第182話 次期当主フィア・ダーレーの駆け引き
ハスラにあるダーレー家のお屋敷。
廊下を歩くナシュアは、少女に呼び止められた。
「ナシュア!」
「はい。なんでしょうか。フィア様」
フィア・ダーレー。
シルヴィアとフュンの最後の子である。
「結婚しないの」
「はい?」
「ジーク様と結婚しないの」
「何をおっしゃって・・・そんなことはありえません。無理ですよ」
「ええ。いいじゃん。フィーが言ってきてあげるよ」
「え?」
「ジーク様とお話してくる!」
「ちょ。ちょっと待って・・・ちょっと待ってください」
動きが良すぎる。
影の実力者であるナシュアでも、フィアを捕まえられなかった。
彼女の運動能力は、並みの兵士と変わりがなく、すばしっこさはすでに大人を越えていた。
ジークの執務室に先にフィアが到着する。
「ジーク様!!!」
「ん? なんだい。フィア」
ジークは書類の準備をしていて、書き物の前段階で、机に広げている最中だった。
「結婚しないの」
「は!?」
聞こえていないのかと思ってフィアは大声で言おうとすると。
「だから・・ぐっ・もごもごもご」
話の途中で、ナシュアがやっと追いついた。
フィアの口を両手で塞ぐ。
余計な事を言わせないために、両手で懸命に押さえつけた。
「ナシュア。フィアに何をしてる? 手を離しなさい」
「いえいえ。ジーク様。これはお気になさらずに。ハハハ・・・ハハハ」
乾いた笑いだった。
「むごむごむご・・・ごごごごご」
ナシュアは、何かを言いたげなフィアを必死に抑えて連れ去った。
何が起きたのか分からないジークは。
「何してる? あいつら・・・遊んでるのか???」
首を傾げて仕事を再開させた。
◇
その後。
庭に出た二人。
ナシュアはフィアの説得に悩んでいると、彼女の方はつまらなそうにして、口を尖らせていた。
先程の邪魔が気に入らない。
「フィア様」
「なに?」
「あんなことをしてはいけません。駄目ですよ。ジーク様に迷惑がかかるでしょ」
「なんで?」
「それは・・・」
ナシュアの口が止まりかけると、フィアの方が口が回っていく。
「フィーのお父さんって、二人いるよね。ジーク様もフィーのお父さんなんだよね?」
「ええ。それはもちろんそうです」
「だったら、お母さんが欲しい」
「え?」
「フィー! ここにもお母さんが欲しい! お母さんはナシュアがいいの!」
真っ直ぐ曇りのない瞳に見つめられたので、ナシュアとしては少しだけ視線を外してしまう。
彼女とは別な方を向いて悩む。
最初は右から見ていた。
「それは・・・」
なってあげたいけども、立場が立場であるので、無理だと言いたい。
ナシュアは、空を見上げて決心した。
結婚は無理ですよ。でも、お母さんもどきとして頑張ります。
と答えようとして下を向くと。
「な!? い、いない!!!」
してやられた!
さきほどのフィアの視線は。
こちらの視線を誘導するものだったのだ。
「んんん。まるでジーク様のような視線誘導の方法。本当は血が繋がっているのでは!!」
ナシュアは、慌ててフィアを探し出すことになった。
◇
ジークがお昼ご飯を食べている頃。
「ジーク様!」
「ん? なんだい。フィア」
「結婚しないの!」
「え?」
「なしゅ・・・もごもごもご・・・・ごあごあごあ」
ギリギリのところでナシュアが間に合った。
ここから、ナシュアの監視の目を抜けて、ジークに話しかけるフィアと。
彼女をいったん見失っても、諦めずに追いかけるナシュアの戦いが続いた。
およそ三日間の激闘であったとされる。
◇
そして、抜け出しが上手くなったフィアは、ジークがハスラの都市内の視察の際に追いかけた。
ナシュアからの監視で、部屋に閉じ込められていたのに、見事な脱走をしたとされる。
「ジーク様」
「お? よくここが分かったな。フィア」
「うん。ついて来た」
ジークはハスラの城壁の西の壁にいた。
フーラル川を見つめてパルシスを見ていた。
「何してたの」
「ああ、ここから見える都市を見ていた」
「あの都市?」
「そうだよ」
「敵がいた都市だよね」
「そうだよ。つい最近まではね」
「そうなんだ」
「ああ。でも、もう敵じゃないよ。あそこも味方さ」
「うん」
次の世代にとって、イーナミアの領土は仲間である。
アーリア大陸は一つとなったのだ。
次の段階は完璧な融合。完全な仲間意識が必要なのだ。
「ジーク様」
「なんだい」
「結婚しないの」
「結婚? 俺がか?」
「うん」
「しないな」
「どうして」
「する必要がない」
「どうして」
「フィアがいるからさ。ほらおいで」
ジークはフィアの頭を撫でてから両手を広げた。
