第163話 時を超えていく。ミランダ・ウォーカーの功績
「ごふっ。がっ」
シルヴィアが飲んだはずの薬の青い液体を吐いた。
「これは、良い事なのでしょうか。そのまま吐いてしまいましたよ」
ソロンの声に。
「これでいい。反応有りの証拠だ。解毒が始まっているかもしれない。傷口にもこれをかけているから、体の中には毒が回っていない可能性がある。腕を落としたのが正解だったかもしれない」
ギルバーンが答える。
「本当ですか」
クリスの問いにもギルバーンが答える。
「ああ。これは反応的には有りなんだ。毒に反応せずに嘔吐したと思っていい。これを吐かないで、そのまま受け入れているのであれば、臓器にまで浸透していることになる。そうなれば後はもう中身が腐っちまうだけ。だから、安心ではある。そのまま吐き出したことが逆にな。余分な分を吐いていると思っていい。結構、この薬も劇薬なんだ」
「そ、そうですか。ならば。陛下は」
「まだ油断はできないけどな。助かる可能性が大になったと見ていい。メイファ」
ギルバーンの後ろにいるメイファが返事を返す。
「なに?」
「念のため。もう一本くれ。まだあるか」
「ええ。あるけど。最後の一本よ。あれのストックだけは、そんなに持ってなかったからね。普段でも数を持ち歩かないでしょ。あなた」
「そうだ。けど一本頼む」
「わかったわ」
彼女はもう一度移動し始めた。
「あなたが、なぜこのような医療道具を」
クリスが聞いても、ギルバーンは即座に答えてくれる。
「説明はするから、その前に止血を完璧にしよう。失血死だけは避けないと駄目だ」
「ええ。わかりました。やりましょう」
リンドーアに運ぶ時間もないので、二人は彼女の腕を焼くことに決めた。
シルヴィアの肩の根元から、やけどで止める気なのだ。
その準備の間。
「俺は、ナボルの研究機関で、情報を得ていた。あの毒もその中の一環で得たものだ」
「なるほど。この強烈な毒もですか?」
「ああ。これはナボル最大の毒だ。でも使用しなかった毒であってな。アレアの花を煮込み続けて、ロミオルトという花も別で煮込む。そして、1:2の割合で混ぜて完成する。だけど、超危険な毒で、使用すれば死ぬ確率が高い。猛毒なんだ。毒を完成させたのにナボルが使用しなかったのはそれが初だと言われている」
「そうですか。そんなものが」
「ああ。厄介なものを生み出しやがって・・・でも、解毒薬を持っていてよかった。戦いの度に念のために持っていたからな。俺に薬液の持ち歩きの癖があってよかった」
ギルバーンは苦い顔をして、シルヴィアの様子を見ていた。
意識はかろうじてあると思う。
薬を吐いた時と、腕を焼く時に、体の反応が少しだけあったからだ。
「あとは、シルヴィア殿の体力次第・・・」
「そうですか」
「ん。ここにいたフュン様は?」
「そうだ。フュン様!」
二人が後ろを振り向いた。
フュンは怒りに満ちていた。
ノインの前に立ち、脇差を持つ。
「貴様・・・貴様が・・・殺す、勝手に死ぬなんて許さん」
太陽の人とは思えない激しい怒りで、恐ろしく冷たい声をしていた。
「ふっ。貴様が太陽だと・・・どこがだ。簡単に心が、黒に染まるような男に、太陽など務まるはずがない。私が相応しい」
「そもそも僕は、太陽なんかじゃない。皆の言うような善人だったら、戦争なんてしないし、今ここで貴様を殺そうとはしない。弟だって殺したりしない!・・・だから、僕は僕だ。許さない。僕は絶対に許さないぞ。貴様は死ね! よくも、先生とシルヴィアを」
フュンの刃が、ノインの首に入る直前、槍が間に入った。
二つの武器は拮抗もせずにフュンの攻撃の方が弾かれる。
「殿下。お待ちを」
「ゼファー! どきなさい」
「いいえ。この男を殺すのは、殿下ではない」
「?」
