第144話 アーリア戦記で最も有名な密約
「こうして、面と向かって会うのは初めてだな」
「はい。皇帝陛下。そうであります。初めましてであります」
フュンは皇帝の自室に呼び出されていた。
皇帝陛下自らが、自分の言葉で労ってやりたいと、公の場のお披露目の前に呼び出したのだ。
向かい合わせで座る二人は、会話の始まりから穏やかである。
「ふっ。フュン・メイダルフィアよ。余は面白いと思っておる」
思い出し笑いのような笑みを皇帝が浮かべた。
「はい。何がでしょうか?」
フュンはキョトンとした顔で答える。
「そちは豪胆な性格のようだ。この部屋に入って、微塵も緊張しないとはな」
「私が? いえいえ、とても緊張しておりますよ。ここは、この国で一番入ることが許されない場所。皇帝陛下のお部屋ですよ。緊張しないわけがないです」
「にしてはやけに落ち着いている。そちの顔は全く動じていないぞ。あのジークとシルヴィアでも緊張しておったのに」
「そうですか。あの二人が緊張するとは……まあ正直に答えますと、僕の部屋に似ている感じがするので。つい和んでしまうのです」
皇帝陛下の和やかな雰囲気と、この部屋に既視感を感じてしまい、フュンはついつい僕と言っていた。
「ほう、余の部屋がそちと似ているだと」
「あ、失礼しました陛下。大変なご無礼を」
今の言葉が、皇帝陛下を侮辱した言葉だと思いフュンは謝った。
だが皇帝は、そんなことを気にしていない。
「謝ることはない。余は怒っていないのだ。それで、どこが似ている?」
「え・・いや、あのですね。僕の部屋と、並べている物が似てますね。使っている物と言った方がいいですか……必要最小限の家具や、使い古したペン。それにこの机も大事に使ってあります。ここに筆圧の跡みたいなものもありますしね。まだ使えるから買い替えない。という考えが僕と似ているのかもと思ってしまったのです」
フュンが机の上にあるペンで出来た傷を指さした。
「ふっ。その目。さすがだ。抜け目なしである」
「え?」
「細かい部分に気付く男は珍しいぞ。フュン」
「・・・は、はい」
「そち。いや、お主はもう婿殿ということになる。どうだ。心境は。皇帝の一族になるのだぞ」
「え・・は、はい。光栄でございますが・・身に余る身分ですので、末席にいさせてもらうだけで幸せであります」
「ふっ。遠慮がちだな・・・・お主が、この玉座を取りに来てもよいのだぞ」
「ま・・まさか。そんなことはありえませんよ」
皇帝の目を見て言うフュンは気付いている。
皇帝の話半分の冗談であると。
「では、フュン。話の本題の一つだ。結婚してシルヴィアをどうするつもりだ」
「……はい。幸せにしたいと思っています。共に生きて。隣に立って、僕も幸せになりたいと思っています。楽も苦も一緒に経験していきたいと思ってます」
「ふっ。わかった。その言葉、信用しよう。結婚を許可する」
「ありがとうございます。皇帝陛下」
形式的にこういうことをしたかったらしい。
満面の笑みで皇帝は受け答えを楽しんでいた。
「ん。陛下は無しだな。義父上がいいぞ」
「・・・さすがにそれは・・・・ええっと、じゃあ結婚してからでもいいですか。今呼ぶにはまだ辺境伯でもないですし」
「よい。許可しよう。だが、必ず呼んでもらおう。義父上とな」
「……わ、わかりました。その時が来たら、呼んでみましょう。でも出来たらで・・・・」
「それは許可しないな。ぜひ呼んでもらわねば、婿殿」
「・・・はははは」
さすがのフュンでも乾いた笑いしか出なかった。
「ではさらに、本題の一つだ。フュン。お主はシルヴィアを皇帝にする気か」
「・・・ええ、なってもらいます!」
フュンは真っ直ぐ皇帝陛下を見る。
陛下もまたフュンを見つめ返した。
睨んではいないが、妙な緊張感が生まれる。
「なぜだ」
「それ以外、彼女が生きる道がないからです」
「ほう。なぜだ? 他にも生きる道はあるだろう。王家だぞ」
「いいえ。無いと思います。この場合。御三家のドルフィン。ターク。この両家のいずれかが皇帝になった場合。他の家は消滅です。おそらく、ジーク様。シルヴィアは殺されます。もちろん僕も」
「・・・・そうか」
子らの殺し合い。なかなか見たくないものだなと皇帝は思った。
「ええ。それと・・・」
フュンが止まったので、皇帝陛下は次を促した。
「どうした。それとなんだ?」
「僕はある条件で勝った場合のみ。イーナミア王国と戦えると思っています」
「ん?」
「僕の予想をお話してもよろしいでしょうか。そしてこれを内密の話にして頂けますか。もちろんジーク様、シルヴィアにもです」
