第347話 アルストラ戦役 決着
ロビンが居座る本営に戻れたのは、二万五千の兵とレックスと、亡骸のジュードだけ。
親友を優しく抱き抱えているレックスは、堂々とはせずに暗い顔のままだった。
本営の広場のような場所で、二万五千の兵と共に迎えられたレックスは、第一声に妹を心配する。
「ミーニャは」
「これほどやられたのか」
レックスの問いにも答えないロビンは、帰ってきた兵士が少ないと思った。
自分たちが連れてきた近衛兵と合わせても、全体が信じられないくらいに減っている。
「そうです。しかし、希望は叶ったのでしょう。こちらが、望みのジュードですよ」
レックスは、抱き抱えているジュードを見せた。
「ふん。そいつはもういい。レックス。惨敗ではないか。兵がほぼいないぞ。どういうことだ」
「物資補給が来ませんでしたから、鉄砲を撃ち過ぎたのが要因の一つ。なぜ、補給物資をこちらに送って頂けなかったのですか」
レックスは、現場の大将として、負けの言いがかりでも何でもなく当然の質問をした。
それさえあれば、あれほどの大敗がないのだから、聞いて当然だ。
補充が出来ると思っていた戦略を組んだのであるからして、それが出来ないのなら、出来ないで別の作戦を立てるからだ。
レックスならば可能である。
味方に足を引っ張られた形では、勝ち戦も勝ちにはならない。
「霧のせいだ。まだ物資が来ていないから運べなかった」
「それは後付けだ。すでに運び込まれていないのがおかしいのです。本当はここに到着しているのでは? そうじゃなかったら、補給路はどうなっているんですか。ロビン様」
補給物資は、霧の発生前に到着していなければならない。
だから、自分の所に来ないのは良いとしても、ここに置いてあるのが当然だろう。
でも隠している気配は・・・なさそう。
物資の箱もない上に、食料の量も以前と同じだった。
だったら輸送路に何かあると、レックスは思っている。
「貴様。私を叱責するつもりか」
「叱責じゃない。確認です。この先も同じことが起きたらどうするんですか。勝てませんよ。そんな軍管理では、レオナ姫には勝てない。彼女はそこまで計算してここに布陣している」
物資計算も視野に入れたルヴァン大陸北側の占領。
レオナとクラリスの二人は大局で物事を見ている。
そして、ジュードとセンシーノが、その場の戦争を考える。
革命軍は、盤石な体制であった。
「貴様。何を偉そうに。大敗したのを私の責任だと言いたいのか」
「そんな事は言っていない!」
戦って負けたのは自分。
それは百も承知。
でも次回からもこんなことが起きるのであれば、負けは続く。
物資を送れるところに送らないなんて、ただの嫌がらせにしかならないからだ。
「まずいい。そいつを寄越せ」
「なぜ。葬ってやりたいのですが」
「敵の将だぞ。晒し首にするに決まっている。奴らの目の前に飾る。アルストラの都市の前に置く」
「馬鹿な。何の罪で」
「私をコケにした罪だ」
「下らん! あなたの何をコケにしたんだ。ジュードは、いつも真っ直ぐだ。誰も馬鹿にしない。あなただって馬鹿にしていない。こいつは、いつも・・・いつも真っ直ぐなだけなんだ!!」
「いちいちうるさいわ。とにかく寄越せ」
ロビンが早くこちらに渡せと手を出す。
「もしや、あなたの自尊心の為にこんな事を? それだけの為に、こいつを殺せと・・・じゃあ、あなたには渡せない」
「いいのか。妹は、あそこにいるんだぞ」
広場脇の天幕に彼女がいるらしい。
レックスはまだ見た事がなかった。
「・・・私は見ていない。本当にここに連れてきたと?」
「そうだ。納得しないなら見せてやろう。クロ」
「はい」
クロが物を取りに行くみたいにして、天幕へ向かった。
彼女が横たわるベッドごと運び込まれた。本物のミーニャだった。
「ミーニャ!」
「・・・・・」
ミーニャが空の方に顔を向けている。
彼女の意識がなかった。
