9-4
その出会いは偶然としか言いようがなかった。
クロウはベリオスの町の放蕩貴族であるロウの装いで町を歩いていた。領主としての立場では気楽に外も歩けなくなってきたためだ。あまり町民にクロウの外見は知られていないとはいえ、最近では他国の人間も多く、領主として直接応対せずともどこかで見かけた者はそれなりの数にのぼる。今までのように気ままに散策していると襲われたり余計な交渉事などを強引に持ち掛けられる可能性もあるとのことで、仮の身分を装うのが定番になっていた。
「……それにしても、お前がいる時点でこのカモフラージュが功を奏しているのか甚だ疑問なんだが?」
クロウは半歩後ろをついて来ているウェルヴェーヌに疑問を投げる。その姿はいつものメイド服で目立っている。
もっとも、この町ではウェルヴェーヌのその格好は一つの名物でもあり、他の使用人たちにも強制的に着せていることもあって、一度でもベリオスの町を訪れたことがある者はすっかり慣れ親しんでいるというのも事実ではあった。
「私はクロウ会の主要な皆様に付き従う使用人ですので、何も心配することはございません。時にはあのうるさい占い師の従者さえこなしますので、それほどおかしくはありません」
テオニィールとウェルヴェーヌが並んで歩いている姿は少し想像がつかない。どんな話をするのだろうか。それよりも、使用人というのはそんなに頻繁に屋敷外にまで付き従うものなのだろうか。それはもう従者だ。いや、使用人は従者でもあるのか。散々自分とも行動を共にしている。地下世界にまでついてきたウェルヴェーヌだ。今更なのか。おかしくはないのか。
「もはや、おかしいの定義が分からなくなってくるな……」
ぼやきながら、ふと通りを見ると奇妙な看板が見えた。
長方形の板に店名が彫られている形式が普通であるのに、そこには鉄か何かの廃材を折り曲げたもので字が形作られていた。人目を引く発想で、なるほどそんなやり方があるのかと感心してしまう出来だった。
思わず立ち止まってその店が何なのか確認する。
店名の横にはフォークとコップの絵柄があった。分かりやすく飲食店らしい。
「この店に興味がおありですか?」
「ああ、いや、ここにこんな店なかった気がしてな」
「最近開店した食事処ですね。商会の方から認可された店として正式に報告は受けています。法的には問題ありません」
すらすらと答える辺りはさすがだった。どれだけの情報が頭に入っているのか。
「そうか。この看板のデザインはなかなか悪くない。そう思っただけだ」
クロウは再び歩き出そうとして、ぴくりと身体を震わせた。動き出そうとした体が無意識に停止する。店の中から、強烈な気配が飛んできたからだ。それは明らかにクロウに向けられていた。
殺気とは違う、ただただ存在感を誇示するかのような濃厚な気配。
「主、中に例の探索者がいるっす……」
一瞬だけ背後に現れたイルルがそっと耳打ちしてから、すぐにまた消えた。気取られないための動きだろう。中の誰かに気取られたくない、そうした意図を感じた。
S級のヨーグがこの店にいるようだ。会っておくべきか否か。
クロウが迷っている間に、その横を駆け抜ける一人の影があった。いや、全速力で疾走していたという方が正しい。その影は店の入り口の扉を蹴破るように開け放ち、同時にその剣を抜き放って突進していった。分かりやすい特攻だった。
突然の襲撃に店内の誰一人として対応できた者はいなかった。
ちらほらといた客も、悲鳴を上げる者はいない。何が起きているのか理解できず、ぽかんとしたままその影が振り上げた剣を見つめるばかりだった。白昼堂々、こんな街中でそのような凶行をしようとする者がいるとは誰も考えていなかったからだ。ベリオスの町の治安は悪くない。そんな蛮行が発生することはほとんどなかった。
しかし。
「――っ!?」
一瞬遅れたが、クロウは反応した。統治下での異常な事態を目の前で見過ごせるはずもない。
影は全身黒ずくめの男だった。旅人風のマントが年季の入ったくすみ具合で黒くなったような色合いだった。それがまた自然の日陰と同化する色になっている。影だと見間違えるほどに。
その動きを止めるべく飛び出そうとして、別の姿に気づく。
