第365話 オスロ平原の戦い 主がいればよし
「ん? 殿下の声??」
戦いの途中で、フュンの声が聞こえたような気がした。
ゼファーは、目の前の敵に集中していて、他の音を拾っていなかったのだが、フュンの声だけは聞こえていた。
「よそ見をするな!」
ついつい後ろを振り返ったゼファーに、ウォルフは一閃。
ものすごい勢いで大剣が動いているのに、ゼファーはそれを見ずにフュンらしき人物を探していた。
「我の邪魔をするな」
一言と槍を相手に向けただけで、まだゼファーは後ろを見ている。
「な!? なんだと」
振り返っているという体勢の悪い状態で、自分の剣を弾き返した!?
ウォルフは、今まで経験したことのない事に直面して固まった。
「さっきから貴様、うるさいわ!」
せっかくフュンの声が聞こえたのに、邪魔な声が入って来た。
怒りが湧く。
「殿下かが・・・殿下かが我の為に・・・申し訳ありません」
自らの窮地。
己の力で脱しなければと思っていた。
自分が招いてしまった失態なのだ。
取り返しのつかない判断ミスをしたのに。
それでも、主は自分を見捨てない。
むしろこの敗北濃厚の戦場を・・・。
逆転させるかもしれない、奇跡の一手を打ってくれた。
混沌を持ち運んでくれた主に、また更なる忠誠を誓う。
「これは、貴様の首くらいなければ、殿下に謝ったことにならないぞ」
「ははは。出来るならな。貴様程度で、俺様を倒すのは出来んぞ・・・な!?」
話を聞いていないゼファー。
攻撃がさっきよりも伸びている。
ウォルフが反応に遅れるほどに鋭い。
「貴様! 俺様がまだ話している途中だぞ」
「時間がない。我が殿下と・・・」
相手の話を聞いていないゼファーの集中力は増していた。
戦いは更に苛烈になる。
◇
ゼファーが、フュンに気付いてから10分後。
二人の決闘付近に煙幕が焚かれた。
黙々と半径20メートルの小規模な煙に辺りが包まれる。
そこから、すぐにして煙がはれる。
するとゼファーの闘気に変化があった。
鬼の復活。
煙が無くなるとなぜか、ゼファーの勢いが増していた。
ここからウォルフが防戦一方となる。
「な、なんだ。っわけがわからん」
突如として強くなった理由は何だ。
普通なら戦いの最中に覚醒するだろう。
それが、煙幕中に奇襲をかけるわけでもなく、煙幕が消えると強くなるなど、聞いたことがない。
何が起こったか分からないウォルフの背後から声が聞こえた。
「僕が乱しますので、ミシェル下がって。ここから来る波が、中央に行ってしまい。そちらが濁流部分になるので、そこで受け流して、ゼファーを援護してください。シルヴィアと一緒に防波堤になってください。ここは僕が乱します」
「は、はい! わかりました」
的確な指示の声に聞き覚えがある。
「まさか。この声は・・・最初にゲインと話していた男の声・・・ここに突撃してきたのか」
ウォルフも声の主に気付いた。
「我。今より、ただの修羅となり、貴様を葬る」
「な!? まずい」
目の前の男から溢れる闘気。
それを一瞬で看破したウォルフは、体勢を整えて彼を迎え撃った。
◇
煙が焚かれている最中。
フュンがゼファーの隣に立った。
「ゼファー」
「殿下。申し訳ありません」
「ん? 何が???」
フュンは首を傾げた。
「我はとんでもない失態を。間違いを犯しました」
「あなたが? 何を?」
「敵の弱点だと思った場所は・・・罠でした。しかも、殿下の待機命令があったのに、勝手に進んだ。その軍機違反で処罰をお願いしたいです」
「僕が? あなたをですか?」
「はい」
「ないない。僕が君の出撃許可を出しましたよ。だから、今のこれが君のミスだとしたら、僕のミスですよ。でも僕は間違いだと思っていない。現にここから、僕らは混沌を作れていますからね」
「し、しかし・・」
ゼファーは間違った行動をしてしまった。
これだけは事実。
でもその行動をフュンが許可したのだ。
それならば、間違いの責任の出所は、フュンとなる。
全体の責任を背負うべきなのは自分であると、フュン自身は思っているのだ。
だからゼファーが背負うべきなのは、勝利への執念だけだとも思っている。
「まったく。律儀な所がゼクス様ですね。いいんですよ。あなたのミスも。僕のミスだ。僕らは一心同体です」
