第143話 ナシュアの質問
「こちら……お知り合いですか?」
薄暗い部屋。じめじめとした場所の中で、綺麗な歌声のような声が響く。
赤い旋律のナシュアは、ズィーベの側近アルルースを問い詰めた。
「し、知りません」
硬い表情を崩せないアルルース。
彼は、強制的に椅子に縛りつけられている。
手は後ろ。体は椅子とお友達。
縛り付けてきている縄は頑丈で、自力では逃れられないようになっていた。
唯一身動きが取れるのは顔だけとなっている。
「本当でしょうか。ほら」
眉一つ動かないナシュアは、二つの首をアルルースの前の机の上に置いた。
その首は、敵の組織『夜を彷徨う蛇』の男二人のものだ。
ナシュアはそれをアルルースに叩きつけることで脅した。
『本当にお前は夜を彷徨う蛇を知らないのか?』
そうは言わないが、尻尾くらいは出すだろうと淡い期待をしていた。
それにしても、首を出した時のナシュアの顔が、普段の様子と変わらない。
そこが恐ろしい。
それに淡々とした声が変わらないのもまた恐ろしい。
「わ・・・わかりません。だ、誰ですか」
「本当でしょうかね。ねぇ」
しらばっくれていると思い、ナシュアは二つの首を片手ずつで持ち、アルルースの顔面に向かって近づける。
その怖さ。やられた本人の恐怖は表現が出来ないぞと。
二人のそばにいるフィックスの方が震えていた。
「そうですか。その表情では本当に知らないと……あなたはこちらの方々と繋がりがないというのですね。なるほど」
「そ、そうです。ですから解放してください。私は何も関係がない」
「何も関係がない? いいえ。それはありえない。あなたの国のせいで、私の主人。そして主人の友人である。フュン様が大変な危険な目にあったのです。それは私にとって、許しがたい出来事です・・・だから、どんな質問をすればよろしいでしょうかね。そうですね。前回のようなやり方は出来ませんからね・・・お一人しかいませんから・・・んんんん」
ナシュアは天井を見上げて考えた。
その様子も普段と変わらない。
これほどの脅しを相手に仕掛けていても、表情も態度も何一つ変わらない。
『お一人しかいない』
その言葉の意味は、前回の拷問のことだ。
夜を彷徨う蛇の男二人を拷問にかけた時のことだ。
フュンたちが捕まえた男と、以前に捕まえたジャッカル。
この両者を揺さぶりながら、罠にかけて徐々に心を追い詰めて、ナシュアは敵の組織名を聞き出したのである。
しかし、その名を言った直後、彼らは突然死したのだ。
謎は残った形になったが、とりあえずナシュアは首だけを残しておいて、何かあったらこいつらの首でも使ってやろうと思っていたのである。
何処までも冷静なナシュアは恐ろしい女である。
「では、ゆっくり爪でも剥がしますか? 一気に剥がすと痛みが一瞬となりますからね。それはいけません。痛みはじっくりがよいのです。一個一個丁寧にいきましょうか。どうでしょう。この質問方法ならば、あなたも情報を提示してくれるはず・・・まあ、いいでしょう。説明も面倒なのでさっそくやりましょうか。足から? 手から? どちらでもいいので、お選びください」
「・・・ま、待ってくれ・・・何でも話す・・・なんでも話すから・・・い、命だけは・・・お願いしたい・・助けてくれ・・・」
「……んんんんん」
何かの不満を持ったナシュアはアルルースを覗き込んだ。
「な・・・なんだ」
「その態度。あなた・・・今の状況で、あなたの方から条件が出せると思います?」
「え?」
「あなた。圧倒的に立場が悪いのですよ。なのにその態度。よろしくないのでは?」
「た、態度?」
アルルースの態度と言葉使いがまだ悪い。
ナシュアは立場を明確にしようとしていた。
彼女が急にアルルースの髪を掴んだ。
「態度ですよ。今。あなたは私よりも立場が上ですか?」
彼女の顔との距離が近い。
普段であれば嬉しい。なにせ彼女は美人であるからだ。
でもこの場合は恐怖の感情しか沸かない。
冷酷な目。
ゴミでも見るような目が、アルルースの顔面を通り越して、心の中にまで突き刺さる。
「い・・・いえ・・・私が下です」
