第125話 8月17日 逃げの一手
ルクセントの城壁の上にいるノインは、タイムの完璧な包囲陣に驚いていた。
無理のない位置で、絶妙な距離感での包囲。
攻撃してくるわけでもなく、かと言っても守勢に回っているわけでもない。
「この男、地味だが・・・よく考えている。穴がないな。これは敵を閉じ込めたままなら、それでいいという考えだな」
この都市にあなたを封じていれば、それで良し。
タイムの立場から逆算してノインは相手を理解したのだ。
「閣下」
「ん?」
「東から軍が」
「味方か!?」
「いいえ。それが敵でして」
「敵だと!?」
「はい。おそらくはビスタの軍を攻めてきた軍かと。特徴から言ってシンドラ軍だという話です」
「馬鹿な・・・ビスタが落ちたというのか。それにここまでに、門が二つもあるのに・・・あっという間に落ちたという事か。あのビスタが!?」
シンドラの軍がこちらに来たのなら、味方の敗北は確定だろう。
さらに、戦場が苦しくなっていく。
これはどこからも援軍が来ない事が示唆される事態だ。
ここが絶体絶命だと思うノインは、このままここで防衛し続けても負けであると思った。
ならばどこかで玉砕覚悟で倒すしかないと作戦を一から計算し始めた。
「やるしかないか。あの男の所にでもいって、タイムとかいう男を殺せば・・・」
大将を倒せば、まだ勝機はあるかもしれない。
影となり強襲攻撃をしようと思ったその時、光と共にとある人物が現れる。
出現したのに、じ~っと黙っている男性が、ノインの前で咳払いをした。
「だ、だれだ。貴様。敵か」
「…知らん」
「敵じゃない?」
「…それも知らん」
会話のテンポが、ワンテンポ遅い。
言葉の前に一呼吸がある。
「知らんとは何だ。貴様、何者だ」
「…おらは……おらって、いったい何者なんだろ?」
「は? 馬鹿か貴様。なぜ、自分を知らんのだ。それより名を名乗れ。突然ここに来るとは、不敬だろ」
「…おめさんに名乗ってもいいんだろうか……それが分からないから、今はやめとくべ」
「なんだと」
「…おらにも事情がある。言えん!」
「貴様の事情など知るか。名を言え」
「……おめさんに言う必要がない!」
「のらりくらりと・・・貴様ぁ、斬る」
ノインは怒りに身を任せて、男性を斬りにいった。
全力の移動。一瞬で間合いを詰めて、男の頭上から剣を叩き落とそうとしたら。
「…ん! おめさん。短気だな。聞いていた通りだ」
「な、なに!? 躱すんじゃなく、消えただと!?」
目の前の男性が淡い光と共に消えていった。
影の力を持つノインから姿を隠すなど、相当な実力者だった。
「光・・・まさか。太陽の戦士か」
「…おら、太陽の戦士じゃないぞ。おらは……これも内緒だからやめとく」
もったいぶっている男は、懐から手紙を取り出した。
「ほれ。おめさんに」
謎の男性は、ピッと人差し指で手紙を弾いて飛ばした。
「お!?」
ノインは、丁度胸元に飛んできた手紙を受け取った。
「これは・・・ヒスバーンの手紙か!?」
「……それじゃあ、おらはこれで」
「ま、待て・・・貴様。ヒスバーンの部下か」
「…部下!?」
今まで怒った表情を一つも見せていなかった男が、不快感を露わにした。
眉間にしわを寄せて答える。
「…おらは部下じゃねえ。同士だ……舐めるなよ。雑魚の片割れ」
「なに、雑魚だと!?」
「…おらは、同士の中で一番の偵察兵。ショーン・ダイマーだ。おめえのような奴と彼が同格だと思うなよ。天から地へと落ちた男よ。おめえ程度が太陽のはずがねえべ」
と言ってショーンは光と共に姿を消した。
「・・・な、なんだ。同士? 片割れ? どういうことだ・・・」
握りしめた手紙を持ったままノインは消えた先をしばらく呆然と見ていた。
◇
手紙に書かれていた情報は二つ。
置かれている状況がこちらからは読めないので、ヒスバーンは二択を用意していた。
まず、ひとつめ。
囲まれていても攻撃が可能だと思った場合。
それは実行しても良い。例えば、敵の大将に強襲攻撃を仕掛けるなどだ。
これは、ノインも考えていた手だった。
今で言うと、タイムに対して突撃をすることが有効な手である。
影の力で強襲するのが強い。
ただし、今現在の状況では、これが成功しにくい事が確定している。
それは敵の増援が来たことにより、難しくなっていた。
四方の兵が増えてしまい、防御が硬くなっている。
だから、ノインは二つ目の指令を実行しようとした。
それは、撤退である。
