第400話 沈む太陽
戦いが終わると同時にフュンが意識を失って倒れた。
この衝撃は、家臣たちにとっては、雷に打たれたよりも酷いものだった。
太陽を失うということは、アーリア人にとって、神様を失うと同意義。
彼がいない世界は、永遠に朝が来ない。
明けない夜となる。
◇
アーリア歴8年1月1日。
それは、戦争終結と同時に起きた大事件。
フュン昏睡事件へと形を変えた。
彼が倒れた時。
皆は、疲れから来るただの気絶かと思ったのだが。
あの時点から、ずっと起きてこない事件へと変わっていくと、その慌て具合は大きなものになっていく。
戦い終わりの本営にて。
全ての将がフュンの元に集結していた。
「タイロー。これはどういう症状で? 倒れたままなのですが」
「わかりません。しかし、これほど起きないのは、何かがおかしい・・・」
体を揺さぶっても、起きてこない。
静かに眠り続けるフュンに、不安を覚えるのはシルヴィアだ。
タイローの診断も曖昧なものだ。
「でも予想はあります」
「なんですか」
「フュンさんは、異常な状況で、この十年近くを戦っています」
「異常?」
「はい。クリス。そうですよね」
フュンのそばで診察していたクリスも、タイローと同じ結論を出していた。
「ええ。タイローさんの言う通りです。フュン様は、異常な緊張状態でこの十年を戦っています。それに、そもそもですが。フュン様は、元々子供の頃から心が休まる状態じゃないです。フュン様は常に緊張状態の中にいます」
いきなり人質の立場から始まって、母国を背負う環境に身を投じた。それだけでも大変なのに、そこからも、過酷な人生が待っていたわけだ。
この異常な状況から始まる彼の人生は、いくら休息を取ろうが、心も体も休まるような環境じゃない。
「確かにな・・・ありえる」
ジークが頷いた。
「フュン君の事をいくら俺たちが家族だと言っても、彼にとっては敵だらけの中にいたという事だろ。ダーレーの庇護の中にいてもだ。敵の中にいたんだ。必要以上に遠慮も、警戒も。彼ならばして当然だ。無意識にな」
「はい。そういうことです。そもそも、その疲れを持っているのに。色々な事が重なって、今までの事があったのにですよ。ここに来て、異常な事態に陥っている。王となり、皆を背負い。大陸の運命を背負った。その疲れは計り知れない・・・それに・・・」
クリスの言葉の続きをタイローが言う。
フュンの眠っている顔を見たら、クリスはこれ以上話せなかった。
「そうです。それに今回は別格だ。この数年フュンさんは一度もアーリアの地にいません。他大陸に乗り込んで、計略を仕掛け続けた疲労も、計り知れないという事ですよ。それで、普段ならば、心休まる場所として、ダーレーという家族が。ウォーカー隊という信頼する仲間がそばにいました。なのに、今回はいない。その上であの繊細な作戦を常に敵地で仕掛けていたのです」
ワルベント。ルヴァン。
どちらも罠にかけて操った計略は、そんじょそこらの神経じゃできない。
細かい作戦を立て続けて、どれが有効かを考え抜いてやり抜いた作戦だ。
これらの疲労も相当なものだ。
「普通ではありえない環境に居続けた疲労。そして、最後の戦いが死闘でした。それがここで爆発した。そうとしか考えられません」
「フュン・・・あなたは無理ばかりを・・・無茶ばっかりして。駄目ですよ。それじゃあ」
シルヴィアがフュンの頬に手を置いた。
目覚めて欲しい。でも疲れがあるんだと思うと、休んでいて欲しいとも思う。
「ここはハッキリしたい。王は、起きるのですかな」
ネアルが聞いた。
「わかりません。疲労が回復したら起きるのか。それとも眠り続けるのか。そこは何とも、医療機関で診たい所。オスロの協力をもらいたいですね」
タイローの言葉の後に。
「儂とライスが掛け合いましょう。今。帝都に向かいます」
「ええ。今兵士たちに行かせていますが。更に自分たちも行きます」
エレンラージもライスも、別の国の人もフュンを心配した。
「あ。ありがとうございます。お願いします」
