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今日も真面目に部活に参加する。
もちろん高跳びをする為だが、いつもの時間に現れるはずの永瀬の姿を見るためでもあった。
相変わらず視線が交わることはなく俺の一方通行だけど、それでも、今は目を背けたいとは思わない。
傍にいるのは違う男だし、笑顔を向けるのもその男に対してだとしても。
今はそんなことを気にするだけ無駄だ。
俺は永瀬が好きで、僅かしかない共通の時間を、少しでも無駄にしたくないと思うから。
誰に向けたものでもいい。
永瀬の笑顔を見られるだけで良かった。
「さくら、今日も可愛いよなあ……」
「……は?」
思わず耳を疑ったのは、間近で聞こえた高橋の教師とは思えない言動のせいだ。
いつからそこに居るのか、さっきまでの俺と同じ目線で、俺の隣に立っている。
その視線を俺の方に向けると、ニヤリと嫌味な笑みを浮かべた。
「暁も、そう思うだろ?」
「……さあな」
もっと馬鹿にした言葉を予想していたから、高橋の噛み締める様な短い台詞に戸惑う。
少し前から気付いていた。
俺の行動を揶揄っているようで、実際には高橋の永瀬を見る目が、教師のそれではなくなっていたこと。
生徒との恋愛なんて許されない立場にある高橋には、確かに困惑する事態だろう。
生徒の一人に惹かれたなんて。
「俺はさ、諦めたりしない主義なんだ」
迷いのない声で不敵に笑う高橋は、どうやら吹っ切れているらしい。
他の誰でもなく、自分自身に芽生えた気持ちだ。
いくら誤魔化したり目を背けていても、結局は認めるしかないのだから。
きっと、昨日の俺と同じなんだろう。
不意に高橋が校門から歩き出した二人に目を向け、つられて俺もそっちを見る。
「あいつが彼氏だろうと、関係ない」
隣から聞こえた呟く程の小さな言葉に、無意識に頷いていた。
「……暁がライバルでも、な」
いつもと変わらず仲良く並んで歩く姿は、見ているだけで胸を締め付けられる。
高橋が俺の方を見ている事にも気付いていたけど、二人から目を離せなかった。
「俺のことを気にする必要はないだろ。
あっちは俺の顔も名前も知らないだろうし」
自分で言うと尚更空しく感じるが、それが事実。
同じクラスではあるらしいが、一度も顔を出したことの無い俺を永瀬が知るはずもなくて。
状況は誰の目にも明らかな、一方的すぎる片思い。
それになにより、永瀬にはあの男がいる。
今更俺の存在を知ったところで、永瀬の気持ちを俺の方に向けるのは無理な話だ。
高橋とは逆で、諦めているからこそ、ここから見ていることに満足しているのかもしれない。
そう認めるしかなかった。
永瀬たちの姿が見えなくなる。
いつもと同じように、いつもの道を通って。
俺はただ、それを遠くから眺めているだけ。
いつもと同じ。
でも、見送る俺の気持ちだけは、昨日までと違った。
いつかきっと、ただ見ているだけの永瀬とも会えなくなる日が確実に訪れる。
俺たちは一年も経たないうちに卒業で、その先の進路が同じだなんて奇跡みたいなめぐり合わせが無いことは分かり切っている。
だから、このまま好きでいる事は出来なくて。
自覚したばかりのこの想いを、それまでに消すことが出来るのだろうか。
そう考えたら、今の自分が馬鹿らしく思えた。
「消さなきゃいけないわけじゃ、ないんだ」
「暁?」
高橋の言う通り、誰がライバルだとか、そんなことはどうでもいい。
永瀬には彼氏がいて、それを知った上で好きになるなんて、不毛な恋かもしれない。
それでも、好きになった。
何もしないで、永瀬のことを知りもしないで、顔を合わせることもせず、ただ別れを待つなんて、それこそ不毛だ。
「明日、教室に行く」
「さくらに会うために?」
同意の意味を込めて頷く。
俺はただ、本当の永瀬を知るのが怖いのかもしれない。
外見で好きになったのではないが、それならどこを、と聞かれれば、俺にも分からないから。
自分の気持ちなのに、何一つ分からなくて答えられるはっきりとしたものが無くて、ただの勘違いだって知るのが怖い。
それに、もし今までのように奇異の目を永瀬から向けられたら───
それを想像するだけで怖い。
でも今はそれ以上に、永瀬のことを知りたいし、俺のことを知って欲しい。
その先がどうなるかなんて、今はまだ誰にも分からないのだから。