眠っているのか。それともまさか意識が混濁しているのか。
不安は募る。
「意識が!? く、薬は?」
「まだ入れていない。今日の分はな」
レックスが要望通りに動くか分からないから、今日は投与しなかった。
ロビンは人の面を被った悪魔だった。
「貴様」
レックスが一歩動くと、ロビンが手を前に出して、そこで止まれとした。
「おおっと。まずは、その薄汚い弟を寄こせ。こっちに渡せ。殺したかどうかを確認する。まずはそこからだな。お前の妹を助けるかはな。クロ。持ってこい」
妹のベッドの脇に手をかけて待つロビンは傲慢だった。
クロに持ってこさせたジュードを踏みつけにする。
「本当に死んだか・・・胸を刺されてか・・・随分ハッキリと殺したな」
「殺せとの命令だったろうに。貴様の命令だ」
怒りを抑えてはいるが、どうしても語気に怒りがもれていた。
レックスの血管は切れそうだった。
「どれ。顔でも見てやるか」
ロビンは胸倉を掴んで持ち上げる。
レックスは、丁重に扱ってここまで運んできたのに、兄であるロビンは雑に扱った。
弟の死をなんとも思っていない。
「ほう。たしかに、死んでるな。ぐったりしているわ。ハハハ」
ロビンが、ジュードの顔をまじまじと見て言った。
直後に事件が起きる。
誰もが想像できない事態。
だから、周りにいた兵士たちは時が止まったかのように動けなくなった。
それが、その混乱を生み出した男の戦略の一つである。
◇
「そうですよね。あなたから見ると、こちらは死んでいますよね!」
「は!?」
「この状況。思った通りだ。だから、僕の計画は順調です!」
「なに?」
意味不明な状況で、思わず返事をしているロビンは、死体が話していることを不気味がる余裕がなかった。
「第二皇子ジュードが死んでいるからこそ。あなたが油断しました。それに、あなたとその周りの警戒が少なくて、こちらは楽なんですよ。ロビン」
「し、死体が・・・は、話している!?」
ようやく驚くことが出来たロビンが、徐々に死体の目が開いていく様子を見た。
ニヤリと笑う死体が指示を出す。
「シゲ。やりなさい」
優し気な声の命令と同時に。
「了解です」
ミーニャのベッドの周りにいた兵士が一瞬で倒れた。
そして近くにいたクロも、その突然の攻撃に巻き込まれて、軽い怪我を負う。
「ぐあっ。な、なんだ・・・何かがいる・・なんだ・・・み、見えない」
影の適性がある男クロでも見えない人物は、ミーニャをこの攻撃の直後に取り返す。
そのままレックスのそばにまで移動して、影の男は姿を現して引いてきた。
「レックス殿」
「ど、どなたで」
「今は説明の時間がない。彼女をお願いします。あなたの妹さんですから、そのまま警護を任せたい!」
「は、はい。ありがとうございます」
シゲノリは、彼女を渡したと同時に影に入った。
一度見られたとしても、敵に消える所を見られてたとしても、彼は再び消える事が出来る。
だからシゲノリが、最強の影と呼ばれる所以だ。
彼にしか出来ない技とも言える。
「さて、死んだ人に対しての礼儀がなっていないのは何故ですかね。ロビン! あなたのお父上は、そのような教育をされていない。なので、あなたは誰から影響を受けたのかな。僕の想像通りの人物からですか? あなたの大切な人ですよね。その人?」
死体は冷静にロビンを問い詰める。
「だ。誰だ・・き、貴様は!? ジュードじゃない」
ロビンが手を離さそうとすると、死んだはずのジュードから、大小二対の刀が出てきた。
「一つ罰を与えます。お父上から、許可は貰っているので、これを戒めにしなさい。よいですね。ロビン!!」
ジュードの体が破けると、二対の刀が動き出す。
両刀が交差して、ロビンの右腕を狙う。
「ぐあああああああああ」
ロビンの腕が宙を舞う中で、動き出した死体の姿が変化していく。
徐々に変わる姿は、皆の太陽である。
死体を脱いだ瞬間から光輝く。
