第56筆 因果を断つ一撃
朗報が来たわ。
虚精霊たちから、魔物軍団の討伐報告が次々と舞い込む。
神官ゴブリンの討ち漏らしはなし──それが意味するのは、魔物軍団から邪神の加護が失われたという事実。
討伐難易度が一気に下がったことを、誰もが肌で感じていた。
「ミューリエ嬢、わかるか?」
「⋯⋯はい」
──しかし、終わっていない。
ディルクさんは空を睨んでいた。黒雲の中に、禍々しい気配がある。
「空に敵がいる。魔神化しておるな。博識そうなウィズムよ、ランクは?」
「はい、ディルクさま。敵性反応、上空にあり。魔神位階M3:大魔級、脅威度B:高脅威級です。つまり、数千人を殺し、都市を壊滅させる力を持っています」
「うむ、反応速度を上げておこう。〘加速陣風〙──!」
「戦闘支援、特殊並列演算を開始します」
──空が割れた。
彗星の如く飛来し、地を砕き、砂を巻き上げて着地する影。
それは、筋骨隆々の五メートルの巨体──明らかに、ゴブリンという種の限界を超えていた。
「神官がシンダ。オメェ、よくもやってくれたなァ⋯⋯?」
赤黒い双眸、逆立った黒褐色の髪、頭頂部に戴く銀冠、大きく黒光りする角。
「⋯⋯顔が、同じ!? あの時の、頭領個体!」
──背筋に氷を這わせるような悪寒が走る。あれほどの存在を、一度討ち果たしたというのに。
あの目だ。
忘れもしない、地獄のような日々の象徴。私を恐怖で縛りつけた、あの視線──!
彼は[ゴブリン・マフィア]の頭領──ドン・ゴブリン、その生まれ変わりだ。
「見たコトある顔ダ⋯⋯思い出したぞ、地獄の日々を──!」
「まさか、どうして⋯⋯頭領の貴方まで輪廻に⋯⋯!」
「恐らく因果の呪縛が強すぎたのです。頭領として死ねなかった、過去の遺恨ごと⋯⋯」
ウィズムちゃんが震える声で話す。
私が問いかけたのは、憐れみか怒りか、自分でもわからなかった。
だが確かに、私はもう“あの時の私”ではない。怯えて逃げるだけだったあの少女は、今ここにいない。
「黙れ、ミューリエめェ⋯⋯過去は忘レン、蘇るノダァァァァァァ!!」
その咆哮と共に、地を裂き、“数百体のアンデッド”が這い上がる。
大ナタを振りかざし、〘風の掌握〙で棍棒を引き寄せた直後。
「え⋯⋯?」
──私は、棍棒で吹っ飛んでいた。
『久方ぶりの強者ね。姫様、大丈夫?』
咄嗟に魔法杖キリムちゃんが結界魔法と、風の魔法で速度調整を展開してなかったら⋯⋯衝撃で跡形も無くなっていただろう。
「えぇ。以前より⋯⋯とっても強いわ⋯⋯!」
エリュトリオンの[ゴブリン王]──その暴君として⋯⋯今、再臨した。
「こりゃ、いかん。もはや“破魔征伐”じゃ」
ディルクさんが、魔法信号を天に放つ。
〘空中火符〙──救援信号が爆裂。紅蓮の閃光が、晴れた空に浮かぶ。
──私は決意を固めた。
この敵は、一人で背負うには重すぎる。だからこそ今、私は仲間たちと共に立つ。
もう一人じゃない、あの時とは違う──。
「最上位十体じゃ足りない……来て、皆──!」
──蒼白い霊光が地を走る。
光柱と共に次々と現れる虚精霊の群れ。合計五〇〇体。
私の想いに応えて、転移した子たちが空を覆う。
「いけない、あれは⋯⋯!」
ウィズムちゃんが本体に張った光の魔法札を輝かせ、叫んだ。
「視界を潰してっ、〘閃光浄魔札〙──!」
──ゴブリン王の視界が白く焼かれ、顔をしかめる。
「クフフ、視エルゾ⋯⋯!」
しかし、次の瞬間、魔神の力で視覚を強引に復活させた。
「まだ、殺リ足リネェ⋯⋯!」
地割れを発生させるほどの大ナタの振り下ろし。
──だけど、その前に。
「姫様を泣かせるな。オイラは怒っているぞ!」
