第170話 どんなに偉くなろうとも、全く変わらない男
帝国歴537年10月
リリーガは、徐々に拡大し始めていた。
そして、ギリダートは徐々に縮小を始めていた。
最終的にはギリダートの西部分に兵士訓練所だけを残して、ほとんどの施設を東に移動させて、王都アーリアとしていく。
来れの目的は、ギリダートが、少しだけ湖から離れているためだった。
これらの建築作業により湖を中心にして大都市にしていくのである。
そして、今は、ギリダートの人々の約三分の一の人口が、拡大していくリリーガの方に暮らしていて、王都アーリアとしての融合を目指す方向を示していた。
その中には様々な施設や会社などが構築されていき、メイフィアもそれに伴って本社を移設したのだ。
◇
リリーガにある本店にフュンが出社する。
「あら、皆さん。今日もお綺麗ですね。お元気ですか」
出社して早々、皆への挨拶が第一声だ。
「わああ、フュン様」「大元帥」
「きゃあああ」「今度王様になるのよ」
「カッコいい・・・」
と同じ会社内でも絶大な人気を誇るフュンは、出社する度に黄色い歓声が上がる。
「お元気そうですね。ええ、よかった。よかった」
そんな声にも浮かれもせずに、いつも淡々と皆の顔色だけを見ている。
この態度こそが、彼女らからの人気を爆発させる要因でもあった。
ここで、どうもどうもなど、調子に乗っていたら、彼女たちも白けているだろう。
素っ気なく見えながらも優しい態度であるのが、絶妙に良いらしい。
絶大な人気があるのだ。
◇
開店早々で、お客さんが声を掛けてきた。
「フュン様!?」
お客さんはフュンの顔を見て驚いた。
「あ。はい・・・ああ、あなたは、ここを利用してくれていたのですね。どうです。ここ?」
この女性をどこかで見た事がある。
フュンは会話をしながら、一瞬で女性の名前まで思い出した。
「え、私を知っているのですか。お会いしたことが無いのですけど・・・あれ? 会ってたのかな。いやそれはお見かけしたくらいで・・・」
女性の方が悩んでいた。
お見かけするのは当たり前、ふらふらっと買い物している姿を何回か目撃しているのだ。
「ええ、もちろん。直接は会ってませんよ。でも知ってます。リオルさんの奥さんじゃないんですか?」
リオル。
レベッカが失礼を働いてしまった時の指導官の男性だ。
「なぜ、夫の名を・・え、どうして」
「ああ。二度ね。僕はリオルさんに会っていますので、あなたのお名前もお顔も見せてもらいましたから、覚えていますよ。あの時は彼女さんでしたような・・・たぶん。プロポーズするんだって言ってたような・・・」
「お。夫に会っている!? て、敵だったのに?」
「ええ。写真で見てますよ! あの時もお綺麗でしたけど、今も変わらずにお綺麗ですよ」
当時、写真を撮る事は貴重で、よほど彼女を大切にしているのだとフュンは思っていた。
だからこそ、彼は覚えていたのである。
「え、でも・・」
一般人の名前なんて、お偉い人には関係ないだろう。
それに、夫はただのネアルの兵を訓練する人間。
それを覚えているなんてどんな記憶力なのだろうかと、フルメルは驚いていた。
「僕ね。唯一の特技なんですよ」
「唯一ですか?」
「はい。唯一。人の名前と顔を覚えるのが得意みたいで。フルメルさんですよね?」
「は、はい。そうです」
「ええ。よかった、合ってますね。得意って言っておきながら外したら恥ずかしいですもんね」
「ハハハ。そうですね」
フュンの明るい接客は女性の心まで明るくさせる。
しかしこの接客。
商売上手というよりも人たらしなのが逆に厄介である。
話していく内に熱烈なファンになってしまい、結局は余計な物まで買ってしまうからだ。
ちょっとした善の詐欺師と言ってもいい。
「それで、フルメルさんは何の御用で?」
「それが、手の調子と、旦那に何か買ってあげようかと傷が多いみたいで」
「おお! 手ですか。どれどれ。ちょっといいですか」
「あ、はい」
フュンが手を触ると、フルメルの頬が赤くなる。
まじまじと真剣に見ているフュンがカッコよかった。
それと、周りからの視線が痛い気がする。
フュン様が・・・フュン様が・・・ずるい・・・いいな・・・
という声が聞こえなくもない。
「なるほど。これは・・・最近お子さん産まれました?」
「え。なぜそれを」
「ええ。これはお母さんの手ですね。良いお母さんですね。お子さんの為に色々としてあげているみたいで、うんうん」
明確な根拠もないのに、フュンは彼女の手をそうやって褒めた。
「それじゃあ、ここのハンドクリームも買ってもらって、あとは。旦那さんには、この男性用のボディソープが良いと思いますよ。今、リオルさんって、どこにいます? まだ近衛兵に?」
「いいえ。今はギリダートの西の施設を警備して、そこで訓練兵を鍛えてます」
