第166話 元族 元賊 市民へと
早朝から厳しい訓練をフュンに課したシルヴィアは、訓練を終えると元王都の周辺を一人で散歩していた。
自分の夫の故郷とは、どんな場所なんだろう。
街の様子や建物の雰囲気など、色々な物を見物して、彼が生きてきた場所を見ていた。
穏やかな風。
夏であるのに、それほど暑くならないのは山から降りてくる風の影響かもしれない。
心地よい風でもあるなとシルヴィアは、サナリアの空気を吸い込んだ。
青い香りがする。
草原の匂いだ。
自然豊かな場所の匂いである。
でも、だからこその争いがあった場所だ。
この豊かな自然を巡って、小数部族たちが暮らすべき場所をかけた戦いをしたのだ。
でもこんな綺麗な自然の中で戦いをずっと続けていたら、荒れすさんだ大地になったかもしれない。
だからフュンは、人だけじゃなくて、この自然を守るために出来るだけ戦をしたくなかったのだろう。
どこかにそんな思いがあるのかもしれない。
フュンは、皆が平和に生きられる世界を作って、自然も保護しようとしているのだと。
シルヴィアは彼の事をそう理解した。
「サナリア……素晴らしい場所でありますね。山。草原。色々な自然があります・・・ただ、海は見えませんし。川がありません。これは・・・水はどうしているのでしょうか。でも元王都の人々は水には困ってませんね」
とシルヴィアが周りを見る。
たしかに、民たちが水不足を嘆いている所を見たことがない。
シルヴィアはこれらを疑問に思っている最中、人を担いでいる女性とばったり目があった。
「あ? あんたは」
都市の東出口付近にいたシルヴィアは、リアリスを担いでいるフィアーナと出会った。
「あなたは・・・たしか・・・」
「あたしはフィアーナだ。そうだったぜ。あんたは王子の婚約者だな。へぇ。よく見りゃ美人だな。王子もなかなかやるな」
「え?」
ぐったりして、気絶に近い形のリアリスが、二人の会話で目覚めた。
顔を上げてシルヴィアを見る。
「あ・・・お嬢・・・お元気で」
「リアリス!? だ、大丈夫ですか」
「大丈夫です・・・お嬢。これはあたしがヘマしました・・・姐さんは悪くありません」
「そういうことよ。お姫さん。こいつがさ。なかなか筋が良くてさ。あたしの弓を継承させようと思うのよ」
「え。あなたの弓?」
「ああ。あたしは、サナリアの元四天王。弓のフィアーナさ。んで、あたしの弓を継承させてもいいと思ったのがひょっこり現れたもんだから、今みっちり鍛えてんのよ。こいつ、根性あるからおもしれえのさ。ここまで気合いの入った女は、久しぶりだぜ。ソフィアとあいつ以来だ」
「そ・・・そうですか」
ボロボロになっていてもリアリスは満足そうな顔をしていた。
里での修行の時とは違い、楽しんでいる様子もうかがえる。
「お嬢・・・この人は凄い人です・・・あたしの常識を超える弓の達人です・・・三本同時に矢を放つなんて人間じゃないですよ。神業です。ハハハハ」
笑っているけど、疲れすぎて引き笑いになっている。
よほどの訓練だったのだろうとシルヴィアは心配になった。
「まあ、今の特訓になれたら。次は二本同時の訓練だな。こいつ。あたしくらいの弓使いにして、ついでに狩人にもするからさ。ちょっと借りるぜ。いいだろ。お姫さん」
「え。ええ。リアリスがいいのであれば・・」
「そうか。じゃあ、どうだ。小娘」
「は、はい。お願いします。姐さん」
「よし。まずは傷を癒そう。王子に診せに行くわ」
「あ、ありがとうございます・・・あたしからも殿下にお願いしないと・・・申し訳ないと謝らないと・・・殿下、笑顔でやってくれると思うけど・・・」
「心配すんな。王子はお前を治してくれるって!」
「そこは心配してないですよ・・・迷惑かなって思っただけですよ。殿下忙しいのに・・・」
と色々会話をしながら二人は、フュンの仕事場まで向かって行った。
◇
「殿下」「お腹空いた」
「空いた」「殿下」
早朝訓練のせいで、体が追い込まれていたフュンは、元王宮の脇で休憩をしていた。
でも休ませてはもらえなかった。
なぜなら、腹ペコ双子に迫られていたのだ。
