第213話 マールダ野戦開戦 『飛翔のフィアーナ』
帝国歴524年 6月11日。
マールダ野戦三日目。
フュンは、相手の軍の兵士たちの表情を見て、『お見事』と褒めた。
「素晴らしい。アステル。将として良き将です。それは間違いない」
「領主様?」
「ええ。パース見てください。兵たちの背筋を」
パースは目の前に広がる敵の一人一人を見た。
「はい・・・・ああ、確かに。全然違いますね」
「ええ。素晴らしい。アステル。良き武将です。これは気を引き締めて戦わねば」
初日。
フュンに出鼻をくじかれたシンドラの兵たちは、下を向いていた。
一人の背が猫背のように丸くなっていくと、その隣の人物まで同じようになっていき、どんどんそれらが連鎖していって、意気消沈となった姿が二日前であった。
だがしかし、今日は別である。
敵兵らは顔を上げて、背筋がしっかり伸びた状態で武器を構える者たちの姿でいた。
休息を上手く使って、兵の気持ちをコントロールする能力。
さすがはシンドラの秘宝と呼ばれるだけあって、大将軍としての価値がある!
フュンはそう感じていた。
「では、サブロウ。影の部隊を使って『移動開始』とミラ先生とフィアーナに伝えてください。僕よりも前進してフィアーナが左。ミラ先生が右です」
「おうぞ。やるぞ」
「ええ、お願いします」
相手の騎馬部隊が右にいる。だからフィアーナを左の部隊に配置した。
◇
朝から陣を展開した両軍。
そこから一時間が経って、先に攻撃を仕掛けたのがシンドラ軍であった。
サナリア軍は、防衛が基準となる。
だから後出しで動いた。
彼らの今回の第一目標は、相手を帝都に近寄らせないこと。
だから、こちらから攻勢に出るわけには行かなかった。
敵に迫まられていながらもフュンは冷静に分析する。
今のアステルの狙いは虚をつくことがメイン。
長い待ち時間から、掛け声取らずの攻撃に出る。
老獪さのある攻撃だと、フュンは頭の中で敵を褒めていた。
「バランスがいい。騎馬も突出して進軍をして来ない。これは素晴らしい。堅実で定石型でしょうね。だからこそ。ここは、フィアーナしかいませんね。ではサブロウ丸で信号弾を。赤! 次に黒です」
フュンはパースに信号弾を任せた。
赤、その次に黒の狼煙が上がると、サナリア軍一万五千は全軍で突撃を開始した。
そして、黒の狼煙を見たフィアーナが。
「来たぜ。あたしらだけは全力だ。インディ。加速するぞ」
「やるっス」
「ああ。ついて来い」
「もちろんっス」
先日の雨の影響を受けた。
泥だらけのマールダ平原の中で、フィアーナ部隊が最速の移動を開始した。
サナリア軍から大突出する。
三千の騎馬が猛烈な勢いで、シンドラ軍に近づく。
その走りは、敵の右翼にいた騎馬隊の側面まで一直線であった。
◇
接敵前。
先頭を駆けるフィアーナの指示が出る。
「いいか! この暴れ馬の移動の中でも、弓を射れる奴だけがやるぞ。いいな」
暴れ馬での斉射は、常人の弓使いでは出来ないことだった。
このフィアーナが率いる狩人部隊にしか出来ない離れ業であった。
体が左右だけじゃなく、上下に揺れる感覚が激しい。
両手を手綱から離して弓を射る動作が難しくなる。
しかし、それでも。
「いくぜ。一斉斉射で相手を討つ。いくぞ。放てぇ」
サナリア弓騎兵は、高速移動の最中に矢を放った。
その数は千。
三千いるはずの弓騎兵の内、千の兵士しか矢を射れなかったのだ。
暴れ馬の持つ速度に対応できず、さすがの狩人部隊をもってしても、暴れ馬での全力疾走の騎乗が難しいかを物語っていた。
しかし、その千でも今は十分。
相手の騎馬部隊の先頭集団を蹴散らして、一気にシンドラ騎馬兵の百が負傷した。
「旋回だ。左に旋回しながら走れ! 速度を止めるなよ。後ろ。矢を放てないものは、ナイフを持て。片手なら制御できるはず。投射する構えだけは敵に見せろ。追いつかれないなら投げなくていい」
フィアーナの部隊は、敵の騎馬部隊にはぶつからずに、そのまま左に旋回していく。
戦場から離脱するような動きを見せて、シンドラの騎馬部隊に背を向け始めた。
この瞬間。敵がどう動くのか。
フィアーナは後ろを見ながら馬を御していた。
「来るか。来ないか。それで攻撃が違う。来ないか。これは!」
「来ないっス」
「そうか。インディ。じゃあ、このまま大きく旋回だ。敵の正面に出る」
「了解っす」
インディも後ろを見て敵を確認していた。
体感二倍以上の速さを感じる馬の速度。
