第58筆 慈悲の矢、火竜を貫く
──炎が、空を裂いた。
“煌夢”のゼノバイシス──歴代イカイビトを導いてきたという、空に咆哮する炎天竜。
その一声は、問いだった。「お前に、その矢を放てるか」と。
実際に会ってみると格の違いを見せられた。
正直なところ、発言に理解が追いつかない。
「──降りたら試合放棄扱い、か」
彼は、己が種の危機も顧みながら──俺に馬上戦闘を課した。それは、試練であり、導きでもあった。
手が震えるが、愛馬の尊陽は間を置かずに走り出した。迷いなきその動きが、俺の背に覚悟を伝えてくる。
「ちょっくら、行ってくるみゃあ」
カキアは俺に矛と槍を渡す。
そして、猫型形態になり、冒険者団の窮地を盾で救い、各所の補給に回っていた。
皆、自分にしか出来ない役割を果たしているのだ。
「やるしか、無い⋯⋯!」
俺は矢をつがえた。
揺れる視界、高まる視点──馬と心を重ね、竜を穿つ!
「クフッ⋯⋯」
胸の下あたりに金色の“逆鱗”があることを確認した。その奥には心臓がある。撃ち抜かれた巨体は、轟音と共に倒れていく。
「そなた、やりおるな」
俺が一撃で撃ち止めたことに対し、理性ある竜の一体が褒めてくれた。
だけど、暴走する火竜──暴火竜の眼はわずかな理性が宿っており、死に際で訴えかけてくる。
『私を殺すか⋯⋯もっと生きたかった』
「やめてくれ⋯⋯そんな目を俺に向けるな。助けられない俺を、責めるような……」
“慈悲”って、なんなんだ。撃たなければ誰かが死ぬ。撃てば、この竜の“願い”を殺すことになる。正しさが、わからない⋯⋯。
他の暴火竜の逆鱗に向けて矢をつがえても、引き絞った弦を離せない。
──自分の放つ矢が“死”に繋がる。
迷っていると、通信魔法〘念話〙で、ツカヤが話しかけてくれた。
『元同志は邪黒竜となった。もう手遅れ。楽にしてやることが、せめてもの弔い』
ツカヤは火竜の当事者のひとり。
倒したのは、元仲間や家族だったかもしれない。火竜のNo.2として苦しみ、迷いながらも、経験者としての覚悟があった。
俺は震える手で矢を放つも、地面に突き刺さって敵に届かなかった。
「雅臣、私がフォローしよう。挟撃するぞ」
ダルカスは口笛を鳴らし、白馬と尊陽の二列体制を指示した。近付いた赤黒い暴火竜の猛攻は、矛で受け流す。それだけで俺は精一杯だ。
「あんなに苦しんで、俺は倒せないです。どうしたら良いんですかッ!」
「迷うな。死者は帰らん──だが、死者の想いを背負って歩くことはできる。俺は……そうやって蘇り、生きてきた」
ダルカスの一喝に心の霧が晴れていく。槍神ガラハッドだって、同じ事を言っていた。
こんな時。必要なのは、意思の貫通だと。
「俺、貫徹します」
「そうだ。いま命を刈るのは、お前の“弱さ”ではなく、“優しさ”でなければならん」
優しさ⋯⋯慈悲の心。
「竜よ。君たちを愛し、俺が救ってあげよう」
俺の迷いは消え失せ、太陽の神性が再燃する。
かつて剣神と槍神が共同開発したすべてを貫通する技。名を〘天穿〙。
ふと、思い出す。俺の実家には神仏習合が根付いていた。ご本尊様の涙のこぼす姿を元に、俺は彩武流へと昇華させよう。
俺は矢をつがえた。
これは戦いではない。祈りだ。
「慈悲とは、ただ赦すことじゃない──断つことで、救うこともある」
だからこそ俺は、この一矢に、祈りを込める。
“彩武流”弓術──
〘天穿・御仏の慈涙〙!