『顔が近い!』と思っているフュンだが、二人の為に笑顔を作ってくれる。
「そうですか。朝ご飯・・・まあ、ちょうどいいでしょう。お出かけしますか。ニール。ルージュ」
「やった」「殿下と」
「「お出かけ!」」
久しぶりのフュンとのお出かけに満足した表情の二人は、フュンと手を繋いで市場に出る。
ニールとルージュ。
この二人は体が大きくならなかった。
今はもう17だというのに、見た目は12歳くらいの少年と少女である。
フュンとしては、可愛らしいから気にならないが、本人たちとしてはどうなのだろう。
二人に引っ張られる形で手を握っているフュンは、彼らの本心を聞きたいと思っていた。
「殿下」「何食べる」
「何食べましょうかね・・・二人の好きなものがありますかね。サナリアは帝国とは違いますからね・・・ああ、そうですよね。牛肉とか飴細工はここにはありませんからね。牛ももちろんですが、お砂糖とかもここでは希少なものですものね。ああいう風にふんだんには使えませんもんね。やっぱりサナリアにも、贅沢は言いませんが常時使える分くらいはほしいですよね……お料理に彩りが加わるでしょうしね。ああ、早く酪農が成功するといいのですがね……ルイス様の手配した牛さんたちはやって来られるのでしょうかね。ミルクだって牛のミルクになりますよね。羊のミルクじゃなくて・・・ええ。ええ。楽しみと不安がありますね。うんうん」
二人に食べさせるよりも民の事を思っている時間が長くなる。
フュンは、昔よりも為政者に近づいたのかもしれない。
子供の頃の彼よりも、民の事を考える人物になったのだ。
「殿下!」「話つまんない」
「ああ。ごめんなさいね。二人と食事に行くんですもんね。今は仕事を忘れましょうか。それじゃあ、何を食べようか」
フュンたちは、活気ある市場通りに到着。
以前とは違い仕事にもメリハリがあるサナリアの市場通り。
だが、当然のことだが、こんな朝早くにお食事処は開いていない。
当然である。
お昼時が売れ時であるからだ。
さすがに朝っぱらからお店を開いて食事を提供する場所はない。
「そうですよね。お店なんて、この時間ではね。やってませんよね・・・ん?」
目の前の人だかり。
そこがやけに騒いでいる様子。
怒声に近い大声が響いていた。
「何が起きているのでしょうか。こんな時間に・・・」
「「いってみよ」」
双子に手を引かれて、フュンは人だかりの中に入っていった。
◇
「奪おうなんて思うんじゃないよ。俺たちは賊じゃなくなったんだ」
華奢な男性が言った。
「うるせえ。パース。こんないい暮らししている奴らから奪って何が悪いんだ」
大柄な男が荒々しく言った。
「おい。ジャンダ。やめなって。うちらは戦いに来たんじゃない。賊を抜けにきたんだ」
女性が大柄な男の背中を叩いて言った。
「おおおおおおおおおおおおおお。そうだぞおおおおおおおおおおおおおおお」
凄まじい圧の叫び声を出したのはボロボロの布切れを着た男性だった。
その叫びの間に、フュンが人だかりとなった原因の人物たちを確認した。
目の前にいる人物たちは、八百屋の前で暴れていた。
フュンの政策「3カ月以内に王都に来れば、罪を不問とする」
この条件を飲んだ人物たちであろう。
身なりも荒々しいもので、サナリアの市民とは違う恰好だった。
「うるさいぞ。叫ぶなゲインズ。我らの評判が落ちる。ほれ、人だかりが出来てるじゃないか」
『ゴチン』
「いってえええええええええええええ」
五月蠅いゲインズは、イカツイ爺さんから頭を殴られて叫んだ。
「だからうるさい」
『ゴチン』
「おおおおおおおおおおお、いてえええええええええ」
痛がる声もうるさいからゲインズはまた殴られる。
そこにフュンが来た。
「すみません。何してるんですか。周りの人たちに迷惑ですよ」
「なんだてめえは、偉そうなガキが。俺たちは見せもんじゃね。とっとと・・・ぐ」
フュンの肩に手を出そうとしたのは大柄の男ジャンダ。
何だこの優男はと、威圧しようとしたのだ。
だけどその瞬間、目の前に現れた二つの閃光が、掴もうとした手を弾いて顔にビンタする。