目覚めぬフュンを皆が見守る。
それが大変な一年の始まりであった。
◇
フュンがもし眠らずにいたら、ここからの新しいオスロ帝国を皆で見守る。
という形であった。
新たな皇帝となるレオナの門出を祝って、全体でお祝いをする手筈だった。
ワルベント側の二大国からも使者が来て、彼らからもお祝いされて、そこにフュンもいて、世界が話し合いに入る。
そんな予定だっただろう。
でもそれが根底から崩れる。
最大功労者のフュンがいないのであれば、祝い事なんて出来ない。
彼がいなければ、世界平和への道の話し合いなんて始まるはずがないのだ。
そして、この後の記録がほぼ残っていない。
アーリア戦記における。
この一年の話は、ほとんどない。
それは太陽が沈んだからだった。
アーリアを照らす太陽が、ここで輝きを失い、夜が明けず、朝が来なかったから、皆がそこから目を背けてしまったのだ。
だがしかし、こちらにはとある記録が残っている。
それが、ユーナリアの手記だった。
彼女は、フュンが絶対に起きてくるんだと、信じていたので、自分が経験することを記録していたのである。
ここに残る手記は、世界の歴史の一部となった。
◇
アーリア戦記にはない記録。
アーリア歴8年1月下旬。
王様はまだ眠っている。
眠りの王となって一カ月が経ちそうになった今。
私たちはオスロ帝国の城の中で、王様のそばで看病している。
皆の顔色は良くない。
連日連夜で、交代しながらでも王様の様子を見ていた。
特に王妃様は疲れ切った表情をしていても、王様のそばを離れることはなかった。
でも、起きない王様は意外にも呼吸が安定していて、死に至るような感じじゃない。
顔色だってそんなに悪くなくて、本当にただただ眠っているようだった。
皆、敵地で戦っている時よりも、心配な顔をして、そして、疲れ切っている。
これは、精神衛生上よくない。
だからやっぱり起きている王様の笑顔が見たい。
皆でそう思い続けてそばにいるんだ。
でもこのままじゃないけないのは確かだ。
私たちは次の展開に向かわないといけないんだ。
だから、私とジーク様が、新たな展開を考えた。
ジーク様は意外と冷静で、疲れ切った表情をしていない。
他の人が止めてしまった思考を、彼だけは王様の為にしていた。
そこで彼と私が考えたのは、停戦条約を各国に結ばせた事だ。
オスロ・レガイア間。
オスロ・アスタリスク間。
アーリア・オスロ間。
アーリア・レガイア間。
アーリア・アスタリスク間。
レガイア・アスタリスク間だけは、当然の同盟だった。
それぞれが、三年の停戦を結び、一時の平和を実現させた。
でも、これは真の意味じゃない。
やはり王様がここにいないと、方向性を見失いそうだった。
だから、私とジーク様は停戦の期間を短いものにした。
『どうせフュン君は起きるから、これくらいにしようか』
とジーク様は王様が起きると信じていた。
『本当ですか』
私が尋ねてみると彼は笑って答えてくれた。
『ああ。まずさ。フュン君は起きたらさ。ずいぶん寝てましたね僕・・・とか言いそうでしょ。ユーナ君もそう思うだろ?』
その通りだと思った。
王様ならそんな軽い口調で起きそうだと、思わずクスッと笑ってしまった。
心配している事を他人に隠せるジーク様は強い。
他の皆よりもちょっとだけ前を向けている気がする。
アーリア歴8年3月。
平和への下準備だけは済ませて。
私たちは、オスロの立て直しを見届けた。
レオナ姫の正当性の担保。
後継者のお披露目が軽くあった。
彼らも王様に対して遠慮していた。
本当はそんな遠慮なんかしなくてもいいのに、王様がここに顔を出せないから、本当に軽い挨拶くらいにして、終わっていた。
素晴らしい女王陛下が誕生するというのに、小さなアーリアの国王に大国が遠慮してくれたんだ。
それで、私たちは見届けることが出来たので、王様の為に、帰る事を決めた。
故郷に戻れば心機一転。
目覚めてくれるのかもと思い、アーリアに帰還した。
その帰り際に、ジャックス陛下が。