「そうですか。ならちょうどいい。あそこは訓練が激しいんで、傷を治すにもちょっと強めの男性用がいいでしょう。肌が弱かったら女性用がいいんですけどね。リオルさんなら大丈夫でしょ?」
「は、はい。大丈夫だと思います」
「ええ。それじゃ、その二つを買うといいですよ」
ニコッと笑われたら、買うしかない。
フルメルは、おススメされた商品を手に取って、お会計をした。
その去り際。
手を振り続けるフュンに向かってフルメルは感謝する。
「フュン様、ありがとうございます」
「ええ。お元気で。お子さんにも、よろしく言っておいてください」
「あ。はい」
まだ生まれたばかりなんですけど。
とは言えずに晴れ晴れとした気持ちでフルメルは、フュンと別れた。
この周りにいた従業員は。
『相変わらずの接客。一人目から無理なく商品を二つも買わせることが出来るのはフュンしかいない』
と思っていたのである。
◇
しばらく仕事をしていると、店長から声を掛けられる。
「フュン様。そろそろ別のお仕事があるのでは? 大丈夫ですか?」
「あ、はい。そうですね。そろそろ外に行きますかね」
「はい。また来て頂ければ、いつでも待っています」
「そうですか。ネイビーさん。それじゃあまた」
「はい。ありがとうございました」
フュンが去った後。
ネイビーは、店員と話す。
「店長。なんでこちらから返しちゃうんですか。せっかくフュン様が来てくれたのに」
「あなた。これを見てください・・・この列。これ以上人が来たら、私たちが死にますよ」
ネイビーは、お店の中の列じゃなく、外の列を指差した。
集客力が異常すぎて、お店のキャパシティを超える人が集まっていたのだ。
「あ!? いや、これは凄い人だ」
「だから周知させます。フュン様。どこまで行きましたか」
どこかへ向かって歩いているフュンを探せとの指示だった。
「えっと、大通りの方に行きました」
店員は、お店の窓ガラスから、住民に話しかけらながらも前へ進んでいくフュンを発見した。
「では、声は届きませんね」
「声?」
「ええ。いきますよ」
ネイビーは人をかき分けて、お店の外に出た。
「皆さん。本日のフュン様はですね。お仕事が終わりました。今日はもういらっしゃらないので、フュン様目当ての方は、お帰りになられても結構です~。今度また来てくださいね」
と言うと、大体半分くらいのお客さんが帰っていく。
それでも通常時の二倍以上の客が残るので、ここで働く者にとっては、とても大変な事になるのであった。
商売の神でもあるフュン。
しかし、残業をもたらす悪魔とも言われるのがフュンなのだ。
だから適度なタイミングで帰ってもらい、適切な量のお客さんに調整しなければならないのである。
これはフュンも知らない事実である。
「フュン様は、素晴らしい御方で、大好きなんですけどね・・・来てもらっても大変なんですよね。今日も残業確定です」
ネイビーの気苦労は絶えないのであった。
◇
大通りを普通に歩いても、フュンはいつもと変わらない。
周りの人に笑顔を振りまいている。
「大元帥。これどう!」
屋台のおじさんが、フュンを手招きした。
「へ~。これって、なんです? 独特の形なんですけど」
フュンはペンを持った。
「ペンだよ。ただ、インクが中に入っていて、ここのボタンを押すと、インクが出てきて、そのまま使えるって代物だよ」
「へえ。外からインクを付け足さなくていいって奴ですね」
「そうそう」
「面白い発想ですね。これ、誰が作っているんです?」
「わからない。俺もこれをお薦めされて、輸入したんだ」
「ふ~ん・・・どこから?」
「王国です」
露店の店長は、西を指差した。
「あっちですか。なるほどね。これは調べた方がいいかな。そうだ。これ、買いますね」
「ありがとうございます」
「お金・・あ、持ってないや。それじゃあ、クリスに言ってください。値段を少し高めにしていいです。後払いになりますからね」
「わ、わかりました」
「うん。ではありがとう」
「またのお越しを~。フュン様~」
こうして普通にふらふらっと買い物にフュンは現れるのであった。
◇
その帰り。
「ニール。ルージュ」
影から二人が出現した。
「「殿下!」」
「うん。これを」
ポンと、二人の前にペンを軽く投げる。
くるくると回っている間にニールがキャッチした。
「殿下? なにこれ?」
「ええ。ペンらしいです。それとこの物の発想よりも。形状を変えるセンス。あの武装に応用したいんですよね」
フュンはとある物の事が頭に浮かんでいる。
「それで、これの作成者を探してください。影を使っていいです」
「「探す?」」
「ええ。それ程器用な方には、国家の仕事を任せたい。器用な人は貴重だ。欲しい人材はなにも戦闘だけではないのですよ」
「わかった」「探してくる」
「ええ。お願いします」
フュンはこうして何気ない日常を大切にしている。
だからこそ彼は誰よりも強かったのかもしれない。
日々を大切にしているから、色々な事に気付いていくのだ。