「ぐを」
二つの閃光の力によって、ジャンダは吹き飛んだ。
「やめなさい。ニール。ルージュ」
「「ぬ? 殿下?」」
追撃をしようとした双子はフュンの方に振り向いた。
「この人の言葉は激しかったですが、手は僕を掴むくらいの力でしたよ。だから僕を殴るわけではありませんでした。それではやりすぎだ。駄目です」
「「しかし・・・」」
「はい。わかってますよ。僕の為なのはね。でも相手を傷つけちゃダメでしょ」
「殿下は」「人に甘い」
「「敵だったらどうする」」
いいことしたのに・・・。
と思った二人は「ムッ」と言って、怒った顔をした。
そこの気持ちも分かっているフュンは、二人の頭に手を置いて慰めて、パースと呼ばれた華奢な男性の前に立った。
「ごめんなさいね。あなたたちは何をそんなに大声で話していたんですか?」
「誰だ貴様は! ワシらに近寄るな。ガキ」
パースに話しかけたのに、いかつい爺さんが近づいてくる。
拳骨を食らわせていた人物は、迫力のある声に迫力のある顔だ。
傷だらけの体も迫力を足す要因だ。
「ええ。あなたは誰ですかね。ジャンダさん。パースさん。ゲインズさん。そこのお嬢さんとあなたが分かりません」
「ぬ・・・あの一瞬でワシらの名を」
「ええ。それで、あなたは」
「ワシはアルザオだ。貴様は」
「僕は、フュン・メイダルフィアです。よろしくお願いします。アルザオさん」
アルザオはフュンの名を聞いた瞬間に顔つきが変わった。
目が鋭く、獲物を狙う眼になった。
そこにフュンが気付いたので、足に力を込めて何時でも戦闘が出来る状態に体を持っていった。
「・・・き、貴様がアハトの息子か!?」
「んんん??? 父上をご存じで?」
「ワシの宿敵だった男だ。ワシは何度もこのサナリア平原で戦った。奴が国を建てる前はな」
「そうですか。父の知り合いですか・・・」
フュンの目が異様に冷たくなる。
アハトと聞いただけで暗く沈んだ目をした。
「宿敵といっただろうが。敵だ」
「・・・では、敵だった人がなぜここに?」
「自分で言うのも悲しいが……ワシらは、勝手にお前の父親に賊と決めつけられてしまった。元サナリア平原の族長たちがだ。ワシらは、アハトに追い出されて山に隠れて過ごしていたんだ」
白髪の爺さんアルザオは、アハトが戦ったサナリア統一戦争の犠牲者であった。
勝者がいれば敗者もいる。
族長であった者が賊となったのだ。
勝った者が正義となるという事だろう。
「なるほど……では賊となり、人の物を盗んでいたと」
「盗んだんじゃない。拝借していただけ、いずれアハトを倒すためにな」
「へぇ~。都合のいい言い訳ですね。考えが賊です」
「き、貴様! ワシらをなめ・・」
「いえいえ、舐めてません。僕はあなたたちの様な人が来てくれたことに感謝してます。不問にするといったのは本当ですから、気になさらずに王都にいてください。そのかわり、ここで犯罪を起こすと、逮捕しないといけないので気をつけてくださいね。では!」
「舐めてるじゃないか。アハトの息子よ」
「正直な話をしますがね」
フュンの顔が怒りに満ちた。
声もいつもより迫力がある。
「僕は、父の名前を聞きたくないので、そのアハトの息子呼び、やめてくれませんかね。フュンでお願いします! お爺さん!」
今までのフュンは父のことを出来るだけ考えないようにしていた。
自分を人質にしておいて、このような無様な国の運営をしたこと。
あの非道な弟を生み出したこと。
それらのせいで、民が苦しんだこと。
それが、この静かな怒りに繋がっている。
拒絶反応を起こしているような言い方のフュン。
アルザオは逆に今の言い方が挑発であると勘違いした。
「なんだと。貴様! 舐めるな小僧。奴よりも弱そうなのに何を偉そうに」
剣を抜き戦おうとしたアルザオに対して、フュンの行動は一瞬だった。
足に力をため込んでいたフュンは、アルザオとの間合いを潰した。
自分の剣を相手の柄に押し当てて、アルザオに剣を引き抜かせない。
初手から攻撃の芽を摘んでいた。
「ここからでは、あなたを斬ってしまいますよ。それが分かりますか! このまま返す動きであなたを斬れます」
