第130話 サナリア平原の戦い 届かぬ思い
帝国歴 520年4月25日
サナリアの王宮内。
「ラルハン! 兄上などどうでもよい! 無視をしろ。私たちは帝国を取りに行くのだ。帝国へ進軍を開始する」
「し、しかし。奴らは私の部下を……私の部隊を破壊したのです。このままでは・・・」
「そんなことはどうでもよい。気にするな! お前の兵など後からもで補充すればよいのだ。それにまだ二万近くの兵がいるんだ。あとは人などいくらでも王都にいる。あとで増産すればよい。それにフィアーナの二千の兵如きでは我らの軍には対抗できんのだぞ。それに今しか帝国を倒すチャンスはないのだ。奴らは捨て置け。帰って来てからでも殺せるのだ」
「・・・・わ。わかりました。進軍します」
「そうだ。早くしろ」
帝都を攻める約束の時まで、あと7日。
サナリア軍は、大軍の進軍でも十分に間に合う日数で出撃したのだった。
ラルハンとズィーベ。
この二人の判断は正しくもあり、間違ってもいた。
背後にいるフィアーナの狩人部隊を無視する形は、10日以上前から続いていて、ズィーベは別に山にこもる敵など無視すればよかろうというスタンスを崩さなかった。
だが、『最後に奴らの部隊を倒しておきませんか』というラルハンの意見は正しい部分がある。
後顧の憂いを断つという戦いにおいての当たり前の判断。
でもこれも間違えているのだ。
なぜなら、すでにゼファー率いる狩人部隊はサナリア山脈の北東にいない。
完全撤退しているのだ。
だからいくら山を探したとしても無駄足となるだけであった。
これにより、ズィーベとラルハンの意見は、正しくもあり間違ってもいるのである。
全てはフュンの読みと、ゼファーの的確な指揮の元に行われた事であった。
そんなこともつゆ知らず。
ズィーベは取るに足らん優しさだけの王子などどうでもいいと思っていた。
取り柄が、ただ人に優しいだけで愚図な奴。
それが彼の中での兄の評価。
あんな大したことのない奴が二千ぽっちの兵を得たとしても、せいぜいやれることはこちらに対する嫌がらせしかない。
兄よりも優秀である自分が、この軍の差もあって、負けるわけがないと思っているのだ。
意気揚々と帝国を取るつもりで進軍するズィーベは、とにかく兄を軽んじていた。
それが間違いだと気付かずに・・・。
◇
意気込んで進軍すること五日。
もう五日も経ったというのに、サナリア軍はまだ平原の中央地帯にいた。
一般人が馬に乗って、サナリアの王都から三日もあればいける場所が関所である。
軍ならば、歩兵速度に合わせていたとしても、おそらく六日以内までには関所まで踏破出来る。
なのにいまだにサナリア軍は半分の位置にいる。
どのように進軍すれば、このような遅さを発揮できるのだろうか。
フュンならば、逆になぜ出来ないのかを質問したい所だろう。
予定よりも遅い事になったことで、ズィーベの怒りは頂点にまで向かっていったらしい。
五日目の天幕にて、激しい怒号を響かせて軍のトップらを叱責していた。
ラルハンとシガー、その他の小隊長たちは、彼の怒りを鎮めることが出来ずに、いつまでも甲高い声を聞かなくてはいけなかった。
いつもの癇癪は留まることを知らない。
そんな時間すら勿体無いというのにだ。
そこからサナリア軍が強行軍となって二日。
今まで五日も掛けて移動したのに、そこから半分の距離を二日にして移動した結果。
軍はかなりの疲弊状態でやって来ていた。
息のあがる歩兵。馬も移動速度が変わり消耗している。
フュンが見たらため息ばかりの軍隊の体力管理だ。
でもこんな事は些細な問題だった。
なぜならここからが大問題。
彼らの目の前に現れたある物が……彼らの進軍を阻むのである。
まず初めに気付いたのがラルハン。
遠くにある関所の景色が、いつもと違う事にが気付いた。
「王。関所が以前とは違うような気がします・・・・」
「なんだ。ラルハン。関所が違う? 普通ではないか」
