file.13 Boy Meets Girl
あの事件から初めて秋人が事務所に顔を出した。
「遅い!」
と珠莉が初手から噛みつく。
「すみません。忌明けを区切りにしようかと思いまして」
「何はともあれ良かったよ」
涼輔の言葉に
「手続きごとがなんやかんやとあって地味に忙しくて……連絡したら泣き言吐きそうなんでやめてました。すみません」
「そういうとこ!頼りなさいよね、もっと俺らに」
「ごめんね、何もできなくて」
「本当に気にしないでください。家の弁護士さんが色々取り仕切ってくれてたので、何もしてもらえることもなかったんです」
「そうなんだ……」
と少ししょんぼりして珠莉が応えた。
「それにしてもスッキリいったな。見違えた」
諒介の言葉は秋人の髪型を指していた。あの顔の半分近くを隠していた髪をバッサリ切っている。
「本当は所長くらいショートにしたかったんですけど久しぶりすぎて日和ました。前髪ないと恥ずかしくて」
「所長くらいおでこちゃんはちょっと自信要るよね」
「おでこちゃんはないだろ、珠莉」
「“さん”をつけろよデコ助野郎」
2人のやり取りに秋人が疑問を呈する。
「なんですか、それ」
「え、知らないの?名作だよ」
珠莉と秋人の目が合う。
「そうだ所長、緊急部屋借りるね」
「おぉ、いいよ」
「話がある。来て」
と言い珠莉は先に3階に向かった。緊急避難部屋に入ってきた秋人がドアを閉めるのを見守りゆっくりとした口調で尋く。
「私たち会ってるのね」
「えぇ、……思い出しました?」
少し緊張した声で秋人が答える。
「忘れたことなかった。でも突然現れて突然いなくなって。誰に聞いても知らなくて。イマジナリーフレンドかと思ってた」
「イマジナリーですか」
少し笑って秋人は
「すいません、何も言わず消えて。父にバレたんです」
「そうだったんだ……。それにしてもお兄ちゃんだと思ってたのに年下とか詐欺。気づかないよ」
2人して笑って
「まさか本当にお兄ちゃんと思い込んでたとは。再会して顔を初めて見られた時に気づくかと思ったのにドキドキして損しましたよ」
「ごめんね。匂いを嗅いだ時懐かしいとは思ったんだけどその時も気づかなくて」
秋人の表情が一瞬固まる。
「懐かしい?匂いフェチなんですか?」
「そうなのかな?嫌な気はしなかったんだ。好きな匂いかもって思った」
その時のことを思い出しながら珠莉が言うのに秋人は
「……珠莉様時々気恥ずかしいこと平気で言いますよね」
「気恥ずかしい?何が?」
「その、匂いが好きとか」
「え?秋人の匂いが好きっていうのがダメ?」
「あー、自覚ないの怖い。恐ろしい子っ」
右手で顔を覆って表情が見えないようにする。
「なんで顔隠すの!」
と珠莉は秋人の手を掴んで顔から引き剥がす。そして秋人の顔色に驚く。
「耳まで真っ赤じゃん、なんで?」
「なに?珠莉様がそうさせたんでしょ!」
半ばキレながら秋人が答えるのに珠莉は
「なんなの?匂いだけにこだわってるように聞こえるのが悪いの?身体ごとならいい?」
と更に誤解を招く言葉を放つ。
「もーやだ、今度は身体目当てみたいですよ!」
「あ、いや、そんなことはない。誤解させたらごめん」
「いいんです、いいんです。おれが勝手に珠莉様を慕っているだけで」
その言葉にそれを前から聞きたかった珠莉は尋ねる。
「それがわからない。なんで私なの?」
「おれは珠莉様に会って救われたんですよ」
心の体勢を取り戻し秋人は大事なことを伝える。
「?、救われた?」
「珠莉様は覚えてますか。あの人形の家から出て施設に入った時のこと」
「覚えてるよ。今なら言語化できるのかもしれない。何せあの頃は何も喋れなかったから」
*
その子は人形だった。子どもながら整った顔立ちに長い手足のバランスのとれた肢体。
10歳になるのに言葉も話さずトイレも食事も促しがないとできない。自主的に動くことはなく誰かが働きかけないとずっと同じところに座っていた。
医師や発達心理学の学者の研究対象になるくらいの症例として世間の注目も集めた。
当時8歳の秋人もネットのニュースで彼女のことを知って興味を持つ。その頃には自身が被虐待児であることを自覚していた。同じ虐待を受けた者として彼女の行き先が気になったのだ。
幸い早熟でその年にしてハッキングに長けていた秋人はすぐに施設を突き止める。
(会ってみたい)
その気持ちが抑えきれなくなり秋人は彼女のいる施設に向かった。
施設は道路を挟んで丘のある公園に隣接していてそこから眺めることができた。記者達と違って子どもだったことが幸いもした。窓越しに見る珠莉は初め本当に人形然としていて環境が変わったことについても何も感じていないかのように見えた。ハッキングで得た学者の所見からも狼少女を引用してこの歳からの回復は難しいとあった。だが施設の職員たちは諦めずに珠莉に言葉をかけ続けた。