「・・・わかった。約束しよう。誰にも話さないと」
エイナルフは、皇帝である自分を前にしても、直接内緒にしてくれと言えるフュンの胆力を改めて評価した。
「では、いきます。ドルフィン家が勝った場合。この場合、帝国内部の掌握は可能であると思います。内政方面が良い家です。必ずいい方向に国が進んでいくでしょう。ですが、戦闘面が明らかに弱い。フラム閣下のみが戦える家なんです。それでは、明らかに向こうの英雄には対抗できません。英雄は最強の兵法家でもありますし、しかも彼の部下たちは彼抜きでも強い。そうなると通用する武将が一人しかいないドルフィンではよくありません。よって、ドルフィン家が勝った場合は、イーナミア王国に戦争で敗北します」
「うむ。その予想だとそうなるな」
「はい。これは確実であります。王国の英雄と戦うには生半可な戦力では勝てません。最強の布陣を手に入れねばなりません」
フュンは、ネアル王子を甘く見ていない。
むしろ過大評価並みに評価をしている。
それと、彼の事は巨大戦力を持つ者だという認識をしているのだ。
それはあの手この手の力が別物であることから、そう考えているのである。
自分にもあれくらいの裁量権があれば、もしかしたら弟を救えたかもしれない。
あちらの王子は、自分の弟を生かせたのに、自分には無理だった。
その違いは、絶対の権力である。
あれほどの権力があれば、何でも出来る。
でも自分には出来なかった。
なぜなら、ただの属国の王子だったからだ。
宗主国の意向には絶対に逆らえない弱い立場。
だから自分は弟を救い出す事が出来なかった。
もし、あの時に帝国の中でも強い権力を自分が持っていれば、弟は幽閉レベルで事を済ませることが出来たかもしれない。
なんせ実際には帝国に被害がないのだ……可能性としては大いにある。
この持っていなくともよい後悔を持っているあたりが、フュンらしいのである。
「そして、ターク家が勝った場合。戦争は五分でいけるかもしれません。ターク家には、中々優秀な武将たちがいますからね。彼らの権限が強化されれば、戦える可能性は出てきます。ですが、あの家は戦重視であり、内政の家が少ない。武官が多すぎるのです。今は機能させるべき領地の数が少ないために、領土を上手く管理できているだけだと思いますので。あの家が全領土を支配した時には、きっと他の都市たちは上手くいかないでしょう。なので、かの家が帝国を支配した場合、内政不足により戦争を継続させることが出来なくなります。よって、この場合も、時が経てばガルナズン帝国側の力が弱まり、イーナミア王国に敗北します」
「ほう。どちらも、王国に負けると。婿殿はそう言いたいのか」
「はい。負けます。僕の予想では9割。この確率で負けます」
「それはほぼ負けだな・・・では、ダーレーが勝った場合はどうなんだ? それだけ言い切るのなら、自信があるのだろう」
フュンはいよいよこの番が来たとして、満を持して話し出した。
「ダーレーはですね。ジーク様の考えで行くと、王国に負ける運命を辿ると思っています」
「ん? なに!? 結局は一緒ではないか!」
さすがの皇帝も驚く。
自分が所属する家が敗北する。
そんなことを言い切るとは、想像が出来なかった。
「はい。そうです。でも、ここからが大事なんです。ジーク様の計画通りに御三家の争いに勝った場合。御三家による内乱のダメージで、僕はこの国が崩壊すると考えています。ダーレーは弱い。あの手この手を尽くしても、最終的には内乱に入るしかありません。戦いをして他家を破壊しないといけないのです。そうなると、いかに国家へのダメージを小さくしても、国としての崩壊は免れない。なぜなら、あの英雄はこちらのその隙を見逃さないからです。各地に内乱の爪痕が残れば、確実にそこを突いてきます。それ程あの王子には隙を見せてはいけません」
「ほう・・では、どうやって勝つ気であるのだ。お主の目は勝つ気である・・・ジークでも勝てんと言うのに、お主は王国にも内乱にも勝とうと思っている。ならお主の考えはなんだ!」
皇帝の指摘に、フュンは目を瞑り時間を置いて答えた。
ここからが、フュンの渾身の思いと考えである。
「陛下。僕は、吸収。融合という形がベストだと思ってます」
「吸収? 融合?」
「はい。ジーク様の考えはおそらく。秘密裏に相手の家を叩きのめすことだと思いますが。僕は、それが出来ないと思っています。結局は、最終的に直接戦わないといけないと思っているのです。ですから僕は……本当の所はジーク様とは違う意見を持っています」
ここでフュンは、ジークと考えが違うことが明確となった。
ジークは内密に他家を潰すこと。