「いえ。あんな柵はなかったような・・・それになんだか人が多いような」
遠くからでは詳細まで確認できない。
だからサナリア軍はどんどん先へと進軍していった。
そして、完全に様子が分かったその時。
この違和感の原因が分かったのである。
「な、なに!?」
関所は完璧な要塞と化している上に、隊列乱さずにいる軍が、鉄壁の防御陣形を敷いていたのだ。
◇
サナリア軍が関所に到着する二日前。
「殿下! これでよろしいのですか? 間に合いましたかね」
「ええ。大丈夫。間に合いましたよ。あなたもさすがはウォーカー隊の隊長の一人ですね。見事に村の人たちとも、他の軍の人たちとも連携が取れていますよ。成長しましたね」
「はっ。これも殿下を守る為の勉強でございます」
「はい。いつもありがとうございますね。ゼファー!」
フュンは関所の前にて馬防柵を展開。
彼は馬防柵を三段にして設置した。
一段目を前に突出させ、二段目と三段目の距離は深い。さらに三段目は関所に蓋をするように作った。
なのでこれにて、ここは砦のようになったのである。
馬防柵が完成するとフュンは、関所でまだ仕事をしていた兵士たちの方に向かって忠告する。
「今まで、工事とかでうるさくしてすみませんでしたね。皆さんはここから一時退却していてください。ここで僕はサナリア軍を食い止めます。なので皆さんの身が危険になるので、離れてくれると助かります」
「閣下。まさかここで籠城を?」
「ええ。そうです。さすがは帝国兵の方ですね。これを籠城と言ってくれるなんて嬉しいですね。心もとない防備でもそう言ってくれるとね。ありがたい。自信になりますね。あははは。まあ、でもサナリアの軍人ではそうは思ってくれませんね。情けない。あはははは」
「いえいえ。単純にそう思っただけでして。そんなにお褒めにあずかるわけには…」
フュンに褒められて関所の兵士は嬉しそうに笑った。
「それでは退却していてください。帝国領土にサナリア軍を入れさせませんからね。ご安心くださいね」
「はっ。閣下! お気をつけて」
「はい。そちらも気を付けてください」
フュンは関所の兵士を帝国に返した。
サナリア軍が関所から一歩でも出れば、サナリアの地は帝国の兵士によって焦土と化す。
だからこそフュンはここを死守しようと馬防柵を作って防衛しようとしたのである。
「では、そろそろ来ますかね。進軍速度から計算してもそろそろなはず。あの軍は特に遅い。ウォーカー隊なら固まっても三日以内には来ますからね。彼らは実に優秀です」
フュンは自分の隊を懐かしんでいた。
◇
フュンはようやく到着した敵軍の様子を窺う。
見れば見るほど、落胆するしかなかった。
ここにいる幹部たちと話し合いに入る。
「なるほど……ズィーベ。こちらを見つけても陣形を変えずに進んでますね。しかも兵が疲弊しているじゃありませんか。それは進軍が上手くいっていない証拠。ペース配分や天候、それらを把握できないとは情けない。ズィーベ、あなたは指揮官として0点です」
「そのようですね。殿下。やはりあの出来損ないは、悪い典型の塊ですね……戦争を知りませんな」
「そうです。あの陣形は攻城戦をするためのものじゃありません。自分が軍の真ん中にいる。あれでは両方の軍の全体を把握できません。まったく、あんな考えしか出来ないのに、どうして帝国に勝てるなど思ったのでしょうか。はぁ。僕の弟ながら呆れるしかない。ああ、でも、あとは……僕がやるべきことは・・・よし」
フュンは、目の前の軍と、シガーから貰った情報を照らし合わせるようにして全体を把握し始めた。
サナリア軍は前方1万。中軍2千。後方500。左翼と右翼に3千ずつを配置していた。
兵がゼファーらに削られた分。
2万以上いたはずの兵士は、2万前後へとなっている。
そしてこちらの軍の前方1万の軍が、ラルハンが率いる主力部隊だそうだ。
元シガーの部隊の者たち。元ゼクスの部下たちはこの戦争に参加していない者が多いらしい。