『余は、フュン殿は必ず起きると思う。この人が、あなたたちを置いて、旅立つなどありえない。意地でも生きて、あなたたちの顔を見るはずだ。そして余も彼の笑顔を見たいと思う。だから起きたらすぐに連絡をしてほしい。友人として、その連絡を心待ちにする。余の友人は必ず起きるんだと毎日願う。それと家臣の皆さんの無事も願う。オスロの永遠の友人。アーリアの友たちよ』
と温かい言葉をくれた。
王様は本当に、よその王様と友人になったのだとこの時に思った。
こんな王様、他にいるのかな。
誰かと友達になれる王様って・・・他にいるのかな。
私は、ジャックス陛下の言葉を聞いて、王様の凄さを知った。
アーリア歴8年5月
王様を看病するのは、アイネさん。王妃様。私。
基本がこの三人で、他にも、ゼファーさんとかタイローさんとか、たくさんの人が来てくれた。
結構ひっきりなしに皆が来て、色んな人がそろそろ起きたらどうだと話しかけていく。
それで最も印象的だったのは・・・。
サナさんたちだった。
『おい。起きろよ。私、敵将取ったんだぜ。いい加減起きてさ。褒めてくれよ。滅多に活躍しねえんだからさ』
サナさんが、王様のほっぺをむぎゅッと引っ張った。
『馬鹿かお前。フュンさんに何してんだ』
奥さんの不敬な行動に慌てたマルクスさんがすぐに怒って彼女の手を持ち上げて邪魔をした。
『そうよ。フュン様も、大変だったんですよ・・・でもね。サナの言う通り。そろそろ起きましょうよ。またこの皆で笑いあいましょう!』
ヒルダさんは、その二人をかき分けて、王様の顔に向かって優しく話しかけていた。
『そうですね。でも私は起きると思っているので心配してません。普段通りにしてますよ。それに私たちが遊んでいた方が起きる可能性がありますからね。なんで僕も誘ってくれないんですかって言いそうで、起きてくれそうですからね』
タイローさんの言葉は、結構的を得ていると思った。
王様は心配よりも普段通りにされる方が、起きてくれそうな気がする。
『そうか。じゃあ、ここで騒いでさ。宴会した方が良いんじゃねか。いつものようにさ』
『な。馬鹿が。やめろって言ってんだよ。タイローが言ってるのはそういう事じゃねえから!』
『いやいや、普段通りがいいんだろ。それじゃ私らは、それが一番じゃないか!』
王様とこの四人は、普通の友達なんだ。
何でもないやり取りを楽しめる。
そんな普通の友達が、王様の周りにはいる。
アーリア歴8年9月。
王様の家族が久しぶりに全員集まった。
王妃様を始め。
レベッカ様。アイン様。ツェン様。フィア様。
四人のご兄弟が、王様の周りに集まって、報告会をしていた。
私の今はこれをしている。僕はこれです。等々。
何気ない事を王様に話して、ただただ聞いてもらう会だった。
中身は、普通の親子の会話だ。
王様は相変わらず起きていないけど、皆の話を聞いてくれている気がする。
いつも笑顔でいてくれる王様を皆で思い出している。
アーリア歴8年12月。
一年の最後を迎えそうになっても王様は目覚めない。
長い眠りだなと思う
でも心配はしない。
王様は絶対に起きる。
そう信じて、私は今日もアイネさんたちと一緒に頑張る。
お仕事も頑張る。
新たな時代を築くための案をいくつか。
王様に見せるために、私は色々な事を考えて、メモを取って日々を過ごしている。
この案で!
王様が起きた時に褒めてもらおうと私は思っている。
あれ、結構邪な考えだな・・・って自分でも思っていた。
◇
アーリア歴8年。
太陽は登らない。
沈んだままの一年だった。
だから暗いどん底にいるような気分だった。
それは私だけじゃない。
家族一同、家臣一同、アーリアの全国民たち。
皆が本当に前を向けない。そんな一年だった・・・。
◇
こうして、時代の変化は、この年には起きない事が決まった。
時代の変わり目となるのは翌年。
アーリア歴9年である。
その時代の変化は、急に起こる事になる。
アーリアにとっても、英雄にとっても、世界にとっても。
それはまるで突風のような一年だったのだ。




