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ベリオスの町の謁見の間はそれほど豪奢な造りにはなっていない。
クロウが派手な装飾を好まないというより興味がまったくないせいであり、できるだけ質素なものでいいと注文したからだが、賢者の横やりで当初のような簡素なものは却下されていた。
確かに建物は機能的に問題がなければ見た目など関係ないという側面はある。しかし、こと国同士の外交になるとそういうわけにはいかない。
人間というものは本質的な中身より、先に外見で判断するものだ。更に言えば、豪華絢爛な装飾というものはその国の財力をはかる目安ともなる。分かりやすく余所者にアピールできる貴重な要因になり得るのが、領主館や王城の中の対外的な広間ということだ。
オホーラにそう力説されたクロウは、ある程度の贅沢な造りというものを許諾することにした。それでもまだ控え目ではあった。
周囲もあまりそうした派手好きなものがいなかったせいもある。いや、テオニィールだけは最後までもっと豪勢にやるべきだと主張していたが、おしゃべり男の声に耳を傾けるものはほとんどいなかったというのが事実だ。
そういったわけで、その謁見の間は必要最低限の華美な装飾に留まっており、芸術家肌からすれば感銘を受けることもない素っ気ないものに映った。逆に質実剛健なものを好む傾向にあれば好意的に取られるかもしれないが、外交の場においてはやはり物足りなさを感じさせてしまうことは否めない。
スレマール王国第一王子であるヘンリー二世もその類で、その場に入って簡素な造りを見抜くとすぐに興味を失っていた。街の発展具合からしてもっと豪奢なものか、奇抜なデザインを期待していたので肩透かしな気分だった。
その代わりに領主であるというクロウという人物をよく観察していた。
野良の転生人であり、あの災魔を退けたという噂の強者。後者については大分怪しいと思っていた。災魔については詳細が分かっていない、ただその現象が起きた後には何も残らない。そうした天災の一つだ。それだけに、仔細なく撃退したと喧伝されても信用はできない。災魔についての情報も粗方が伏せられている。その点については貴重な知識となるので秘匿するのも分からなくもないのだが、余計に嘘臭く思えてしまうのは仕方がない。
そして何よりもクロウの外見だ。どこにでもいるありふれた黒髪の青年にしか見えない。衣服はそれなりに立派なもので、上級貴族のようにきちんと着こなしてはいるが、それ以上でも以下でもない。どこぞの王のようにそこにいるだけで存在感と威厳があったり、どこかの宰相のように見た目からして知識の塊というような風体でもない。
居心地悪そうに座っている姿からは、どうしても武芸に秀でているような雰囲気は伝わってこない。手合わせしない限り断定するつもりはないが、第一印象としてはこちらも期待外れだった。
その点では、隣の奇妙な椅子に座っている道楽の賢者オホーラの方がよほどオーラがあった。この目で見るまで賢者なんていうものは驕った魔法士が勝手に名乗っているだけの役職だと思っていたが、なかなかどうして無視できない。普段はほぼ垂れ下がった瞼で見えない瞳が、不意に垣間見えたときの理知的な視線一つで本能的に凄みを感じてしまった。本能的に半ば理解させられたようなものだ。
武人とは違う強者の風格がそこにはあった。この町の発展はこの老人の功績なのではないかと訝しむ。どういう経緯で賢者がここにいるのかは未だに分かっていない。災魔をきっかけにある日突然現れたという。どういう巡り合わせなのか。
護衛の数が少ないのも気になった。広間そのものが狭いこともあるが、通常は出入口以外にも壁沿いに兵士がいて然るべきところに誰もいない。代わりに背丈の高い観葉植物が置いてある。見栄えは悪くないが、警備体制としてはお粗末だ。そもそも帯剣しているのが部屋の隅で退屈そうに突っ立っている赤毛の女と領主のクロウくらいだということも異常だ。
扉の外に衛兵はいたものの、たいした実力でもなさそうだった。謁見の間の入口を固めているのはなぜか使用人らしきメイド服の女のみで、一体この町の警備はどうなっているのか。
ヘンリー二世が頭をひねっていると、外交官長が話し始めた。
「本日は双方にとって有益となる友好関係を結ぶべく参上いたしました。快く会見頂き誠にありがとうございます」
「こちらこそ、お待たせして申し訳ありませんでしたな。近隣国との友好の儀は何物にも代えがたいもの。互いに実のあるものとなることを願いますぞ」