胸に飛び込んで来いと合図を送ると、彼女はタックルするように突っ込んできた。
ジークの胸に頭が突き刺さる。
「うん」
「ごはっ。なんでおもいっきり???」
ジークすらも戸惑う行動を起こす。それがフィア・ダーレなのだ。
胸の痛みを我慢して、抱っこしてから、二人でパルシスを見た。
「いいかい。フィア。俺にはお前がいるから、結婚なんて必要ないのさ。俺の後は、お前がダーレーの当主だぞ」
「うん。知ってる。だからフィーが、こっちに来たんでしょ。お父さんとお母さんと離れたのってそういう事でしょ」
「え」
「二人はフィーを捨てたんじゃなくて、ダーレーを守ってくれ。っていう意味でジーク様の所にやったのでしょ」
「・・そ、そうだけど」
「それに、ツェーちゃんもサナリアにいるしね。兄妹で王都を守るんだ」
その年で自分たちを理解しているのか。
彼女の真剣な顔を見るジークは、彼女の聡明な部分に驚いていた。
我儘の中に見え隠れする頭の良さがあった。
「それで、フィーね。ここにもお母さんが欲しいんだ」
「え?」
「ジーク様! ジーク様がここでのフィーのお父さんでしょ」
「ああ。もちろんだ」
「じゃあ、お母さんが欲しい。ナシュアがいい」
「な!? ナシュアだと??」
「ジーク様。ナシュア嫌い?」
「いや」
「じゃあ、ナシュアと結婚してよ。ナシュアがフィーのお母さんがいいの」
「・・・んんん」
「駄目?」
「いや・・・いや・・・いや・・・どうなんだ・・・それは・・・」
いいよとは簡単に答えられない。
難しい問題だった。
ナシュアは表向き上で、役職が無い上に身分がない。
本来は、ニアーク家の当主であるが、過去にその身分を剥奪して、身分としてはメイドに近い状態である。
だから、難しい。それにニアーク家もまた弱小であり、格落ちに値する。
いくら貴族などに隔たりのないアーリア王国であっても、元皇族でもあるダーレー家が弱小と結婚するわけにはいかなかった。
ダーレー家の当主たる男が結婚するというのは、何かしらの周りが納得するような強い理由が必要なのである。
「駄目なの?」
「・・・」
「他の人は?」
「ないな」
「じゃあ、ナシュアとは?」
「・・・出来ないな。やっぱり」
答えに間があった事を、フィアは聞き逃さない。
抜け目のない少女なのだ。
「なんで?」
「複雑だ。あいつと俺だとな」
「なんで?」
「だから・・・」
このだからの続きがなかなか出て来ない。
フィアは畳みかける。
「嫌いなの?」
「いや」
「好きでしょ」
「まあな」
「じゃあ、いいじゃん。悩む必要ないじゃん」
「ここらは複雑なんだ。フィア。悪いが・・・」
ジークの歯切れの悪さにしびれを切らした。
フィアは四人の兄弟の中で、最も短気である。
あのレベッカよりも短気なのだ。
しかし、怒った場合が感情的ではない。
理性的に怒る。
「じゃあ、フィー。帰る」
「ん?」
「フュンお父さんの所に帰る」
「な!?」
「ここにお母さんがいないなら、シルヴィアお母さんの所に戻る。ここにジーク様だけだと寂しいもん。フィーはお母さんが欲しいの。ここにも欲しいの!」
「帰るなんて駄目だ!」
「じゃあ、ナシュアがお母さんになって欲しい! ナシュアが、お母さんになってくれたら、フィーは帰らない!」
「ぐっ・・・フィア・・・無理を言うな・・・」
ジークが口で押される所など見た事がない。
影で彼の護衛していたフィックスが笑ってしまう。
「ぷぷぷぷ」
フィックスが表に出てきた。
「ん! フィックス!!!」
ジークが振り返る。
「あ。やべ」
フィックスが影から出てきたことで、フィアは喜んで、そちらに話しかけにいく。
「フィックス」
「なんでしょう。お嬢」
「いいよね。ナシュアがお母さんになっても」
「ええ。もちろん。いいっすよね。姉御がお嬢のお母さんになってもね」
ジークの腕から飛び降りたフィアは、フィックスの胸に飛び込むと、そのまま抱っこされた。
「そうだよね。フィックス。大好き」
「ええ。俺もっすよ」
二人は気が合う。
「ねえ。お嬢」
「なに?」
「旦那がケチだから、結婚しないんすよ。知ってました?」
「そうなんだ。ケチなんだ! ジーク様。ケチ!!」
フィックスに乗っかっているフリで、ジークを馬鹿にする。
フィアは、策士である。
「ぐっ・・・フィックス。てめえ」
ジークが怒りかけても、フィアはまだ続ける。
「ジーク様。フィー。帰るよ。ここで決めて!」
「なに? ここでだと」
さっきまでのフィアは、真っ直ぐジークを見ていたのに、ここでフィックスを見た。
視線を切り替えて、脅しにかかる。
態度すらも交渉材料にする。
