第208話 入り口
ガルナズン帝国。属領シンドラ。
玉座の間で相対している親子がいた。
「お父様。どういう事でしょうか。なぜ、そのような恐れ多い事を? それに、帝国には私がいるのですよ。私はもう・・・この国ではいらないと! そういうことですか! お父様!!」
シンドラの姫君ヒルダ・シンドラは、シンドラの王マーベント・シンドラに強い語気で質問をしたのだが、王は聞くつもりがない。
それどころか、彼女の声の中にある哀しみにも耳を傾ける気がなかった。
言葉を返す王は、無機質な声で宣告する。
「ヒルダ。今のを伝えよ」
「で、できません。私に死ねと申しているのですか」
「伝えよ」
「・・・お、お父様」
父親の非情な通告により、それ以上の言葉を紡げないヒルダ。
顔を上げて父の目を見る。
冷たい。
人を見る目じゃない。
まるで、虫でも見るかのような冷たい目であった。
ここで泣いてすがりついても、何も現状を変えられないだろう。
ヒルダは引き下がるしかなかった。
そして・・・・。
◇
帝国歴 524年 6月2日。
帝都にて。
玉座の間にいるのは、皇帝エイナルフと、シンドラの姫ヒルダのみである。
この二人は極秘で会っていた。
「陛下」
「なんだ。シンドラの姫よ」
「申し訳ありません。私は止めることが出来ませんでした」
跪いたヒルダは頭を深く下げた。
「ん? 何の話だ」
「・・・陛下、シンドラは帝都を攻撃すると」
「なに!?」
「属国からの解放を願って、シンドラは攻撃を開始すると・・・父、マーベント・シンドラが・・・・」
「マーベントめ。あやつ、我が子を!? 娘を使者に使ったというのか。なんてことをしたんだ・・・・・」
人質として帝国に来ている姫を使者にする。
皇帝は、その卑劣で非道な行為に怒っていた。
少し心を落ち着かせて、ヒルダに聞く。
「姫。ここを攻めると聞いたのか」
「はい。そのようであります」
「……軍量や日程など。分かるか?」
「いいえ。それが私はもう・・・あの国ではいらないようでして・・・申し訳ありません・・・なにもわかりません。申し訳ありません・・・追い出されるようにしてこちらに・・・来たもので・・・」
「そうか、わかった」
皇帝はこの瞬間で察した。
自国の情報はヒルダには流さない。
つまりシンドラからの見方だと、帝国側の人間という認識なのだ。
でもだ。
そう見たとしても、いくらなんでも、自分の娘に対する扱いじゃない。
酷すぎだと思っている皇帝は、彼女の悲し気の顔を見て歯ぎしりをしていた。
「姫」
「はい」
「少し待たれよ。余はここで考えたい。よいかな」
「・・はい。お待ちしてます」
この時のヒルダは、死を覚悟していた。
今、帝国は国家存亡をかけた第七次アージス大戦を戦う所。
そのタイミングで、とんでもない裏切りをしようとするシンドラ。
そして今回の何がまずいのかと言うと、シンドラを止めてくれる戦力が他にはいないという事だ。
帝都にいる兵がその攻撃を受け止めないといけないのだ。
あのサナリアの反乱。
あれは、辺境伯フュン・メイダルフィアの大活躍により出来た離れ業である。
サナリアがサナリアの領土で留まった。
帝国に被害のない奇跡的な反乱事件。
しかし今回は違う。
最前線に全ての兵が集結したような形である帝国。
帝都には兵がいるものの他の都市に兵がいない。
シンドラから帝都までの間にある都市は、ドルフィン家が所有するククルがあるのだが、現在ククルはリーガに兵を派兵していて、残った兵が五千程しかない。
それでは帝都を支援することが出来ない。
今のシンドラがどの程度兵力を保有しているのかを知らないヒルダであるが、昔で考えると、五千では止められない。
シンドラは裕福な国なのだ。
川。そこから海へ行ける都市を持ち。
豊かな大地のおかげで、食料が安定して取れて、川と海によって交易路もしっかりしているために経済も強い。
なので、兵力も維持がしやすい。
最低五万は保有できる国家である。
ちなみにヒルダが姫としていた頃は三万である。
しかし、あのマーベントがその程度の兵力で反旗を翻すのか。
三万以上、いや五万以上の兵を派兵するはず・・・。
ヒルダも陛下もそこを考えていた。
「ヒルダ姫。どうする。お主は」
「は、はい。私は人質で・・・」
「そうじゃない。そういうことを聞いているわけではない」
「え?」
ヒルダは畏まった形で頭を下げていたのだが、皇帝の想定外の返答に思わず顔を上げてしまった。
「余は、あなたがどうしたいのかを聞いている」
「私は・・・・何とかしてこの事態を治めたく。ですが、力及ばずで。このままでは私は死ぬしか・・・責任は取れないかと・・・」
