第38筆 三年と幾日、世界を救う者の姿
道場を訪れ、奥の神棚に三礼三拍手一礼した。祭神は“宇宙の創造主”アステリュア=コスモ。
──かのお方へ、奉納の七万回の素振りを行う。
一振りごとに、剣が低く鳴いた。
その響きに耳を澄まし、動作の微細な乱れを修正する。
七万のうち、一万回目でようやく「剣との会話」が始まっていく。
俺の新しい人生を最初に導いたのは、本名を名乗らない“剣神”だった。
彼にも祈りを捧げたいが、無口で謙虚だから、祈られるのは嫌がるだろう。
「三万回、三万一回──」
だから、宇宙の創造主への感謝を一振りごとに込め、同じく剣の力を欲するもの⋯⋯何も武力行使じゃなくて良い。
心の剣で万民が悪と己の弱さを倒す事を、祈りと共に振る⋯⋯。
「七万回───!」
『一万にして壱、十万にして無なのだ』
剣神と、刀神・風音サクヤが掲げる共通の教え──技の完成と無意識化。剣神は“実戦的斬撃”、刀神からは“魂の律動”を学んだことを⋯⋯。
今朝の対話は、静かで少し熱くて、深みがあった。
◇ ◇ ◇
【戦闘訓練】
素振りを終えると、神殿内に“影”たちが現れ始めた。それは己の記憶と神域の演算によって召喚された、精鋭たち。
その日現れたのは──十四体。
剣士、魔導師、斧使い、狙撃手、幻術師⋯⋯戦闘スタイルに応じて編成が変化する。
「今日は、速さと手数を見られてるな」
音もなく構え、戦いが始まる。
これは力比べではない。己の技量を測る“会話”である。
しばらくして、俺は新技を閃く。
剣を構えた瞬間、重力がひずみ、空気が軋む。
「──〘雷皇神の演武斬〙!」
高速の斬撃と共に稲光が奔り、空が裂ける。しかも、斬るたびに勢いが止まらなくなって、制御できない。
(しまった、脳内計算ミスだ──!)
次の瞬間、異空間が悲鳴を上げた。神殿の屋根は軽々と吹っ飛び、柱が浮き、石床がめくれ──重力が逆流した。
「にゃわぁあ!? 空間がねじ切れとるぅ!」
カキアが飛び出してきて、ひっくり返る。異常事態だと思い、飛び起きたらしい。
「お兄さま、ログ破損! 異常干渉率32%! このままだと次元が──」
「シュミレーション中止ッ!」
俺が叫ぶと、神殿跡地は真っ白な空間に戻っていく。これは、安全装置の“合言葉”である。
予想外の出来事に(やっちまったなぁ)と、俺は頭を掻いた。
「ごめんごめん、ちょっと新技が強すぎた」
「だまらっしゃい。早く直せや。お兄たんのバカァッ!」
ウィズムにこっぴどく叱られた。
すぐに移動したいが、俺は転移門を持ってない。だから、代替手段として、刀神・風音サクヤの斬撃で転移するあの技を盗み、〘斬異送〙と命名したのだ。
それを使って転移後、超高速で破損箇所を遠隔召喚していく。およそ四万箇所を数十秒で完了した。
おもむろに取り出した手ぬぐいで額の汗を拭い、腕時計で時刻を確認。
「なんだ、外界はまだ五時半か⋯⋯じゃあ、次は絵でも描こうかな」
「話、終わってませんけど!?」
異空間を後にする俺の背中越しに、カキアとウィズムの絶叫が虚しく響いた。
◇ ◇ ◇
【一作描画と、千枚の素描】
戦闘訓練を終えると、前世に似たアトリエ空間で絵筆を握る。
小規模な体育館一つ分のサイズだ。
昨日あったこと──人とのやり取り、風景、食べたもの、戦った感触──それらを一枚のキャンバスに凝縮するのだ。
そしてその絵を、構図・人物・物体・背景などに細分化してもう一度色鉛筆で描く。
