第36筆 三年目の朝、惑星に火をつけろ〈村・二日目〉
──????視点──
──翌日の未明。
星すら隠れた曇天の下、かすかに燻る血と硝煙の臭いが、戦場跡を覆っていた。
誰もいないはずのその場所で、焼け焦げた小鬼族の死骸が、ずるり……と音を立てて蠢き出す。
「⋯⋯襲撃カイシ⋯⋯進軍セヨ⋯⋯進軍セヨ⋯⋯」
濁声が、壊れた蓄音機のように震えながら響く。
黒く炭化した皮膚が、ひび割れ⋯⋯やがて破れる。皮膚の下から現れたのは、漆黒の鱗をまとった異形の怪物。
体格はひと回り以上膨れ上がり、口の端からは紫黒の蒸気が、シュウウ……と毒のように漏れ続けている。
「リョウカイ、王ヨ⋯⋯コロス、サツリク、血マツリ⋯⋯スベテハ、邪神サマノ、望ミ⋯⋯」
禍の呟きは、風に乗って低く這う。
そして、それは小鬼族だけにとどまらなかった。
毒の粘液を滴らせる毒軟粘族、牙を研ぐ犬牙族、名も知らぬ獣たち――次々と、屍が、土から、闇から、ざわり……ざわり……と起き上がってゆく。
「全テハ⋯⋯邪神サマノ、タメニ⋯⋯!」
重なり合う異形たちの声。まるで意志を持った一体の巨獣が、喉を鳴らしているかのようだ。
赤黒く光る瞳。そこには、かつての本能に代わる、薄気味悪い知性の輝きが宿っていた。
彼らが見据えていたのは、草原の彼方。夜の帳にぼんやりと浮かぶ、小さな影――。
木々と畑に囲まれた村。
──シャルトゥワ村。
静けさの向こうに、死の予兆が忍び寄っていた。
◇ ◇ ◇
──雅臣視点──
──夢を見てから少し経過した頃、俺は朝4時30分に起床した。いつものルーティンを行う為である。
夜が明ける直前の静寂さと、澄んだ空気を味わうこと。まさに早起きした者の特権だと思う。
ミューリエ、カキア=ウェッズ、ウィズムを起こさないよう、ひっそりと布団を召喚画面の中へしまっていく。ふと、ミューリエの寝言が聞こえてきた。
「お母⋯さま⋯⋯行か⋯ないで⋯⋯⋯⋯」
悪夢でも見ているのかな。
美しいけど、張り詰めた表情の寝顔はとても心配だが、大丈夫だと信じたい。
カキアの背中のファスナーをそっと開き、俺はグニャリと掃除機で螺旋状へ吸い込まれるように、異空間へと入って行った。
◇ ◇ ◇
【ウォーミング・アップ】
目を開けた先に広がるのは、幾千もの空と大地を内包する異空間──。
ルーティン開始から、三年と五十三日目。アップデートを繰り返し、内容も初期からだいぶん変わってきた。
今日もまた、神々すら疲弊する鍛錬の幕が上がる。
まずは、周辺環境を地球へ、重力を百〜三〇〇倍に設定。今日はフランスの凱旋門からにしよう。
とてつもない負荷を感じながら、ジョギングをするのだ。
──そして今、俺は音を置き去りにしながら走っている。多分、速度マッハ五くらいは出てると思う。
凱旋門の円弧が視界に映ったと思った瞬間には、ヴェルサイユの噴水が背後にあるのを確認。
大気が裂け、時空が悲鳴を上げる。だが足元には、砂粒ひとつ舞い上がった感覚もない。
「うん、今日は調子が良い」
重力二〇〇倍下での制御ジョギング。たった四十二kmだ。だが、これを正確に、一秒半で完走せねばならない。
一瞬の気の緩みが、肉体の崩壊につながる。昨日、自分を蝕んだ“声の奔流”が、重力の裏に揺れている気がしてならない。
このルーティンは、ただ速さを鍛えるものじゃない。“存在そのものの境界を、自ら保ち続ける意志”を試すものだ。
「ま、こんなところかな」
肩慣らしは完了。次は太陽系惑星を使った筋トレだ。
◇ ◇ ◇
【ステージ1:惑星サーキット】
広がる星々の中、一つの環に立つ。
それぞれ異なる重力・気温・磁場特性をもつ惑星を模した訓練空間──その名も〈惑星サーキット〉。
肉体と精神の限界を精密に揺さぶるための修行。
俺の朝は、宇宙規模のストレッチと体幹調整から始まる。
■ 水星ゾーン:プランク&ハイリーチ〈空間耐性調整〉
不安定な重力と放射熱が渦巻く水星ゾーン。
地面はわずかに揺らぎ、座標そのものが微振動している。
「バランスを崩すな⋯⋯これは空間耐性の鍛錬だ」
しっかりと体幹を締めてプランク姿勢を取り、そこから片腕を交互に前方へ伸ばす“ハイリーチ”をゆっくり繰り返す。
『耐えるってね、崩れぬ姿勢。その状態を、熟知することなんだ〜』
盾神ムトトの教えが重くのしかかる。
惑星の振動に身体が揺れそうになるたび、腹部と肩甲骨で微調整。
空間のズレに飲まれない意志と筋力を鍛える。
■ 火星ゾーン:シャドーボクシング+空中スクワット〈反応強化〉
次に降り立ったのは火星ゾーン。
赤く乾いた大地、微細な粉塵が舞い、軽い重力が反射神経を狂わせる。
「空気の流れ、身体の予測……全部、反応しろ」
俺は連続したシャドーボクシングを始める。拳を打ち出すたび、風を切る音が跳ね返る。
そこへ無重力感を活かして空中スクワット。宙に浮きながら沈む──その反発を脚で制御する。
『よぉ、兄弟。影を打つってのは、暗き心を打つってこった』
拳神ダンジンの教えが体内まで打ち込まれていく。
眼と手足と脳──全てを連動させる反応の修練だ。
■ 金星ゾーン:スロー腕立て伏せ〈フォーム矯正〉
最後は金星。
厚い大気と異様な圧力、視界を曇らせる硫黄の霧。
その中、汗を垂らしながら、無言で腕立て伏せを開始する。
「一つ一つの動作に、意味を込める……」
動作は極限までスロー。
肘の角度、背筋のライン、手首への荷重……すべてを意識しながら沈み、戻る。
金星の密な空気が、動作の“甘さ”を一切許さない。ここで鍛えるのは筋肉ではなく、“型”そのもの。
『おい、刃筋を乱すな』
刀神 風音サクヤの教えが再度、全身へ刻み込まれる。
まず攻撃も防御も、正確なフォームから成り立つ。スロームーブで美しい動きを徹底化。フォーム意識が強化される実感があった。
こうして〈惑星サーキット〉第一ステージを終え、ひと息だけ小さく呼吸を整えた。
全身の軸が揃い、目の焦点が一点に定まっている。
「よーし、心身共に整った⋯⋯次だ」
鍛錬は、まだ始まったばかり──。
【次回予告】
第37筆 三年の軌跡、神々の筋肉に挑む
《8月6日(水)19時10分》更新致します。