賢者が「ひょっほっほっ」と笑い声をあげる。意外にも気さくな始まりだった。それからお決まりの社交辞令を交わし、持参の献上品とお返し品のやりとりを終えてから、ようやく本題に入る。
「まずは我が国が誇る王宮付き占い師アネージャを紹介させてください」
白いヴェールで顔を覆われた女性がその場で立ち上がって一礼する。
ベリオスの町の謁見の間は、王制のそれとは違った。高台の王座の前に謁見者という構図ではなく、長机を挟んだ形の会議形式になっている。二段ほどベリオス側が高い位置にあるだけで、互いに椅子に座っている状態と言うことだ。その高さの違いが権威の象徴であることは言うまでもない。
とにかく、起立したアネージャでもその目線の高さは座ったままのベリオス側の人間の位置にあった。そのような視線を一身に浴びながらも、アネージャは臆することなくその口を開く。
「アネージャでございます。このような外交の場は初めてですので、何か不手際の折は御寛恕願いたく先にお願い申し上げます」
その声はよく通り、機械的でありながらどこか柔らかさもある聞き馴染みのよいものだった。
「わたしのような慮外者が図々しくもこの場にて発言させて頂くのは、わたしの占いがこの場の双方にとって非常に重要であることを伝えたいがためでございます」
「そちらが先読みの巫女に連なる者であることは聞き及んでおる。形式や立場など気にせず、是非ともその占いの結果をお聞かせ願いますかな?」
賢者はアネージャを気遣う言葉をかけて先を促す。
「お気遣い感謝いたします、賢者様。では、早速ですがわたしの予見をお話いたします」
そこでアネージャは静かに長く息を吐く。たったそれだけの仕草だったが、その場にいる者すべてが息を殺すように静まり返った。まるで音を立てた瞬間、何かが壊れてしまうような、そんな予感を無意識に感じ取ったかのように。
――流星が飛び散り、喉元へ突き刺さる。
それは歌うように紡ぎ出された言葉だった。流暢に力強く響き渡り、誰の言葉も合間に引き寄せない不思議な間があった。
――強く撚り、蹴鞠を捧げよ。怠れば災厄が降る。腕は一度しか振るえず、抱く欠片は一つのみ。悔恨を子守歌に、雲の切れ間に明日を覗く。
たった一度聞かされただけにもかかわらず、一言一句頭の中に刻み込まれるような奇妙な強い力を持っていた。始まりも終わりも唐突ながら、余韻が静かに各自の胸に落ちる。
だが、その意味は、内容は、分かるようでわからなかった。
抽象的なものだと理解していても、その真意を読み解こうとしてしまうのは人の性ではあるが、あまりにも難解に思えた。
アネージャは解釈を与えないつもりのようだった。ただ言葉だけを伝え、それ以上の何も付け加えようとはしなかった。
厳かな静寂が謁見の間を埋めていた。誰もがその言葉を反芻し、その意味するところに思いを馳せていた。その空気を破ってもいいものか、判断がつかないといった曖昧な時が流れる。
その沈黙を破ったのは、それまであまり言葉を発していないクロウだった。
「で、そちらさんは今の予見とやらをどう解釈しているんだ?少なくとも、それがベリオスの町とスレマール王国に関係するってことを確信しているからこそ、ここに来たんだろ?」
自然体なその声に、部屋の空気ががらりと変わった。それまでの状態に戻ったというべきか。ヘンリー二世は、クロウのその態度が意図的なのかどうか判断しかねた。
「ああ、当然の疑問だがその答えは簡単だ。この占いの対象がオレらの話ってことが前提だからだよ」
両者ともにざっくばらんな話し方なのは、事前にいつもの口調でかまわないという了承の元だ。ただし、そうは言っても公式の場では寧に話すのが常識なのだが、この二人はそうした形式主義を無視していた。周囲もそれについて強く咎めることをしないのは、大分諦めている感がある。似た者同士なのかもしれない。
「なるほど……けど、その場合は主語が両方なのか片方なのかで、色々と変わってくる気がするんだが……」
一文につきどちらに対するものなのか、それだけでも大分意味合いが変わってくる。
「その点に関しては分からない、としか言えない。占いってのはそもそも漠然としたもんで、結果から当て嵌めると納得が行くっていう場合がほとんどだ。ただ、今回みたいに『怠れば災厄が降る』みたいな文言があるのはさすがに無視できない。何らかの対策はしておかなくちゃならないだろうさ」
確かに災厄という単語は強烈だ。あからさまに不安を煽っている。クロウは賢者に視線を送る。オホーラはどう解釈しているのだろうか。