いつもの流れる景色が、倍に感じる感覚の中で、フィアーナの部隊は走っていた。
いや、走るという表現は間違いであり、これはまさに飛んでいるようなのだ。
馬が飛ぶようにして走る。
それが、パースが育てた最強の軍馬たちである。
「皆、きついかもしれないが体勢を維持しろ。あたしらは、もう一度敵の頭に行く。矢を用意だ。出来る奴だけでもう一度斉射だ」
速度に振り回されそうになる体を制御しながら、フィアーナの部隊は、左に大きく回転して、馬の速度を緩めずに円を描きながらもう一度、敵の騎馬部隊の正面に出た。
そして、更に矢を放ち、敵を負傷させる。
今度は矢の精密性が上がり、敵を三百負傷させた。
しかも内二百は、騎馬ごと倒したのだ。
「まだだ。まだ回るぞ」
フィアーナの部隊はもう一度同じ行為をする。
敵の騎馬隊付近でグルグル回る気なのだ。
そうやって敵を削りきる気である。
だから、敵はこのままだと、黙って消されるだけだと気付いた。
フィアーナ部隊の好き勝手にはさせまいとして、フィアーナの部隊の最後尾を追いかけ始めた。
「来るか!」
「来てるっス」
「了解だ。全軍か」
「騎馬全部っス」
「よっしゃ来たぜ。野郎ども。旋回中止。あたしに続け。後ろについて来い」
「「おおおおお」」
フィアーナは回ることを止めた。
敵が食いついてきた瞬間、真っ直ぐ戦場から離脱する動きをした。
「速度は落とすべきか。インディ、離れ過ぎか!」
「落とすべきっス。ついて来れないみたいっス」
「了解だ。あたしが落とす。そうすれば軍全体が落ちる」
フィアーナが馬の速度を落とすと、部隊全体の速度が落ちた。
狩人部隊の規律性も高くなっていた。
烏合の衆のようなバラバラの部隊が、まるで普通の軍のような動きをしたのである。
「どこまで来る。そろそろか。あいつら、結構優秀だろ。たぶん、出過ぎるなって指示が来るはずだ」
フィアーナの勘がそう叫んでいる。
敵は釣られたとしても、自分たちの陣の元に引っ込むのではないかと。
完全に後ろを見ているインディが敵の先頭の男を見て気付く。
「手綱! 入れ替えたっス。敵、旋回するっス」
「了解だ。よく見てた、インディ。よくやったぜ」
フィアーナはここで、自分たちも旋回の指示を出した。
敵が回り始めると同時に自分たちも回り始める。
そうなれば、どうなるかというとフィアーナの部隊の方が速いために、敵部隊が回りきる前に、フィアーナの部隊が敵の背後につくのだ。
「いくぜ。全部隊で放つ。つまりは速度を落とせ。いくぞ。一斉斉射だ」
フィアーナの騎馬部隊は、速度を落として矢を放った。
敵の背後。もしくは回りきれない騎馬の側面。
そこに三千の矢が飛んでいく。
馬の速度が落ちたことで、全騎馬部隊で矢を放てる。
フィアーナ部隊の矢は、正確で無慈悲だった。
敵を一人一人葬り去って、馬にもダメージを与える。
馬、人。
両方の全滅を目論むフィアーナ部隊の本来の目的は敵の足を奪うである。
サナリア軍の初戦の第一目標は足であった。
この飛ぶように駆ける馬と。
飛ばす矢が強烈な勢いを持つことで。
フィアーナは『飛翔』と呼ばれた。
この戦争により、名付けられた二つ名が、飛翔のフィアーナである。
「完璧だ。殲滅完了。インディ! 離脱するぞ」
「はいっス」
開戦直後で五千の兵を撃破して、彼女の部隊は即座に戦闘から離脱。
フュンらの本部隊の後ろに帰っていったのだった。
開戦早々。
敵を高速戦闘に巻き込んだサナリア軍。
最初の一撃が華麗に決まったのは良しだが、戦いはまだ始まったばかり。
フュンたちの厳しい勝利条件は、これでもまだ達成されていないのだ。
サナリア軍の真の力は、この戦争から解放された。
今までの蛮族的戦闘のスタイルが一切ない。
元々の個々人が持つ強さを活かしつつ、それに加えて兵士らしい動きが身に着いたことで、より強き軍となったのがサナリア軍。
国家であった時よりも、強大な軍となったのだ。
そして、何よりも凄い事は、兵の一人一人が主フュン・メイダルフィアを信頼している事。
フュンと彼らは強固な絆で結びついている。
サナリア王国が無くなってから、たったの四年で出来た大陸屈指の軍。
それが皇帝陛下直轄軍のサナリア軍である。
陛下が指揮することはないが、帝国を守るために動く軍だと、皆が自覚している。
これらの考え方や強さ。
双方を得るためには、彼ら全員の血の滲むような努力があったとみられる。