「あなたの手は美しいものを愛でるためにあるのです。これからを生きる者にこそ、あなたの手が必要なのです。このような薄汚れた者の血を浴びてはいけません。死にゆく者に、わざわざ救いの手を差し伸べてはいけません。それにここで。こ奴に死を与えるのは、救済となる!」
フュンの攻撃を弾いて流れていた槍だったのに、次の瞬間には、ゼファーが握りやすいように持ち替わっていた。
槍先が向いている方向はフュンではなく、ノインである。
「ミラ先生。それとシルヴィア様を狙ったこの男。万死に値する。よって苦しまずに死なせるなんて惜しい」
ゼファーは一瞬で、槍を振り降ろしていた。
敵の右腕以外の四肢を細かく貫く。
「ぐあっ。き、貴様。ぜ、ゼファー!」
「毒をもらっているようなのに、痛みがあるとは・・・死にぞこないなのに不思議だな・・・ギルバーン!」
怒りのゼファーはギルバーンを呼んだ。
「・・ん?」
「その薬。余らないのか」
「・・・そうだな。余らせてもいいだろう。完全に治るくらいの量は飲ませている」
「ならば、こやつに飲ませられないか」
「なに?」
「死んでもらっても困る・・・こ奴には、苦しんで死んでもらわねば、我は気が済まん」
「なるほど。わかった。俺がやろう」
ギルバーンが余った薬を使って、ノインを助け出した。
「き、貴様・・・ヒスバーン。裏切ったのか」
「まだ言ってんのか? こいつはよ」
「ナボルの貴様が! なぜそちら側に」
「ナボル? 俺は最初からナボルじゃねえ。お前らの事なんてな。仲間だと一回も思ったことがない。というよりもだ。くそが。こんな事になるなら、俺はお前を殺せばよかったと、心底後悔している。本当に申し訳ない。ミランダ殿に謝って済む問題じゃない・・・・くそ」
ギルバーンが珍しくも悔しがっていた。
「もっと早く殺しておけば・・・俺の判断が間違いだった。貴様なんかを生かしたのがな。間違いだった・・・お前には、この戦争が終わった後に、フュン様の栄光を見せつけて、どん底にまで落ちてもらい、後悔して死んでもらおうと思っていたのに・・逆に俺が後悔するとは・・・時間を与えた事が間違いだったな。俺は親父の為に動き過ぎた。復讐に囚われてしまったってわけだな・・・俺は情けない」
殺せるときに殺すべきだった。
ギルバーンの後悔はここにある。
「手。そして、首か」
ノインの皮膚が崩れている。
毒の成分がそこから入っていた。
でも範囲が小さいので、まだ助ける事が出来る。
「これをぶっかければ、大体が成功する。その程度の触れ具合ならな。まだ間に合う。でも飲め。なんとしてでも助けて、そして殺す」
「なに!? そんなわけは。この毒は解毒不可なはず」
「いいや、出来る。これだけは研究できたからな。ソフィア様の解毒方法を参考にしているからな。これでお前を助けるぜ。肉体的にはな。ただし、精神的には死んでもらう」
ギルバーンが言葉だけじゃなく、顔でもノインを威圧した。
これ以上は言わせない。
それくらいに気迫のある表情だった。
「ここはゼファー殿に賛成だ。生かす。生かして殺す。そしてフュン様には、そこと無関係にするんだ。彼には、光の道を進んでもらわねばならない。貴様なんかに、闇に落とされてたまるか!」
液体をかけていくギルバーンの言葉に、ゼファーは頷いていた。
フュンには復讐のために、闇の道を歩んでほしくない。
殺すのであれば、自分たちが殺る。
手を黒く染めるにしても、その役割は何もフュンがやるべきではない。
「二人とも、どきなさい」
「殿下。我らはこ奴よりも・・・」
ゼファーの悲しそうな顔の視線の先。
そこにはミランダがいた。
「・・・・」
「殿下」
「・・・・ええ、そうですね」
どんなに怒っていても、どんなに悲しくても、ゼファーの思いに気付いて、そしてミランダへの思いに揺り動かされる。
フュンは何があろうとフュンであった。