疾風の如く斬り込んだのは大剣ルストくん。鋭い一閃で、ゴブリン王の腕を斬り落とす。
「ギャゥアァァァーー!!? 腕がァァァァ!!」
そこへ、村の魔物討伐を終えた冒険者たちが続々と合流。
「デケェ⋯⋯ゴブリン王かッ!」
「今だ! 一斉攻撃! あいつを地に縫い止めろ!」
人海戦術による拘束・足止め作戦が始まって数分。
そして、天から──不死鳥が降りてきた。
「ハウザー、焼き清めろ!」
ディルクさんの命で、不死鳥ハウザーが周囲に清浄の赫炎を展開する。
火と光、霊と剣、全てが呼応しはじめる。
──追い詰められた暴君。
だが彼は、未練と怒りのままに叫ぶ。
「ナゼダ⋯⋯! 輪廻ハ⋯⋯終ワラナイハズ⋯⋯」
私は悲しみと哀れみで涙が浮かぶ。それでも、剣を固く握った。
ウィズムちゃんが、祈りに似た言葉を添える。
「輪廻を繋げていたのは、呪いじゃなくて、悔しさと恐怖なのです。ミューリエさま、どうか⋯⋯断ち切ってあげて!」
「もう、昔と違う。私は、一人じゃない──!」
妨害魔法と拘束が整い、ディルクが赫炎を纏った。
「離せぇェェェェェ!!!」
ゴブリン王がもがくほど、その締め付けは強くなっていく。
「〘鳳炎絶断〙ッ!」
ディルクさんが赤い炎で不死鳥に似た翼で飛び上がり、斧に極限まで熱を込めた。
「〘虹閃絶華〙よ──」
一ヶ月間、共に戦い続けた虚精霊たちの祈りのような力を大剣に込める。
剣と斧、霊と炎が重なる瞬間。
私とディルクさんは一瞬、視線を合わせて意志を交わす。
──この“哀しき王”を救おうと。
二人の想いが結晶となり、放たれる。
「絆技、〘終輪断華〙──!」
この刃に込めたのは、憎しみじゃない。
終わらせたいのは、苦しみの連鎖。怨嗟で繋がれた輪廻そのもの。
あなたを救いたかった。けれど、それが叶わないなら──せめて、この一撃で⋯⋯!
輪廻を断ち、因果を絶つ。
私は正面から切り上げ、ディルクさんは王の背後から急降下しながら、同時に叩き切った。
少し理性を取り戻したゴブリン王は座り込み、片腕で天を仰ぐ。
彼の瞳に浮かぶのは、怨念でも怒りでもなかった。
安堵──それは、ほんの一瞬だけ見せた、彼の本心だったのかもしれない。
私は、涙を拭うことすらできずに、その姿を見送った。
ほとんどの人には記録にも、記憶にも、彼の名は残らない。
「⋯⋯勝ったわ。貴方との全て、遺言。受け継ぎます」
「そうじゃな。想いを、継ごう」
「ボクは記憶したのです」
三人でささやかに冥福を祈った。
「あれ? 俺たち誰と戦ってたんだ?」
「“魔物奔流”を鎮めたんだろ?」
「そうだった。ダーハッハッー!」
冒険者たちが戦勝を祝うように笑い合う。
因果そのものが断たれたことで、存在の痕跡すら薄れていったのか──それが彼への最後の救いだったのかもしれない。
──橙色の夕焼けの中。地面から昇る優しい光があった。
「あなた方にも、希望に満ちた新たな生涯が、訪れますように」
私が片膝を立てて祈ると、その場にいた全員も倣ってくれた。
「また、帰ってきてくれよ。死の神の導きがあらんことを⋯⋯」
誰かがそう呟く。
それは数十に昇る魂の輝き。かつて彼と魔物軍団に殺された者たちの魂が、笑顔で天へと昇華していく。
全てが終わった。
ようやく訪れた静寂は、喧騒を忘れた耳にさえ優しく染み込んでくる。
戦いの痕跡、焼け焦げた大地、けれどそこには──確かに「生」が残されていた。
「ミューリエさま、お疲れ様でした」
「見事じゃった」
「ありがとう、みんな。さぁ、帰ろう。勇者先導の村へ」
雅臣くんなら、きっと、万事解決しているだろう。
【次回予告】
第57筆 雅臣、人馬一体を学ぶ
《8月26日(火)19時10分》更新致します




