第151話 辺境伯就任パーティー それぞれが持つ仮面
義兄弟の会話が終わった後。
最初にここに来た時の暗い表情から明るくなって帰るスクナロを見ていたシルヴィアは、フュンの肩を軽く叩いて微笑んだ。
「フュンは誰とでも仲良くなれるのですね」
「え? 急にどうしましたシルヴィア?」
スクナロから貰った盃を持ったままのフュンは、隣に立つシルヴィアを見た。
彼女の微笑みは綺麗であった。
「あんなに嬉しそうな顔のスクナロ兄様。見たことがないですよ」
「へぇ、そうですか。でも、シルヴィア。僕は『誰とでも』は無理ですよ。心を開いてくれている人物だけと仲良くなれると思っていますからね」
「え?」
「あなたやジーク様。さっきのスクナロ様もですが。僕の事を見てくれましたよ。しっかり真っ直ぐ。僕の心を見てくれていました。ですから、僕も相手に失礼がないように、全てを受け入れようとしただけです。相手の心が堅く閉じていれば、僕だって相手と仲良くなれません」
自分にだって、出来ない事はある。
相手を知りたい、心を通わせたいと思う人でなければ、仲良くなれない。
弟なんて、頑なに自分を突っぱねていたのだ。
兄と通じ合おうとも思わない人間だったのだ。
仲良くなるには、双方が相手の気持ちに寄り添うという一つの段階を踏まなければならず、ここが面倒だと思う者と、仲良くなる事なんてありえないのだ。
自分にはその準備があろうとも、自分の弟はここが手間だと思い歩み寄ってこなかった。
相手のそばにいてみたい。相手を知ってみたい。
こう思った時に、人は仲良くなれるのだろう。
幼い頃に一人となったフュンはそう思って生きている。
「そして、スクナロ様の心もですが、綺麗な武人の心をお持ちでしたよ。まあでも、綺麗さで言ったらシルヴィアほどじゃありませんけどね」
「・・また。そんなぁ、褒めて・・・いつもあなたは褒めてくれますね」
頬を染めて喜んでいるシルヴィア。
「褒めて? いや、正直に言っただけですけど」
どこも褒めているつもりがない、当たり前の事を言ったフュン。
二人は並んで会話をしていた。
本当は、フュン一人で各方面にいる参加者に挨拶回りをした方が良いのだが、自分のそばを離れようとしないシルヴィアがいることで、中々自由に一人で歩き回ることが出来ていない状態だった。
まあそれでもフュンが、別にいいかなと思っていたので、このような状態が続いていたのである。
ここが正式な場だとしても、あらかじめこのパーティーに参加する人たちには、気を楽にしてくださいとアナウンスしているので、逆に参加してくれている人間たちが、フュンが挨拶に来ないなんて目くじらを立てることもないのである。
少しの間だけ二人きりで話していると、淡々とした表情で近づく眼鏡の男性が、会話の間に入ってきた。
良きタイミングでの入り方なので、二人の会話も丸く収まる。
「サナリア辺境伯。就任おめでとう」
まさかの大物からの声掛け。
フュンは、心と顔に仮面を被って対処する。
鉄壁の防御の心と、一枚面の皮を厚くする。
今、目の前にいる人物は、次期皇帝に一番近い人物。
先程のスクナロとは違い、この男にだけは失礼のないようにしなければならない。
「ありがとうございます。ウィルベル様。こちらに参加して頂いただけでもうれしいのに、まさかウィルベル様から挨拶してくれるとは……ありがとうございます。あとこちらから挨拶するべきでしたね。申し訳ありません」
「いや、なにもそんな丁寧に挨拶しなくともいいのだ。私たちは家族となるのだぞ。シルヴィアの夫となるのだ」
ウィルベルはやけに丁寧に話すフュンに優しく微笑んだ。
「そうですね。ですが、ウィルベル様は皇帝の子らの頂点です。私は末席に居られれば良いだけですから」
「そうか、しかしそんなに畏まらなくても・・まあよい」
「はい……あ、そうだ。リナ様はお元気ですか? 気になっていたのですよ。前回の会議の時から具合が悪そうでしたから・・・お部屋に閉じこもっていたら、体調もさらに崩しやすいですからね」
「ん? リナが?」
『具合が悪いなんて聞いてないぞと』ウィルベルは首を傾げた。
「ええ。そうです。あの時ですね。結構手が震えておりましたので、僕としては、まず最初に病を疑ってました。なんでもなければいいのですが、僕はそういう判断が多少は出来ますから。何なら僕がお部屋に様子を見にいってもいいですよ」
と言っていたフュンは、ウィルベルの目を凝視した。
自分の妹の体調を知らないのは本当なのかどうかを。
