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第4筆 迷いの風を断ち、魂の形を知れ〈刀神修行・前編〉

 転生先のエリュトリオンはどんな世界──?


 修行の手応えはある。それでも、先が見えないことには、時折心がざわついた。


 剣神との日々は、確かに順調だった。だが、あまりにも順調すぎて、ふと考えてしまう。

 このまま修行を重ねれば、やがて転生の時が来る。



 けれど──どんな世界が俺を待っているのか。



 異世界? 戦場? 一見、平穏な村? それともまた、何か恐ろしい場所なのか。

 まだ見ぬ未来は、真っ白な紙のようで──その白さが、時に少しだけ怖かった。


 悩みの中、修行は霧の山で続いていた。


(考えすぎだ。神々はちゃんと俺の成長を見て、意見も聞いて反映している)


 あの日、霹臨天胤丸へきりんてんいまるを手にしてから、自分の剣筋は確かに変わった。

 

 無駄が削ぎ落とされ、一本一本に意志と魂が込められていく。


 九日後。静かな山林の道場で、剣神が口を開いた。


「⋯⋯雅臣。もう“斬ること”は、身についた。だが、お前の刃には、まだ“形”がない」


 彼の視線が注がれる先には、道場の壁がある。


(⋯⋯あれか。愛用の剣を見てるな)


 そこに封じるように埋め込まれていたのは、誰の名も知らぬ波打った蛇行剣と、捻れた剣。

 刃が風に鳴るたび、かつての英雄たちの面影が揺れて見えた──。


「“形”⋯⋯ですか?」


「そうだ。“心”が刃を動かし、“形”がそれを生かす。お前に足りぬのは、剣よりも“刀”を知ることだ」


 ふと、思い返す。

 霹臨天胤丸を手にした日、刃が自分に語りかけた声。あれは確かに、剣の力でありながら、形そのものに宿った意志だった。


「お前に、免許皆伝を言い渡す。聖なる印──〈創印(セイントグリフ)〉を受け取れ。残る九柱の神々と、隠された者の印を手に入れろ」


 剣神に握られた右肩へ、熱が走った。

 目に見えない刃が、三角筋の丸みに沿って線を描いていく──

 次の瞬間、それは救いの剣を象った〈創印(セイントグリフ)〉”となり、金と紫苑色の光で俺の肩を照らした。


 流れ込むのは剣神の切っ先の如き、鋭い記憶。

 剣で救えた者と、救えなかった者の想いが継承された気がする。


(俺⋯⋯剣神に、認められたのか。〈創印(セイントグリフ)〉──全部集めなきゃ、転生の道は切り拓けないんだろうな)


 ⋯⋯今でこそ、こうして剣神と刃を交えられた。


 だが、ほんの数ヶ月前の自分は──

 ジムで軽く汗を流す程度の、どこにでもいる人間だった。



 “もし今の自分を、あの頃の自分が見たらどう思うだろう”?



 答えは分からない。けれど、剣神の鋭い視線が、それでいいと教えてくれるような気がした。


 剣神は俺の背を叩き、振り向いて歩き出す。


「⋯⋯お前に紹介すべき者がいる。名は“刀神(とうじん)”。私とは違う流儀で、“刃のかたち”を教える者だ」


 彼の背をじっくり観察した時、言いようのない“遠さ”を感じた。

 幾億(いくおく)の命を斬り、幾億(いくおく)の意志を受け止めてきた剣士の、深遠な背中だった。



◇ ◇ ◇



 剣神は山林の外れ、かつて誰も通らぬと伝わる“拒絶の山路(やまじ)”へと導く。


 道中、風が異様に鋭くなる。

 視界を断つような霧の中、突然、抜き打ちの半透明な風刃が霧を裂き、鋭い唸りを上げた──!


((はや)いっ!)


