8-11
「それで、なぜわたしにその話をしているんですか?」
目の前でさも当然という顔でいる男に胡乱な目を向ける。
相変わらずの長髪は最低限の手入れのみであまり整えられておらず、いつもばっさり切ってしまえばいいのにと思っている。敢えて言わないでいるのは必要以上に関わりたくないからなのだが、本人はそんな気持ちをまったく察する様子はなかった。
占い師のテオニィール何某。フルネームは忘れた。クロウ会の中でおしゃべり過ぎてうるさがられている男という印象しかロレイアにはない。
魔法士としてもそれなりの腕なのは確かだが、一応その占いの腕を買われているのだと思う。あのオホーラでさえ一目置いているのだから多分実力はあるのだろう。あるいはよほどの詐欺師なのか。そんな皮肉めいた考えをどうしてもロレイアは持ってしまう。
「どうしてって、そりゃ、君と僕の仲なんだから、真っ先に話して当然じゃないか」
そこで不思議そうにこちらを見ないで欲しい。
ロレイアは嘆息交じりに視線をそらした。テオニィールが思っているような仲を感じたことは一度もなかった。それはクロウ会のすべての人間に対しても言えるのだが、特にテオニィールとは距離を取っている自覚がある。それをまったく感じていないのか、無視しているのか、軽薄な占い師の感性は理解不能だった。
「……それはともかく、その『先読みの巫女』について、何か詳しそうですね?同業者だからですか?」
妙な方向へ行きそうな話の流れを引き戻す。
そもそも今この場所――ベリオスの町で数ある飲食店の一つでランカ食堂という――でテオニィールと話しているのは、先読みの巫女なる占い師がこの町に何か警告をもたらすかもしれないという報告を受けていたからだ。その警告とやらが何であれ、それは混乱を招く恐れがあるという話だと理解している。
先読みの巫女については、あまり知らなかった。この大陸で有名な占い師の一人だという認識でしかない。その占いは百発百中で絶対に外さないという眉唾の評判だが、大国が独占的に抱えている事実もあり、決して単なる与太話ではないという現実的な側面もある。絶対ではないにせよ、それなりの高確率で何かは当てているのだろうと推測できる。
そんな大物がなぜこの町に現れるのか。
ベリオスの町に関わる者として、知らない振りはできなかった。
「同業者でなくても有名だよね?君だって占い師と言えばその名を思い出すんじゃないかい?」
それは確かに事実だったのでうなずく。多くの国が専属の宮廷占い師を抱えている。政治や戦争、国の行く末に関わる行事には必ず相談役として意見を傾聴するのが大陸の常識だ。その中で絶対的な信頼性と畏怖を持って語られるのが先読みの巫女であることは間違いがない。
ただし、その素性は一切不明で、どんな方法で占うのか、どういった形式で結果が伝えられるのか、詳細はまったく表には出てこない。重宝されていることと、常に正しい予測を口にするという噂だけが伝説のように広まっているに留まっていた。
「まぁ、素性とかいろいろ知られると他の国に攫われたりなんだりと大変だから、当然かの帝国は情報規制してるんで謎なのは当たり前だよね。僕が知っているのはだから、ちょっとしたコネみたいなものさ」
「コネ、ですか……?」
声に不審げな気持ちが完全に出てしまっていた。この囀るだけのうるさい男にそんな有力な人脈があるとは到底思えない。しかし、ロレイアの失礼な考えを知ってか知らずか、テオニィールはいつものようにマイペースに語り続ける。
「僕の師匠が実はちょっとした関係者でね。内情を少しばかり知っているんだ。それによると先読みの巫女って言うのは結局のところ、血筋がもたらす才能ってやつみたいなもので、家格のある貴族みたいに本系と分家筋があるわけ。んで、そこの本家ともなれば大国お抱えの秘密主義のど真ん中って感じになるのは当然なんだけど、じゃあ分家はっていうと、これが結構抜け穴が多いというか、割と適当に各地に散らばっている感じなんだ」
「……血統が重要であるのなら、その能力にはかなりの違いがあるのでは?」
魔法界においても、大魔法士の家系というものは存在する。より優秀な血筋の者と縁を結び、強力な魔力の資質を持った子を迎えるという血統主義の考え方は、昔から合理的に選ばれてきた歴史がある。分家とはそうした濃い血から外れた者たちのことを指すのが一般的だ。であれば、当然能力的にも劣化した子孫が連なっていくことになる。
