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選択死  作者: 雲散無常
第九章:予見
98/137

9-5


 想定外の出来事というのは常に起こる。

 どんなにパターン分けで対応策を練ろうと所詮は人の脳内の空論でしかない。その隙間を縫って違う回答が現れる。

 普通に話していた人間が、突然会話をやめて口ではなく手を使い始めることもある。逆上する人間などが取る行動だ。瞬間的にキレて無意識に暴力に走る行為。十分にあり得るものだと知識としては知っている。分かってはいた。

 だが、それが目の前で起こることを予想できるかと言えば別問題だ。

 そんな兆候はなかったように思う。そもそも、予兆などあるのかすら知らない。だから「そうなるとは思わなかった」その一言に尽きる。

 とにかく、クロウはヨーグの突発的な戦闘開始にあまり適応できてはいなかった。しっかりと予期していれば機先を制して押さえられたかもしれない。

 後手に回ったいま、そんな後悔も反省も意味はなさない。

 「この酒場はどのくらい融通が効く?」

 「ここはナキド様が御懇意にされてる店の一つですので、多少は無理を通せます」

 淀みなく答えるウェルヴェーヌの返事にクロウは頷いて、指示を飛ばす。

 「この場でどうにか納める。他の客を逃して誰も入らないようにしてくれ」

 「それは、店内は絶望的だということになるのでは?」

 「外で暴れられるよりマシだろ?」

 「……請求の半分ほどは探索者ギルドにまわせるかもしれませんが……」

 まわせるのか。それはそれで凄いな。

 こんな状況でも財政回りの調整を考えているメイドに感服するばかりだ。

 ならば、自分はS級探索者をどうにかすることに集中するだけだ。不得意なことは考えても仕方がない。

 剣を抜き放って大男と対峙する。

 「ハッ、やる気になったか。いいぜいいぜ!」

 やる気になったわけではない。他に手がないだけだ。もう話をする気がない相手に理を説いても聞く耳も持たないだろう。ある種のあきらめだった。

 「とりあえず、お前に暴れられると困るんで黙らせてもらう」

 「カハッ、今更過ぎるだろうがっ!!」

 ヨーグの鋭い突きが眼前に迫る。

 穂先の形をまじまじと見せつけられる。先端の鋭利さは言うまでもなく、途中で刃の片側が突出していた。片鎌槍とか何とか言う名だった気がする。真っすぐに刺した後、引き戻したり回転させることであの出っ張りが対象を更に傷つけるのだろう。攻撃的で恐ろしい形状だ。

 絶対に触れたくない。剣で弾いてから返す一撃でまずは牽制しようとして、つまづいた。

 弾き返そうとした初手が想定以上に重すぎて手が痺れたからだ。

 相手の軌道を逸らすことには成功したものの、こちらも体勢を少し崩されて身体が流れた。そのまま回避行動に移るしかなかった。

 「くっ……」

 強度の見積もりが甘かったのだろう。ヨーグの力は想像以上に強かった。S級の腕は上方修正すべきのようだ。

 そうした計算違いは相手も同じだったと横目で確認して分かった。

 自分の突きが強制的にずらされたことにヨーグは表情を歪めていた。驚いたのではなく、不快感、不満が表に出ていた。それはクロウに向けられたものとというより、自分自身へ向けられていたように感じる。気のせいかもしれない。他人の心情には疎い自覚はある。

 姿勢を持ち直して距離感をはかろうとする。

 槍の使い手相手には、より近接する間合いになる必要があった。得物のリーチの差は優劣に大きく影響する。達人クラスとなればなおさらだ。

 こちらの手の内を読まれないうちに一気に仕掛けたいと思っていた。ヨーグは見たところ、戦闘狂の類で戦うことそのものに喜びというより生き甲斐を見出している性格のようだ。であれば、戦闘そのものをできるだけ長引かせようとするだろう。勝負を一撃でつけるような真似はせず、様々な技を体感しようとする傾向が強いはずだ。

 そこに隙がある。油断ともいう。クロウとしては、この勝負だか何だか分からないものにとにかく勝利し、ヨーグに貸しを作ることが重要だと考えていた。そのために手段は選ばない。

 出し惜しみなどせず、次の一手で終わらせる。

 ただし、怪我を負わせるのもよろしくなかった。遺恨を残す。一方で、このクラス相手に手加減はできない。残る答えとしては、全力で武器を叩き壊す。その辺が落し所だろう。

 あのどこから取り出したのか不明な武器の槍。

 穂先の片鎌の部分が物騒だ。剣の刃と同じく、殺傷するためのデザインだった。同時に、そのアシンメトリーな部分こそが弾き飛ばす際には重要になる。力の伝達的に狙い目だ。

 意識を集中する。

 ヨーグは既に準備万端で待ち構えている。先程の攻撃をさばいたことで、クロウへの評価を一段階ぐらい上げたのかもしれない。仕掛けてこい、という余裕の表情で誘ってきている。戦いを楽しんでいる。

 クロウがまだ様子見すると思い込んでいるに違いなかった。

 (アテル、三秒後にあいつの視界を遮る形で広がれるか?一瞬だけでいい。その後はすぐに中に戻ってくれ)

 そうしないと自身の動きが鈍る。ラクシャーヌは現在いない。災魔とその眷属が内部にいる時にのみ、クロウの肉体は自然に強化される。一応、シロもいるにいるが、ココとのつながりが強いせいか、あまり影響度は高くない。

 (はいです!おまかせあれ、なのです!)