『⋯⋯観るとは、世界を捉えることなり』
念描神ザフィリオンの教え、再び花開く。
解像度と再現力を上げるための、自分なりの画力訓練を続ける。
魔法描写技術を通して、視覚的、感情的な観察力の向上に邁進する。
「俺の記憶を、世界に再現できるだけの“手”を持つんだ。そして、貢献しろ」
そう言って自分に言い聞かせる。
これは“〘画竜点睛〙”の準備のためだ。
◇ ◇ ◇
【太陽の祈り】
次は太陽のご神域へ移る。
朱色の大鳥居の先には、橙色に燃える超巨大光球──太陽が、音もなく回っている。
その膨大な質量は、空間を大きく歪ませるほどだった。
俺は、謙虚で厳かに、〈祈りの型〉をとった。
背筋を伸ばし、片膝を折って座す。
掌を胸前で合わせ、目を閉じる。
ただそれだけの所作に、全身の筋繊維と血管が軋みを上げる。更に神経の誤作動によって、思考の乱れすらある。
ここは地球の〈二百八十倍の重力〉が支配する領域。剣を振るうよりも、走るよりも、ただ立つことが最も過酷な試練だった。
それでも、俺は真剣に祈る。
「あまねく神々よ──私は一つの世界を救わんと奮闘せし者。どうか自分に試練と成長をお与えください。その感謝の証明と成果を、邪神討伐でお見せ致しまする。かしこみ、かしこみ申す⋯⋯」
それは、修行であり、誓いであり、魂の整律だった。この場は、己の神性の根源。
「己の力、才能を支える根は、高貴なる貴方がたへの感謝と祈りにありまする」
──全ては与えられたのではない。
「授かり、力と向き合い続ける覚悟を問われる場所」なのだ。
◇ ◇ ◇
【癒しのひととき】
異空間の出口近くの湯殿にて。
静かに湯気が漂うその空間の大きな鏡の前に、ゆっくりと立つ。
両肩の傾き、腰の捻れ、左右の筋肉の盛り上がり──その日の訓練のバランスを、目で確認する。
「⋯⋯右腕、まだ微妙に発達が遅れてるか。明日は斧の素振りも足そう」
このチェックは絵描き、戦闘、生き方、精神状態に至る重要なバランス調整でもある。
身体の歪みは、そのまま描線と人生の乱れにつながるのだ。
(毎回染めていた茶髪も、今じゃ赤い髪が根本から生えるようになったなぁ。まだ、人間だよな?)
そんなことを考えながら鏡越しに、ふっと笑う。
「今日もよくやったぜ、俺っ! 朝のルーティン、完了っ!!」
ゆるやかに、噛みしめるように湯に浸かる。
体を包む温もりが、世界を癒していくようだった。あぁ、全身からの歓喜が止まんねぇ⋯⋯。
まぁ、異空間内は外世界の百分の一の時間の流れになっている。
二百時間もルーティンに使っていれば、快感も当然か。
外じゃ、まだ朝食前だってのにな。
「ぷはぁ~っ、やっぱ風呂上がりにはいちごミルクだ。うん、間違いない」
俺は腰に手を当て、満面の笑みで瓶入りいちごミルクを飲み干す。日本人特有の乳糖不耐症も、修行の成果で克服したのだ。
脱衣所の鏡に映った自分の姿を見て、小さく頷いた。三年と少し。改善しながら積み上げた日々の、その一日分に過ぎない。
「外界の時間は六時、朝食は八時から。うし、追加トレーニングと絵の新作やるか」
異空間の時間の流れは百分の一。時間はたっぷりとある。
ゆえに祈り、戦い、描き、観つめる。
神と人と、絵の創造者としてのバランスを保ち続けるために。
これが俺の戦いの礎になる。
世界を救う礎は、またひとつ深まった──。
【次回予告】
第39筆 黒衣の謎と二振りの剣の言及
《8月8日(金)19時10分》更新致します。




