第16筆 概念の泉に現象を描く〈念描神・修行〉
待ちに待った魔法の修行──その直前、俺の適性を診るための検査技師が現れる。
彼女は、今回の師匠である念描神ザフィリオンの神徒だった。
「それでは、検査を開始するわよ」
「ついに、憧れの魔法が⋯⋯!」
俺は緊張で早鐘を打つ胸元を押さえ、待ち望んだ魔力の適性検査の結果は──
〈魔力ゼロ。体内魔素の含有量ゼロ。マウルナーバの生育数ゼロ〉
「うそ⋯⋯だろ⋯⋯」
魔素を生成してくれる宇宙微生物マウルナーバも、体内に一切宿らずじまい。
「ぎゃぁーーーー! 嘘だ、嘘だと言ってくれ! 神徒さん、頼むからこれは悪い冗談で、虚偽の報告と言ってくれ!」
彼女は眼鏡をクイッと引き上げ、真実を淡々と突き付ける。
「いいえ。信用を失うので、嘘はつきません。魔力絶無──そんな方は一定数、いらっゃる。他に数万人見たものよ」
神徒のお姉さんは俺の背中を摩ってくれるが、落胆と絶望でくずおれた。
「魔法が使えないなんて、人生が寂しいよ⋯⋯」
魔力とその源の魔素が体内に無ければ、魔法なんて到底使えない。神力では代用不可だ。
「原因は単純よ。地球って、元々“魔力”という概念が存在しなかった世界じゃない」
「確かに。異界侵略戦争のあと、魔素が世界的に導入されて十数年しか経っていないし⋯⋯当然だな」
「だから、魔力適性が遺伝的に発現する事例なんて、稀な事よ。君みたいに“魔力なし”も決して珍しくないの」
「仕方ない。だが俺には、太陽の神性があるッ!」
代わりに神性が目醒めたお陰で、桁違いの神力をその体内に有していると──神々に言われた。
「神力の適性検査の結果は──」
これだけは努力が結実して欲しい。どうだ、どうなのか?
「⋯⋯めっちゃ才能アリ」
「やったーー!」
俺は子どものように飛び跳ね、はしゃいでいた。
「あなた、光と闇の神性を同時に内包してるわ。太陽の神性の錬磨と、ブラックホール変換の修行結果が出たかもね」
毎朝の異空間ルーティン──重力百倍で太陽系巡りを欠かさずしていたのが、功を奏したようだ。
よし、これからもハードに鍛えよう。
「次に炎と風、雷に高い適性を持っている」
炎は太陽の神性から。風は揚力の操作で、雷は愛刀・霹臨天胤丸の能力由来だろう。いや、プラズマ現象もあり得るか。
「残念ながらその他の属性──水と木と土は平凡だわ」
⋯⋯自分はまだ未熟だと痛感した。修行は追加したほうがよさそうだ。
「⋯⋯やはり、光と闇という対極の力を共存させているのは特異中の特異ね。君の努力は無駄じゃないわ。お疲れさま」
検査を終えた神徒は、ザフィリオンへ報告するため、足音を響かせ帰っていた。
◇ ◇ ◇
数日後、俺に与えられた修行は──
「現象そのものを理解し、描くこと」
これは魔法の代替ではない。それを凌駕する⋯⋯❛根源への接続❜だった。
満を持して登場したのは、念描神ザフィリオン。
絵と概念の神。
星雲の渦の奥から生まれた存在で、絵の道七万年の大ベテランだ。
「おぬしは、魔法を拒まれた存在。ならば、魔法を超えてみせよ」
彼の声は静かで、どこか絶対的だった。
場所は、白亜の空間。
あらゆる色を跳ね返す純白の床と壁。その中心に、“全てを呑む泉”があった。光も、音も、影さえも、その泉の前では消えた。
この泉に、描いたものを投じる。写し取るのではない。本物と同じ情報量、本物と同じ魂を込めなければ、泉は何も応えてくれない。
雷──一週間。
空を見上げ、雲の密度、風の流れ、湿度、音速と光速のズレ……数百枚のスケッチと解剖的分析。 指先が痺れ、目が焼けつきそうになっても、俺は描き続けた。
炎──十日。
火種が生まれ、木が爆ぜ、燃え、黒く炭化し、灰へと還るまでの全てを、五感で感じ取った。
匂いを線に、温度を色に、焼け落ちる儚さを構図に乗せた。
回復現象──二週間。
細胞の分裂、組織の再編、神経の再接続。
拡大鏡で皮膚を観察し、骨や筋肉の構造までトレースしていく。
再生の奇跡を描くために自らの肉体を傷つけ、癒す工程を何度も繰り返した。
ザフィリオンは言った。
「質感、温度、厚み、表情、輪郭の有無、光と影。本物と同じになるまで、考え抜け」
俺は、ただ“絵”を描いていたわけじゃない。現象そのものを、再現しようとしていた。魔法とは何か? それは、自然現象を一時的に制御する術だ。
では、“現象描画”とは何か? それは、“理解”による創造。
絵が上手いだけでは決してダメだ。 世界の理を解剖し、それを魂と共に描けなければ、泉は拒絶する。
──半年。
長かった。何度も心が折れそうになった。 だが、ある日、泉に投じた雷のスケッチが、静かに発光した。
バチリ、と。
泉の水面がわずかに波打ち、絵に描いた雷鳴が空を裂いた。その光と音は、紛れもなく現実だった。
「おぬしは、世界の理を“絵”にした」
泉の奥から浮かび上がった“概念体”が、低く告げた。すぐに霧のように消えたが、その言葉が胸の奥でずっと響いている。
この絵画召喚術〘画竜点睛〙──その現象描画は、魔法を凌駕する。描けば、現れる。理解すれば、起こる。魂を乗せれば、命さえ宿る。
何より、自分の神性が育ち切るまでは、こちらの現象描画で召喚した方が、圧倒的に強いこと。
それが俺に与えられた、新たな力だった。 魔法を拒まれた俺だけの、答えだった。
念描神の記憶は、忌み嫌われる者から始まった。
出生の仕組みから言えば、自然エネルギーが気が遠くなるほどの長い時間をかけて精霊へ成長する。
それと同じなのに、星雲の渦の奥から生まれただけで、毎日討伐隊が出た。
『摂理を揺るがす奴など、滅ぼせぇぇぇーー!』
だが、彼は全て返り討ちに。
何億年も対話を続け、仲間から絵画という存在を知り、やがて美術の神として名を馳せるようになった。
(美術の神ザフィリオンのウワサは、地球でもあったからな)
神々の中でも、自然系と概念系の神々は最も純粋な神格と神性を有すると言う。
俺も戦うために、絵を描くのではない。その奥底の心や魂に直接、絵筆を振るうのだから。
「その想い──確かに、受け継ぎました」
『ならば雅臣くん、合作の時間だ』
今回の〈創印〉は、俺とザフィリオンの共同作品。
虚空から出現したザフィリオンの右手と、俺の左手で、紺色を主体としながらも、星々の光を宿す絵筆の意匠が出来上がった。
紺碧の夜空に、七つの星を宿した絵筆が、俺の右肩に馴染む──これが、俺たちの〈創印〉か。
すると、変化が起こった。
「あれ、右手でも上手く描ける⋯⋯!」
かつては右手で描くことを諦めていた。
しかし、眠っていた能力がようやく開花し、古い東郷雅臣は先ほど死んだ。
今ここに、両利きの画家が新生した。
どんな状況でも、利き手問わず描けるようになったのは大きい。
残る修行は、隠された者を自力で見つけ、試練を乗り越えること。
俺は絵と共に、これからも生きていく。