 アテルはやる気十分だ。どんなことであれ、クロウの役に立てることを喜んでいる節がある。理想的な従魔だと外野は思うが、主人であるクロウはそんな風には思っていなかった。頼れる仲間という感覚で、身内だという認識だった。ラクシャーヌは都合よく使える道具だと公言しているので、眷属に関しての立場はかなり違っていた。

 クロウはやや姿勢を低くしてカウントダウンを始める。

 その動きを見て、ヨーグも対応するように槍を少し動かした。構えなのか、牽制なのか。

 真意をはかる暇もなく、その瞬間が訪れる。

 アテルがクロウの中から飛び出して正方形に近い布となって両者の視界を遮った。完全に漆黒なその色のせいで、タネを知らなければ自分の視界が暗転したと錯覚する。突然そんなものが出現する想定などできるはずがない。

 「―――――ッ!!」

 その刹那にクロウは下方から剣を繰り出した。完全にヨーグの死角だ。狙ったのはヨーグの槍。

 瞬間的に何も見えなくなったとき、人がまず守るべきは己の身体だ。反射的に、本能的にそう動く。武器への優先度は低くなる。

 その隙を狙った攻撃だ。

 ヨーグは目の前が突如真っ暗になったとて、動揺はしなかった。何かを仕掛けられた、そう思って後方へ飛び退ろうとした。後手にならないための回避行動だ。

 通常ならばそうした。一番安全な確率の高い選択肢。だが、今回はそれではダメだと勘が告げていた。何かが違うという己の第六感に従った。

 ゆえに踏み込んだ。正反対の動きになった。

 クロウの目測は大幅にずれることになった。反射的な回避行動で後退することを見越していた。

 視界に惑わされないとしても、防御寄りな行動、体勢になると予測してのすくい上げ攻撃だった。

 穂先を狙った下段からの突き上げは、だから大いにずれ込んだ。槍の柄の半ばに当たった。おまけに、なぜかそのインパクトの瞬間に力が消失した。受け止めるべき対象の反発力が不意に消え去った。有り余った力の行き場を失い、またもや体勢が崩れる。

 敢えて確認するまでもなく、その時には原因は見えていた。

 ヨーグの槍が半分に折れていた。クロウが叩き割ったわけではない。

 綺麗に柄の一部が折れ曲がっていた。そうなるまでまったく分からなかったが、その箇所はジョイントになっていたようだ。槍は初めから折りたためる構造だった。だからこそ、ヨーグは素早くそれを取り出せた。組み立てることで槍が完成する仕組み。あの長さを隠せたのはそういう絡繰りだったと今更に気づく。

 「カハッ!」

 強制的に畳まれた槍を素早く元に戻して、ヨーグはその場で一回転する。

 クロウがどこにいようと、その槍の範囲内になると踏んでの回転だろう。目視するよりも早く先手を打ってきた。

 振り上げたままの剣では防げない。

 あの槍がそれほど素早く組み立てられるとは思わなかった。手元で瞬時に伸ばせる機構もあるらしい。あるいは魔法か何かの技術か。

 今はそんなことよりも迫り来る槍を交わさなければならない。

 槍を弾き飛ばせなかったせいで、踏ん張る姿勢になってしまった。ここから避けようと動くにも分が悪い。

 普通の人間であれば、だが。

 転生人フェニクスであるクロウにはその理屈は適用されない。その道理は通らない。アテルも内部にいる。人体の動きの制約を瞬間的に逸脱することなど造作もなかった。あり得ないことなどあり得ない。

 実力者でS級探索者であるヨーグですら、その反応は予想外だっただろう。

 クロウは剣は持つ手を離すと、ヨーグが身体ごと回転して速度を上げた槍そのものを素手で掴んだ。自身もその回転に合わせて体をねじっている。

 動体視力もさることながら、その勢いを殺すための力も必要だった。バランスが崩れた状態でできる芸当ではない。

 それでもそれは叶った。

 どころか、掴んだ槍と共にクロウもまたその回転に加わった。ヨーグは自身の与り知らぬタイミングで、その遠心力に振り回されることになった。

 己は止まろうとしたのに、なぜかそれが止まらない。身体の筋肉はその齟齬にいち早く対応しようとするが、それ以上の負荷が、外圧がすべてを押し流す。

 ヨーグは自身の回転を利用されて逆に吹き飛ばされそうになる。瞬間的な加速が、勢いが凄まじい。

 その頃には自身の槍にいつのまにかクロウが手をかけていることに気づく。現状の理由に思い当たる。

 分かったところで主導権は既にヨーグの手になかった。このまま槍を握り続ければクロウの作り出す遠心力で更に状況が悪化するだけだ。膠着状態は長く続かない。ヨーグ自身が2、3秒後には放り出されるだろう。回転が増すことに被害は甚大になる。