当然だ。誰が自分の主を降格させた奴、ゼクスを殺した奴の言う事を聞けるのだろうか。
彼らはフュン同様、王を尊敬しているのではない。
ゼクスやシガーを尊敬しているのだ。
そしてここでおかしな点がちらほら。
両翼にいた兵に統一性がないのだ。
盾や弓などのごちゃまぜの兵で外を固めていた。
それとシガーは部隊を少なくさせられて、閑職のような形で後ろに配置されていた。
フュンはさらに敵軍を分析する。
「やはりシガー様が後ろですか。あれが特に駄目ですね。シガー様は、情報分析の職人。攻城戦で背後に置いていては意味がない。ズィーベは、シガー様を活用する気がないのですね。あの方こそ、先頭に立たせて、一度だけ先陣を切らせるのが吉なんです。そうすれば彼は次の攻撃方法を見出すというのに…‥あれでは宝の持ち腐れです」
「王子。父が軍の長としても重要だと?」
「はい。そうですよ。シュガ殿は知りませんでしたか? シガー様は冷静沈着なタイプの知将ですよ。猛将じゃありません」
「そ。そうなのですか!? あの父が……え???」
シュガは自分の父の戦う姿を思い浮かべる。
二対の斧を持つ父は、修行中に激しい旋風を巻き起こしながら鬼の形相で襲い掛かってくるのである。
それも毎回。
その恐ろしさはとてもつなく、子供の頃はいつも泣いていた事を思い出した。
あれが知将・・・にわかには信じられない。
それが彼の本音である。
「いいですか。二人とも。サナリアの四天王とは、剣のラルハンが無能。槍のゼクスが仁義の心を持つ忍耐の将。弓のフィアーナが勝負所を知る勘の鋭い将です。そして斧のシガーが相手を分析するタイプの知将なんです。この三人は、的確な配置をしてあげれば、おそらく帝国の大将としてもやっていけるでしょう。それ程の強者であります。ですが、それを上手く扱えないでしょうね。ズィーベ如きではね。そう考えると、僕の父上でも、彼らを上手く扱ってはいなかったでしょうね。やはり父もタダの武人でありますね。体の強さだけが全て。その程度の考えと、王としての器ではサナリアではいいでしょう。ですが、アーリア大陸に行けば、ただの無能です。帝国の領主以下の存在でしょうね」
フュンは家族に対して辛辣であった。
王妃の事は論外だが、フュンは実のところ父を尊敬していない。
父にだって、自分に対しての愛情があることは、手紙などで多少は知っているのだが。
それでもフュンの中では、人質宣告の時に親子の縁が切れていると思っている。
悲しいが、彼はあの時サナリアの為に生きると誓ったのだ。
だから、サナリアの家族の為には生きていない。
彼の本当の家族は亡くなった母だけ。
そんな風に思っていても、弟であるズィーベをなんとか出来るかもと諦めなかった彼はやはり優しすぎたと言えるだろう。
「殿下なら。上手く扱えると?」
「え。まあ、そうですね。三人が許してくれるなら、僕が三人の力を最大限発揮させますよ。その自信はあります」
「王子・・・」
シュガとゼファーはフュンの自信ある顔を見て安心した。
これから戦うのにも気負いもなく、慢心があるわけでもない。
ちょうどいい心の具合であるなと二人は感じていた。
「では、やりましょうか。僕らは、ここで勝って、サナリアの民を救わねばなりません」
「「はっ」」
二人が返事をした後。
フュンは少しだけ土を盛り上げて、高くした場所に立つ。
そこから大きく息を吸って、吐き出した勢いのまま叫んだ。
「私は、サナリア王国第一王子フュン・メイダルフィアである。サナリア軍よ。聞きなさい。あなたたちと同じサナリア人である私に投降すれば、命までは取りません。素直に私に従いなさい。そのサナリアの軍は万が一でも、私の軍に勝てない。なぜなら、私たちが真のサナリア軍だからです」
相手の気持ちを揺さぶるだけの方便。
こんな所で降伏するわけないが、このタイミングで相手の気勢を挫くのだ。
そして自分たちの方が正しい。