「……ふむ。解釈次第でいかようにも取れるとはいえ、確かに喉元や、災厄、悔恨といった不穏な単語が散りばめられておりますな。して、それはそれとして、此度の同盟申し入れに関する部分は、『強く撚り』の部分からですかな?」
「ん、どういうことだ?」
クロウはいつものように賢者に問う。すると、その質問はあまりよろしくなかったのか、一瞬呆れたような視線が賢者から返ってくる。公の場で不用意に理解していないという状態をさらけ出すことは悪手であることを、領主の立場としてまだクロウは分かっていなかった。
一瞬のやりとりだったが、ヘンリー二世はそこに自分の経験を重ね合わせてなんとなく理解した。あれは何かやらかした時の反応だな、と。クロウと自分は少し重なる部分があるようで、その点は好感が持てる気がした。
「……撚るというのは主に糸を束ねるという意味じゃろう。その後の災厄にかかっているとするならば、協力せねば良い結末にはならぬ、といったところであろうよ」
「こういう宣託ってのは、割とストレートに解釈した方がいいって相場は決まっている。だから早めにこうして話を持ち掛けに来た。意味不明な部分も色々あるし、そこは一つ、道楽の賢者様のお知恵を拝借って計算もあるわけだ」
「王子っ!?」
「おっと、喋りすぎたか。すまん、すまん」
ヘンリー二世も外交官長のカザフに窘められる。
「ひょっほっほっ、正直さも外交においては有効な手ですぞ。同盟とは両者にとって利がなくてはならぬもの。この老体の頭脳が役立つならば喜んで貸しましょうぞ。しかし、正直まだ何も思い浮かぶものはありませんな。流星やら蹴鞠やら、一体何を象徴しているのやら……」
「とにかく、占い師のあんたは座ってくれていいぜ。で、自分のその宣託、予見?とやらの解説はしてくれないのか?」
まだ立っていたアネージャは静かに腰を下ろしてから、申し訳なさそうにうなずいた。
「わたしの解釈はどうしてもスレマール寄りになってしまいます。この場では不用意に語らぬ方が余計な混乱を招かないという判断になっております」
「そうか……時間的なものについては何か分かっているのか?」
「そう遠くない未来、としか言いようがない。基本的に占いは近い将来に限定されるもんだが、そうでない事例もなくはない。逆に近々の緊急性が高いものはそうと分かるから、今回のは少なくとも今日明日どうにかなるようなもんじゃないってことは確かだ」
ヘンリー二世が安心させるようにそう言った。裏を返せば、いつかは必ず起こるということでもあった。まったく安心はできない。
結局、具体的なことは何一つ分からないまま会見は終了した。
ただし、同盟に関しては両者ともに締結する方向でまとまる気配を感じ取っていた。少なくとも、その点に関して悪い印象はなかった。
ミレイ=ウッドパックは、自室で最近の収支表を見ながらため息をついていた。
ここベリオスの町に本格的に拠点を移してからしばらく経っていた。財政的には黒字ではある。
ほとんどの会員を呼び寄せ、新たな一歩を踏み出してからの立ち上がりとしては上々だ。領主クロウとの関係も良好で安泰。おまけに人材確保のための狩場としても、この町は申し分ない。最上級の古代遺跡があり、その手の人間が続々と入ってくる。交易路がつながるということで行商人も多く、商売人方面も明るい。
自分の判断は間違っていなかった。
そう思えるだけの成果が既に出ている。
しかし、不満がないわけではなかった。
「……なんで本業の方が赤字やねん」
ウッドパック武器商会の表の顔は暗器に特化した武器屋、専門店だ。高品質が売りの大陸でも随一のものを扱っている自負があるし、業界ではそれなりに有名でもある。そのブランド力に見合う売上がなぜか出せていない。
地道に商品自体は売れているが、一定の額で止まる。それ以上に伸びない。こんなことは今までなかった。なぜかとなぜかと頭を悩ませて金額を睨みつけていると、ふとした拍子に見えてきた。
「おうふ!大量注文け……」
今までのパターンでは商品を気に入った上物の顧客から、まとまった数の受注があった。それがこの町では未だにない。暗器を扱う人数が多い組織や団体がいないせいだ。その意味では、自分たちが一番需要の高い組織であることは間違いない。己が最大の競合相手ではどうしようもない。
「探索者ギルドに売り込みでもかけなあかんか……」
勝算とリスクを天秤にかけていると、ドアをノックする音がした。
この部屋に訪れる者はそう多くない。叩き方と雰囲気で察しもついていた。
