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陸上の顧問だった体育教師は、去年の内から退職を明言していた。
定年退職にはまだ数年早かったが、前々から誘われていた企業チームのコーチを本職として選んだらしい。
だから、今年から新しい顧問に代わることは分かっていたし、それが新任の教師に任されるだろうことも予想していた。
多くの部員は、新しい顧問に期待を抱いていたようだ。
本格的な指導をしていた以前の顧問は、良く言えば指導熱心、率直に言えば厳しい人だった。
休みはあって無いようなものだったし、記録上位者に対する大会前の追い込みと言ったら、まさに地獄絵図。
もちろん、それ相応の結果は残している。
地方大会では上位記録の常連だし、特に力を入れていた跳躍種目では全国を狙えるほどだった。
その手腕を買われてのヘッドハントだろうから、逆に言えば、その指導に付いていけるのがトップに立てる人間ということなんだろう。
以前から走り高跳びをしていた俺は、スポーツ特待、しかも跳躍競技が優遇されるその環境を決め手に受験した経緯もある。
だが、俺のように気が向いたときに好きなだけ跳ぶ、という、いわゆる幽霊部員とは違って、真面目に取り組んでいた奴らにはキツ過ぎたらしい.
新しい顧問がある程度緩い奴であることを願っているのが、傍から見ていた俺にも分かった。
そんな期待の中で陸上部に配属されたのは、新卒新任の「爽やか」を画に描いたような若い男性教師。
俺のクラスの副担任でもある高橋だった。
高橋は、顔に似合わずしつこい男だ。
幽霊部員どころか、教師からも爪弾き扱いの俺に、部活に出ることを強要してきた。
それは赴任当日から始まり、学校で顔を合わせた時に限らず、休日に家に押しかけてきたことがあった程。
もちろん、スポーツ特待で入学したからには、部活動に積極的に参加する必要がある。
それでも今までのようなやり方が通用したのは、俺の成績が全国を狙えるレベルにあるから。
上背のある俺は、たいした練習をしなくても、そこそこの記録が出る。
以前の顧問は俺の特性を理解していて、強要しないことが最良だと考えていた。
一方の高橋は、磨けばもっと伸びるとでも思ったのだろう。
最終的には、俺が根負けした形で部活に出るようになった。
それは、春休みが明けて十日も過ぎた頃。
他の部員たちのいかにも迷惑そうな視線の中、俺の真面目な部活動は続いていた。
下級生でさえも俺の噂は耳にしているらしく、滅多な用がないかぎり近づきもしない。
同級の奴らは尚更。
今年の夏の大会が最後だというのにとんだ邪魔だ、くらいには思っているかもしれない。
いや、そう思っていて当然。
それが分かっているから、周りに迷惑を掛けないことを第一に練習に参加するつもりでいた。
全員集合のウォーミングアップには参加しても、競技別の練習はなるべく空いた隙を見計らって跳ぶ。
部活に出るようになったとは言っても、周りとの関りはそれまでと大して変わりはない。
以前との違いといえば、他の部員と同じ時間から毎日参加するようになった、という点くらいだ。
肩身が狭くても、不本意でも、参加し続けたのは高橋に宣告されていたから。
サボれば、二度とバーを跳ばせはしない、と。
真面目な部活動が始まって1週間も経つと、周りの部員たちの目からは初めの頃の刺々しさが無くなっていた。
もちろん親しげに近寄ってくるような奴はいないが、それでも、大会に向けて必死な奴らと距離を置いて、なるべく邪魔にならないように跳んでいたことは意外だったのだろう。
悪い印象を良くするのは簡単で、それは今回の俺にも当てはまった。
他の生徒と距離を置いていたのは、俺の方で昔の嫌な経験があったせいだから、元から誰かに対してわざわざ関わろうとはしていなかった。
だから問題を起こすなら俺一人の問題であって、誰かと喧嘩したり揉めたりなんてことは起こり得ない。
体格のことがあって勝手に喧嘩が強いと噂されているようだが、実際に喧嘩なんてしたこともないし、言われているように喫煙したこともない。
ただ、背が伸びるのを止めたくて小さい頃から喫煙者の近くにいたせいか、今でもヘビースモーカーである叔父の元に通うのが癖になっていて、近くに寄ってくると匂うくらいには服に香りが移っている。
教師にも昔から疑われてきたが、抜き打ちの持ち物検査にパスし続けるうちに諦めたようだった。