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第5筆 刃を超えるまで〈刀神修行・後編〉

 二日目の霧は、昨日よりも濃く、肌に貼りつくようだった。

 息を吸うごとに、視界が白で満ちていく。地面も、空も、サクヤの姿さえ見えなかった。


「今日の霧は、“潜在意識”だ。お前の記憶と痛み、それが可視化される」


 低く響いた声に頷き、昨日と同じく、影が現れた。だがその様相は変わっていたのだ。


 一人目の影は、小さな少女だった。顔は見えない。けれど、見覚えのある肩幅、背格好、そして声──。


雅臣(まさおみ)先生は、心が遠い。絵は好きだけど、先生の絵は、私に触れてくれなかった』


 それは、凛花(りんか)の声。

 記憶に封じた、彼女の涙。咄嗟に剣を構えるが、体が動かない。


(違う、俺は⋯⋯そんなつもりじゃ⋯⋯!)


 否定しようとすればするほど、影が増える。


 かつて俺の絵が買えず、目の前で泣いて抗議した少女。大病に冒され手を差し伸べても、うつむく母の顔。あの時、目の前で自殺した初恋の人。


 見て見ぬふりをした他人の悲しみが集結していく。


 それらが刀を抜き、無言で襲いかかった。


「ウソだろ⋯⋯信じられないほど、強い!?」


 防戦一方。霧の中、刃が肌をかすめ、血がにじむ。


「どうした、昨日の勢いは。逃げるな。受け入れろ」


 サクヤの声が、霧の向こうから響いた。


「感情を斬るんじゃない。お前自身の“(ゆる)し”を求めて、刃を振れ」


「⋯⋯赦し、だと⋯⋯?」


 声が震えた。そんなもの、自分にはまだ──。


「あれ、俺泣いてる⋯⋯?」


 けれど、一瞬だけ。凛花の幻影が、刃を下ろし、涙を浮かべた瞳で微かに笑った。


『先生が泣いてくれたなら、私はもう、大丈夫』


 その言葉が胸に刺さったとき、雅臣はゆっくりと剣を構え直す。


「俺は⋯⋯弱いな。ずっと、逃げてきた。誰かを守れるほど強くなかった。でも……もう、目を逸らさない。俺は描き留めながら、駆け抜けるッ!」


 ザシュッ──。

 その慈悲を込めた一太刀で、少女の影は霧と共に静かに崩れた。


 すべての影を斬ったわけではない。

 だが、最も深く、最も脆い“自分”に向き合えたことで、霧の気配がわずかに薄れた。


 サクヤが樹上から静かに現れ、血を滲ませながら立つ俺を見下ろす。


「⋯⋯終わったな」


「⋯⋯いえ、まだ全部は斬れていません。でも⋯⋯少しだけ、自分を赦せた気がします」


「それでいい。斬るべきは他者ではなく、自らの“執着”だ。過去も、痛みも、未練も」


 その言葉と同時に、雅臣の手に握られた霹臨天胤丸が、かすかに震えた。

 まるで、己の覚悟を祝福するように。


 風が吹いた。霧が晴れ、頭上にはわずかに青空が覗く。


「“形”を極めれば、いずれ“(まこと)”に至る。⋯⋯今日のお前の刃は、ようやく“入界”した」


 その言葉に、俺は膝をつきながらも、心のどこかで確かに感じていた。

 この剣は、人を傷つけるためのものではない。

 己を律し、大切なものを守るためにあるのだと。


 ふと、微かな声が風に乗って耳をかすめた。


『先生の刃が、ちょっとだけ優しくなった気がする』


 凛花の幻影──いや、心の奥に残る彼女の声。ゆっくりと目を閉じ、その言葉を胸に刻んだ。



◇ ◇ ◇



 三日目の霧は消えていた。


 代わりに広がっていたのは、澄んだ空と、どこまでも続く静寂。そして──ひとりの老剣士。


 刀神サクヤは、今日の稽古相手として、“かつて己が斬った者”の幻を呼び出していた。


「今日は“お前”ではない。“他者の(ごう)”を斬ってもらう」


 立っていたのは、かつてサクヤに敗れたという剣士。無念を残したままこの世を去った男の幻影だった。


 その瞳には憎しみではなく、深い哀しみが宿っていた。


「お前に問う。⋯⋯誰かの苦しみを、自分の刃で終わらせる覚悟はあるか?」