「うむ。たしかにその通りだ。だがな。それはそなたのせいではないだろう」
「いえ。母国の罪は。私の責任」
「・・・律儀だな。そなたも。フュンも・・・」
エイナルフは、フュンの時を思い出していた。
彼もまた自分が死んでもいいけど、シルヴィアの為に生きると言って無茶をしたのだ。
あの条件だって相当な無茶な条件だ。
軍なしで、サナリア軍を止めるという条件。
あれは我ながら不可能だと思った。
出した張本人であるけども、無理にも程があると今でも思ってしまうくらいだ。
食い止めることが出来たから、今では笑って済ませられる話となっただけだ。
そして、今の彼女も彼と似たような者だろう。
何遍もの説得を試みたのだが、実の父に跳ね返されたのだ。
彼女の苦悩の表情。
それが、エイナルフの心にナイフのように突き刺さっていた。
「そうだな。ヒルダ姫。ここにいろ」
「え?」
「余の部屋に来なさい。少し匿う」
「ど。どういう事でしょうか」
「いや、心配するな。あなたに手を出すのではない。余が安全を確保する。あの部屋がこの帝国で一番安全なのだ」
勘違いしないでほしい。
側室にするとかの話ではないことを強調した。
「な、なぜ? 私は反逆の国の姫です。殺すのが吉では」
「いいや。余はそうは思わない。それと余の婿殿に考えがあるような気がしてな。婿殿が来るまで匿う事に決めた」
「・・・む、婿殿???」
「フュン・メイダルフィアだ。彼に相談することにする」
「な!? フュン様!」
「ん? 知り合いか?」
皇帝の口からフュンの名前が出てきたので、ついつい口走ってしまったヒルダは、手で口を押さえた。
でも皇帝陛下から続きを話せと言われたので手をどける。
「・・あ、は・・・はい。フュン様とは。彼がこちらに来た最初の頃からの知り合いでございます」
「ほう。それだけか? あの婿殿だ。知り合いなだけかな。何か言ってないのか?」
「え。そ、それが・・・言いにくいのですが」
「なんだ。婿殿の愛人か?」
「い、いいえ。違います。フュン様はシルヴィア様だけを愛していますよ」
ヒルダは必死になって否定した。
「うむ。そうであろうな。でも他を愛しても別にいいんだが・・・シルヴィアが許すとは思えんな」
「そ、そうなのですか?」
「うむ。シルヴィアはな。無理だろうな。アレの子だ……側室などな。持ったらフュンは殺されるかもしれんな。そこが心配だ。むしろ婿殿の方がな。余はシルヴィアよりも婿殿の身の安全を願うわ。ハハハ」
婿殿の身の安全の方が心配。
変わった心配をしている皇帝陛下であった。
「ああ、それで、何が言いにくいのだ! ヒルダ姫」
「それが、私と。もう一人の人質のタイロー。そしてその他の貴族二人と・・・お友達のなのです。私たちは貴族でありますが、全員がお友達でいてほしいと。フュン様が・・・おっしゃってくれて、それで・・・私たち四人はお友達に・・・はい」
「ん?」
「ですから、お友達になったのです・・・はい、陛下」
「ガハハハ。そういうことか・・・まったくあの男・・・クククク。ガハハハ」
エイナルフは今の回答から、その時のフュンの顔や態度を想像する。
そうしたら、もう面白過ぎて腹を抱えた。
とにかく面白い。
フュン・メイダルフィアが考えることが、あまりにも普通で、あまりにも素朴で、眩しいとすら感じ始めた。
「へ、陛下?」
「ああ。悪かった。ヒルダ姫。それは素晴らしい事だ。出来たらずっと友達でいてあげてほしいな」
「え? 私が。で、ですが、私はもう死ぬしか罪を・・・償えないです」
「んんん。大丈夫だろう・・・・と思う」
「はい?」
自分が死ぬことが前提だと思っていたヒルダは、拍子抜けを食らって間抜け面になっていた。
「余の婿殿。フュン・メイダルフィアを信用しなさい。あれは必ず。そなたを救う道を見つける」
「フュ・・・フュン様が?」
「ああ。そうだ。婿殿は、ヒルダ姫を友達。そう言ったのだろ?」
「はい。なって欲しいと言って頂きました。そして私も、彼の友達になりたいと思いました」
「そうか・・・ならば安心するといい。婿殿は必ず。ヒルダ姫を生かす道を作るはずだ。間違いない」
「・・・え? フュン様が私を・・・」
「ああそうだ。だから、信じてあげてほしい。そうすれば、結果は自ずと良き方向にいくだろう。ヒルダ姫。どうか、生きることを諦めないでほしいぞ。死ぬことを考えないでほしい」
「・・・は、はい。あ、ありがとうございます。陛下」
慈悲深い皇帝陛下の恩情に、泣きながらヒルダは答えて跪いた。
「うむ。ではヒルダ姫。余の部屋へ案内しよう。メイドを派遣する。いったんは応接室に行きなさい。そこから案内を受けなさい」