「・・・いやいや、それは遠慮しておこう。今は君のせっかくのお祝いなのだ。リナのせいで気分を悪くするのは良くない・・・ここは君の忠告を素直に聞いて医者にでも診せておくとしよう・・・」
ウィルベルは、フュンに気を遣ったのか。
彼は、今からがどんどん忙しくなっていくので、手を煩わせてはいけないと自分が彼女の面倒をみると言った。
「そうですか。でもそれがよろしいかもしれませんね。でもたぶんですね。心労があれらの原因だと思うので、お薬なんかで気分をよくした方がいいと思いますよ。あとは身体に良いものとかですかね」
「うむ。そうだな。忠告をありがとう。今は謹慎中だろうからな。あいつでは医者を呼べないだろうから私が部下にでも任せて手配しておこう。ああそうだ。あと、君を呼ぶ際。もうフュンでいいだろう? それとも君や殿がいいかな?」
「はい。ウィルベル様のお好きなようにどうぞ。私はウィルベル様とお呼びしますから」
「そうか。そうか。それでは、あまり長居しても、主役に悪いからここらで私は帰らせてもらうよ。おめでとう。フュン」
パーティーの主役の座を奪わぬように、ウィルベルは引っ込もうとした。
「はい。ありがとうございました。またお会いしましょう」
「うむ。それでは」
パーティーの途中でウィルベルはいなくなった。
◇
ジークは会場の裏手の小部屋にいた。
物置のような薄暗い部屋で、自分の影を待つ。
「旦那」
「おう!」
呼ばれる前からジークは辺りを警戒していた。
「旦那。大丈夫っす。ここらに人の気配はないっす」
フィックスの声はするが、ジークの周りには姿がない。
影だけは地面に映る。
「そうか。じゃあ、どうなった。今ここに重要人物たちが集まっている。ならば、あちらの警備は薄くなっただろう? ヌロから情報を聞き出せたか?」
「旦那、あそこから聞き出すのは無理っすね。今、あそこに影がいる現れたみたいなんですよ。しかも複数。今、影になってる姉御が言ってました」
「なに!?」
「はい。俺が忍び込んだ前回の下見の時にはいなかったのにですね。今は結構な数がいるみたいで。しかも見える影の中に、一つだけ姿の全容が分からない、見えない影が存在しているらしいです」
「ほんとか。ナシュアが影の姿を確認できないだと、そんな奴今までいなかったぞ……相当な手練れだ・・・クソ、兄上から情報を抜き出したいのにな」
「旦那・・・どうします?」
「そうだな。なんとか……いや敵がすぐそこまで迫っているのなら、もう時間がないかもしれん。それでナシュアは?」
珍しくもジークの目は本気だった。
闇に隠れて企むのはジークの仕事。
ヌロを狙う謎の影との戦いが起きていた。
「姉御は今。周辺を探索してます。敵の気配を感知しようとしてますが・・・」
「んんん。ナシュアが索敵に全力でも。敵の姿が見えないってわけか」
「ええ。相手は相当な手練れ。サブロウクラスですよ」
「サブロウか・・・こういう時に協力してほしいのによ。あいつ、最近どこ行ってんだ? こういう事で事前に打ち合わせしておきたかったのによ」
「サブロウは何してんすかね。ああ、でも最近、何か作っているみたいですよね。よく坊ちゃんのお屋敷に行ってて、ギコンバッタンと物作っている音が聞こえるっす」
「は? あいつ、物作りに没頭しているのかよ。クソ。ここに来て趣味かよ!!!! あいつ・・自由人だな。相変わらず」
珍しくもジークは怒っていた。
「旦那。サブロウは物作るのが好きですからね。また坊ちゃんとかと何か作ってるんじゃないすか」
「そこでフュン君か。二人で何を作る気なんだ。あの二人・・・混ぜ合わせちゃいけないな。研究者のようなものだものな」
この時のフュンとサブロウは、とある物たちを作成していた。
それは今後の帝国にとっての切り札だった。
だからここで一概に禁止することは出来ないのである。
「まあいい。フィックス。なんとかしてくれ。お前たちでヌロを引っ張り出してくれ」
「いや。それは無理かもしれませんよ。でもやるだけやる感じでいきますよ。失敗したらすみません」
「そうだな。そこの成否は別にいい。ただ、フュン君ならば救おうと動くのだろうからな……だから俺もそれに恥じない男になるためにってことで、一応あんなでも兄だ。助けておいて、情報を・・・でもそれもギリギリまでだな。いざとなったら仕方ない。死んでもらおう」
「旦那ぁ。ひでえっすね。旦那の兄貴すよ。もうちょっとよく考えた方がいいっすよ」
「俺に兄??? 俺の兄妹はたった一人しかいねえぞ」
ジークの目が恐ろしく冷たく、声が本気だった。