 即座に愛刀・霹臨天胤丸(へきりんてんいんまる)で受けるも、ほんの一瞬、空間が歪み、霧の中から声がした。


「⋯⋯剣神だけは、時の果てを越えても変わらない。感謝する、“大師匠”さま」


「後は頼むぞ、“孫弟子”よ」


 その声の主が、霧の中から姿を現す。

 二人が目を合わせた後、剣神は帰っていった。


「問おう。“剣”は敵を討つ術。だが“刀”は己を斬る刃。それを痛みも超えて知るか、少年?」


 古代文字が輝く狐の面を付けた女性。背に無数の刀が宙に浮かびながら、ポニーテールと共に揺れた。


 彼女は、妖しくも静謐な気配をまとい、静かに名乗る。


「私は刀神(とうじん)風音(かざね)サクヤ。剣の教えの果てに、お前は“己を斬れる”か?」


 この感覚、剣神とは別の強さだ。剣神が戦う力なら、きっと彼女は⋯⋯俺は敬意を示すため、深く一礼して答える。


「⋯⋯学ばせてください。“己を斬る”という意味を」


 霧が晴れ、道が拓けた。


 ここから──刀神との修行が始まる。



◇ ◇ ◇



 山霧に包まれた稽古場は、地面すら見えない白銀の世界だった。


 竹で囲まれた庭の中央に、”刀神(とうじん)風音(かざね)サクヤは静かに立つ。

 長い黒髪を結い上げ、顔の上半分を覆う面には、刻印のような古代文字が刻まれていた。


「ここは、“形”がなければ己すら見失う場。心と体、どちらが迷えば、刃は迷い、やがて命を奪う」


 サクヤの声は秋風のように通り、耳に届く。

 霹臨天胤丸(へきりんてんいんまる)を両手で構える。だが、その姿勢を見た彼女は、鋭く言い放った。


「構えるな。捨てろ」


「⋯⋯え?」


「お前の“構え”は、戦うための構え。ここで必要なのは、“斬る理由”を構えることだ」


 サクヤは腰の刀を抜きもせず、目の前に向けて一歩、近づく。

 するとその瞬間、背中に冷たい感覚が走る。


 気づけば、自身の喉元に木の枝が突きつけられていた。


(い、いつの間に⋯⋯!?)


「刃は振るわずとも、“心”は斬れる。お前が斬ってきたのは“敵”だけ。今日から斬ってもらうのは、“己”だ」


 次の瞬間、周囲に“自身の姿をした影”がいくつも立ち現れる。

 怒り、嘆き、怯え、傲慢、虚栄──己の中に潜む醜い感情が、すべて形となって刀を構えている。


 怒りは黒炎のような男で、猛る咆哮を上げた。ライバル画家に絵を燃やされた時の心だろう。


 虚栄は仮面を被った自分で、冷笑を浮かべており、自分に嘘をついた心が揺らぐ。


 嘆きは、子供のような女々しい声で「やめて」と泣く影だった。

 神童と呼ばれ、金儲けのため⋯⋯絵の転売が相次いだ小学生の頃を思い出す。



「これが、お前の“心の形”だ」


「こんなものが⋯⋯俺の中に⋯⋯」


「逃げるな。全部、受け入れろ。そして斬れ。斬りながら、理解しろ」


 戦々恐々ながらも震える一歩を踏み出し、自分自身の影へと向き合っていく。


「⋯⋯燃やされた。アンタの全て、灰にされた気がしたか?」


 黒炎の男が問いかけるように吠える。


「ああ……今でも、あの夜の焦げた臭いを覚えてる。でも……俺は、燃やされたくて描いたわけじゃない」


 己の剣が、黒炎を裂いた。


「どうせ本当のお前なんて、才能の陰に隠れて、誰にも見せてないだろう?」


 仮面を被った俺という影が冷たく笑う。


「⋯⋯だから今、こうして向き合ってる。逃げないって決めたんだ」


 再び刃が、仮面を割る音で山中に響く。


 目を逸らせば刃が迫り、心を乱せば風に飲まれる。だが、一太刀、また一太刀と斬り結ぶうちに、霹臨天胤丸(へきりんてんいんまる)が柔らかく震える。


 ……斬ったはずの影の欠片が、霧の中に再び浮かぶ。 けれど今の俺は、それを“恐怖”と名付けられた。 名前がついた途端、恐怖はただの霧となって消えていく──。


 まるで、「それでいい」と告げるように──


 夕暮れ、最後の影をようやく斬り終えたとき、俺は地に膝をついていた。


「⋯⋯つらかったか?」


「⋯⋯はい。でも、斬れました。少しだけでも、向き合えました」


「そう、影とは“見ようとしなければ見えないもの”。でも、一度でも見た者は──もう、見逃せなくなる」


「もう⋯⋯逃げませんから⋯⋯!」


「なら、今日の修行は終わりだ。明日から、さらに深く、お前の“形”を研いでもらう」


 サクヤは初めて微笑んだ。その微笑(びしょう)には、苦しみを超えた者にしか見せない、静かな誇りがあった。


「“形”を極めれば、やがて“(まこと)”に至る。お前の刃は、まだ流離(さすら)う旅の途中だ」


 その言葉が、今日の稽古の痛みを、少しだけ和らげてくれた。

 ──心の奥に、初めて、静かな“形”が灯るのを感じながら。

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