「入ってええでー」
「失礼します、お嬢様……と、またそのようなはしたない格好で」
ウッドパック家の執事ノーランは、部屋に足を踏み入れるなり胡乱な視線を主に向ける。寝間着姿に近いミレイがベッドの上で寝転がったまま、書類を乱雑に読んでいるからだった。
「なんや、自室でどうしようとうちの勝手やろ?」
「だからといって限度がありますぞ。ああ、またベッドで何か食べましたな?派手にこぼすので止めてくださいとあれほど……」
「だぁぁー!みみっちい小言はええねん!ほんで、何や用件があるんやろ?はよ言いや」
長くなりそうなノーランの説教を強引に遮って、ミレイは先を促す。
「まったく、仕方ありませんな。ではまず一つ目ですが、ゾーグからようやく連絡がありました。といっても、たった一言『どうにか入った。何かあればまた連絡する』という短いものだけですが」
「はっ、あの子らしいやんけ。けど、潜入できたんならおーけーやろ。ナイスポイント三点追加や。あそこは大分厳しそうやったからな、心配しとってん」
「はい、ひとまずは安心といったところですな。次に、南方面の偵察関連で多少気になる報告があります。妙な一団が近隣の村に滞在しているとのことで、警戒レベルを一つ上げた方がいいかもしれないとの提言がありました」
「妙な連中?」
「例のタファ=ルラとかいう宗教連中です。そこそこの地位の司教が教徒を連れて派手に布教しているようですね」
「ああ、源導者の上に存在するとかいう戯言を妄信してる国やったか。ほとんど外には出てこんいう話やったんやないか?」
「何か方針転換があったのかは分かりませんが、実際に動きがある以上、動向は気にしておいた方がいいかもしれません」
「誰か送る必要があるのけ?」
「いえ、そこまではまだ。多少気にかけておいた方がいいというところでしょう。次に、S級探索者の件ですが、想像以上に相当の手練れのようです。ジュリナでも気取られたとのことで、張り付くのは厳しいとの見解です」
「なんやて?ジュリナはんはキヤス隊の虎の子の一人やないか。そのレベルできついんか……そないなことじゃ、うちの会員技術ナイスポイント減点やで、ほんま……」
ミレイは大げさに頭を抱えた。諜報員が観察対象に気づかれてはまったく意味をなさない。
「まぁ、相手が相手ですからな。S級の名は飾りじゃないということでしょう。不確実でも遠巻きで監視するか、露見前提で張り付くのか、クロウ様に判断して頂くしかないかと」
「ぐぬぬ……ない袖は振れんか……そのキヤスはまだデオムの調査やったか?」
「はい。デオム国の賢者様への関与は確実ですが、残念ながらやはり決定的な物証は厳しそうです。ただ、かの国がこの町に悪意をもっているのは確定なので、今のうちから監視拠点を構築しておきたいとのことです」
「調査権を蹴られた恨みけ……今後も警戒は必要やな……」
デオム国はニーガルハーヴェ皇国と同等の規模の軍事国で有名だった。地域的に距離があるので脅威度は低いものの、何か仕掛けてくる可能性はある。実際、ガンラッド=ハルオラに利用された形とは言え間接的に関わっていた。目を離すのは得策ではないだろう。
「いよいよ、周辺国が動き出しまたな……警備隊が近隣への警戒、我らは少し遠方への目となりますか」
「せやな。そのために会員もほとんど集めたんや。ここで気張ってナイスポイントを稼がなあかん」
ベリオスの町が発展することは分かっていた。それがためにこの場所に根を下ろして、ウッドパック武器商会の本拠地とする決断を下したのだ。この展開は予想済であり、仕事に事欠かない目論みの点では期待通りだ。
ただ、少しばかり需要が多すぎるのが計算違いではあった。ミレイの試算を上回る速度で事態が推移している。会員の配置分配の効率化を進めないとこの先の対応は厳しくなる。
「……本業がますます疎かになってまうやないか」
「何か仰いましたか、お嬢様?それと、まだ報告の続きがありますので次に移ってもよろしいでしょうか?」
「まだあるんかいっ!?」
「当然です。退屈より忙殺の方が儲かってよいのでしょう?」
執事の嫌味な微笑は、以前に自分が語ったことを忘れてないでしょうね、という無言の圧力を湛えていた。あの頃は暇すぎてそんなことを言ったのだが、今さら覆すわけにもいかない。
ミレイは強気に「おう」と応える。
「もちろん、これこそうちの望んでた道や!」
その空元気がどこまで続くのか、ノーランはしっかり見極めなければと改めて気を引き締め、残りの報告を続けることにした。




