第33筆 黒衣の男と、仲間に護られし二人
──????視点──
淡き満月が見守りし、真夜中の静寂。
余は不穏な気配を感じ、取り急ぎ宿屋の特別記録を開始した。
一方、寝室で雅臣とミューリエの二人の寝息を立てる姿を見やり、黒猫型の無限収納庫──カキア=ウェッズは微笑む。
軽やかな足取りで〈青葉のそよ風亭〉の屋根へと登り、カキアは星々を眺めながら月光浴をする。
「⋯⋯これが旅か。“あるじ”へ付いて行って正解だわい。事に欠かさず、とても飽きん」
雅臣と乗り越えた三年の修行によって、以前より人嫌いの態度は軟化した。むしろ、好奇心が増してすらいるようだ。
美味なご飯を貰い、皆の大事な荷物を預かり、支援物資・武器を補給する守護者の役割。
「今日も満足な一日を過ごせた」と鼻を鳴らす。
あくびが出て、眠気が深まったカキアが踵を返した直後。異様な殺気と共に風が止む。
(──誰ぞ!)
忍び足ながらも、多くの屋根を伝って石瓦が僅かにずれ込む音。血生臭さを無理やり薬品の匂いでかき消しており、段々と宿屋へと近付いていく。
人間の八倍もの聴覚を持つカキアにとって、村内のことは全てお見通しである。
先手必勝。カキアは周囲の魔力を利用し、遠方の敵を盾で彼方まで吹き飛ばす。
その鈍く重厚な音は、巨大な鈍器で殴られた衝撃と同格であった。
次点、即時転送した剣を咥え、侵入者を一刀両断しようとした瞬間。
「クハハ! ずいぶん派手なご挨拶だな、黒猫よ」
目元と口すら闇を纏う黒衣の男は不敵に笑った。
カキアの剣を跡形もなく粉砕。
直後、不可視な圧力が襲った。
〘闇刃〙──
──カァン!
鐘の音を想起させし、低く鈍い金属音が残響する。
(盾神・相伝〘概念ノ盾〙⋯⋯にゃあの盾を、なまくらで突破できると?)
「⋯⋯ッ! 小癪な」
その時、少女の声が響く。
「神級結界魔法を発動っ! カキアじじ、お待たせしたのです」
定例会議から戻ったウィズムが緊急事態を察知し、駆け寄る。
「⋯⋯征くぞい」
有事のためミューリエが作り、ウィズムが発動した結界魔法は防音・防御性に優れており、並大抵の攻撃ではヒビが入らない。
「絆技・〘電身の断罪〙」
「か、はッ⋯⋯!!?」
電磁波被爆と、武器の転送発射。
黒衣の男は、全身を多様な武器で串刺しにされ、見るも無残な姿だ。
ウィズムの緻密な演算軌道の元、追い詰められた黒衣の男の逃げ場はなし。だが、常に背後を取られている感覚が襲う。
「フハハ⋯⋯視野が狭いなッ!」
危機を察したカキアが、男を星々が渦巻く次元の狭間へと送り込む。
黒衣の男が落下中、ひねりながら手をグッと握る。
その所作だけで、村全体の結界は音もなく砕けたシャボン玉の如く崩壊。あっという間に、雅臣とミューリエが眠る寝室へと侵入された。
「にゃんだと⋯⋯!!?」
即座に察知したわずかな解除音。有事に備えたはずの大量の罠、時空の牢獄も同時に消失したのだ。
卓越した技量の差。カキアは本能で得心した。
「おい! 生身の状態から、次元移動まで出来るとはナニモンじゃぁ!!?」
「結界層の多重構造術式、無害化されてる!? こんな魔力分解、過去記録にないのですッ!」
「これで終わりだ」
黒衣の男は五体満足の状態で、近くにいる雅臣とミューリエの前へ──一歩踏み出す。
しかし、彼の全身がただならぬ雰囲気に戦慄を覚え、行動を拒絶。喉元を切り裂くような冷気が放たれる。
瞬きすると、彼の眼前には二振りの抜き身の剣が交差していた。
一つ、ミューリエ秘蔵の純白で約百八〇センチメートルの大剣──ルスト・ハーレイヴ。
世界を断絶する気配を帯びた、恐ろしく神々しい威圧感。
一つ、雅臣が愛用せし濃紺色の刀──霹臨天胤丸。
天体と自然の脅威を内包した、雄大で荒々しい存在感。
まだ誰の手にも握られてないというのに、意志を持つように行く手を阻む。
──それは、秘剣が“選びし主”を護る、神聖不可侵の領域である。
「⋯⋯ほう、“武具因子”の意思が働くとは。攻めと護りは揺るぎない。“前座”として及第か。次に会う時、それは⋯⋯舞台の幕を上げる時だ」
男の姿は音も無く、村の黒霧を集約しながらヌルリと消えた。
──そう、音が⋯⋯無かったのだ。
一帯の大気が張りつめている。木々は揺れず、草は呼吸をやめたかのように沈黙していた。
夜風さえ吹かない。ただ、何か“場違いな”ものが去ったという──凍える冷気だけが残されていた。
カキアとウィズムが、血相を変えて駆け込む。
判断が遅れた。だが、それを悔やむことすら、どこか憚られるような“静寂”がそこにあった。
床には、刀剣の突き刺さった跡は無い。
ただ、空間が裂けたような感覚と、男の薬品の匂いがまだ薄く漂っていた。
二振りの刀剣──霹臨天胤丸とルスト・ハーレイヴ──は、すでに主のもとへ還っていた。
誰の手にも握られていなかったはずのそれらが、今は何事もなかったかのように眠っている。
ウィズムが一歩進み、足元の微かな痕跡を見つめる。
「⋯⋯アレは⋯⋯制御外の動きだったのです」
誰のものでもないはずの二つの剣の“意志”が、主を護った──そうとしか思えない。
けれど。
(あれはただの”守護反応“じゃありません⋯⋯!)
ウィズムの胸裏に、確実に否定する何かが、切創のように刻まれていた⋯⋯。
その影響は、雅臣とミューリエの意識にも波及し始めていた。
【次回予告】
第34筆 夢の世界の導き
《8月3日(日)19時10分》更新です。
【お礼】※2024年8月2日(土)現在
7月1日の連載開始から、ちょうど1ヶ月。
本作は累計1,424PVを突破いたしました。
Web小説界においては、これは堅実かつ順調な滑り出しと評価される数字です。
この場を借りて、心より御礼申し上げます。
『彩筆の万象記』は、
「転生モノ」を歴史ある文化へと昇華させるという高い目標を掲げ、
物語構造とテーマの両面から、革新を追求しています。
なかでも特筆すべきは──
“準備型転生”という概念を、世界で初めて定義した作品であるという点です。
転生前に精神・能力・技術などを周到に準備した上で異世界に臨むこの形式は、
従来の転生作品にはなかった新しいアプローチです。
当然ながら、前例がほぼ存在しないために構築も困難を極めますが、
皆さまからの感想率は8割超と、予想以上の高反響をいただいております。
“物語の証人”ホシビトとして寄り添ってくださる読者の皆さまに、心より感謝申し上げます。
これからも、準備型転生を遂げた雅臣が歩む唯一無二の成長譚を、どうぞじっくりとお楽しみください。