1週間もした頃話しかけた職員が珠莉と目が合うことに気づく。そして彼女は目で人の動きを追ったり探したりするようになる。そこから母親を探しているだろうと察した職員たちはなんとかして母親の死を伝えようと奮闘した。死の概念がない者にそれをどう伝えるのか。幼児に対してするのと同じように試してみて珠莉はどうやら母親とはもう会えないことは理解した様子で初めて泣いた。その様子を秋人は施設の記録用カメラを通して見ていた。
母親を喪ってから珠莉は不安定になり周囲の誰かの後追いを始める。周りのことを見るようにもなり世界が少し広がった。
他人の言葉をよくおうむ返しに発するようになったが言葉でのコミュニケーションはまだ難しい。専門家も交えて職員たちは話し合い珠莉の欲求そのものが薄いことに気づく。そこまで抑圧が強かったことが考えられた。伝えたいことがあって言葉が出てくる、その機序を考えると職員は頭を抱えた。
専門家からの助言でお世話を珠莉が求めてくるまで行わないことを始めることになった。来た当初は何もしなかったことを考えると賭けではあったが珠莉は成長していた。職員のところに自ら向かい食事などを求めることができるようになり、意思を示すことができた。それに伴い簡単な言葉が出るようになってくる。
言葉が出始めてからの学習意欲、内容ともにめざましかった。
1ヶ月ほどの間に2、3歳レベルから幼稚園児レベルまで成長していた。
*
(今日は見えない所にいるのかな)
そう思いながら秋人がまた施設まで足を運んで見ていた時
「ここだよ!」
背後から声をかけられ秋人は驚く。珠莉その人がそこに立っていた。
「いつもみてたでしょ。しゅりちゃんのこと」
「知ってたの?」
「うん、いっしょにあそびたいの?あそぼ」
「外に出てていいの?」
「きょうはおそとのひ。このこうえんときどきくるの。ひとりじゃないよ。あっちにみんないる」
「そうなんだ」
と秋人は珠莉が脱走してきたわけではないのに安心して
「じゃあ何して遊ぶ?」
「おはなしして」
「お話し?どんなの?」
「おにいちゃんがつくったやつ」
「まじで。……シンデレラとか白雪姫とかお姫様の出てくる話とかは?」
「それぜんぶもうしってるの!」
と体を揺らして抗議して
「あたらしいのつくって!」
「わ、わかった」
結果お話しの評価は散々だったが満足して珠莉は施設に帰っていった。
*
次会った時は絵本を持っていった。“おはなし”の代わりになるかと思ってだがそれらも知ってるのがほとんどだったが絵に合わせて演技したのがウケたのか許してもらえた。
そうするうちに持ち込むのは児童書になっていた。漢字も読めるようになり気に入った本を読み聞かせてくれるようにもなった。
“宿題”も一緒にやった。算数を教えてたらいつのまにか数学を教わったりしたが、教えるのも教わるのも楽しかった。秋人が勉強が苦にならなくなったのはこの時の経験が大きかったかもしれない。
珠莉の吸収力は凄まじかった。失われた10年を駆け足で取り戻しただけでなく気づいたら同学年の子の学力を抜いていた。お兄ちゃんと慕ってくれる年下のような女の子は対等になりそして学力では秋人を追い抜いてもまだお兄ちゃん扱いをしてくれていた。
*
そうした日々に終わりは突然訪れた。
「最近遠出が多いらしいな」
父親が唐突に夕食の場でそう言った。
「知恵遅れの女の子の面倒を見てるらしいじゃないか」
知恵遅れどころじゃない珠莉の能力をここで言っても逆効果になるだけと秋人は瞬時に悟る。
「かわいそうだと思って行ってたけど、もう飽きたから行かないよ」
「なんだ、その程度のものか」
「女の子は話が合わないからつまんない」
「そうか。秋人がお世話してるなら会いに行かないとと思ってたんだけどな。もう行かないのか。残念だな」
「気になるなら見に行ってみたら。僕はもう行かないし、会わないけど」
「そうか。ならこの話はもう終わりだ」
父親が見に行こうとしていたことに恐怖を覚え、秋人は言葉通りにもう会わないことを決めた。それが珠莉を守るには必要だとわかっていたから。それが珠莉を諦めることになったとしても。
*
「珠莉様の成長は本当に凄かったです」
言葉も人との関わりも何もかもを奪われた存在が人生を取り戻していく姿に感銘を受けたことを秋人はなんと表現したらいいかわからなかった。
「その姿におれは勝手に救われたんです。おれも成長できるのかも、人生変えられるのかもって。それで生きてこれた」
言葉を続けて秋人は
「本当に動くまで変われるのにこんなに時間がかかってしまったけど、あの出会いがなかったらおれは今ここにはいなかったと思います」
