第29筆 微笑の医師、闇を嗅ぎ分ける
カリオは、膝の上に置いた両手を組み、俺を見つめていた。
いや、正確には──彼の瞳は何も視ていない。けれどその目は、俺の“内側”を覗いているようだった。
「若いの。あんたの中に“眩しき光”はある。けれど⋯⋯そいつが、村の“うず巻く闇”を嫌って、暴れようとしている」
彼は握った右手を光──俺の魂に例え、左手を闇に例えて包み込む。包んだ左手で、揺らぎ続ける動作をした。
(がんじがらめに、魂を侵食してる⋯⋯)
その声は穏やかだったが、言葉の一つひとつが、重く沈んで心に響いた。
「この村は、もう長いこと“何か”に囚われたまま。黒い霧が流れ込み、夜毎に悪夢が囁く。数代前⋯⋯いや、もっと前からだのう。歴代の村長も手を尽くしたが、正体は掴めんままだった」
「先代イカイビトの助力は?」
「効果を弱らせるので精一杯だったね。それほどの代物よ」
カリオさんは、脇に置いてあった古ぼけた石板に手を伸ばした。
「だが、わしには一つ、気になっておることがあってねぇ──」
「⋯⋯?」
「……この村の地下深くに、“何か”が埋められておってな」
「武器とか、旧文明の建造物とか?」
「いや、“鍵”だよ。“異界門”を開く、言葉通りの特別な鍵だ」
俺は初めて聞く情報に、目を丸くした。
創造主コスモだって──この重要な情報を一切、口にしなかった。
なぜなら、途中で裏切った先代イカイビトも数名いたし、然るべき対応を取ったのだろう。
「それと、〈裂界暗域〉──聞いたことあるか?」
「もちろん、そこから来ましたから」
「やはりな。もしも、かの領域を⋯⋯邪神が手中に収めたら⋯⋯悪しき存在を“際限なく”招き寄せられる」
「それって⋯⋯まさか」
「お主の中に巣食う呪い──邪神の力は、その“鍵”に反応しておるのかもしれん」
それを聞いたとたん、胸の奥がざわめいた。まるで──俺の中にある“何か”が、呼応しているように。
「逆に言えば、鍵がこの村にあるからこそ、お主の神力が騒いでおるとも考えられる。魔力を持たぬが、焼けるほど熱い心があるね」
(太陽の神性──心眼でお見通しか)
カリオはそう言いながら、俺の肩に手を置いた。骨ばった手だが、妙に温かい。
「出来ればしばらく、この村に留まってくれ」
「⋯⋯運命が許す限り、滞在しましょう」
俺は気を遣いながら、小さく頷いた。
修行で鍛えた直感と神力が、『数日以内に一大事が起こる』と、警鐘を鳴らしているのだ。
「雅臣くんと──ミューリエちゃんに、ウィズムちゃんだったか。皆が揃えば、何かが変わるやもしれん」
呪いのことや鍵のことも、すぐには対処できない。だけど、それでも。
何かを知って、動き始めるきっかけにはなる──そんな確信が、胸の奥に芽生えていた。
「じゃあ、今夜はゆっくり休みなされ。時間的に、冒険者ギルドの新規登録は受付終了しとる」
「あっ、忘れてた」
「ほっほ、ミューリエちゃんの行きつけなら、『青葉のそよ風亭』が良いだろう」
(⋯⋯とても居心地が良さそうな、宿の名前だ)
「あそこなら、赤い馬も安心して預けられる厩舎がある。食事も美味いし、亭主夫婦も悪い人間ではないよ」
「ありがとうございます。⋯⋯本当に、いろいろ」
診療のお礼と言えば、贈答品。
俺は菓子折りをそっと差し出すが、カリオはすぐに突き返した。
「ううん、お礼はいらんさ。診療費はもらっとる」
彼はミューリエが渡した布袋を揺らして、にこりと笑う。
「わしが“診た”ことを、お主が“越えて”くれるなら、それでいい」
カリオ医師の笑みは、どこか寂しげで、慈愛に満ちた優しさだった。
俺たちは一礼して、診療所を出た。
外はすっかり夕闇に染まり、村の魔石灯がぽつぽつと灯り始めている。
ちょっと先進的で柔らかな青白い光が、古びた石畳に淡くにじむ。
『いっけね、門限だ。帰らねぇと母さんに怒られる!』
『あはは、気をつけろよ〜〜!』
遠くで子ども達の笑い声がして、その向こうには、白猫が首の鈴を鳴らしながら、風のように路地裏をすり抜けていく。
おそらく昼間とは違う“顔”を見せる村の風景に、どこか異界めいた空気を感じる。
(本当に、エリュトリオンへ来たんだ⋯⋯しかも人々は、明るく懸命に生きている。絶望してない)
「じゃあ、行きましょうか。青葉のそよ風亭──私のおすすめ、紹介するわ」
ミューリエが小さく笑いながら言った。
歩き出したその足取りは、少しだけ軽くなっていた。
異世界の宿屋って、どんなところだろうか。
その疑問に答えるかのように、心地良いそよ風が吹いていた。