「ですよね。ならばなぜ、あなたはいまだに偉そうなのでしょう。もしや私が女だから。どこか舐めた態度を取っても良いと思っているのでしょうか。いやいや、それではいけませんよ。アルルースさん。私は、そんじょそこらの女ではないのです。あなた程度の男。素手で瞬殺できてしまいます。武器を使えば、あなたはこの世に塵すら残せません。それは悲しいでしょう。この世に生きた証が残らないのは・・・」
後ろに立つフィックスは何回も頷いた。
『怒らせたら、もっと恐ろしいんだよ姉御はね』
フィックスの頭の中は、もっと激怒しているナシュアを想像している。
彼女は怒るとさらに冷静になるタイプである。
「さて・・・どうしましょうかね。ここまで舐めた態度であるということは、どこかの骨でもひとまず折りましょうかね。そうですね。顔はいけませんね。特に顎を折ってしまっては、お話ししてくれなくなりますからね。とりあえず肩でも折りましょうか。それとも腕がよろしい?」
『ちょっとそこまで買い物に行くね』みたいなニュアンスで話すナシュアが恐ろしい。
フィックスの額の汗が二つ流れた。
「す・・すみませんでした・・何でも話させていただきます」
「そうですか。本当ですか。あまり乗り気じゃないようで、嘘に聞こえますよ」
「お、お願いします。殺さないで・・・どうか。信じてください」
「・・・わかりました。いいでしょう」
少しだけ残念そうな顔をしたナシュアは、口調を変えた。
「フィックス。桶に、水を目一杯張ってください」
ナシュアはフィックスには振り向かずに指示を出した。
水で一杯になった桶が机の上に用意される。
何の意味があるのかと疑問に思うのも束の間。
「嘘をつく。態度が悪い。話さない。そうなるとこうなります」
ナシュアは、アルルースの頭を掴んで桶に突っ込んだ。
彼の口からごぼごぼっと息が漏れる。
呼吸困難となり、限界が訪れようとした所で、ナシュアはアルルースの顔を水から出した。
「がはっ・・・ごほっ・・・ごはっ」
「苦しいでしょう。これで逆らうことはないですよね。どうです?」
「・・は・・・・はひ・・・」
息も絶え絶えのアルルースは、必死になって返事を返した。
「んんん。まずまずです。あなたはあまりこういうことに慣れていないらしいので、最初から全力でやりますので、慣れていってくださいね。頑張りましょう」
まだまだこれをやる気なんだと思うフィックスは、別な桶も用意した。
『怖えよ姉御』と思っていることは黙っている。
「それで、何故ズィーベなる屑は、帝国に攻めてこようと思ったのですか」
「それは・・・」
「あれ。お話ししてくれないのですね。それでは第二段で」
ナシュアが言い淀んだアルルースの髪を引っ張っると。
「ご。ごめんなさい。話しますので。ご勘弁を」
アルルースは当然に怯えた。
ナシュアの赤い目が、恐ろしい悪魔の目に見えた。
「あら。では手短にお願いします」
短気なのかこいつはと心の中で思っても、態度に出してはいけない。
一つ間違えれば確実に殺される。
「・・・ヌロとかいう。こちらの皇子から情報をもらったのです。王国が攻めてくる時期を記された手紙を頂いて・・・」
「ほう。それで。早く話しなさい。つっかえることも許しません」
「え・・・ええ。わかりました」
条件のせいで口が重くなる。
アルルースの声は次第に震えていく。
「その情報が来たので。ズィーベ様が。今が倒し時だと。苦もせずここで倒せるはずだと考えられて」
「バカですね」
「なに!? 馬鹿だと! そんなわけ・・がはっ」
ナシュアは、彼を水の中に誘う。
反抗すれば即座にお水の中に入る仕組みなようだ。
「あなたは、淡々と答えるのみです。その際にあなたの感情はいりません。よいですね! 私に聞かれたことだけを返しなさい。それ以外の場合はこのようになります。今、あなたにこの言葉が聞こえているかは知りませんがね」
じたばたと苦しむアルルースの上から、ナシュアは囁くように言った。
気絶する寸前で、水から取り出す。
「ごはっ・・・はぁはぁ・・わ・・・わかりました」
ここで話さなければ、絶対に殺される。
この女性は躊躇もなく自分を水の中に入れるだろう。
必死になってアルルースは言葉を紡いだ。
「ええ。結構ですよ。それでは、続きをどうぞ。お話しください」
「・・・じょ、情報を書いた紙を持っています」
「紙!?」
「はい。指示書のような物です。そこに王家の家紋があります・・・それが・・・私の胸にあるので。取り出してもらえれば」