「ひ、ひっでえ答えっすね……おっかねえや。でもまあ行ってみますよ」
「ああ、頼んだ。でも最終的にはお前たちの命の方が優先だ。あっさり撤退しても構わん。あいつは死んでもいい」
「はい。了解です。姉御の所に行ってきます」
ジークは不敵に笑い、フィックスは闇に消えていった。
彼らが狙うのは、ヌロの身柄確保。
【フィックスとナシュアによるヌロ救出作戦?】が発動したのだ。
◇
『気配はある。その上で底が知れない』
赤い旋律のナシュアは、牢獄の地上入り口付近で影移動をしていた。
自分の気配探知はサブロウに次ぐ腕であると自負している彼女。
それと隠れる才能もまた同じである。
影移動。または気配断ち。
この双方の技は、根本が同じで姿を消すという技の事だ。
サブロウが持つ特殊技能で、彼の故郷の技でもあるらしい。
この技最大の特徴が、影に潜むことで姿を消すという点であり。
一般人であれば、この影に隠れた人物を見つけることができない。
ただ、同業者。
または武芸の達人のような気配察知に優れた人間には、通用しない事がある。
そしてここに影の強さというべき序列のようなものが存在するのだ。
例えば、同格。
こうなると互いの姿がほぼ見えている状態になる。
影移動に意味がなくなるのだ。
次に、下位の存在。
こうなると自分の姿が相手には見えず、相手の姿は自分に見えるようになっている。
だから相手は隠れたつもりで移動していても、単純にこちらからは丸見えとなる。
最後に上位の存在。
こうなると下位の逆となり、こちらの姿を常に相手にさらしながら移動していることになり、しかも、相手がどこにいるのかがこちらは分からないのだ。
こうなるとお手上げといってもいい。
そして今回。ナシュアの目には相手の姿が見えず、靄だけが見えている。
相手の影が、モヤモヤした薄黒い雲のような形に漠然となって見えている現状があった。
この事から、相手の実力がこちらよりもやや上となっている。
だから、相手は相当な手練れであるのだ。
こんな事態。
ジークの元で偵察をし始めてから、ナシュアにとっての初の出来事だった。
そこに戸惑い驚いていた所に、さらに驚愕の事件が増える。
靄がもう一つ増えてきやがったのだ。
さっきから、入り口付近をうろちょろしてる靄から、少し遠巻きの位置に靄が増える。
そこから近寄らない靄は、このうろちょろしている靄に比べて動きに迷いがない。
靄が一定であまり動かずにいるようなのだ。
姿の見えない実力者がもう一つ増えた事実。
この事で、珍しくもナシュアは焦っていたのだ。
しかし、そんな中でも、冷静に判断しているのがこちら。
実は、この二つ以外の影を発見できているのだ。
そっちの方の影は、相手の姿が完全に見えているので、自分よりも格下。
ならば今から暗殺をしてあげても良いと思うナシュアだが、如何せん見えない影と合わせると6もいる計算になるため、うかつに手を出せずにいた。
『どうするべきか……あれらはフィックスと共にやってもよいのですが……それでは騒ぎになり、ダーレーの名誉に傷がつくかもしれない』
ナシュアはそう考えていた。
敵に見つかるならまだしも、見張りの兵らに、自分たちが見つかるのがまずい。
敵を暗殺する場面で、見張りの兵らが現場に居合わせたら、疑われることは間違いないからだ。
それではダーレー家に良くない。
それとターク家との関係値がこの先良くなることがなくなり、王家としての名誉も地に落ちるだろう。
『しかし、ここでヌロを死なせるとなると……敵との繋がりを持つ可能性がある。あのどうしようない屑のヌロを失うことになります。この事件の真相を知るには助けなくてはなりません・・・んんん。どうしましょうか。悩む。悩んでも助けなければいけませんよね……そうですよね。助けるためにあの時のフュン様が、こちらの牢獄に誘導したはずですよね。ん、あれ、どういう事でしょうか。助けるためにここに送ったはずですよね? まさか、この状況にするために誘導したのでしょうか。でもですよ。あのフュン様がヌロを殺すつもりで牢獄に入れることなど、ありえるのでしょうか。いやまさか・・いや、本当に? 殺すおつもりだったのでしょうか?』
ナシュアは、フュンの意図を探ろうとしたが、結局は頭の中を整理できなかった。
彼は人の死を嫌う男なのは間違いない。
だからこんな判断はしないはずだと頭を振って自分の仕事に集中し始めた。
『動いた。わからない気配が二つ。牢へと向かいました!?』
ナシュアは、姿の見えない影を追いかけて、牢へと侵入したのである。