それは例えば、暗殺すらも視野に入れたあらゆる手を使ってでもシルヴィアに皇帝になってもう行動だ。
だが、フュンはそうではない。
彼はあの兄弟決戦を経て、別の考えが出てきたのだ。
「兄弟とは力を合わせた方が強いはずなんです」
「ん???」
「僕は残念ながら弟を殺しました。そして母国を滅ぼしました」
「そうだな。でも仕方ない事であろう。あの時、お主が奴を生かしたとしても、余は消すぞ」
皇帝陛下の立場上。ズィーベは殺さなくてはならない存在だ。
他にも属国を抱えている帝国であるからこそ、属国の反乱など到底許されるべきではない。
それが実害が出なかった今回でもだ。
幸い、今回はフュンの行動のおかげで、責任はズィーベのみになり。
フュンの功績は裏切りを止めた男として、帝国に忠義を示した形になったのだ。
「わかっています。だから僕が殺したのです。一応、あんな王でも、皇帝陛下に殺されでもしたら、こちらの帝国内ではいいでしょう。ですが、サナリアでは不満が残ります。だから、僕が殺しました。僕の手であれば、サナリアの民も、王が殺されても仕方ないと考えてくれるからです」
あの時フュンの考えは、もう一つあったのだ。
ズィーベが苦しんで死ぬのは可哀想という思いもあったのだが、サナリアの民に帝国への悪感情を向けないためという考えもあったのだ。
これからのサナリアは、帝国に編入されるべきであるのだ。
その際に、帝国への懐疑心はない方が良いのである。
帝国の従順な地域の一つにならねば、サナリアは生き残れないのだ。
「そして、あの反乱は。兄弟の関係値が良ければ起きる可能性は少なかったのです。だから、自分の体験談となりますが、僕は兄弟。家族。これらが強固に協力することが。家が存続する最低条件のようなものだと思ってます。家族の仲。これがお家存続の最大の力であるのだと・・・僕は身をもって知っています。ですから、御三家が血を見る。これが起きた時。帝国は滅びるのだと僕は確信してます」
家族は協力するべき。
これがフュンの出した答えだ。
国を維持する。それは家を存続させるのと同義。
家族の仲が良ければ良いほど家は存続するのだ。
ならば国家を存続させるには、ダーレー。ターク。ドルフィン。そして、ブライト。ビクトニー。
この五家が協力すべきであるとフュンは考えていたのだ。
五つの家が相互に協力すれば、どんな敵にも負けない。
あの英雄に迫られたとしても、軽く跳ね除ける力を得るだろう。
人の可能性の力を信じるフュンならではの意見である。
「ですから、陛下。今から僕と密約を交わして欲しいのです」
「ん?」
「陛下と僕とで、確固たる約定を結びたい。サナリアに関することであります。陛下、僕に全ての支配権をください。人事権なども含めて、全てです。今はもうサナリアは、帝国の領土でありますが。ほぼ国のような形で完璧なる自治権が僕に欲しいのです。帝国にいちいち報告しなくてもいいくらいの完璧な自治権です」
「どういうことだ?」
「今から僕は、サナリアを帝国で一番の都市にします。この帝都を上回る力を手に入れるつもりです。それも急激に成長させます。その際に、いちいちこちらにお伺いを立てることもなく、成長だけに集中していきたいのです。これを許していただけますか」
「なに? 何をする気なのだ?」
「帝都を守護するためです」
「ん?」
「帝都を守るために、帝都を超える力を手に入れてみせます」
「・・・なに!?」
想像を上回る意見に皇帝の頭が一時停止した。
皇帝は目をぱちくりさせてフュンを見ている。
「陛下。現在。帝都ヴィセニアに一番近い都市をご存じですよね」
「それはククルだな」
「ええ。そうです。都市としては、ドルフィン家のククルが一番近いです」
「・・・それがどうした?」
「もしドルフィンが反旗を翻したら。それとも今回のように何らかの形で帝都に対して、兵を支援できない状態となったら。今の帝都の兵量では守り切れない可能性が出てきます。その場合、陛下はどうしますか?」
「うむ・・・そうだな。難しい問題だな」
「はい。そうなんです。それが難しいところなんです。ですから、帝都は僕らサナリアが守るべきなのです。僕らは帝都により近い位置に都市を築きます。そこで、迅速に陛下をお守りするために、サナリアの関所をサナリア側が管理します。こちらの自由な裁量でそちらに行きたい。そして、その上で僕らはサナリア平原のど真ん中に大都市を作り上げる予定なんです。細かい村を吸収して、そして賊となっている部族たちをも吸収して。僕らは巨大都市を作りあげます。軍も再編成し、帝都の危機に駆けつける軍。サナリア軍を作り上げます。これを僕と陛下の内密の約定にしてもらえませんか。僕はシルヴィアを守りたい。そしてジーク様。サティ様。アン様もです。もちろん陛下もですよ。そして他家の方々も守りたいのです。だって、皆さんは家族なんですよ。殺し合うなんて絶対によくない。それでは国が滅びます。ですから、僕に力をください。陛下。僕は帝国を守るための力が欲しいのです。僕は御三家とは別に、皇帝の下で、独自に裏で動きたいのです。よろしいでしょうか?」