 サクヤの問いに、心が震えた。


 “斬る”とは、“命を絶つ”こと。

 だが、同時に“痛みを断つ”ことでもある。


 剣を抜いた。相手の瞳から目を逸らさず、一太刀で苦しみを断った。

 そのとき、自分の刃が“絵筆”と重なる感覚があった。


 ──線を引き、形を生み、時に痛みを癒す。

 それもまた、表現であり、戦いの形なのだと。


「──お前の刃には、“誰かの想い”が乗るようになった。もう、ただの技ではない」


「俺の刃──それは慈悲の刃です」


「⋯⋯フッ。お前らしい。ならば、褒美だ。“彩武流(さいぶりゅう)”と名乗れ」


「免許皆伝ってことですか!!?」


 かなり嬉しくて涙がこぼれた。自分の生き様と戦い方、精神が認められた瞬間だった。


「漢が簡単に泣くな。この先どれほどの武を学ぼうとも、お前の剣には彩がある。彩られた武こそ、お前の魂の流派だ」


 そう言ったサクヤの背後から、雷鳴のような足音が響いた。

 足音の残響で俺の右肩が熱くなり、澄んだ魂を表すであろう瑠璃色の刀が金色の光で刻まれていく。


(来る、刀神の記憶の継承が──!)


 それが皮膚の上で剣神の〈創印セイントグリフ〉と打ち合い、交差するように落ち着いた。

 

 流れたのは、始まりの記憶。角が生えた二人の男女を手にかけ、涙をこぼすサクヤの姿と、神性の覚醒。


〈赦せ、父さん、母さん⋯⋯ワタシも赦すから〉


(己の両親が邪神化して、(たお)す事で、魂の苦悩を救ったのか)


 あの斬撃の重みの原点を、我が魂に刻まれた。

 彼女のように、赦しを求めて斬れるようになるんだ。



◇ ◇ ◇



 霧の晴れた稽古場の外。

 山の岩肌を踏みしめる重い足音と共に、巨影が現れる。


 全身が青銅のような光沢を放つ、約六メートルを超える巨人。その背には約三メートルの槍。

 それは大地と空の狭間を貫くような存在感だった。


「刀剣を超えし者よ。我が名はガラハッド。槍神(やりがみ)にして、“意思の貫通者”である」


 彼の声は山を揺るがすほど重く、だが芯に静けさを宿していた。


「強くなりたいと、白髪の少年から聞いたが、それはまことか?」


「はい、俺は求めました。もう二度と、同じ事を繰り返さない為に──!」


 揺るぎない決意を元に、俺は宣言した。


「そうか。並びにお前が“斬る”を超え、“貫く”覚悟を得たと聞いた。次は“揺るぎなき意志”を学ぶ番だ」


「“揺るぎなき意志”⋯⋯」


 その言葉が、自分の心をぐっと掴んで離さない。

 サクヤが背中をそっと押す。間違いない、次の時だ。


「この者の修行は、我が道と異なる。“刹那”ではなく“貫通”──心の芯を問う鍛錬だ。きみには、もうその準備ができている。行け、“絵筆の剣士”よ」


 俺はコクリと頷き、槍神のもとへと一歩踏み出す。


 心にはまだ迷いも痛みもある。

 だが、それでも歩く理由を持った自分が、確かにここにいた。

毎日投稿・5日目。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今回から5〜10筆分ごとのあらすじを書いていきます。


◉ これまでのあらすじ(〜第5筆まで)


前世で有名画家だった雅臣は、テロ事件を機に命を落とし、全次元の始まりの世界、唯一世界(オリジン・ヴァース)に導かれる。


・剣神からは“戦う覚悟と基礎”

・刀神からは“過去を斬る決意と技” を得て、専用武器「霹臨天胤丸へきりんてんいんまる」を手に入れた。


“彩武流”は、ただの戦闘術ではなく、技と心、魂そのものを育てる流派だった。


次は意思貫通と槍術を学ぶべく、槍神の元へ。

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― 新着の感想 ―
もうちょっと神道要素濃いめの方が好みでした。 神社の話が出てきたとき、嬉しかったのですが
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