しかも・・・。
「俺だけが、撤退・・・か」
味方を残して、自分だけが撤退。
ここでの防衛をし続けるよりも、フュンたちとの直接対決を行った方がいいのではないかとの提案だった。
戦える機会は、リンドーアにある。
ヒスバーンの考えではそのような事が書かれていた。
最終決戦場は王都にあるから、ここは大人しく引いた方がいいとの事。
それに、帝国軍は捕虜にする際に、無駄に戦って王国兵を殺すことをしないので、素直に降伏すれば皆が生き残れるはずだとの指示がヒスバーンの手紙にあった。
「たしかに。これならば、ここの兵士たちも無事でいられる。そして俺だけが助かる・・・」
しかし、それが情けない。
かつては、トゥーリーズ家の当主を務めた事がある家の者が、おめおめと敵に敗北し、戦わずして血も流さずに逃げのびるなど、恥ずかしくて先祖に顔向けが出来ないと思ったのだ。
「閣下。その作戦を取った方がいいですよ。私が後処理をしましょう」
「・・・モリアス・・・しかしだな」
「閣下の力。それが必要だから、呼ばれたんでしょう。急いでここから脱出した方がいい」
「・・・そうだな。ここは汚名を・・・ここでもらっても、次に勝つしかない・・・か」
「そうです。頑張ってください。閣下。ここより勝利を願っています」
「わかった。モリアス。無理はするなよ」
「はい」
ノインは部下にそのような言葉を掛けて、脱出した。
◇
「タイム」
タイムの隣で腕組みをして立つリエスタが、城壁を見上げていた。
「リエスタ様? どうしました」
自分を見ないリエスタに、タイムは首を傾げながら答えた。
「動いた」
「え?」
「あの動きは影じゃないか」
「ど、どこですか」
「感じるな。見えないが感じる」
リエスタは、城壁の上で気配が一つ動いたのに気付いた。
上から下に壁を使って降りている。
「脱走か・・・タイム。ここの影はノインだけだろ」
「そうですね。情報によれば、ガイナルとビスタ周辺には、少数の影がいるらしいですが、こちらは元々守るのが主体らしく、偵察することに重点を置いていないみたいですからね。ノインだけかと思います」
「そうだろ。だったら、やはり、あれがノインだろう。タイム。追いかけてもいいか」
「・・・いいでしょう。ですが、無理は禁物ですよ」
「よし。わかった。私が出る」
リエスタは猛烈な勢いで影を追いかけて、その姿を見失わないようにタイムも、リエスタの背中を懸命に追いかけた。
◇
「これで、俺が逃げる事になるか・・・くっ。すまないな」
ノインは北門の下で呟いた。
悔しさを押し殺しても、今は次の決戦に参加することを優先した。
リンドーアを目指すために北西を進もうと動いて、しばらく経った時・・・。
「どこへ行く。貴様がノインだろ」
「ん!?」
ノインは、声のする方を向くと、自分と足並みを揃えて並走してきた女がいた。
兵士に比べても自分の足は速いと思っていた。
いや、この大陸でも上位クラスの動きが出来ると自負していた。
だが、女はこの速度に難なくついてきていた。
「だ、誰だ・・・」
「名を名乗らん奴に、名を名乗る必要がない」
女が剣に手をかける。その瞬間で攻撃態勢だと気付いたノインは、先に攻撃を仕掛けた。
服の内ポケットにある投げナイフを取り出して放り投げる。
これだけで通常の兵士は気付かない間に眉間にナイフが刺さって死ぬだろう。
それほどの速さでの攻撃だった。
だがしかし、この女性はその攻撃に不意を突かれていない。
ノインは影。
だから姿が見えないだろうに、女は対応する。
「その程度では遅いぞ」
轟音を鳴らして、女は消えた。
地面に彼女の足跡が出来たのを見て、ノインは気付く。
今の音は、この女の移動音なのだと・・・。
「消えた!? 俺が目で追えないだと」
踏み込みの速度が違う。
姿が見えないくらいの速い移動で、分かるのは足跡だけ。
残された足跡が自分の左から右に移動している。
回り込みながらの攻撃を仕掛けてくるらしい。
「くそ。移動をしたいというのに・・・まとわりつきやがって」
「戦わずして、この場から逃げるというのだな、情けない奴め。それと叔父上の今後の戦場を楽にするために、ここで斬っておこう。逃げ腰の奴に、私が負けるはずがない」
「ちっ。馬鹿にしやがって」
次の戦いに参加するために逃げているノインと、フュンの為にここで消しておこうとするリエスタ。
包囲戦からの突然の一騎打ちが始まったのである。




