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真面目に授業を受けていない俺は、誰もいない図書室で昼寝から目覚める。

今はもう放課後で、窓の外では朝から雨が降り続いていた。

去年なら校舎の中をひたすら走らされた雨の放課後も、今年からは軽い筋トレだけ。

その雨降りの今日は、大会間近の野球部に練習場所を譲って休みだった。


欠伸を噛み殺し、まだ読みかけの本を棚に戻すと、そのまま部屋を出る。

少し寝過ごしたらしい。

すでにホームルームを終えたらしい何人かの生徒と廊下で行き違う。

その度に向けられる好奇の視線は無視し、昇降口を後にする。

今朝も家から差してきた傘を広げ、雨の中を歩き出した。


「暁、今帰りか?」


校舎を出てすぐ、声を掛けてきたのは高橋。

部活が無くて暇なのは顧問も一緒らしい。

何故か俺の横に並び歩く。


思えば、部活で遅くなるか早退ばかりの俺が、他の生徒と同じ時間に帰るのはこれが初めてだった。

だから、いつもは離れた場所から見ていた姿が目の前にあるのも当然で、校門の前にある人影の正体に気付いて止まった足は、その場に縫い付けられたように動かない。


「……さくら、か?」


隣で呟く高橋の声も、今は遠い。


初めて間近で見た永瀬の笑顔は、脳裏に焼き付いて離れなかった。


2人の存在にもう少し早く気付けなかったのは、男の姿が門の影だったせいもある。

でもそれ以上に───


メガネを外し、今まさに男が結い上げたらしい髪を纏めた永瀬の姿が、見慣れないものだったから。


ただ髪を結っただけなのに、隣の男が居なければ永瀬だと確信できないくらいに印象が違う。

濡れてしまった永瀬のために男が着せ掛けたらしい男物の制服の上着を、嬉しそうに握り締めている指先にまで目が奪われる。

その笑顔が向けられた先は、当然ながら彼女の目の前に立つ男で。

どれだけ間近に感じても、それは俺に向けられたものじゃない。


「……何なんだよ……っ」


痛む胸を押さえ、その痛みの意味が分からないことに苛立つ。

苦し紛れに呟いた言葉は、思ったより大きい声だったようで、驚いたように永瀬が振り向いた。

真っすぐに向けられた、遠目に見ていたイメージよりも大きいものだと分かる彼女の瞳が、俺を射抜く。

刹那、俺が感じる世界の全てが永瀬だけになった。


───胸が、締め付けられる。


目が合っていたのはほんの一瞬だったのかもしれない。

でもそれは、永瀬の意識が俺に向けられた初めての瞬間で。

そんな考えが頭を過ると、痛みとは違う、早鐘を打つ胸の苦しさに息が詰まる。


顔が、熱い。


やけにゆっくりと見える永瀬の瞬きの間に、その場から走り出していた。


雨の中を走って走って、ひたすら走って。

いつの間にか傘を持っていないことに気付いたのは、全身の冷たさに足を止めた時だった。

髪の先から滴り落ちる雫を見つめていると、自然に溜め息が漏れる。


「何してるんだろうな、俺は……」


駅に近いせいか、ずぶ濡れの俺に人の目が集まっているのは感じていた。

普段なら、こんな風に好奇の目を向けられるのは耐えられなかっただろう。

嫌でも小さい頃を思い出すから。

けれど今この時は、気にもならなかった。

頭の中は永瀬でいっぱいで、他の物が入る余地なんて無い。

永瀬は特に美人でもなく、確かにさっきは目を引かれたけど、それは初めて見た姿だったからで。

けど、これほど心を占領されているのは、永瀬だから。


この感情の正体には自分でも薄々気付いている。

少し前から、見て見ぬフリをしながらも考えていた。

よく知りもしない、それも彼氏がいる事だけは知っている女。

俺自身、おかしいと思う。

でも、気持ちが膨らんで制御できなくなりつつあるのも感じていた。


俺は、永瀬のことを……


まだ確信できない気持でも。

濡れて張り付いている前髪をかき上げ、前を向く。


永瀬が好きだ。


いくら心の内と言っても、言葉にしたのは初めての想いを胸に、駅の構内に足を向けた。



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