「私こそありがとう。あの頃いっぱい絵本や本を読んでくれたでしょ。だから成長できたんだよ」
秋人の思いに応えて珠莉も感謝を語り
「お互いに影響を与え合ってたんだね」
と感慨深く話す。秋人は胸の前で手を振り
「そんなこと言ってもらえるの烏滸がましいです」
そこで珠莉が思いついたように
「ね、秋人がパンク好きになったのって自分を強く見せるため?」
と尋ねる。
「珠莉様はそうなんですか?」
「私はそうだったかな」
頷きながら答える。
「何もわかってないだろうと騙されかけることが多くて。外見強めにしたら舐められることも減ったから」
「口が悪くなったのもそうなんですね」
秋人の問いにニヤッと笑って答える。
「そうだよ。私もあれから色々あって成長したのよ」
「それだけ綺麗だと絡まれることも多そうですしね」
「それは秋人もでしょう」
秋人は少し考えてから
「おれの場合はそれよりも反抗のシンボルというのに憧れ、でしょうか」
「反抗?」
「父親への反抗、抵抗への思いを着たかったというか。でも実際は父親の前では着れなかったんですけどね。最後しか」
その時の服装を思い出し
「その節はお守りありがとうございました」
「守れたならよかった」
と笑って
「そうかー。でも違う理由でも会えなかった間に同じ方向向いてたの面白いね」
それに対して秋人が
「会えなくてもずっと見てました」
と答える。
「ずっと見てはいたんです。父親に珠莉様を汚されたくなくて会いには行けなかったけど」
少し苦しそうに言ってから
「やっとまた会えましたね」
と秋人は微笑んだ。
*
話し終えて事務所に戻った2人。ソファまで歩いていた秋人がふらつく。
「大丈夫!?」
「いえ、ちょっと寝れてないだけなんで」
「とりあえず横になって休みなよ」
と皆んなで口々に勧めて事務所のソファに寝かす。
「寝ないですよ……」
と少し抵抗した秋人だが
「と言ってる間にもう微睡んでる。よほど寝れてないんだな」
諒介が頭を撫でて気の毒そうに言い、清香も
「ずっと気を張ってたんでしょうね」
「打ち合わせ、下の喫茶店でしてくるからついててやって」
「わかった」
「さーや、珠莉の代わりに来て」
「わかりましたわ」
寝るには寝た秋人だが眠りは浅いようでしばらくするとうなされ始めた。それは見てられないくらい苦しそうで珠莉は寝かしておくか起こした方がいいのか逡巡する。
胸の上で握りしめた拳を包み込むように握ってみる。すると眠りについたまま手を握り返してくる。
あることを思いついて珠莉は
「ごめんね」
と一旦手を放し秋人の頭を持ち上げて自身の身体を滑り込ませて膝枕にする。
「どうかな?」
すると体勢が不安定だったのか珠莉に向かうように寝返りを打って、それから腰に手を回し縋りつくようにする。
「子どもみたいだなー、よしよし」
と額から頭にかけてを撫でてみる。呼吸が緩やかになり眠りが深くなったように見えた。
結局秋人が目覚めたのは夕方になる頃だった。半ばぼんやりとした口調で
「今何時です?」
「朝の7時」
すっとぼけて珠莉が答えるのに抱きついたままくつくつ笑うので珠莉がくすぐったそうに
「起きるの?起きないの?」
と秋人の頭をわしゃわしゃにする。
「ずっとこうしてていいですか?」
「だーめ。寝ないなら起きて」
「仕方ないですね」
と頭を手ぐしで直しながら上体を起こす。
「どう?寝れたか」
とうに打ち合わせから戻っていた所長が尋く。
「久々にめちゃくちゃ眠りました。添い寝に珠莉先輩レンタルできますか?」
「俺に聞かれてもな。珠莉、お前さんどうなのよ」
「やだよ。添い寝だけじゃ済まないでしょ。エロいことすぐするし」
「確かに。そうなると2人とも寝れなくなっちゃいますしね」
2人のやり取りに当てられながら諒介は
「おー、おー、またえらく元気になったな。仕事して帰るか?」
「すみません。もうちょっとお休みください。万全の体制で戻ってきます」
と言い残し秋人は帰って行った。
*
「所長、聞いて。私が施設にいた頃秋人と会ってたの」
「それはまた行動力のある、当時えーと8歳だろ。ネットで居場所は突き止めたとかまでは聞いてたけど」
そこまで聞いてふと思い出す。
(あの頃出会ったお兄ちゃん、てのが秋人か!?珠莉の初恋の相手だろ)
と改めて驚きながら
「そうかー、お前さんたちも長い付き合いだったんだな。」
「所長が刑事辞めてこの事務所作ったのも私たちの居場所を作ろうとしてくれたからなんでしょ」
「……まぁな。俺からは言うつもりはなかったけど」
「ありがとう。ずっと守ってくれて」
珠莉の感謝の言葉に
「……なんだ、花嫁の父親的なやつ?」
少し寂しげに言う諒介に珠莉は
「違うよ!これからは私たちもこの場所を守っていく、ってこと!まだまだ居座るからよろしくね」