飛び込んできた影を待ち構えていた者が一人だけいたのだ。こちらもいかにもな旅人風の装いだった。取り立てて特徴のない服装。ただし、その体格は立派で背も高い。筋肉質な肉体が服の上からでも分かる。武術を学んでいる者の身体だ。その武器はといえば見当たらない。それでいて圧倒的な威圧感があった。
影男はそんな巨大な壁に向かって突っ込んでいった。ほんの刹那の躊躇があったように思えたが、むしろそれだけですんでいるのを称えるべきだ。
聳え立つ壁のような大男に対して向かっていける人間はそうはいまい。
「――ヒョッ!」
独特の気合いの声と共にその剣が振り落とされる。鋭い一撃だった。一振りで叩き斬る気迫と洗練された技術が詰まっていた。
一直線にその空間の空気をすべて押し退けるような力に溢れていた。
その中心にいた大男が真っ二つにされそうな勢いであり、目撃した誰もがそのような結末を一瞬思い描いただろう。
静かで美しい打ち下ろし。
速さがあるわけではない。一般人の目にも見えるくらいだ。ただ、それは真っすぐに自然な軌跡を描いていた。ありのままに、当たり前のように。
ゆえに、見惚れてしまう。黙って見つめてしまう。
そうやって対峙した相手は呆けたまま斬られていったはずだ。今までは。
大男は違った。
いつの間にかその手に槍が握られていた。大男の背丈ほどの長さの武器だ。いったいいつ、どこから取り出したのか。
疑問に思うと同時にその槍が影男の剣を弾き飛ばした。
無造作に突き出された槍の穂先が正確無比に刃を捕らえ、押し出した。まるで蝿を払うかのような自然な動作だった。
剣は当然の如く背後にいたクロウの方へ飛ぶ。
とっさに頭を振って避ける。耳元をかすめて剣が通り過ぎた。
その間も、クロウの視線は前方から逸れることはなかった。いや、逸らせなかった。
大男が自分を視ていたからだ。わざとクロウへ向けて弾き飛ばしたのかもしれない。
ニヤリとその口が歪んだ。前歯が見える。幾つかが歯抜けのように映った。否。途中から欠けているというべきか。それは聞くところによると、長時間魔物に噛みついていた後遺症で溶けたのだという。それが喰牙という二つ名の由来らしい。
この大男が、S級探索者ヨーグであることは間違いなかった。
眼前の襲撃者になど目もくれず、ヨーグはなぜかクロウを見ていた。
そのことに気づいたのか、影男が屈辱に身体を震わせながら吠えた。自分の必殺の攻撃を交わされただけでなく、相手にもされてないとなれば怒る気持ちも分からないでもない。だが、プロならばこの時点で撤退すべきだった。
「どこを見ているっ!!!」
叫びながら、投げナイフをヨーグに向かって放つ。この距離でその武器の選択は疑問に思えるが、近接武器ではあの槍に弾かれるという判断かもしれない。同時に、その身体が後ろへ回転する。後方宙返りだ。その際に足先がヨーグの腹部を狙っている。
投げナイフは牽制で、こちらが本命の攻撃のようだ。靴先には刃があった。暗器の類だ。視線を投げナイフで誘導し、死角から狙う。刃には毒が仕込まれている可能性もある。完全に暗殺者の動きだった。
ヨーグはその投げナイフを槍で防いだ。身体の前で素早く回転させて作った疑似的な盾だ。同時にそれは影男の靴先の刃も弾く。
あの一瞬でできる手さばきではない。常人には不可能な対応に影男は動揺しながらも、ここでようやく引き際を悟った。逃走しようと転身して駆け出す。
遅すぎる判断だった。クロウはそれを許さない。
入口の扉前で影男の足元を下段蹴りで刈り取る。クロウが動くとは思っていなかったのか、影男は簡単にひっくり返った。すかさずその身体をウェルヴェーヌが取り押さえる。どこに用意していたのか、あっという間に縄で縛り上げていた。
「殺人未遂で拘束いたします」
予想外の大捕物に店の客たちが歓声を上げた。この町のメイド人気も相まって、その騒ぎは一気に広がった。
クロウたちは目立ちすぎるのきらって、警備隊に男を引き渡した後、場所を移すことになった。もちろん、ヨーグと話すためだ。
本来なら襲われたヨーグは警備隊に事情聴取をされるところだったが、クロウがその役割を買って出た形になった。
こうして期せずして、両者は邂逅を果たした。
