第26筆 雅臣、異世界に降り立つ
転移門を潜り、空中から着地した。
俺はもう、地球の絵の具だけでは、彩りきれない人生を歩く。
(来い、世界よ!)
──準備はもう、済んでいる。
過去の英雄、歴代イカイビト、神々に至るまで──多様な想いの集合せし光の粒子が、俺の元へ飛び込む。
(この世界の歴史が、血肉となって形成されていくのか──)
思わず、笑みがこぼれる。
(この日のために、三年⋯⋯いや、人生すべてを懸けたんだ──俺は、ここで生まれ変わる)
光の粒子が全身の神経や骨、細胞へと変換。
極彩色の閃光を放ち、全身の感覚が研ぎ澄まされていく。
空気を掴み、旋回。分解された衣服が再構成され、己の身を包んだ。
「すぅぅ⋯⋯はぁぁーーー」
──酸素が異様に濃い。肺が、新しい命を吸い込む。けれど、どこか懐かしいな。
ここが、❛異界❜エリュトリオンか。
周囲を眺めれば──穏やかな平原だ。とても邪神がいるようには思えない。
まばらに敷き詰められた石畳は苔むし、建てられてから長い歴史の経過を物語っている。
そよ風に揺られる草は青々としており、土の匂いが心地よく嗅覚を刺激した。
「はぁ⋯⋯情報通り、“イカイビト”の風当たりが強いですね」
ウィズムが残念そうに呟く。
踏み込んだ感触から、この世界の物理法則を理解した。地球より重力が強大で、草花は地にびっしりと根を張っており、いくら踏んでもへこたれない。
彼女は彩幻映体を展開して歩けないようで、新しい肉体、機体を得るのが急務である。
「座標はどのあたり?」
「南方大陸、名もなき平原の中枢──[裂界暗域]と呼ばれる地域です」
「何でそんな物騒な名前なわけ?」
「ここはイカイビトの出入り口で、次元の隙間。背後の石像が結界を張ってるんです」
視線を感じて振り向くと、“宇宙の創造主”アステリュア=コスモを模した高さ三メートル程の石像があり、左右に男女の石像。
六方を取り囲むように男女の石像が守るように武器を構えている。
「中央はお母さま、左に生の神、右に死の神。六方を取り囲むのは六聖神ですね」
「そうか。拝んでおこう。──僭越ながら“イカイビト”として来ました。今日から世界を救う任、先代より受け継ぎます」
〈──来たわねぇ⋯⋯! あーハッヒャヒャー!!!〉
突如、悪意ある甲高い女の声が脳内に響き、“知の試練”とは全く違う大量の幻聴や幻覚、感情、言葉などが無差別に流れ込み、思考がかき乱されていく。
まるでSNS一年分の投稿情報を、一瞬で脳内にキャッチしたような感覚──。
『まさか、呪い? あれ、ボクも──』
「ウィズム!」
彼女の声が弱々しくなっていく。
脳が四つあっても──とても足りない。全身の神経が悲鳴を上げた。
世界の言葉が、無限に連なった音の洪水が、怒涛のように押し寄せる──!
第四脳が緊急遮断を起動し、第三脳が記録だけを残して情報を焼却した。
それでも、第一脳と第二脳はパンクしかけた。俺は、その場に膝をつき、静かに気を失う中──俺は気の緩みを恥じる。
三年修行してもまだ届かぬ境地。わずかな隙を縫って、脳内攻撃とは⋯⋯。
これが、百七人のイカイビトを返り討ちにしてきた❛異界❜最初の洗礼かよ!
(どうして幻聴が拒否できない!? 流石は宇宙で九番目に強い世かぃ──)
久々に、脳と心臓が止まった。
◇ ◇ ◇
──倒れてるって、どういうこと⋯⋯?