「わかりました。このご恩。一生忘れません陛下」
「いい。いい。これくらいは当然なのだ。余は皇帝であるからな。人質と言っても家臣だ。余は命を守りたい・・・まずヒルダ姫。休まれよ。心も体も疲れているはずだ」
「ありがとうございます。陛下」
深い感謝をしたヒルダが部屋を去った後。
エイナルフは、席に深く座った。
ため息を一つついてから、振り向かずに後ろに話しかける。
「いるか。ジュリ」
「ああ」
「緊急連絡を入れてくれ。婿殿にだ」
「わかった。どう伝える」
「帝都が攻められる恐れあり。これだけで来るだろう」
「短いな。いいのか」
「いや、これ以上長くして、正確に伝わらないのは良くない。それと万が一敵に知られた場合に詳細をこちらが知っていると思われたくないな。曖昧でいい。それで分かってくれる」
「なるほどな・・・わかった。やるぜ親父」
「うむ。ジュリ」
「なんだ?」
ジュリアンは皇帝の些細な仕草で気付いた。
顔に手を置いた角度の違いで、焦りを感じたのだ。
「今回。大丈夫か。さすがに今回はマズいか。帝都は三万だ。シンドラはどのくらいだった」
「シンドラは今六万だ。最近増えたんだ」
「そうか。六万か……まだ大丈夫そうだな」
敵は倍の数。しかし帝都は堅牢な城。
婿殿が来れば、帝都は守り切れると皇帝は一人判断していた。
「ジュリ。ターク家が兵を借りていないのだな」
「まあな、スクナロはな。属国に貸せよ! って言わないだろうな。奴は漢だからな」
「そうだな、スクナロはそういう子だ。しかし、何故六万もいるのだ・・・こちらに提出している数値は、三万だったはず」
「ん。隠しで育ててたんだろうな。ここ三カ月で急に増えた。どこかで隠してたな。奴らやるぜ。オレらは属国には潜入しにくいからよ」
「そうだな・・・まあ反乱を起こす為の増員か」
「親父。シンドラの王。あれの身体を調査したいな」
「身辺調査じゃなくか・・・まあそうか。蛇か」
ジュリアンは体のどこかに刺青があるのではと思った。
それか、シンドラの王の周りの部下なども怪しいと睨んでいる。
国の政策の急な方向転換は怪しい。
しかも王国が攻めてきている今になって、攻めてくる準備が整っているのもだ。
前回に近しい感覚を得ている二人だった。
「どっかに蛇がいるかもしれねえな。やっぱり」
「そうだろうな。奴らにしかできんか・・・」
「ああ、オレの諜報網だとその程度で止まってるんだよな」
「婿殿のはどうだ。見えてるか」
「あっちは、オレでも見えてる。ただ影は見えているんだけどな。別なのが見えてねえ。なんかいるんだ。別な影がな。サブロウとかいう奴が育てた影じゃないのがな」
「ほう・・・そうか。婿殿はそこは教えてくれていないな。面白い。隠しているな。何かを」
「親父。味方なんだろ。聞けよ」
「もちろん味方だぞ。でも婿殿は知らない方がいいと、余に言ってくれるのだと思う」
「んん?」
「まあ以前も知らない方が作戦が上手くいくと言っていたからな」
「そうなのか。あの男。まだ言ってない部分があったのかよ」
「ジュリ。いいじゃないか。余にも言ってないのだから。あんまり怒るな」
「まあそうだな。親父にも教えてないんじゃ、オレにも教えてはくれないだろうな」
ジュリアンは納得して姿を消した。
誰もいなくなった玉座の間で一人。皇帝陛下は呟く。
「動くか。どこもな・・・でも、勝つのは。婿殿だろう。これを想定していないわけがない。特に。この帝都を守る。これにかけては心配ないだろうな」
エイナルフは、フュン・メイダルフィアを心の底から信用していた。
婿殿ならば、ここを守り切るための戦力を持っているはず。
六万の軍など、ものともしない。
強力な軍隊を保有しているはずだと・・・。
シンドラ王国。
山はないが、川と平原を所有している。
肥沃な大地を基盤に経済を組み立てていて、川での交易路を開拓している。
船が重要視されている国。
シーラ村での事件の時にもチラチラと名前が出てきた国であります。
この国は川下にある『シャルフ』というドルフィン家が持っている都市と、川から海に飛び出て東に行くとある『ササラ』とも交易が繋がっている。
ターク家所有の属領であるが、ターク家は属領をがんじがらめに縛らないので、何をしようがターク家の迷惑にならなければ自由であるのだ。
どの家と交流をしようが構わないが、有事の際は協力してほしいとのスタンスを貫いている。
でもこれは、ヌロが当主であれば、普通の属領だっただろう。
しかしターク家はスクナロであるので、このような扱いになっているのだ。
だから、スクナロは内政が苦手であるとも言える。