ゼファーの顔色が悪い。バツが悪い。
そんな気分なんだろうと思うフュンは、諭すように話す。
「いいですか。間違いは誰にでもあります。だから、間違えた時に、反省すればいいんです。一生引きずるような後悔じゃないですよ。次からはしないようにしなきゃくらいの軽い戒めにしなさい」
「・・・」
「ね。ゼファー。間違いだったら取り返す事が出来る。それに失敗も取り返すことが出来ます。取り返しのつかない事なんて、この世にほとんど存在しない。だから命ある限り、前を向きなさい。あなたはまだ負けていない。それに僕は、あの男ウォルフ・バーベンに。あなたが勝つと信じています」
「殿下・・・」
「ゼファー。あなたは僕の従者なんでしょ」
「もちろんです」
「では、心は常に一緒です。だから、昔も今も、常にどんな時も一緒に戦っていますよ。信じてます。勝ってくださいね。僕はこれから、あっちを混沌にしますので、あなたの戦場だけは混沌にしないために、ここに重石を二つ置きますので、心置きなく戦いなさい。目の前の男にだけ集中してもいいように環境を整えます」
フュンの考えでは、ゼファーが戦いに身が入らなかった理由は、周りを見過ぎている事と失態を招いたと思いこんでいる事が、余計だと思っていた。
自分がこの状況を作ってしまったという負い目。
だから、そのせいで苦しんでいる周りの兵士たちが気になってしょうがない。
目の前の男に集中しているつもりでも、最後の気持ちの部分で相手に一歩遅れている。
この状況を取り払ってやらねば、ゼファーがウォルフに勝つことがない。
フュンはその大切な部分を補強した。
従者ゼファー・ヒューゼンが心置きなく力を発揮する環境を作ったのが、主フュン・メイダルフィアである。
「は、はい!」
「では、信じてますよ~。それと、いってきま~す」
お出かけするくらいの軽い挨拶をして、フュンは前へと進んでいった。
「はい。いってらっしゃい。殿下!」
子供の頃の。
あの帝都での。
人質生活の時の。
買い物へ送り出した時のように、ゼファーは明るい挨拶をした。
「ええ。ゼファー。お願いしますね~!」
笑顔になったゼファーは、スッキリと晴れやかな気分となった。
今日の青空に見える太陽と同じくらいに晴れやかだった。
煙が消えていくと、ゼファーの笑顔は、徐々に鬼の形相に変わる。
あとは、敵を倒すだけ。
その集中力が増していった。
◇
「ふ、ふざけるな。なんだ。何が起こった?」
貴様に何が起こってこのような変化が?
ゼファーの圧倒的な攻撃を捌くのが苦しくなった。
「我は殿下の為に強くなった。自分の為だけじゃ、強くなれなかった。それを教えてくれたのは、殿下と叔父上とミシェルだ。我の人生。捧げるに値する人間はこの三人だけ。貴様は、あのゲインに、その身を捧げているのか!」
人生をかけた主君のために、立ち上がった人間なのか。
ゼファーはゲインにそう聞いた。
「あいつに? 俺様が? はっ。ありえん。あいつとは、利害が一致しただけ。この戦場を用意してくれた」
「そうか。ならば、負けるわけがないな・・・ここからの我は、何もかも貴様に負けん」
気持ちも、戦いも。全て。相手に負ける要素がない。
ゼファーの心が固まっていった。
「はっ。攻撃が通用してきたくらいで、いい気になるなよ」
「いい気? 我は貴様の事を、もう何も思ってない。ただ、倒すことだけを考えている」
今のゼファーに余計な思考がない。
相手が強い弱いも思う事もない。
ただ敵を倒すのみ。
ゼファーの脳が物事を深く考えなくなった。
本来の思考回路に落ちついている。
元々一つしか物事を考えられないのに、今まで将として戦略やら何やらを考えたのが良くなかった。
ゼファーの仕事は、勘で十分。
それがフュンの出した答えだ。
余計な事をしなくていい。
考えるのは自分の仕事で、実行してくれるのがゼファーだ。
二人で一つであれば、何事も上手くいく。
フュンの思いに応えるように。
主が与えてくれた役割を全うするために。
ゼファーの力が増していく。
「かかって来い。貴様には負けん」
戦いはフュンが入って力を増したゼファーがウォルフに立ち向かう形で第二ラウンドを迎える。