「まぁ、そうなんだけど、それでも一定の力は持ってるわけで、それがまた馬鹿にできない。基本、占いってのはある種の制約を受けるものだけれど、先読みの巫女が強いのはそこを乗り越えてくる点なんだよね。つまり、基本原則としての『自分に関わる占いはできない』ことと『指定するタイミングでの占いはできない』っていう鉄の掟が適用されない。それだけで物凄いことなんだ」
「指定するタイミング、というのは例えば明日のお昼、といった具体的な時間指定のことを指すのですか?」
「そうそう。さすがロレイア君、良く分かってるね。まぁ、できないというと多少言い過ぎなんだけど、割とそこは気まぐれで曖昧な緩さが常にあってね、だいたいそのくらいの時期とか、ある程度の幅が必ずあるものなんだ。あと、自分に関することってのはほぼ受動的で、かなりクリティカルな場合に限る、とかそういう条件がつきまとう。当然と言えば当然だよね。誰だって自分に何が起こるのかは知りたいと思うだろうし、逐一それが分かったら何でもできそうに思えるでしょ?明日の今頃、僕がここで誰かに刺されるなんて占い結果が分かっていたら、当然行かないってな具合にね。いや、僕を刺そうなんて不埒な輩はいないか。ちょっと例えが悪かったね、あははは」
少しイラっとする笑いだった。そのよく回る口を黙らせようと暴力的な手段に出る人がいても不思議ではない、などとロレイアは思ったがさすがに口には出さなかった。
「そんな自己対象を脇に置いても、先読みの巫女が重宝されるのは結局その希望した時期の占いを能動的にできて、尚且つ正確性が高いって点なわけ。ある計画をいついつにした場合、結果がどうなるかっていうのが事前に分かれば物凄く有利だからね。正しく占い冥利に尽きるってやつだよ」
「確かにそれは有用な占いに思えますけど、先程の分家の方でもそれが可能だということなんですか?」
「うん、まぁ、そこが微妙なとこだよね。実際、本家と分家、血の濃さでその精度は天地ほどの差があるって言われてる。それでも凡人の占い師から言わせれば、低確率であろうと可能性があるだけ凄いことではあるんだけど。なぜってやり方次第で確率は上げられるし、所詮占いは運頼みでってお客さんには十分な価値があるからね。要するに先読みの巫女っていう強みは分家だろうとめっちゃでかいってこと。いやはや羨ましいね」
今回はその分家筋の誰かが訪問してくるということか。ならば、合点はいく。
「なるほど……でも、それだけの強い能力であれば代償もあるのでは?」
無償の商品には裏がある、というのは商人の格言だったか。ロレイアは都合のいい話を信じられるほど甘い人生を歩んでは来ていなかった。そんなに便利な占いがあるのなら何でもうまくいきそうなものだが、先読みの巫女を抱えた大国でも順風満帆な体制で安定しているとは言えない現実がある。何か事情があるのだと推測するには十分だろう。
「さすが、ロレイア君は鋭い。そうなんだよ、高い能力には当然の如く高い代償がつきものなんだ。先読みの巫女だって例外じゃない。いつでもどこでも何度でも、そんな風に占えたら最強すぎるしね。さて、占いには多少の魔力が必要なことはだいたい察しが付くと思う。もちろん、使わない方法でも占いそのものはできるけど、精度を高めるためにはどうしたって魔法を組み合わせた方が効率がいい。先読みの巫女もそこは変わらない。と、いうことは?」
テオニィールがもったいつけるように、その先をロレイアに振る。こんな問答に付き合うのは面倒だが、話の先が気になるのも事実なので素直にのっておく。
「想像以上に魔力の消費が激しい……つまり、占いのたびに魔力欠乏症になり、補うために生命力が消費されて……寿命が縮まる?」
「そう、御明察。連発できないのはまさにそのせいだって言われてる。強大な魔法を人間一人が延々と使えないように、魔法を扱う以上、個人の魔力限界が上限になる。普通、占いでそんなに魔力消費は起こり得ないわけだけど、先読みの巫女のはピンポイントで狙い撃ちするわけだからね。その精度を出すための魔力消費量は相当なものってわけだ。自分の命を削って占うなんて、伝説の戦士の必殺技みたいでカッコいいけど、毎回そんなの求められたら早死に必至だよね。国の滅亡が掛かってるときくらいしか、そんなの使わないのも納得でしょ」
頻繁に使えば寿命が減って死ぬ、そんな制約があるのなら、確かにおいそれと占ってもらうことはできない。しかし、使わない道具に意味はない。たまにしか使わないものをそばに置いておくことはないはずだ。宮廷魔法士であれば細々とした行事の相談でも吉兆を占うものだ。何かおかしくないだろうか。