皇帝陛下は黙った。
フュンの意見は正しい。でも夢物語のように聞こえてしまう。
これから起きる政争。
それは御三家がそれぞれの生存をかけた戦いをするはずなのだ。
それの中で、このフュンの言葉は、本当に実現したら夢のような話である。
でも彼の目が真剣で嘘をついている様子が一切ない。
やってみせるという気概を感じるのだ。
「そうか・・・面白い。だが、そちが余を裏切る・・・という線は無いのか」
「ないですね」
フュンは即答した。
今の言葉に嘘がない。
あなたを裏切らないという意味にも聞こえるほど、彼の返答は早かった。
「陛下。裏切る場合。僕はシルヴィアを殺さなくてはならないです。ジーク様もです。そんなこと、僕には絶対に出来ない。お二人は、こちらに来てから僕をずっと守ってくれました。返せないほどの恩をくれた方々です。それにお二人は、僕の新しい家族になってくれました。だからこそ、僕はもう二度と家族を失いたくないのです。陛下、これだけは覚えておいてください。僕は家族を失いたくないのです。だから陛下も失いたくない。だって僕の義父上になってくれるのですよね? ならば全力でお守りしたいのですよ。家族なんですから!」
「・・・くくくく。はははははは」
皇帝陛下は大笑いした。
お腹を抱えて、のたうち回る寸前までいっていた。
「へ・・・陛下?」
戸惑うフュンの顔を見て、笑い出た涙を拭いて皇帝が話す。
「面白いぞ。婿殿。その考え。普通過ぎる。ゆえに王族の打算的な考えを越えた考えだ。これならば、我が子らでも。騙されるであろう。家族は協力しろか。良い助言だ……だから誰も思いつかないだろうな・・・ああ。ああ。そうに決まっている・・・よし。わかった。許可しよう。余は婿殿を信じよう」
「本当ですか!」
「うむ。余の諜報部隊でサナリアに関する情報を封殺する。どの家にも見せないようにしてみせよう。無論、ダーレーにもだ。これは余と婿殿の秘密である。どうだ。守れるか」
「はい。おまかせを。陛下。サナリアは、今後・・・」
フュンは席を立ち、陛下の脇で跪いた。
「陛下を守る盾となり。帝国を維持する切り札となりましょう。サナリア辺境伯となる。この私、フュン・メイダルフィアが。皇帝陛下の為に、皇帝陛下の子らをお守りします。そして、王国の脅威。それと内に潜む闇に、私は帝国の辺境伯として戦います。忠義は帝国と陛下に。愛はシルヴィアに。私はこの二つを陛下に誓います」
「わかった・・・婿殿」
「はい。陛下」
「頼んだ。我が子らの事は婿殿に託す」
「はっ。おまかせを・・・陛下」
これが、アーリア戦記でも最も有名な密約。
義父と婿の盟約。
『エイナルフの希望・フュンの願い』である。
子供を守りたい。
エイナルフの親としての気持ちと。
家族を守りたい。
フュンの優しい気持ちが合致した強固な約束。
それがこの盟約の根本的な力となっている。
打算的な考え、利己的な考え、それらのような俗物的な考えじゃない。
人への思いが原動力となる約定。
だからこそ二人は協力し合ってこの困難を乗り切ろうとするのだ。
この盟約により、帝国の運命は大きく変わることになるのであった。
後の歴史家の研究で、この盟約が帝国にないと仮定すると、アーリア大陸の歴史自体が大きく違っていただろうとする見解が出ていた。
それも大多数の者たちがその結論に賛成を示した。
だからこれは帝国にとっての絶対必須の盟約。
ここでのエイナルフの決断は素晴らしいものとなるのだ。
属国出身の辺境伯フュン・メイダルフィアを手に入れていた帝国は、運が良かったとも言えるのである。
力を得なければ、人を守れない。
権力を得なければ、やりたいことがやれない。
弱い。
それが人の為にならなくなる。
ならば、是が非でも自分のやりたいことの為に、フュンは立場を強くしていかないといけない。
それは世の為、人の為。
決して自分の力を誇示する為ではない。
そのことは、彼の人生の歩みからも分かる事でしょう。
サナリア辺境伯フュン・メイダルフィアは、帝国の中枢へと入り込み、帝国を守る柱となるのであった。