ミランダのそばに来た。
「先生・・・ミラ先生・・・」
本当に死んでいるのか。疑心暗鬼のまま手を握る。
だが反応がなかった。
それに冷たくなり始めていた。ぬくもりが消えていく。
「せ、先生・・・あなたのおかげで、シルヴィアが何とか助かりそうです・・・でも、僕にはまだ・・・まだ先生が必要なんですよ。なんで死んじゃったんですか・・・先生。どうして・・・先生」
英雄の師『ミランダ・ウォーカー』
彼女の最後は戦場ではなく、暗殺。
それも皇帝暗殺事件となる事件を防いだことで死んだのだ。
戦いに生きた女性の最後が戦い以外になるとは、誰も想像が出来ない事だった。
でも皇帝の為に死ぬというのは誰もが想像できたことだった。
ミランダにとってシルヴィアとは、妹であり、娘のような存在であったから。
それにシルクらから託されている大事な人であるのだ。
そしてミランダの戦友となるウォーカー隊の生き残りとは、これにてエリナとマール。サブロウとマサムネのみになる。
影じゃないエリナとマールは、ミランダとの約束を守るために、サナリアにいる者たちと、ハスラにいる者たちの長となり続けるのであった。
「よくねえ・・・よくねえけど。お嬢が助かるなら、こいつは満足だろ」
「ミラ。よくやったですぜ・・・本当にお嬢の為に死ねるとはな。ミラは繋いだですぜ。そして、あっしらはそれを守るですぜ」
二人がミランダに声を掛けた後。
遅れてサブロウとマサムネも来た。
「おい。ミラぞ・・・おいらたちを置いていったかぞ・・・しょうがない奴だぞな。勝手に皆を集めておいて・・・勝手に一人でどこか行くなんてぞ。最後まで一緒にいろぞな」
「は・・・馬鹿が・・・俺の旅の話、聞いてくれるんじゃないのかよ」
二人の後に双子も来た。
「おい」「ミラ」
「どうした」「起きろ」
「ミラがいないなんて」「つまらん」
二人の無垢な声に涙するエリナは、フュンの肩に手を置いてくれて。
「フュン。お前も泣け。ここは思う存分泣いていいんだ。でもな、こいつの事は何で死んだんだって責めないでくれ。よくやったって、褒めてやってくれよ。最期にお嬢を守ったんだ」
共に泣いてくれた。
自分たちはフュンに必要な人間であるべき。
ミランダから言われたことを守ろうとした。
「はい。エリナ、分かりました」
フュンは、毒を浴びていても穏やかな顔をして亡くなったミランダを見た。
「・・・先生・・・先生のおかげで、僕は・・・いや、僕とゼファーは生きています。もし先生が帝国にいなかったら・・・僕らはもうこの世に存在しないですよ。とっくの昔に死んでいます。ありがとうございました。先生。ずっと大好きですよ。ミラ先生・・・僕らは先生を忘れません。絶対に忘れません・・・僕が死んだって忘れてあげませんからね・・・覚悟していてくださいよ。僕はしつこいです。あの世で文句を言わないでくださいよ」
大粒の涙を流すフュンの後ろで、ゼファーも片手で槍を持ちながら、もう片方の手で両目を押さえていた。
フュンやゼファーにとって、ミランダは子供の頃から鍛え上げてくれた人で、あの英雄の師ゼクスよりも長く育ててくれた人である。
ここまで大きくなれたのも彼女のおかげ。
尊敬だけでは足りない。
感謝だけでも足りない。
彼女がいたからこそ、二人とも、ここまで生きて来られた。
数々の英雄たちを育てた偉大な指導者。
それが、ミランダ・ウォーカーという女性であった。
彼女がいなければ、このアーリア大陸に、過去も現在も未来もない。
この激動続きの時代を跨って活躍したのは、間違いなくミランダだけ。
そして何より、次の時代を支える事になる英雄たちのほとんどが、彼女が育てた弟子たちなのだ。
その身一つで、ダーレー家を支えていた悪童ミランダが、アーリア大陸に一番欠かせない人物であった。