 槍を手放した。考えるよりも先に合理的にそう身体が判断していた。即座に巨体が流れる。

 自身とクロウの遠心力によって放り出される。せめてもの思いで身をひねる。結果的に、真横への軌道が斜め上方へと変わった。狙ったわけではない。

 衝撃に備えて筋肉を固めた瞬間、ヨーグの身体は店の天井を突き破っていた。

 天井付近の梁などにも引っかからなかったのは幸いだった。当たり所が悪ければ、骨折どころ臓器破裂くらいの重傷を負っていたかもしれない。それほどの勢いで吹き飛ばされた。

 「カハッ、カカカッ!」

 上下逆さまの状態でヨーグは笑った。視界が逆さだった。下半身だけが天井から突き出ている形だ。そんな馬鹿げた恰好で止まっていた。

 あまりの滑稽な状況にS級探索者は拍手をして爆笑した。笑わずにはいられなかった

 それなりの痛みはあったが、それ以上にしてやられた感が強かった。たった数秒の戦いにしかならなかったが、読み合いと力と比べと、決して少なくない気づきがある。想像以上にクロウは強敵だった。上限設定を完全に見誤っていた。

 「おい。大丈夫か?」

 天井から宙吊りのような形で笑っているヨーグを見上げて、クロウは心配になった。自分がやったことではあるが、そんな恰好で高笑いする人間は異常だ。状況からして頭は打ってないはずだが、妙なところでも痛めたのかと思ってしまう。

 「大丈夫かだと?オレサマをこんなアホみたいにはめてよく言ったもんだ。カカカッ、いや、久々に失敗だ。どうしようもなく甘かった。オレサマの負けを認めてやる。オマエを低く見積もったオレサマのミスだ」

 何か良く分からないが、クロウは自分が過小評価されていたことは分かった。

 別に何とも思わない。むしろ、侮られるのは有利に働く。今回も完全にヨーグの油断が招いたものだ。

 まだ本気を出していないのは明らかだった。あっさりと今回は退いたが、どういうつもりなのか。

 「……遊びは終わりってことでいいのか?話を続けても?」

 「カハッ、この状態でかよ!オマエ、とことん面白えやつだな」

 「いや、とりあえず降りてからに決まってるだろ……話し合いをするつもりがまだあるのかって意味だ」

 10分後。

 再びテーブルについたヨーグは、何事もなかったかのようにまた大樽から酒を浴びるように飲んでいた。

 店内に客は戻っていなかった。さすがにいきなり暴れ出す巨漢と同じ場にはいたくなかったのだろう。天井にも穴が開いている有様だ。外から突き出た足は見えただろうか。

 貸し切り状態になった店内で、クロウもいつもの調子で話を続けた。

 「で、条件を取り下げてくれるつもりはあるのか?」

 「ハッ、ないな」

 勝負前とまったく変わらない結論をヨーグは即答した。その返事もある程度は予想していた。

 「……天井の修理代が丸々損なのですが?」

 側にいるウェルヴェーヌがぼそっと呟く。今は金勘定より大事なことがあるはずだ。

 「なら、何なら譲歩できるんだ?」

 それでも、ヨーグは何かしらの礼をするつもりだとクロウは読んでいた。勝負をして負けておいて、何のペナルティも課さないという正確には思えない。たとえそれが、自身の負けだったとしても。 「そうだな……オレサマが依頼を取り下げることはねぇが、依頼主がキャンセルするってんなら話は別だぜ」

 「つまり、依頼そのものをなかったことにさせろと?」

 「ハッ、そんなのはオレサマの知ったこっちゃねぇ。けど、まぁ、お前が一発いいのを決めた褒賞として、オレサマはなんだか一人の男の名前を言いたくてしょうがねぇ」

 ヨーグは再び酒をあおると、わざとらしくそっぽを向いて独り言のように呟いた。

 「オゴカン=ジャーハン」

 たった一言、それだけ言うと「便所」と告げて席を立った。S級探索者の流儀は大分まわりくどいようだ。

 そんなことを思いながら、残されたクロウはウェルヴェーヌを見る。

 「で、誰なんだ?」

 メイドはいつもの無表情ではあったが、どこか疲れたような声で答えた。

 「絶対に関わりたくはないと思っていた人物です」

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