第152話 辺境伯就任パーティー 嵐の前
帝都の牢の警備は、他の都市とも見張りの数や厳重さでは変わりがない。
ただ帝都の牢は、地下牢であり、施設中央にある螺旋階段を降りていく形式で、やや豪勢な作りとなっている。
地下一、二、三とここらまでが通常の犯罪者が収監される牢であるのだが、四からは階段の場所も、部屋の作りも違っていて、四は重要犯罪人、五は特別犯罪人が収監されている。
それらの主な収容者たちの身分は、貴族や王族だ。
国家転覆罪などの特殊な罪に対して、地下四階と五階が存在するので、ここはほぼ使用することがないのだ。
それに今の帝国の貴族や王族たちは、犯罪を起こすことが少ない。
御三家戦乱などを乗り越えた彼らが、今の地位を捨てるようなやり方は滅多にしないからだ。
だから現在、ほぼ誰も入ってこない場所なので、部屋を広々と使えたりする。
意外にも快適に有意義に過ごせたりもするのだ。
「わ。私は・・・で、出来るのか・・・・」
地下五階の奥深くにいるヌロは、近い将来を不安視していた。
ここから生きのびれるのか。
それともこんなところで死んでしまうのか。
不安が自分を埋め尽くして、この暗闇の恐怖も相まり、体に震えが出て来る。
と一般的な犯罪者が収容された時の様子から予測しても無駄である。
ヌロの精神状態なんて、ヌロにしか分からない事なのだ。
「しかし・・・やらねばならんことを・・・しなければ・・・帝国は・・・終わるのだな。それだけは避けねばならない・・・私は王家の前に帝国人なのだ。計画を実行しなければ・・・」
地上の光を得られないのに、ヌロは地下牢の天井を見つめて、決心を口に出していた。
表情が絶望していても、目だけは絶望していない。
なぜか彼は、まだ諦めていないのだ。
◇
最初のフュンの挨拶から数時間が経った会場は、最高潮の盛り上がりを見せている所だった。
踊り子たちが優雅な踊りを披露し、フュンの辺境伯の就任を祝う。
艶やかな舞いは、会場中の人々を魅了していった。
「いや、綺麗な踊りですね……何の踊りか知りませんがね。僕、田舎者ですからね。ハハハハ」
「あれは龍舞じゃないでしょうか?」
「龍舞??」
「ええ。昔にあった祈祷の舞だった気がします。王家に伝わる伝統の踊りのひとつですね」
「へぇ・・・伝統なんですね・・・あの足運び、独特ですね。動きが滑らかに見えます。しかしあれ、なにか・・・見覚えがある気がしますね・・・どこで見たんだろ」
龍という名称があるのに、どこか蝶のような、軽やかな舞いにも見える踊り。
幾重にも重なった艶やかな衣装を何重にも着込んでいる踊り子たちなのに、彼女らの動きは、武芸にも通じるような所作があり素早い。
左右への移動のスムーズさ。上下へ移動する際の警戒具合。
空間を大切にする動きをしていた。
そんな独特な踊りを、ここでも二人は並んで見ていた。
楽しそうにしているフュンの顔が見れてシルヴィアは嬉しそうに微笑んでいた。
・・・なのに!?