矢が放たれた瞬間、風が止まり、時間が祈った。
俺が涙をこぼして放った一撃は、逆鱗から心臓へまっすぐ貫通した。
せめて苦しまないように。
憎悪も悲しみも背負って、この衆生から解放してあげよう。
『あり⋯⋯がたし⋯⋯』
濁った瞳は翡翠色に戻り、満足そうな表情で崩れ落ちた。
「ゼロから救済せよ、〘幻創零救〙──悪心を貫け、第三装:超音速巨大弩──!」
一方ダルカスは、両手持ちの半透明で巨大なクロスボウで、逆鱗を撃ち抜く。
蒸散した巨躯の中に、ただ一本──銀白の楔が残る。それは憎しみの残滓ではなく、意志だけを留めた清めの証だった。
それを魔法で引き寄せ、また射出する。
彼もまた、“肉体の解脱”と“意志の継承”という救済の形をしているのだ。
「ふむ、調子が戻ったようだ。散開しつつ、一撃離脱方式を取る」
「了解っ!」
ダルカスの指示と行動は簡潔で、的確だった。
俺は近寄る敵に対し、矛を使い一掃。
槍を投擲しながら神力で引き寄せ、自動回収。
弓で離れた敵を倒していく。
戦況に合わせ、それぞれ持ち替えながら戦っていった。
尊陽と駆けた時の揺れが、心拍を整え、緊張をほぐす。目まぐるしく移り変わる視野。
隙間を縫って最適な攻撃を与える。
──そうか。全部繋がっているんだ。
“人馬一体”とは何なのか、意味が少し見えてきた気がする。
「赤髪の青年、感謝する! イカイビト様に続けぇぇぇーー!!」
赤髪の青年──俺に感謝を述べたのは、理性を保った火竜だった。
その言葉を皮切りに、戦場全体の空気が変わった。
ツカヤ率いる竜兵団は整列を整え、重厚な連携を取り戻していく。
迷いや逡巡が薄れ、各々がすべき役目に集中し始めた。
空を飛ぶ竜たちも、狂気の波に抗うかのように、再び理性の声を発しはじめる。
「──流れが変わったな」と、ダルカスが小さくつぶやく。
イカイビトとして一歩踏み出しただけで、こんなにも世界は応えるのか。
いや、きっと最初から、皆そうなるのを“待っていた”のだ。
しかし、次の瞬間。
場の空気が、また一変する。
俺の矢が貫いた暴火竜の死体が、異様に変形していた。
「⋯⋯これは⋯⋯食い荒らされてる?」
槍で突いた冒険者が顔をしかめる。
皮膚の下に、歯形のようなものが浮き出ていた。
おかしい。死体が、まるで内側から喰われたように、空洞になっていたのだ。
しかもその傷跡は、敵味方を問わず、複数の死体に及んでいた。
「⋯⋯なにかが、戦場に“紛れ込んで”いるぞ」
ダルカスが、クロスボウを番えたまま低く警告する。
周囲の兵士たちも次第に気付き始め、場に緊張が走る。
その時だった。
空が、悲鳴を上げるように割れた。
──影。
飛来したのは、一頭の黒き竜。
いや、正確には──ゼノバイシスの巨大な顎に噛み砕かれた“何か”だった。
「グォオオッーー!!」
“煌夢”の炎天竜ゼノバイシスが、高空から黒き存在を噛み砕き、地上に叩きつけたのだ。
土煙が上がる。
戦場の中央に、巨大な衝撃痕が刻まれる。
そこから、ゆっくりと、血と瘴気に濡れた何かが、立ち上がる。
逆巻く黒炎。
脈打つように変形する鱗。
無数の口が腹部に現れ、嗤っている。
「なんだ、あれ⋯⋯」
誰かの声が、震えた。
それは、竜のようで竜でなく──
かつて倒された幾多の竜たちの因子を、無理やり繋ぎ合わせた忌み子。
魔法と呪いをねじ曲げ、封印を捻じ切って作られた、存在してはならぬ異形。
「名を、禁魔合成混沌竜という。北の大陸を半壊させた禁忌の存在である。まだ、生きていたとはな⋯⋯!」
ゼノバイシスが黒竜を睨みつける。
存在しただけで、地面の魔力脈が黒く枯れていく。
「⋯⋯あれが、喰っていたのか」
俺は唾を飲み込みながら、弓を構える。
震えるのは恐怖か、それとも──宿命の震えか。
──そして俺は、あの異形の竜の腹部に、かすかに揺れる“オレンジ色の粘体”を見た。
心の奥底で、何かがひどく軋んだ。
【次回予告】
第59筆 意志貫くイカイビト、喰らう混沌竜
《8月28日(木)19時10分》更新致します。




