りすら込め、丁寧に描いていく。
完成したその瞬間──描いた植物の絵はふわりと香り立ち、雪の白に彩りを添えるように咲いた。
「⋯⋯え?」
「おーい、昼ごはん出来たぞ──なっ!?」
グレンは出来たばかりのスープ皿を落としかけ、即座にキャッチした。
「まさか、ホンマにやりおったか、ちびっ子! ドワーッハッハッー!」
グレンがスープ皿を置き、驚いた表情で腹を抱えて笑う。
「それ、召喚術の一種やな。“宇宙の創造主”アステリュア=コスモ様がかつて言いよったわ。原初の召喚術〘画竜点睛〙。ありゃ神々すら扱えん、創造ん力や……!」
「そんなバカな。ただの画家ですよ」
「地球じゃ、“魂を宿す画家”っちゅう名前で通ってたんやろ?」
そうだけど、そうなんだけどさ⋯⋯もしかして……俺の力って、そういうものなのか?
疑念が脳裏に浮かびながら、まだ確信には至らなかった。
ただ、絵に命を宿せるのだとしたら──それも、俺に託された力なんだろう。
◇ ◇ ◇
もう十数本の大樹を伐採し、迎えた斧神との修行最終日。
──グレンが厳かに言った。
「今日、お前しゃんが斬んのは俺でも倒せんやった魔大樹だ。お前にゃ、もうそん資格がある」
俺は再び斧を握り、深呼吸する。
魔大樹は放たれた禍々しい気で、周りの植物が死に絶えていた。
無数の傷跡と黒々とした木肌は、焼き払っても消えなかったようだ。
その前に立ち、その根に手を置く。
(⋯⋯命よ、ありがとう。斬らせてもらう)
感謝の一振り。
刃は、鋭い唸りで幹を断ち、雪が光を反射した。
雪が舞い、大地が揺れ、魔大樹が音もなく倒れていく。まるで、自然そのものに認められたかのようだった。
グレンが、目を細めた。
「お前は、もう“砕ける”な。つまり、もう“迷いなく壊せる”ってこった。あとは──その力ば何んために使うか、だな」
空を見上げる。木々の枝の合間から、陽光が差し込む。
「⋯⋯俺は、この絵筆と力で、命を守る。文化を繋ぐ。だから、壊すときは、必ず未来のために壊すよ」
グレンは豪快に笑った。
「ようぞ言うた、ちびっ子! 特別にオレの過去教えちゃる」
◇ ◇ ◇
哀しみと生命の記憶──惨すぎて、思わず涙がこぼれた。
かつては樹妖精として、自分の生まれ故郷を守る純粋な生命の守護者だった。
ある日、外界から来た文明人により森は焼かれ、根が掘り返されていく。
『なして、人はここまで奪う?』
やがて森は消え、彼の仲間たち──他の樹妖精も次々と倒れたのだ。
自然は問いかけなかった。ただ燃やされ、奪われ、消えていった。
この時、グレンの中に芽生えたのは“怒り”ではなく、“疑問”だった。
『生きるとは、奪うことなんか?』
あるとき、彼は“奪われた命の代理人”として、神性に目覚める。
枯れた大樹の怒り、倒れた獣の嘆き、消えた仲間たちの思念が結集し、「破壊神」としての姿を与えられた。
『命ば断つことが、命ん守る唯一の方法や』
そうして彼は文明をいくつも破壊して回る。
森に刃を向ける者を容赦なく断ち、その名を「最恐の破壊者」と知られるようになるが⋯⋯。
──やがて、彼は悟る。
『破壊にも意味はあるが、それだけでは何も残らない』
そして、こうも思ったらしい。
『命とは、受け継がれるモン。断ち斬るだけでは足りねぇ』
そうして彼は、自ら破壊の斧を封じ、また故郷の世界の生活と森、斧の神として再臨したそうだ。
時に木々を伐り、時に若木を育てる。
破壊も創造も、同じ“いのちの流れ”にあると知ったのだ。
その時の名が「グレン・ブラード」──深き森のグレン、刃と血のブラードだったそうだ。
俺は記憶の継承が終わるまで、ずっと泣いていた。
「なんや、これ如きで泣くんじゃねぇ。修行の数々で、涙もろくなったんか?」
気付けば、哀しみの共鳴でやや深い緑──深碧色で斧型の〈創印〉が肩に刻まれていた。
俺はグレンへ、感謝の言葉を贈った。
「グレンさん、貴方の歩んだ道は⋯⋯多くの辛酸を乗り越えた碧玉の宝石のようだ。今が最も眩しく輝いている」
「恥ずかしい事言うなや。さぁ、次は──もっと重くてデケェもん砕く修行が待っとーぞ!」
背中をバンバン叩かれ、正直ちょっと痛い。でも⋯⋯この痛みも、どこか心地いい。
そう。俺は、前へ進む準備ができている。
今回の経験で、「いのちの救済」という視点が新たに加わった。
それは全員を救う計画、そして“彩武流”の構想を、さらに一歩深めてくれた。
──魔大樹が倒れ、開けた視界の向こうに現れたのは、雪山さえも飲み込む、鎚の形をした“赤黒き巨峰”だった。
次の試練は、炎と鉱石の神。名は、鎚神。
俺の“オモイ”が、またひとつ試される。