「あ。あの人! マイアさんだ!」
フュンは失礼ながらも踊り子の一人を指さした。
「なるほど、踊り子さんだったんですね。いや、なんであの人。いつ見ても綺麗な人だろうと思ってたんですよね。どうりで……なるほどなるほど。踊りも綺麗ですね。ねえ、シルヴィア」
「・・え!?」
微笑んでいたのに急に怪訝そうな顔になった。
心の中にモヤモヤが生まれる。
「ん? どうしました?」
「いえ・・・なんでもありません」
少し怒った口調だ。
フュンは踊りに夢中でその変化に気付かない。
「そうですか?……あ、あの人は、カイレンさんだ。あ、ステラさんもいる! そっか、あの人たちも踊り子さんだったんだ。そっか。やっぱりお綺麗ですもんね。踊り子の衣装もよく似合っていて、より綺麗ですね。ああ、だからあれほどお肌をね。うんうん。気を付けていたわけですね。そういうことですか。ふむふむ」
フュンは、常連さんの名前を呼んでいた。
サティの会社メイフィアに顔を出せる時は、働くことにしているフュン。
お客さんとのやりとりを覚えていることが多いのだ。
特に、二回ほど会えば、顔や名だけじゃなく好きなことなどの個人の趣味すらも覚えるほどにフュンは人を覚えるのが得意なのである。
人に興味がある彼は、とにかく人付き合いが上手いのだ。
「こうなると、ファンデーションみたいなものも開発してあげたくなりますね。あの光とかに合わせて。そうですね。場面の明かりに合わせて肌のトーンを変えてあげるような化粧品が必要かもしれませんね。ただただお肌を綺麗にするだけじゃなくて、綺麗に見せる化粧品を開発するのもいいかもしれませんよね。うんうん。女性のニーズに合わせて、僕も考えないといけません。これはよく考えるべきでした。ええ‥‥‥どうでしょう。この考え! シルヴィア!」
フュンの頭の中には、女性全体の笑顔が浮かんでいる。
特定の誰かの笑顔ではないのだが。
「・・・・知りませんよ。そんなこと。フン!」
シルヴィアには、フュンが今あげた名前の人たちの笑顔が浮かんでいる。
特定の誰かのために動こうとしているのかと一瞬だけ勘違いしたが、そんな不純な事を考えるような人でない事をシルヴィアだって理解している。
でも、頭では理解していても、やっぱり自分を一番に見てほしいから少しだけ怒っていたのだ。
乙女心を持つ戦姫なのだ。
「え?? なんで、怒ってるんですか? なんで???」
人に興味があっても、シルヴィアの嫉妬には気付かないフュンであったのでした。
◇
【コンコン】
自宅謹慎となっているリナの部屋にノックがあった。
『こんな時間に何でしょうか』
というチクチク言葉をついつい喉から出て来そうになる彼女は、部屋のドアに向かって返事をした。
「どちら様で? なんの御用でしょうか」
「お具合が悪いとお聞きしましたので、お部屋に入りたいのです。特別なものをお渡ししたいのですよ。リナ様、開けてもよろしいでしょうか?」
ドアの向こうから女性の低い声が聞こえてきた。
「え?・・・・特別な物? 私にですか?」
「ええ。そうです。なので中に入ってもよろしいでしょうか。ご用意した物をお渡ししたいのです」
「は、はい。開けてもいいですよ。どうぞ中へ」
返事を聞いた相手がドアを開ける。
服の色彩が黒多めのメイド服で、目立つ特徴的なオレンジ髪が綺麗に纏まっていない珍しく身なりを整えないスタイルのメイド女性が、ドア前で仁王立ちのようにして立っていた。
そこから彼女はすぐに部屋に入る。
「な、なんですの!?」
ニヤニヤとしながら、オレンジ髪のメイドは内ポケットにある小物を取り出す。
「では、こちらをご用意したので、あなた様には飲んで頂けると嬉しいですね……それと・・・」
物を手渡した後に、謎のメイドの女はリナに耳打ちをした。
「・・・え? わ、私が!?」
話を聞いた瞬間、リナの全身の毛が逆立った。
怖くなり、震えだす。
