第3筆 千の斬撃は心を斬り、得物は天より降る〈剣神修行・後編〉
場所は変わって、朝霧が立ち込める山の稽古場。
異空間で自主的な朝ルーティンをこなした後、まだ陽も昇りきらないうちから、木刀を握り、黙々と素振りを繰り返していた。
「一本⋯⋯二本⋯⋯三本⋯⋯」
数える声が風に紛れ、木霊するように返ってくる。
「おい、そこ。九百五十六本で手が止まってるぞ」
“剣神”の静かな声が、背後から鋭く突き刺さった。
振り返れば、彼の茶髪と白髪が朝霧に揺れる姿。腕を組みながら放たれる──鋭い眼差しが俺を貫いた。
(俺の弱さを許さず、でも責めもしない。不思議な人だ)
謝れば、叱咤による一閃と死が待っている。怖いものは怖いのだ。
「いえ、気が緩んでいたつもりは⋯⋯」
「ならば何故、木刀が嘘をつく?」
“剣神”は俺の木刀を手に取ると、地面にゆっくり突き刺した。その先端が、わずかに震えていた。
「“心”が乱れれば、刀も乱れる。お前の剣は“心”と繋がっている。己の心を斬れなければ、敵など斬れぬ」
「⋯⋯はい!」
次の瞬間、剣神の抜き打ちが走る。目前で風が裂け、木の枝が紫苑色の閃光で真っ二つに。
「見て覚えろ。この型──〘一閃・心砕き〙。敵の意思を断ち、迷いを断つ型だ」
その日から、修行は“型”と“心”の両面に及んだ。
剣神は技の意味を教えることは少なく、見せるだけ。
俺は剣神に、動画撮影を頼んだ。
一コマずつ絵に描いてみて初めて、無理な体勢で受け身を取っていたことに気付く──そんな気づきが何度もあった。
ある夜。
疲労のあまり、倒れ込むように地面に座ったところで、剣神が不意に問いかける。
「お前の剣は、誰のために振るう?」
「⋯⋯誰かを守るため、です」
「ならば、覚えておけ。“守る”剣は、“壊す”剣に勝てぬ。お前が何を壊し、何を守り、護るか——それを心に刻み、刃とせよ」
その言葉は、剣より重く、深く、胸を貫いた。
◇ ◇ ◇
山での修行が始まってから、すでに幾日が経っていた。
斬り、払い、構え、また斬る──俺はまるで、自らの存在を一太刀ずつ削ぎ落とすように、修練を重ねていた。
ついに、木刀の軌跡が音を置き去りにするようにまで成長したのだ。
その夜、剣神はぽつりと言った。
「おまえの剣はまだ“空”だ。形だけで、魂がない」
「⋯⋯どうすれば、魂を宿せるんですか」
「魂とは、追い求めるものではない。魂を継ぎたいと思った瞬間、静かに──お前を呼ぶものだ」
◇ ◇ ◇
翌日。
剣神は、誰も足を踏み入れぬ断崖の上へと導いた。
その眼下には、|雷雲が地鳴りのような轟きを響かせ、空は墨を流したように黒ずんでいた。
渦巻く稲妻はまるで天空の龍が暴れるかのように、絶え間なく閃いている。
一歩、脚を踏み間違えば、ひと溜まりもない。
「この地は“雷の胎蔵”と呼ばれている。かつて天の神が最初に打ち降ろした剣が、眠っている場所だ」
剣神はそこで一振りの古びた木刀を渡す。自分が使う木刀より暖かい思念が流れ込み、不安が消えた。
「この木刀で、中枢の“雷の鼓動”を斬り裂いてみろ。できなければ、雷に呑まれて骨も残らん。だが、できれば──お前に相応しい剣が、天より降る」
稲妻が轟き、空が引き裂かれるように暴れる中、崖の先端に立った。
──この一太刀に、すべてを賭ける。
静かに目を閉じ、心の奥で“剣神”の教えを反芻した。
守りたいもの。倒さねばならぬ敵。自分自身の意志。それらすべてを込めて、雄叫びを叫ぶこともなく木刀を振り抜く。
蒼雷が、一瞬だけ息を止めた。そして──
天が音もなく裂け、神々の沈黙が降りてきたようだった。
雲の裂け目から一本の閃光が降り注ぎ、俺の足元に突き刺さった。心臓がバクバクと震える。
木刀は砕け、その代わりに、一振りの刀が姿を現していた。
「良いのか? そうか、相分かった。全ては主の計画のうちへ」
珍しく驚いた顔で、剣神が天を見た。こめかみに指を当てて、何かを喋りかけている。
⋯⋯通信か? この唯一世界にそんな技術が⋯⋯いや、あってもおかしくないか。
ここは神々が造った理の箱庭。現代技術だろうが魔導だろうが、必要なら勝手に揃う世界なんだ。
「──では、失礼する」
──しばらく話してお辞儀すると、とんでもない説明を聞いた。
「⋯⋯刀の名は、〈霹臨天胤丸〉。名の由来、聞くか?」
「はいっ」
「“霹”──激しく鳴る雷。“臨”──高き天から降り立ち⋯⋯」
彼の声は、どこか祈るようだった。
「“天胤”──神の血脈に連なるもの。“丸”──他者を守り、愛する盟約。⋯⋯それらが一つとなって宿る刀。“それが〈霹臨天胤丸〉だ」
俺はその意味を聞いて、すぐに理解する。刀を天に掲げると、落雷を起こす能力があるのでは?
すると、黒雲から藤紫色の雷がいくつか落ちた。
「もう呼応したか。これは、“宇宙で二番目”の刀剣序列を冠する」
「う、宇宙で二番目だってっ!!?」
驚きと分不相応な力に、震える右手を抑えた。
「最後に、“形代”入りで、お前の実家“──新東京大神宮”に祀られし、日本の神々からの餞別だな」
「⋯⋯ウソだろ、信じられない。神話クラスの刀じゃないか!」
“形代”とは、神の力や強力な“武具因子”が宿った特別品と聞く。
武具には“意思”や“神”が宿る。その受け継がれてきた情報を“武具因子”と呼ぶ。
思い出深い、または強力な武具には意思が宿るそうだ。
「⋯⋯なんて綺麗な刀身だろう」
俺はその美しさに魅せられ、感嘆した。
濃紺に星々の輝きを宿したような、反りのある刃。
鍔と刃と護拳が一体化しており、うねる雲を束ねたようにしなやかで、重厚。
柄は紫色の柄巻き紐が丁寧に編まれている。
「⋯⋯あぁ、手に馴染む。まるで、昔からの相棒のようだ」
改めて握った瞬間、全身を活性化させるような電流が走り、心の中に直接、雷鳴のような声が響く。
〈我は汝の“剣”となる。意志を示せ、我が雷を導け〉
頭の中に誰かの声が響いた。あまり笑わない剣神が満足気に微笑む。
「⋯⋯その刀は、“お前を選んだ”。もう教えることはない。あとは、お前自身で振るうがよい」
こうして、俺の右手には運命の刀が宿った。
魂が昔から共に歩んで来た事を伝えるくらい、不思議と手に馴染む。
相棒、今日からよろしくな。この試練が異世界への道筋をまた一歩、近付けた。
──修行はまだ、終わらない。止まらない。