「フィックス。ここでジーク様が、うんって言わなかったら、王都アーリアに連れて行って。お家に帰るもん」
「いいっすよ。お連れしやしょう」
「ありがとう」
悪だくみ二人組の脅迫に、屈してはいけない。
しかし、実際に帰られても困る。
ダーレーを継いでもらわないといけないのだ。
「承諾は・・」
「出来ないって言ったら本気で帰る」
フィアの顔から笑顔が消えた。
真剣な顔は、フュンやシルヴィアの本気の顔と変わらなかった。
威圧感のある表情で、ジークを見つめてきた。
表情の変わりよう、視線の送り方、全てが巧みであった。
フィア・ダーレー。
十三騎士の一家ダーレー家の当主。
目的の為ならば、手段を選ばない。
たとえ、家族であっても脅しにかける鬼才である。
あの口の上手いジークにさえも、政治的駆け引きをしてくるのだ。
そしてなによりも駆け引きが上手い。痛い所を突いて来る。
「はぁ・・・しょうがない。結婚するか。それじゃあ、許可を取りに行く。フュン君たちと、ナシュアにな。悪いが時間をくれ。フィア」
「駄目!」
「は?」
「時間はあげない。今、決めてほしい。ほら!」
「なに!?」
フィアが指差したところにナシュアが来ていた。
彼女はフィアを探し回った所だった。
「ジーク様」
今の話を聞いていたナシュアは止まっていた。
嬉しさと困惑で一杯一杯だった。
「ナシュア・・・そうだな。悪い。今まで悪かった。遅くなったけど、結婚してくれるか」
「え・・・え?」
「ああ、まあ。そうだよな。一緒にいるのが当たり前だったから、改めて言うのも変だけど。一緒になろうか。どうだろう」
「・・それは・・・よろしいので。私は良いのですが。ダーレーの家が・・・ダーレーの権威が・・・」
「ああ。いいだろうよ。たぶんさ。あとはフュン君とかがなんとかしてくれるだろ。ナシュアの身分とかはさ」
フュンならば、帝国の時に遡り、ニアーク家に戻してくれるかもしれない。
それで身分を強引に上げる事で、地位を得た状態にしてダーレーに迷惑が掛からないようにしてくれるだろう。
ジークは計算をして承諾をしたのだ。
そしてその計算を上回る提案をしたのがフィアであった。
「そこは絶対にいいんだよ。ジーク様ね。ダーレーは、フィーが継ぐんだもん。それよりも、もうフィーを当主にしてしまえば、ジーク様。自由だよ。ナシュアと結婚したっていいよ」
「・・・なるほど。その手があったか」
当主じゃなければ、誰と結婚してもいいだろう。
その計算を瞬時にしてくるフィア。
天才的なセンスを持っているかもしれない。
とジークは妙に納得してしまった。
「うん。そしたらね。血が繋がらないフィーだから、誰にも文句は言わせないんだよ。それにね、文句を言ってくるような人間はぶっ潰す。二度と口を聞けないようにするから、安心だ」
「おいおい。やめてくれよ。それはさ・・・」
笑顔のまま、恐ろしい事を言う。
フィア・ダーレー。
誰が何と言おうとやりたい事をやり遂げる。
邪魔する者は、必ず追い落とす。
不敵なジークハイド・ダーレーの娘である。
こうして、ジークとナシュアは結婚出来た。
ナシュアは、この後フィアの母として、幸せな家庭を築いて、思いもしなかった結婚生活を過ごせたのだ。
全てはフィア・ダーレーの思いのままであったが、この家族が幸せになれたのだから良かったのだろうという見解が残っている。
フィアは、四姉弟の末っ子です。
親からも愛を受け、ジークたちからも愛を受け、兄弟たちからも可愛がられています。
これらの愛情をもらったことで、真っ直ぐに育った子です。
それがなければ、若干怖いかもしれませんね。
もしかしたら内乱を起こすような二代目アインの親族となったのかもしれません。
やりたい事に一直線。そして邪魔するものは許さない。
少し危うい感じがありますが、彼女は意外と周りが見えていたりします。
その話も後に出てきますので、悪人ではないので安心して下さい。
ジークとナシュアの二人は、作中ではあまり語っていませんが、ほぼ夫婦のようなものでした。
ただ、ナシュアはあの時ミランダの指示通りに当主の座から降りているので、影の存在に徹していたために、結婚が出来ずにいました。
ジークが、してくれっとも言えず。
ナシュアが、してほしいっとも言えない。
そんな関係であったのがジークとナシュアでした。
そこがじれったいようでも、フュンは二人の意思を尊重していて、結婚の話を強引には進めず見守る形を取っていたのに、フィアはそこを無視して、自分のやりたいように動かしたのです。
行動の結果としては、フィアの方が良かったのかもしれません。