「ええ。そうです。なのでその通りの手順でお願いしたい。それでは。そのようになりましたら、お願いします・・・失礼しました」
女はリナの目の前で消えた。
闇に溶け込むようにして、いなくなったのだ。
「き、消えた!? え、こ、これから一体何が起こるのですか・・・」
しばらくリナは呆然とした。
◇
帝国のどこか。
とある一室にて。
暗い部屋の中にいる男性は、豪勢な椅子に腰かけて、片手にワインを持ち、夜空を眺めていた。
「ドス様。用意が出来ました」
そのやや後ろの壁際に影が現れた。
「・・・そうか。どのようになった?」
「はい。ヌロはいつでも。リナはあなた様の許可次第ですと」
「トレスはなんと言っていた?」
「トレス様は、最後は赤きによると・・・・それが合図である。と言ってました」
「そういうことか。わかった」
「え、何がでしょうか?」
ワインを持つ男は、影にいる男性を近くに呼ぶ。
「フールブール。こっちに来い」
「は、はい」
フールブールが表に姿を現してから、ドスに近づく。
彼の隣に立つ。
すると、ドスは持っていたグラスを机の角で割った。
そして、流れるようにそのグラスのギザギザの部分を使って、フールブールの喉を切り裂いた。
「な!? なぜ。ドス様」
「貴様は知りすぎたらしい。赤きによるのだ・・・。すまんな。フールブール」
喉を押さえてその場に倒れたフールブール。
呼吸が消え始めている。
そこにドスは、冷酷な目を向けた。
「・・・そ、そんな・・・ぐ・・」
フールブールが息絶えると、もう一つ影から人が出てきた。
「ドス」
「トレス。いたのか」
「ああ。最初からな。合図したから、実行するぞ」
「頼んだ」
「両方殺るぞ。お前は・・・本当にいいんだな」
「ああ、いい。頼んだ」
ドスが新しく入れてくれたワインをトレスが持つ。
両者は無言で乾杯した。
「これが新たな時代の幕開け……王家の弱体化だな」
「そうだな。ヌロは、ダーレー家によって暗殺されることになり。ターク家は一枚人材を失う。そして、ドルフィン家は情報部の女が死ぬとなるか。御三家も全員が不利益を被るわけだ」
「そういうことだ。トレス。それで、ヌロの死はどうやってダーレーに向けるのだ?」
「ああ。それは、ダーレーの家紋のついた剣を使って、刺殺する予定だ。剣はすでに用意されているしな」
「そうか。それでは、ダーレーも言い逃れ出来まい」
互いにワイングラスを合わせて、乾杯をした。
「それで、リナは?」
ドスがしぶしぶ聞いた。
「毒殺する。体調が悪い事になっているのだろ?」
トレスが淡々と聞いた。
「ああ。そうみたいだ・・・まあ、自分のやってきたことで不安になっただけだろうがな」
「なら、そのまま毒で死んでもらおう。俺の謀略部隊が殺しに行く。薬と一緒に持っていくコップの水の方に毒を仕込んで殺す。でも本当にいいのか。ドス?」
「ああ、別にいい。やってくれ」
「では実行部隊に指示を出す。ついでにヌロの方にも指示を出しておく。あっちは暗殺部隊のクアトロに任せることにしているからな」
「ああ。頼んだよ。トレス」
「まかせろ。それじゃあな」
トレスはワイングラスをテーブルに置いて、闇に消えていった。
「そうか。ついに御三家も動き出すな。パワーバランスはここで一気に傾くだろう。力を失う二家。名誉を失い、勢いが失墜する一家か。ふはははははは」
ドスは笑った後にワインを飲んだ。
「あとは、皇帝。あれが邪魔か。しかしあそこの周辺はな。謎があるからな。殺し方が難しい。暗殺も簡単には出来ない上に、謀略もかけられないからな。ふっ。寿命で死んでもらうか。でもまだまだ生きていきそうだからな・・・邪魔だな。やはり殺すしかないか」
最後にドスは、夜空を眺めてそう言っていた。
時代は、動き出す。
それは、夜を彷徨う蛇の一手から始まるようだ。
巻き込まれる御三家は、この時代をどう生き抜くのか。
帝国に潜む闇は、次第に表に出て来ることになる。