ナシュアは、アルルースの服から手紙を取った。
「これは、ターク家の家紋!? なぜ。このようなものが。家紋付きで手紙を? それにあなた。なぜこれを燃やさなかったのですか。証拠を残すなんて、正真正銘の馬鹿ですね」
「いえ。それが。別な紙にですね。これだけは絶対に捨てるな。肌身離さず持っていろと書いてあったのです」
「別な紙?」
「ええ。この指示書と同じタイミングで来た手紙に、こちらの家紋付きの手紙の方は捨てるなと書いてあったのですよ。だから捨てませんでした」
嘘をついていない。
今までで一番力強い話し方だった。
「なるほど。では、そちらの手紙には何が書かれていましたか?」
「そちらの紙には、王国の配置と帝国の配置が書かれていました」
「・・・軍配置。戦争盤面図……全体図ですね。なるほど。アーリア全体の情報を得ていた手紙ですね・・・ではその手紙を今お持ちですか?」
「いえ。そちらは燃やせとのことで」
「ん? そっちは燃やせ。こちらは残せなのにですか?」
ナシュアは今もらった手紙をアルルースにかざした。
「そうです」
「なぜ?・・・・なぜ???」
ナシュアはアルルースの頭から手を放して悩んだ。
手紙の質的には、明らかに逆である。
最低ラインの話だが、明らかに家紋がついた手紙を燃やして、軍配置が書かれた紙を残した方がまだいい。
なのに、実際は家紋付きの手紙が残り、そちらの紙だけが燃やされた。
情報の優先順位がよく分からない。
それと、この目の前の男がこの事態を疑問に思っていないので、これ以上拷問しても、この大事な疑問を解決するようなヒントすらも出てこないだろう。
ナシュアは脳をフル回転させても、最終的な答えに辿り着かなかった。
「これはジーク様。フュン様にお伝えした方がよいでしょうね・・・・他にはありますか。アルルース。あなたがこれ以上隠している場合、拷問の段階が上がります。この程度の軽めの準備運動では物足りませんからね。私が!」
『あなたがですが!?』
なんて言えるはずもないアルルースは怯えて答える。
「・・あ・・・ありません。私はよく分からないままに指示が来ていただけで」
「そうですか。では、こちらの紙をもらいましょうか。これは切り札になるでしょう」
ナシュアは手紙を持って移動準備を始める。
「フィックス。後を頼みます」
「はい。わかりました」
全ての準備が完了したナシュアは、フィックスにアルルースを任せて闇の中に潜む。
彼女が消えたことで、アルルースはほっとした顔になった。
フィックスは、その顔を見て、『この人、きつかったんだろうな』と苦笑いして、拷問の後片付けをしたのである。
◇
それからすぐに、この情報は二人にも共有された。
ジークはダーレーのお屋敷。フュンは自分のお屋敷で。
ナシュアが得た情報を知ると、フュンは自室に籠り何かを考えた。
「なるほど・・・・これを分析するに、夜を彷徨う蛇とは関係がなく。今までの情報漏洩はヌロ皇子の独断ですね。これはどういうことでしょうか。ならばなぜ、あれらは僕を襲ってきたのでしょう。この事件とあの戦争を別にして考えるべきなのでしょうか。いえ、違うと思いますね。関係は少なからずある」
ナシュアが悩んでいた所と同じところでフュンも悩む。
夜を彷徨う蛇はどこかにいる。
帝国のどこかに繋がりがあるはずなのだ。
「・・・ヌロ皇子とズィーベは繋がっていた。ここだけは明確となります。だとすると、ヌロ皇子と夜を彷徨う蛇が繋がっているのかが知りたいところです。ここが解明できれば、謎に一歩近づく。僕を殺そうとした謎もです・・・・」
フュンは謎の組織夜を彷徨う蛇を追いかける決意をした。
あの時、自分を殺そうとしたのは確実。
皆を守るために、あらゆるものと戦う宣言をした彼は、是が非でも夜を彷徨う蛇に関する情報を手に入れなければならないのだ。
「僕は負けません。必ず敵を出し抜いてみせます。帝国のどこに敵が潜んでいようとも、僕が彼らの上になってみせる。一枚上手となるカードを常に引き続けてみせましょう。僕は……家族を守るために、帝国で最強の一角になってみせる」
フュンは自分の机の上に手のひらをつけて静かに宣言していた。
誰にも負けない。絶対に家族と仲間を守ってみせる。
これらを原動力にフュンはここからの激動の時代のど真ん中を突き進んでいくのだ。