「ただ者じゃないとは思ったが、まさかアンタがここの領主サマだとはな。ハッ、これも何かの縁ってやつか?」
ヨーグは大樽のコップからぐいと酒を飲み干すと、ドンっと勢いよくそれをテーブルに叩きつける。
いちいち動作が豪快な男だった。嘲笑のような笑い方も、その前歯を強調しているようで威圧的だった。わざとなのか、天然なのか。
「こっちのことが分かってて闘気を飛ばしたわけじゃないのか。ただの喧嘩好きかよ?」
あの強烈な気配は今思えば挑発のようなものだった。自らその存在を誇示して、相手の反応を窺う。ろくなやり方ではない。
「ハッ、妙な気配だったから気になってな。思いがけないもんが釣れた上に、余計な雑魚まで引き寄せられちまったみてぇだがな」
捕まった影男は、クロウへ向けられた闘気を自分へのものと勘違いしたらしい。
潜んで機を窺っていた男はこの挑発行為に気が高ぶった。脅しで逃げると思っている相手の逆手を取ってやるつもりで襲撃に踏み切ったとのことだ。どちらにせよ、実力的にまったく届いていないので無駄な判断だった。
S級探索者であるヨーグは裏の世界では賞金首になっているとのことで、こうした暗殺者や賞金狩りの標的になることが多く、まったく動じた様子はなかった。賞金首になる理由としては名声や高い実力から倒せば箔がつくといった功名心、妬みや財産目当てといった低俗なものまで幅広い。ただしヨーグの場合は、それ以外の性格による反感や恨みといったものも考えられそうだった。
何しろ傲岸不遜、常に上から目線の俺様主義を体現した男だった。一人称もオレサマなので分かりやすい。謙虚さや敬意などをどこかに忘れてきたような人間なので、不快に思う人間は少なくないだろう。
クロウはあまり気にならなかった。人によって態度を変えるより、こうした一本気質の方が付き合いやすいせいもある。他人の心情に疎いがゆえかもしれない。
「まぁ、丁度いい機会だ。俺も一度面と向かって話そうとは思ってたからな」
こんな急な展開で会うつもりはなかったが、それはそれでありだと今は思っていた。事前情報は既に手に入れている。オホーラは今頃どう話を持っていくか検討しているだろうが、最終的に決めるのはクロウだという点は変わらない。ここで自分なりにヨーグの人となりを知るつもりだった。
場所を移した酒場の奥まった席。意外にもおとなしくついてきたヨーグも、クロウに興味があることは間違いなかった。
「そうかい。オレサマはどっちかっていうと話すよりやり合う方を期待してるんだがな?」
大きく胸を反らせて椅子の上で踏ん反り返るヨーグ。完全に挑発しているのだが、クロウにとってそれは何の意味もなさない。そうしたジェスチャーに興味がない上に、意図もあまり理解せず、気にもかけないからだ。尊大な態度も伝わなければただの所作だ。クロウにとっては、そういう振る舞いとして処理されるだけだった。
「話を聞いてなかったのか?話したいと言ったんだ、俺は」
それが虚勢や苛立ちを自制したものではないとすぐさま見抜いたヨーグは、「ハン」と幾らか自嘲気味に笑った。
「オマエ、面白いやつだな。あまり会ったことがないタイプだぜ」
「面白い?そんなことを言われたのは初めてだな。とりあえず感謝する、とでも言っておけばいいか?」
「カハッ、真面目にそんな返しが来るとはな。ったく、調子が狂うぜ。いいだろう、オマエの話に付き合ってやる。やり合うのはその後でもいい。で、何の話だ?」
やり合うのは確定なのか。
クロウは否定したかったが、あまり言っても意味がなさそうなので無視しておく。
「遺跡探索の件だ。その条件についても聞いた。交渉の余地もないってな。だから理由が知りたい。何でそこまでこだわるのか、それが分からないと納得できないってのがこっちの見解だ」
「ハッ、そんなのオマエらの勝手な言い分だろ?他人の納得なんざ知るか。オレサマが答えてやる義理がどこにある?」
「義理が嫌なら、筋を通すのはどうだ?落し所を探ろうにも、理由が分からないままじゃどうにもならない」
「落し所だぁ?妥協前提で話すんじゃねぇよ。そのまま呑めばいいだけの話だろ」
「それが厳しいから言っている」
「ハッ、まさかオレサマへの依頼を蹴るってことかよ?それがどういうことか分かってんのか?」
