第65筆 “煌夢”との対話
月の灯りも届かぬ夜半、シャルトゥワ村の西門に佇む物見台に、俺は立っていた。
「何か来るな」
天から降ってきたのは、赤黒く燻るような光を放つ笛。
それは竜の鱗で編まれた意匠を持ち、握るだけで熱が伝わってくる。
「雅臣よ⋯⋯それが、“火竜の呼笛”だ」
低くも豊かな声が空から響き、次の瞬間、巨大な影が月を覆った。
炎天竜ゼノバイシスが、物見台の屋根を掠めるように滑空し、そっと俺の隣に舞い降りる。
翼をたたんだその巨体は、夜闇の中でなお燦然たる存在感と輝きを放っていた。
「それを吹けば、我は必ず応じる。ただし、一度きりだ」
ゼノバイシスの瞳が、燃えさかる火山のように静かに揺れる。
俺は頷き、笛を胸元にしまった。
「突然だが、来い。見せたいものがある」
彼はそう言い残すと、首を傾けて背を差し出す。
「俺、飛べるから大丈夫です」
共に空へ舞い上がった。
夜の風が容赦なく吹きつけるが、隣にいるゼノバイシスが冷たさを和らげてくれた。
どれほど飛んだろうか――やがて、雲海を突き抜け、遥か南方の大地が広がる景色にたどり着いた。
そこには──
「ウソだろ⋯⋯!?」
南方大陸の真ん中を貫くように走る巨大な裂け目。黒く焼けただれた地肌と、未だ癒えぬ禍々しき瘴気。
大地が泣き叫んでいるような──そんな錯覚すら感じる。
「これが、邪神の爪痕か⋯⋯!」
「ああ。数千年前、先代の“イカイビト”が命と引き換えにここを封じた。だが⋯⋯完全ではなかった。今も裂け目は広がっている。止まることなく、静かに⋯⋯だ」
ゼノバイシスの声に、かすかな痛みと哀しみが混じる。
「我は、長きに亘って待っていた。この空に、新たなる約束の人が現れる日をな」
彼はひとつ、深く息を吐いた。夜の空気が震え、星々が瞬く。
「そなたが先代の意志を継ぐ者かどうか……まだ確信は持てぬ。だが――その魂の色を見て、思うのだ。貴殿こそ、我が待ち続けた“討伐者”なのではないか、と」
俺は静かに眼を閉じ、風の音に耳を傾ける。
「⋯⋯そう、思いたいだけかもしれん」
確かに、誰かの声が遠くから届いているような気がした。
幾千幾万の命が、この空の下で繋がっているという実感が、彼の胸を打つ。
「⋯⋯ゼノバイシスさん」
「うむ」
「俺は⋯⋯まだ迷ってます。自分が本当に“それ”でありたいと思ってます。だから、進むしかない。そうでしょう?」
「その覚悟があれば、今は十分だ。だから、次の試練を教えよう」
ゼノバイシスの瞳が、鋭く細められる。
「次にそなたが挑むべきは、“火聖神”の試練だ。命を焼き、魂を鍛える苛烈なる試煉。──だが、それだけでは終わらぬ」
「⋯⋯え?」
「さらにふたつ、試練を予告しておこう」
ゼノバイシスは空を仰ぎ、未来を透かすような声で続けた。
「ひとつ。いつの日か、古き知己が、貴殿に試練を課すだろう。それは剣や魔法ではなく、“心のあり方”を問うものとなる」
思わず眉をひそめたが、口を挟まずに聞く。
「そして、ふたつ目。火聖神の試練を超えた時、我が直接、南方大陸最後の試練を与えよう。それは“煌夢”としての責務だ」
「“南方大陸最後の試練”⋯⋯」
「その時が来れば、そなたの歩むべき道が、はっきりと浮かび上がるだろう。あるいは、選び直すことになるかもしれぬ」
夜風が二人の間を吹き抜け、しばし沈黙が続く。やがて俺は覚悟と決意を、“使命”へと昇華させた。
「ありがとう、ゼノバイシスさん。俺、意思を貫通します。逃げるわけにはいかないから」
「ふむ……それでこそ、“選ばれざる者”よ。――されど、我はそなたを選びたい」
その言葉に、確かな温もりと信頼があった。
やがて、夜空を滑るようにして、俺はシャルトゥワ村外れ空へ。
ゼノバイシスは、ナゴルア山脈の空へ帰っていった。
この対話が、やがて来る戦いの“火種”となることを、まだ誰も知らない。
【次回予告】
第66筆 雅臣の内省と発見
《9月7日(日)19時10分》更新致します