「さあ、人を馬鹿にするのもここまで。ロビン皇子。ここからはちゃんとしましょうね」
「ぐああ。き、き、貴様は・・・」
ロビンはクロに支えてもらって立つ。
「「アーリア王!?」」
二人が声を揃えると、フュンは笑顔で答えた。
「ええ。そうですよ。まったく、懲りない人たちですね。ちゃんと選挙の負けを認めたらよかったのにね。それにしても諦めの悪い子たちで。困ったもんですよ。こちらは苦労をさせられましたね。レックス将軍、ミーニャさんをお守りしなさいね」
「は、はい」
フュンの頼もしい背中にレックスが返事をした。
「いやいや、ここの計画だけが難しかったですね。それにしても、まったく、レックス将軍の妹さんを強奪するなんて、君たちも悪魔ですね。人質にする人の選定がよろしくない。彼女の体力では生きる事が厳しくなるでしょうに。人質を維持するつもりもなく、手元で殺す気ですか。それは馬鹿がする事ですね。人質とは、かろうじて生きてこそ意味のある人形の事を言うのですよ。あなたの使い方はなっていません。だから甘ちゃんのお坊ちゃんですね」
生かさず殺さず、手元においてこそが人質だ。
あの世に旅立たせたら、人質の意味なんてないだろうに。
これが人質の本質だ。
本来あるべき人質の姿とはそういう事なのだ。
しかしフュンの立場は、エイナルフのおかげで別物だった。
懐かしい恩人を思い出しているフュンは、一人で人質論を語っていた。
「き、貴様は殺したはず」
「あれ? 誰がです?」
「え・・いや・・・」
自分がだとは言えない。
しどろもどろになった。
「ほら、甘いですよね。お砂糖よりも甘い。あなたが僕を殺したでしょ。お忘れになりましたか?」
「貴様が・・なぜ生きている。急所を撃たれたはず」
「もうはぐらかしてもね。無駄ですよ」
甘い甘いとフュンは半分笑顔である。
「なんだと」
「死んだはずの男がここにいる恐怖。そして、あなたたちの正当性を覆す人物の登場。これが僕の存在でしょ。これであなた。ここからどうする気です」
「ど、どうする気だと」
「ええ、ここにいる全ての人が証人だ。僕を殺したのは、君たちだという事。そして、君たちは死んでいない人の責任をレオナ姫に押し付けた。さて。ここから取れる選択肢は、いくつかありますが、何を選択しますか! 君は」
フュン・メイダルフィアと言う人物は、人に人生の選択肢を与える男だ。
あなたの人生は、あなたのもの。
誰かのものじゃない。あなた自身のものである。
それが善人でも悪人でも、等しい権利として持つべきものなのだという考えを持っている。
『なにを選ぶかは君次第だ』
敵地のど真ん中で、堂々と振舞うフュンは度胸の怪物だった。
「選択などないわ。貴様がここで死ねばいいだけだ。やれ。クロ」
「わかりました」
クロが自分の部隊に合図を出すと、フュンに数人が襲い掛かった。
これが影からであることが窺える。
広場脇の天幕から、十名が突撃してきた。
「はあ。いつも選択を間違えますね。あなたは・・・にしても、この国にも影がいるか。だがしかし。数が少ない。たったの十名。ボリス家の配下かな」
「なに?」
フュンの言葉に、クロが動揺していた。
「まあ、なんでもクロに頼るのは良くない。ロビン。あなたは皆と協力をすべきでした。シゲ。やりなさい。遠慮なしです」
「はっ」
伝説の影となる男シゲノリ。
フュンに近づいてくる男たちを闇の内に始末していく。
影であった一名一名が表に出てくる頃には絶命している。
信じられない光景にクロも驚くしかない。
こちらの影が見えている事もそうだが、こちらを攻撃している男の姿が、いまだに見えない事が何よりもおかしい。
影の力は駆使されれば、されるほどに、効果が弱まるはずなのに。
姿が消えたままの攻撃なんて、初めての事だった。
「こちらの影は、年季が違います。その力・・・まだ若いな。ボリス家が気付いたのは、ごく最近か」
