第17筆 コフル・カッシと星の片目〈特別編〉
あの長く苦しい修行が終わった直後だった。白亜の空間が薄れ、現象描画の泉が光の粒子へと還る中、どこからともなく“それ”は現れた。
「⋯⋯褒美の時間だよ、雅臣くん」
声をかけてきたのは、念描神ザフィリオン。星々の揺らめきを纏った異形の存在だ。神々にすら測れぬ思考を持つ、理の外の支配者。
「君は半年間、自分の命の根源すら解体し、描き直してきた。だから与えよう。次の修行にも、きっと役立つ“器”だよ」
その言葉と同時に、俺の前に“それ”は降ってきた。
ぽふん、と。
地面に落ちたのは、黒いポーチのような生き物。見た目は丸っこい猫で、右目には金の星飾り。
左目は閉じていて、ファスナーのような口を閉じていた。手足は小さく、妙に可愛らしいフォルムだ。
「⋯⋯これ、ポーチですか?」
「名はカキア=ウェッズ。無限収納庫の中でも特殊な喚意庫だ。命を有し、収納の底が存在しない特別製だ。内部空間は次元を曲げて作られている。便利だろう?」
「確かに、そうですね」
「君が抱える過去や、これから集める断片……それらすら納められるだろう」
黒猫──カキアは、俺を見上げると、
「シャウウゥゥ!」
と甲高く鳴いた。
「気をつけよ。そいつはちょっと、いや、かなり面倒でね。禁忌の研究で生まれし、猫と妖精と魔法生物の混合体。人間が大嫌いだ」
「俺は⋯⋯人間なのか、もう分からない」
自分の神性は日々、少しずつ強まっているからだ。人間でありたいと思っている。
「ほう。なら、運が良ければ懐くかもしれん」
そのときだった。
「うぉっ!?」
カキアが突然、俺の顔に飛びつき、口のファスナーをガバリと開け──俺の頭を丸呑みした。
──気がつくと、暗闇だった。
柔らかなクッションの上で、俺は横たわっていた。周囲には、星が流れていた。現実とも幻ともつかない空間。まるで宇宙の胎内のような場所だ。
「ここが⋯⋯喚意庫の中か?」
「⋯⋯にゃんだ、おみゃあ。口が悪いのぉ」
低く、くぐもった声が聞こえた。目の前に、猫の姿をした“カキア”がいた。さっきより少し等身が上がっている。ファスナーの口は閉じたまま、ただ目を細めて俺を見ていた。
「⋯⋯俺の名前は東郷雅臣。貴方は?」
「カキア=ウェッズ⋯⋯と、そう呼ばれとる。どこかの次元での名やもしれん。……にゃあは不思議なにおいがするわい。人間のようで、人間じゃない⋯⋯神力が鼻に刺さる」
「神力は……俺の力だ。俺の相棒になるなら、お互いくだけた口調で話そう」
カキアはしばらく黙っていたが、やがて少しずつ語り始めた。
「⋯⋯昔、いくつかの世界で人間どもに、ひどい目に遭った。道具以下と見られ、腹を裂かれ、燃やされ、体をひねり、絞られて──」
カキアを生物扱いしていない⋯⋯聞くに堪えない拷問の連続だった。
「内に宿る数百の魔法生物と妖精の魂は、叫びながら壊れていった。残ったのはにゃあのみ」
「それって⋯⋯勇神計画の一環か」
カキアはコクリと頷いた。
“勇神計画”──あらゆる生物と神々を合成し、意識を有したまま、戦闘兵器に進化させる禁忌の実験。
槍神ガラハッドから聞いた後、気になって大量の資料文献を漁り、調べ上げた。
最新の報告書によれば──今も首謀者・滅龍神シュザカの手によって、誘拐事件が多くの異世界で発生しているという。
そう言えば、転生予定の異界エリュトリオンでも、目撃情報があるって聞いたような⋯⋯。
(俺も神々から依頼されたひとり。いつか奴を滅ぼす)
目的や掲げる思想、アジトも不明。被害者は増え続ける一方。神々の歴史や上下関係も、一枚岩とは限らないようだ。
「⋯⋯あぁ、思い出すだけでキツイわい⋯⋯けれど、おみゃしは違う。最初から、道具じゃなく、“話し相手”として見とる」
俺は黙って聞く。
「みゃあはもう人間なんて信じとらん。だが⋯⋯おみゃしは嫌いじゃない。どんな奴でも愛してくれる──そんな言葉、昔のみゃあなら吐かなかったが⋯⋯何故か、そう思う」
カキアは小さな足でトコトコと歩き、俺の手のひらに何かを載せた。
「⋯⋯これは?」
「気に入った証ぞ。おみゃしの次元で言う“菓子”だわい」
それは星形のクッキーだった。かすかに甘く、懐かしい匂いがする。
「⋯⋯ありがとう、カキア」
ひと口食べて即座に脳へ変化が起こった。
異空間で迷子になると、永遠に彷徨う事例がある。それを防止するため、出入り口を示す加護付きのクッキーだ。
「シャウウゥゥ──」
猫はくるりと背を向け、背中の大きなファスナーを開けた。
「⋯⋯出たいときは、ここを開けるとえぇ。どこまでも広く、どこまでも深い収納空間じゃあ。気をつけんと、変な次元の物まで取り出してしまうがの」
──気がつくと、俺は元の世界に戻っていた。
手には黒いポーチ。右目に星飾りのある、背中と口にファスナーが付いた黒猫カキア=ウェッズ。
その星の片目は、確かに俺を見ていた。
「これからよろしくな、カキア」
「シャウウゥゥ」
早速、命の次に大事な画材一式と貴重品、家財道具を、この子にすべて預けた。
カキアは、嬉しそうに尻尾をふるふると揺らしていた。
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【次回】第18筆 永久の観測者に朝を
《7月18日(金)19時10分》更新予定です。