「・・ぬ!? き、貴様」
フュンの武人としてのただならぬ気配にアルザオは後ろに下がる。
冷や汗が一つ、頬の上を流れた。
「き、貴様。今のは。アハトよりも・・・強いのか」
「だから、その名を言うなと言っているでしょうが。本当にあなたを斬りますよ」
フュンは珍しく怒りを表に出し、もう一度敵の懐に入ろうとすると。
四人の賊と一緒にいた女性が間に入ってきた。
「す、すまない。領主さん。この爺さんがあなたに無礼を働いた。許してくれ、うちらはここに帰順しに来たんだ。敵対しに来たわけじゃないんだ。頼む。怒りを収めてほしい」
「む? そ、そうですよね。そうだとしたら、僕が悪いですね。申し訳ない」
女性の懸命な訴えに、フュンは冷静になってきた。
「い、いや。うちらが悪いんだ。あなたが嫌がることをしたんだ。おいジジイ。何してんだよ」
「す、すまん。ワシも頭に血が上った。すまない。アハ・・・・いや違う、領主殿。ワシが全面的に悪い」
「いえいえ。僕も、父のことを言われて頭に来てしまいましたね。ごめんなさい」
この場が丸く収まると、ヒソヒソ声が聞こえる。
「王子ってあんなに強かったっけ?」
「いや、知らんわ。とんでもないな」
「カッコいい。マジで」
「強くて優しい人だったんだな」
周りにいた民たちが、大絶賛の嵐を種を呼び起こしていた。
この噂……今夜までには元王都を駆け巡るだろう。
丸く収まりそうな時に、ジャンダがフュンに近づく。
「ジジイが良くても俺は不満だ。今の。お前みたいにいい服着て、偉そうにする奴の話なんか誰が聞くか」
「あなたはジャンダさんですね。そんなに文句があるのに、なぜこちらに来たのですか。だったら、賊のままでいればよかったのでは。山にでも、どこにでも引っ込んでいればよかったのでは」
言い返す言葉にキレがある。
ジャンダは一番言われたくない言葉をもらった。
「いられるか! 食いもんがねえ」
「だったら自分が働いて食べるのですよ。人から盗んで食べるんじゃありません」
「いいんだよ。俺たちは食べ物を作れなかったんだからな」
「そんな考えではダメです。与えられたもの。盗んだもの。そうじゃなく、あなたが作った物を食べればいいのです。あなたのその考えは正さなくてはなりません。この都市にいたかったら、考えを直しなさい。そこの女性のようにです。ええっと、あなたのお名前は」
「うちは、ソロン・・・です」
フュンは、一番穏便にこの場を鎮めようとした女性の名を聞いた。
「ソロンさんですか……。ジャンダさん。こちらのソロンさんのように、あくまでも冷静に物事を運ぶのです。彼女だって、本当はここに来たくて来たわけじゃない。なのに我慢して、僕と会話しているんだ。だから、あなたも郷に入っては郷に従いなさい。ここでしっかり我慢して、ここから這い上がればいいのです。この都市で職を掴んで暮せるようにね。でもそれは辛いはずです。環境が違うのですからね・・・・そこから、僕が言えるのは、それでも頑張りなさいということ。どんなことがあっても、頑張るのです。あと、これ以上ここで騒いで、皆に迷惑を掛けた場合は連行します。でも穏やかに過ごしてくれるのであれば、僕は何も言いませんからね。では!」
フュンは事態を丸く収めようと必死であった。
ただ彼の言葉の中には、今までの自分の生き方が入っていた。
我慢して。
郷に入っては。
この二つが、フュンの帝国で過ごしていた時に感じていた気持ちである。
自分の身を犠牲にして、国の為に人質になり、そして、実績を作り、他を黙らせたこと。
だから彼らも、最初が元賊だとしても、いずれはこの都市の市民になれるのだということだ。
フュンは、彼らに期待して応援したような言い方をした。
自分の時よりかは、賊から市民になる方が簡単だろうとくすっと笑って、フュンは彼らと別れたのである。
賊たちは、必ずサナリアの民になれる。
心から願えば、心からサナリアを愛せば、ここの市民になれるのだ。
その努力が出来れば、サナリアの領主フュン・メイダルフィアが応援してくれるのである。