フュンは、敵の影のレベルがまだ若いと思った。
継承された力じゃなく、生み出したばかりの技に見えている。
だから負けるわけがないと思った。
シゲノリは、アーリアの戦いの歴史を背負った影。
過去最強の力を持つ影の継承者なのだ。
「シゲ。よくやりました」
「はい。王」
フュンの後ろにべったりとくっついているシゲノリは、いまだ誰にも見られていない。
これほどの攻撃をして、自分から姿を見せた時以外には見られていないのだ。
サブロウ世代から見ても、化け物だと思う。
それくらいに、素晴らしい実力者がシゲノリだ。
「さて、次の選択は。なんですか」
「なぜ・・・貴様が・・・撃て。この者が陛下を殺したんだ。皆、撃て」
ロビンが連れてきた近衛兵たちが戸惑いながら銃を撃つと、フュンが笑う。
支離滅裂。
死んだ人が殺したという始末は本末転倒。
「まったく・・・続いての口撃は、その程度の言葉しかでませんか。それにやる事がわかりやすい。まあいいでしょう。あなたとの決着は、僕じゃない。彼女だからね。それじゃあ、シゲ。撤退しますよ。任務は完璧ですよ。あなたも立派な影だ」
「ありがとうございます」
「引きます」
「はい。了解です」
シゲノリが準備をすると、フュンは背を向けて退却をする。
途中のレックスに指示を出す。
「レックス将軍。僕と共に逃げますよ。妹さんもです。急いで」
急に指示が来て、レックスが珍しく慌てる。
「え。あ、わ、わかりました」
二人が走り出すと、ロビンが腕を押さえながら叫ぶ。
「待て・・貴様。兵ども。撃て、撃てぇ。とにかく殺せ。今ここで・・・ん?」
追いかけようとすると突然霧が出てきた。
先程の自然の霧よりも深く濃かった。
この霧。
影シゲノリの仕業だった。
重火器を使用した瞬間から爆発が起きるのは、ご存じのあの道具のおかげだ。
「ぐあ」「ごはっ」
至る所で爆発が起きて、自分たちの置かれた状況を理解する。
ロビンの指示を受けていた兵士は、主の命令の前から銃の使用をやめていた。
「つ、使うな。銃をしまえ。爆発する」
兵士たちが大混乱に陥っていた。
フュンたちを追いかける所じゃない。
その混乱中にフュンが指示を出す。
「では逃げますよ。レックス将軍。ついて来・・・お! 来た来た。彼はさすがですね」
フュンが後ろの気配を察知すると、馬車が来た。
「いけいけ。頑張ってくれ。馬!!!」
馬を走らせる帝国兵は、フュンたちの前に入って止まる。
「乗ってくれ。アーリア王。レックス。ミーニャ」
「じゅ・・・ジュード!? お前がなぜ・・・え???」
四人を追いかけてきた帝国兵が、ジュードだった。
どういう事か分からないレックスは戸惑ってばかりだった。
「きましたね。ジュード皇子。じゃあ乗ります。レックス将軍も早く」
「あ、はい」
レックスとフュンが馬車に乗ると、ジュードが発車させる。
「いくぞ。あ。アーリア王、シゲノリ君は乗ってるんですか!」
「まだです。でもいいです。そのままいってください」
「わかりました」
ジュードにはシゲノリが見えないので、フュンが伝えてくれた。
「いきます!」
「どうぞ」
馬車の荷台でフュンが後ろを確認する。
するとシゲノリは、まだ敵の動きを封じていたが、馬車が加速する段階で、こちらに気付き、彼も加速した。
発車の際の加速中であれば、追いつく事が出来る。
シゲノリは人間の限界を超えた足の速度を持っていた。
こうして、フュン・メイダルフィアの最大計画の一つ。
ミーニャ奪還計画が成功したのである。
ジュード対レックスの動き。
これを最初から読んでいて、待っていたのがフュンであったのだ。
その時に、ミーニャを連れだすに違いないと予測した。
レックスを言う事を聞かせて、脅すためにだ。
フュンの人読みの深さ。相手の言動。人格から来る行動。
それらの判断を適切にした結果が、この計画の成功の鍵だった。