ミューリエは辺りに目を走らせた。宙を舞う羽のような神力の名残、空気に残る微かな歪み⋯⋯。
誰かが転移した痕跡を読み取り、彼女はすぐに“それ”が雅臣だと察する。
「もしかして、貴方の“主人”が⋯⋯?」
黒猫型のポーチ、カキア=ウェッズが小さく「にゃあ⋯⋯」と頷いた。
ならば、と彼女は風を蹴って駆け出す。視界の奥に、己が虹の髪を照り返す光の糸を頼りに。
◇ ◇ ◇
「⋯⋯くん⋯⋯ま⋯⋯み⋯⋯雅臣くん! 起きてくださいっ!」
「ぅ⋯⋯ん⋯⋯?」
俺は膝枕されており、彼女のある部分によって──青空が半分しか見えない。
きっと、この乙女が自分を蘇生させたんだ。
「お目覚めですか、雅臣くん?」
彼女は垂れ下がった襟足を耳にかけた。
──瞳に言葉を失う。
夕陽を閉じ込めたかのような橙色の右目で、目が合うだけで不思議と元気をもらえる。
左目はさざ波を彷彿とさせる煌めく水色で、見た者の心の凪を生む。
髪の色は薄桃色を基調とした、パステル調な虹の髪が日差しで煌めくのだ。
「虹色の髪を持つ者は、数多の強大な祝福を受けた者の証なのです」
博識なウィズムがそう言うなら、間違いないだろう。
(でも、何でだろう。彼女と話してると、どこか──昔会った誰かと話してるような気がする)
可愛いだけでなく、強い女性でもあるということだ。俺は急いで立ち上がり、お礼を言う。
「ありがとうございます。貴方は命の恩人です」
「いえいえ、どういたしまして」
身長は百六十五センチメートル程だろうか。メリハリがあり、程良く鍛えている人の特徴が出ている。
衣装は動きやすさが意識された格好で、スカートにはスリット入り。靴は茶色のヒールブーツを履いていた。
「おはようございます、雅臣くん。⋯⋯やっと、ですね。私はミューリエ・オーデルヴァイデ。コスモ様より今回の旅の案内役を頼まれました」
「⋯⋯コスモ様が貴方を任せた理由、分かる気がします」
ミューリエ。その名前に聞き覚えはないが、心に花が咲く感覚。雰囲気すら懐かしい。
別の名前と姿で⋯⋯という気がした。
「俺は東郷雅臣と申します。職業は画家と描画召喚師です。敬語は必要ないですよ。手先も器用なので、こちらを」
俺は亜音速で秋桜の花を集め、ミューリエの頭に花冠を載せた。
「花言葉は全般的に『美しい』『平和』『調和』『謙虚』『乙女の真心』ですね」
あれ? 花言葉が分かるなんて、ミリアさんみたいな人だ。俺も花が好きだから、益々気が合いそう。
ミューリエは花冠をそっと押さえて微笑んだ。まるで春風のような、柔らかく包み込むような笑顔だった。
そんな彼女に、ウィズムが小さな声を漏らす。
「⋯⋯⋯もしかして、ミューリエさま? 数年前に“あの時”、助けてくれた?」
その名を呼んだ瞬間、ミューリエの顔がぱっと輝いた。
「ふふ、私は“あの時”なんて、覚えてないことにしてたのに、意外と鋭いね?」
ミューリエは、キューブの側面を、まるで頬を撫でるように手のひらで包みこんだ。
「久しぶり! 元気にしてた? 相変わらず可愛いわ」
「ミューリエさまも、ずっとお美しいままなのです⋯⋯! 先ほどは、不覚を取りました⋯⋯」
「もう、そんなの気にしないで。お互い生きて再会できたんだもの。それが一番でしょ?」
ミューリエの声には、どこか懐かしさと深い安心感があった。
やっと再現した映体──ウィズムの目元には、光の粒が浮かんでいた。
『はい⋯⋯本当に、また会えてよかったのです』
「だよね。それと、雅臣くんの呼吸って⋯⋯何だか変じゃない?」
「え? いつもの事ですけど⋯⋯?」
ウィズムめ、失礼な。俺が編み出した、独自の長息呼吸法をからかっているのか?
「本当に? 雅臣くん、額を触っても?」
「どうぞ」
指先から暖かいエネルギーの流れが伝わってくる。治癒魔法のたぐいだ。しかし、ミューリエは首をひねった。
「これ、結構マズいかも。お医者さんに診てもらいましょう。今後のことも考えて冒険者登録もしなきゃ。時間の余裕はあまりないかも。両方あるシャルトゥワ村までは半日かかるし、歩くと日が暮れちゃう」
と、ミューリエが肩越しに空を仰ぐ。
「それなら、俺が──」
そっと背から細長い筒を外した。風になびく布製のケースから、巻かれた画仙紙が顔をのぞかせる。
愛用する“召喚用紙”の一種だ。
しゃら、と墨壺の蓋を開けると、空気がピンと張る。筆先に墨を含ませ、ゆっくりと紙の上を走らせる。素早く、だが丁寧に。
線はまるで生き物のように流れ、蹄、たてがみ、尾、瞳が次々に描いていく。
「名は──赤兎」
闇を裂き、紅蓮の風が地を蹴った。
筆の最後の一閃が走った瞬間、紙の馬が光に包まれ、次第に立体化していく。墨色の光が渦を巻き、地面を踏み鳴らす蹄音が実音へと変わっていく。
次の瞬間、深紅の馬体に漆黒のたてがみを持つ、名馬・赤兎が自分の隣に姿を現す。
「わあ⋯⋯! 今回も⋯⋯お見事です。今日はいつもより画力が高いですね」
ウィズムの緋色の瞳が見開かれた。俺が描いてから召喚する行為が、何度見ても好きらしい。
「これが召喚術。大人しくて従順⋯⋯二人乗りでも問題なさそう」
ミューリエが優しく赤兎の鼻を撫でた。
「花言葉を捧げたら、今度は実を結んだってとこでしょうか?」
その指摘に俺は照れ笑いをしてしまい、彼女に手を差し伸べた。
油断も隙もない世界だ。気を取り直そう。
いざ、平原を越えた異世界初の村──シャルトゥワ村へ行かん。
毎日投稿・26日目。
多くの反響を頂きながら一章に突入致しました。ご愛読頂き、誠にありがとうございます。
長き一章、それでも雅臣がしっかりと活躍する伝説の数日を、焦らずじっくりとお楽しみ下さい。
【次回予告】
第27筆 墨絵の召喚、初陣に描く




