第55筆 トラウマの克服
「良い覚悟じゃ。だが──」
ディルクさんが感心しながら、醜いおじさんゴブリンについて説明してくれた。
「倒す方法はある?」
「斬撃無効で、不可視の繋がりを破壊せねば、倒せん。これが、先代イカイビト随行者の経験じゃ」
斬撃が効かない相手──いつもなら、そこで怯んでた。
私は昔、仲間を守れなかった。あのとき、切れなかったのは、敵じゃない。私自身の“弱さ”だった。
大剣──ルストくんを強く握る。指が震えていた。
あれから、私はずっと自分の“斬る力”を怖れていたんだ。
(でも、私は──)
周囲を見た。ディルクさんがいる。ウィズムちゃんや冒険者、村の騎士団の皆さん。
誰かを守るために、戦ってる。
(私は、もう独りじゃない)
覚悟を込めて、踏み込む。
「〘絶対切断〙──!」
一撃目──切り上げ。静寂を破らぬまま、空間が揺らぐ。
二撃目──切り下ろし。光すらも伴わず、重力と因果が断たれる。
三撃目──薙ぎ払い。風も声も沈黙し、ただ“存在”が静かに崩れていく。
だが──
「肩コリ、取レタワナ、グッエッヘッヘー! 効カンゾ、ソンナ斬撃ナドォ!」
ふざけた笑い声。まるで、嘲るかのように。
私は剣を下ろさなかった。ただ見据えた。
⋯⋯そのとき、ズレが生じた。
地に刻まれた影が歪み、ゴブリン神官の身体が“この世界”に噛み合わなくなる。
「体ガ、動カン⋯⋯ナンデ、ダ⋯⋯?」
切ったのは、肉体じゃない。
切ったのは、魂の根──この世界と彼を繋ぐ、邪神因子の“因果”だった。
「これは⋯⋯もう、逃げないって決めた私の一撃」
私はキッパリと言った。
「過去の私じゃ、切れなかった。けど今は──“私自身”を、乗り越えているから」
静かに斬ったはずだった。切り落としたはずだった。
だが──
肉の蠢きが、骨の音が、逆流する。
神官ゴブリンの断面から、黒い瘴気と共に再生が始まる。
「ゲヘッ⋯⋯ゲーへっへっへっ! 思い出した、オマエ⋯⋯数万年ブリダァ? 前世、キオク、よみがえっタゾ。輪廻を超エテェ、会いに来たぞ……ミューリエェ⋯⋯」
ぞわり、と背筋が凍る。さっきの斬撃で前世の記憶の扉まで斬ってしまった?
この声、この気配──忘れるはずもない。
ディルクが横目で問いかけてくる。
「こいつと、何があった?」
全身と喉が震える。言葉にならない感情が、胸を掴む。
「数万年前からの因果です⋯⋯。あの時、私を助けてくれた耳長族の人がいた。光属性魔法で、ヤツを倒した。それがきっかけで、私も光の魔法を志した。誰かを守れると思ったから──」
「永い時じゃな。さて、どうする?」
ディルクの問いに私は答えた。
魔法陣を展開。光が炸裂する。
「〘煌柱天裁断〙──!」
光が炸裂する。だが、黒の霧に呑まれ、届かない。
神官ゴブリンの顔が崩れたように笑う。
「マブシイ、マブシイナァ。ダカラ、克服シテヤッタ。モウ、効カン⋯⋯。前世ノママジャ、イラレナイノサァァァァ!」
光が、通じない。
(どうして⋯⋯私は⋯⋯あの時、彼の背を見て、光に希望を見た。なのに──光が⋯⋯通じない。信じたものが、否定された)
神官ゴブリンの手から、邪な印が浮かぶ。
空間が黒く焼け落ち、連続する魔術が矢のように飛んでくる。
闇の鎖、毒の霧、時空のゆらぎ。
虚精霊たちが盾となり、いくつかを打ち落とすが、全ては防ぎきれない。
ミューリエは、耐える。けれど、指が震え始める。
魔法を信じた自分が、否定されていく。
“あの時の光”に憧れた自分が、踏みにじられていく。
空気が震え、地の底から呻き声が響いた。
神官ゴブリンの呪印が、空間を黒く侵食する。
その中から放たれた呪術の一撃が、私の腹部を穿った。
「──っ⋯⋯!」
吐き気が、意識を揺らす。光が滲んで、過去の光景が一瞬、脳裏を過った。
(また、助けられないの⋯⋯?)
でも、倒れてはいられない。
私の胸元で、魔法杖が共鳴を始めた。
淡い紫光が奔り、杖の宝珠に粒子が集まり始める。
『カッチーン。アッタマ来た』
キリムちゃんが珍しく激怒している。戦い方の卑しさに対してだ。
「私の怒りと悲しみ、全部込めるわよ⋯⋯!」
傷はすぐに癒えた。
その言葉に応じるように、転移魔法陣が開く。
虚無の中から、十体の最上位虚精霊が次々と降り立った。
かつて存在を否定された怒り、この十体がとりわけ強い。即座に状況を察し、最適な行動を取っていく。
ディルクも斧を手に吠える。
「今だ、奴の足元を熱で弱らせる! オラァアアアッ! 〘超火導極衝〙──!」
推進装置で増幅された圧倒的速度の紅蓮の斧が、神官ゴブリンの足元に叩きつけられる。
高熱で装甲のような皮膚が崩れ、無効化されたはずの物理が、わずかに貫通を始めた。
すかさず虚精霊たちに呼びかける。
「支援射撃、斉射開始して! 座標はディルクさんに追従!」
空間が虹色に歪み、虚精霊たちが一斉にエネルギーを解き放つ。
神官ゴブリンが呻き、ついに態勢を崩した。
「ナンダ⋯⋯? ナゼ⋯⋯?」
私の魔法杖に、氷の魔法陣が重なった。
「凍てつけ、〘凍界凶嵐牢〙──!」
氷の嵐が戦場を覆い尽くす──が。
「涼シイナ、コレ。グェツハッハッハッ!」
すべてが虚しく消える。
神官ゴブリンは氷の嵐で凍結された身体を無理やり叩き割った。
光も、氷も、かつての祈りも、通じない。
しかし、私は今や──“過去の光”を手放していた。
「だったら、雷だわ。怒りよ。過去を焼き尽くせ」
私は新しい魔法体系を構築する。
雷の多層魔法陣が、怒号と共に空に浮かぶ。
記憶の断片が、詠唱に込められる。
過去の少女の涙も、笑顔も、悔しさも、想いも。
「これは──過去の少女と、今の私からの天罰の一撃よ⋯⋯!」
声が、天を裂く。
「神降れ、〘天降魔滅神槍雷〙──!」
私が杖を振り下ろした瞬間、雷鳴が轟き、天を焦がす金色の閃光が、神官ゴブリンを貫いた。
「グギャアァァァァァァァ!!!」
ヤツが断末魔を上げる。
黒い肉が焼け、再生する力すらも打ち消す浄雷。
その一撃は、私の“記憶”そのものだから。
トラウマの象徴だった過去を、確かに焼き払った。胸のつっかえがやっと取れた気がする。
「即席で魔法作ってみたの」
「ほう、ミューリエ嬢は胆力と即応力がある」
「ありがとう、ディルクさん」
彼が感心しながら頷く。
天の雷が過ぎ去ったあと、戦場にはただ焦土と静寂だけが残った。
⋯⋯だがその沈黙を、空の彼方からじっと見下ろす、異質な“存在”を感じた。
【次回予告】
第56筆 因果を断つ一撃
《8月25日(月)19時10分》更新致します