どこまでも強気なヨーグは、一貫して譲歩の姿勢を見せない。凄みを増した視線で睥睨する。
相手が断るということをまったく想定していない振る舞いだ。S級探索者としての矜持かエゴか。探索者ギルド側は確かに要求を呑むしかない立場だと表明している。だが、ベリオス側は必ずしもそうではない。出来得る限り穏便に納めたいところではあっても、ヨーグの条件は規格外過ぎた。
「当然だ。色々面倒になるかもしれないが、あんたの条件はそれでも無茶すぎる。うちは自由な町でありたいんだ。そいつを崩すつもりはない」
「カハッ!言い切るかよ!」
「当たり前だ。タファ=ルラだっけか?誰が何を信じようと勝手だが、自分たち以外を排斥しようとする奴らに免罪符を与えるわけがないだろう」
タファ=ルラ教国。デガヤム山脈南峰の向こうにある小国。大陸で唯一タファ=ルラ教を信じる者たちの国であり、その教義は彼らの神こそが源導者の上位存在という珍しいものだった。それだけならば特に問題視はされない。そういう考えもあるだろうですまされる。問題なのはタファ=ルラ教の指針、方針とも言うべき信条だった。
彼らの主張によれば源導者を信じるものはみな背教者であり、是正しなければならない対象だった。それは価値観の押し付け、強制であって自由とは程遠い。強引な勧誘や他の宗教を貶めるような布教活動も推奨されると聞く。タファ=ルラ信者になることが最大の幸福だという前提なので、その他のことは蔑ろにされるということだ。
そういったある種の排他主義もあって、タファ=ルラ教はあまり受け入れられていない。評判は芳しくはなかった。本来はもっと大陸中央付近で集団生活していたようだが、そうした背景もあって段々と土地を追われ、最終的に辺境の南部を根城にして国となった経緯がある。信者のみで構成された閉鎖的な宗教国家。それが一般的なタファ=ルラ教国に対する評価だった。
ヨーグはそのタファ=ルラ教の布教活動を、ベリオスの町で認めるということを条件としていた。彼自身が信者でもないのに、だ。理由を知りたいのは当然だろう。
「何でだよ。オマエの町は自由をうたってんだろ?だったら奴らにも布教する自由があんだろうが」
「積極的に他者を排除するような自由を与えるつもりはない。結局、もめてこっちが対応するはめになる」
ベリオスの町には源導者を信奉する者たちも多くいる。トラブルになるのは目に見えていた。
「放置しろよ。そんな管理された自由なんて本物じゃねぇ」
「自由に本物も偽物もない。所詮、俺たちの自由なんて制限されてるんだからな」
「ハッ、何を言ってやがる?オレサマは何にも縛られねぇ自由ってやつを知ってるぜ?オレサマがその体現者だからな」
「既に縛られてるだろ、アンタ」
クロウが間髪入れずに切り返したので、ヨーグは面食らったように一瞬止まった。それから怪訝に眉をしかめる。
「ハァン?」
「アンタ、いま地面に足を付けてるだろ。本当に自由だったら、そんな必要ないはずだぜ。本当に何もかも自由なら、アンタは地面なんか歩く必要はないし、究極人間の身体である必要もない。その形でいなきゃならない理由は?何でもできるってことが本当の自由だっていうなら、その体現者であるアンタにはできないことなんて何もないだろ?」
「…………」
ヨーグが初めてそこで押し黙った。余裕の笑みは消えていないが、改めて色々思考している。そんな間が流れた。
屁理屈だと言い返してくるかと思ったが、少なくとも否定することはなかった。クロウの言葉が刺さったのか、納得したのか。
微妙に不穏な静けさを感じて、ずっと隣で黙っていたウェルヴェーヌが緊張しているのが分かった。メイドはずっとS級探索者を警戒していた。
「カカカッ!オマエ、やっぱり面白いな!」
ヨーグが哄笑しながら、いきなりテーブルを蹴り上げた。とっさにクロウとウェルヴェーヌは後方に飛び退いて距離を開ける。用心していたゆえの反応だ。
「こうなったら、もうやり合うしかねぇなぁ!!」
またもやどこから取り出したのか、その手には槍が握られており、ヨーグは完全に臨戦態勢だった。
何がどうなったらそうなるのか、クロウにはまったく分からなかった。