と自分たちを鼓舞する演説でもある。
続けてフュンは標的をズィーベにする。
「ズィーベ! あなたのような非道な男が組織した軍では私には勝てない。あなたはここで惨めな思いをするだけですよ。ですから、潔く負けを認めて軍を解散しなさい。兄としての最後の助言であります。惨めで無残な姿をそこの大勢の皆さんの前で披露したくないでしょう。ここで引けば、恥ずかしい思いをせずに済むのです。負けて泣く姿を見せずに済むのですよ・・・ズィーベ」
フュンの挑発。
これは今までと比較しても、なんの捻りもない。
単純な挑発である。
こんなものに引っかかる奴など帝国と王国にはいないであろう。
だが、この男は違うとフュンは考えている。
真っ正直に捻りもなく、言えば言うだけ、逆上するはずだと。
敵軍の真ん中にいたズィーベの声が聞こえてきた。
甲高い声になるあたり、顔が見えずとも激怒していることが分かる。
ズィーベは簡単に挑発に乗ってしまったのだ。
「貴様ああああああ。何が兄としてのだ。貴様が私の兄だと!! 一度も思ったことないわ。お前のような愚鈍な奴がああああああああ。私の兄なわけがない。侮辱しおってええええええええ」
ズィーベの言葉に被せるようにフュンが言う。
「ズィーベ。お前は愚かなんだ。これを見て攻撃しようとすること自体が愚かなんです。この布陣の恐ろしさを分からないのでしょう。だったら諦めなさい。でもどうしても攻撃してくるのなら、ここで勉強しなさい。あなたにとって、高い勉強代になりますがね」
ズィーベはある意味扱いやすい。
フュンは畳みかけた。
「何がそんな丸太を並べただけの陣など完膚なきまでに・・・」
「はぁ。ですから愚かだと言っているのだ。今の言葉・・・サナリアがまだ戦争というものを経験していない証明であるぞ。ズィーベ! 今の言葉を帝国と王国の前では絶対に言うなよ! 馬鹿丸出しで、私が恥ずかしいからな! こんな奴が弟なのかと罵られるわ。よいな。もし言ったらな。穴があって、たまたま私がそこに入れても、恥ずかしいわ! それくらいの事だからな! 気をつけなさい」
「何を貴様なんかにぃぃぃぃいいいいいいいい」
フュンは、流暢な口撃を仕掛ける。
「お前たちの今までの戦争は所詮子供のおままごと。それにお前は本当の子供のようだ。お子様は大人しくお家に帰りなさい。お前には母上がいるでしょう。兄に勝てなかったと泣きついて慰めてもらいなさい。どうしようもない悪魔のカミラにお願いしてきなさい!」
「貴様ぁああああああああああああああ。母上までえええええええええ」
「ズィーベ。それでも大人の私にかかってくるというのなら、私が直々にお前に戦いのお手本を見せてやろう。本物の戦争の恐ろしさと愚かさを、たんまりとその身に刻め。お前の兵がいかに数が多かろうが、お前では私には勝てんのだ。それが、今の私とお前の実力の違いだ。大人しく投降しないのなら。そんなところで縮こまっていないで。さあ、はやくかかってきなさい! 身の程知らずのお子様よ!」
「なああああああああああああ。ああああああああああ。おおおおおおおおおおお」
ズィーベは激しい雄叫びをあげた。
フュンに馬鹿にされすぎて、もはや気が狂ってしまう。
「突撃しろ。兄上の首をここに持ってこいいいいいいいいいいいいいいい」
戦争は簡単に挑発に乗ったズィーベから始まった。
「やはり……それではいけないのです。ズィーベ。あなたはもう一国の王なのです。こんな単純な言葉の応酬で頭に来るようでは。あなたに王の資格はありませんよ。そして、残念ですよ。あなたは間違えているのです。帝国は甘くない。僕らのサナリアとは厳しさが違うのですよ。あなたのその行為。起こしただけで・・・帝国が許してくれるわけがない・・・僕らは属国の王子なんだ・・・」
サナリアの騎馬部隊が突撃を開始したのを見届けて、フュンは悲しげな声で呟いた。
ついに宿命の兄弟戦争が幕を開けた。