いえ……すべての占いに膨大な魔力を使うわけではないのだとしたら?通常と特別と分けて考えれば別に不思議はないわ。
脳裏をよぎった疑問を自分で片付けて、ロレイアは少し納得した。
同時に他のちょっとしたことが気になって、テオニィールに問いかけてみる。
「先程の話で先読みの巫女の『指定するタイミング』と言っていましたが、それならば過去も占うというか見えるのですか?だとしたら、『先読み』という冠名はややそぐわないというかおかしくないですか?」
「おお、さすが麗しのロレイア君。鋭い指摘に僕は驚嘆しかないよ。そこに気づくとは素晴らしい!で、その答えとしてはまぁ、正直分からないっていうのが本当のところなんだよね。占いは主に未来を読み解こうとするもので、常に前を向いてるものだけど、失せもの探しとかは過去視も有力な手掛かりになるから、それもまた占いと言えば占いなわけだ。でも、ここであまり過去が見えるって喧伝しちゃうと少し都合が悪いことがある。なぜだか分かるかな?」
試すような質問は見方によれば意地が悪いものだが、テオニィールの場合は純粋に無邪気な子供のような雰囲気があってそのような嫌味な感じはしない。
気が付くと流れで巻き込まれて会話を続けさせられている。
「……過去が分かるとなると、色々都合の悪いことも露見してしまう?」
「イエス!その通り!特に国が絡めば色々と裏できな臭いことをしている人たちは戦々恐々としちゃうよね。あの件は実は隠れてこっそりと何々してましたーみたいな話が出てくると厄介だ。もちろん、証拠が残っているとは限らないけど噂に登るだけで痛手になり得る。特に王族関係の変死とかがあったとしたら大変だ。そこで暗殺なんて言葉が出てきたら大混乱でしょ。それだけで国家転覆の可能性だって出てきちゃう。すねに傷がない人間なんてほとんどいなしいね。まぁ、そういう懸念もあって、あくまで未来視を強調して『先読みの巫女』っていう代名詞で通してるんだろうね」
納得の行く説明だった。テオニィールは軽薄でいつも不真面目でうるさ型のおしゃべり男ではあるが、決して馬鹿ではない。
「それはそれとして、あの露店が消えちゃったのは何でだと思う?この僕が幻術でやられたなんてあり得ないと思うんだけど、ロレイア君ならどう推測する?あのルーって占い師は実は物凄くやり手の魔法士だったのかな?実は心当たりとかないかい?」
「いえ、普通にあなたが見事に騙されただけでは?」
「いやいや、そんなわけないよ?この僕だよ?」
心底不思議そうな顔をされて、ロレイアは呆れる。
この人は一体どこまで自分を過信しているの……?
話によればテオニィールはそのルー何某という占い師の天幕で先読みの巫女の話をされたという。その終盤だか途中だかで急に弾き飛ばされ、気が付いたら外にいて露店そのものが目の前から消失していたらしい。事実であれば、そんな芸当ができてるのは幻惑系の魔法でしかない。仮にも魔法士がその手の幻術にかかっていたとするなら、一般的には恥ずべきことだ。相手の魔法にまったく気づけなかったのだから。
自信過剰な占い師の感情を無視して、ロレイアは肝心なことを思い出させることにする。
「それよりも、先読みの巫女の話が本当なら、早くクロウ様たちに話しておくべきじゃないですか?」
「うん、それなんだけど、実は君に頼もうかと思っているんだ。僕はこれからちょっとウッドパック商会の方に顔を出さなくちゃいけなくてね。仕事ができる男は色々とやることが多くて困っちゃうね」
「…………」
何を言っているのか理解できなかった。なぜそうなるのか。
「あれ、不思議そうな顔をしてるね?ああ、ちょっと言葉が足りなかったかな?一応言っておくけど、決して領主館に行くと面倒なことになりそうだとかそういうことを考えているわけじゃないんだ。報告は必要だけど優先事項が別にあるだけで、後回しにしてもいいんだけど、君の言うように早めに伝えておくことも重要。でも、悲しいかな、僕の身体は一つしかないから、一度に二つのことはできないんだ。そこで愛しの君の出番というわけさ。いやはや、完全な論理的帰結。さすがの僕と君というわけだね」
やはり理解不能だった。これ以上聞いていても頭痛が酷くなりそうなので静かに席を立つ。
ランカ食堂で軽く昼食を頂いていたが、既に食べ終えている。テオニィールの主張を遮るようにため息交じりに一言だけ伝えておく。
「とにかく、先読みの巫女の件はクロウ様たちにわたしの方から報告しておきます。きっとオホーラ様が適切な手を打ってくれるでしょう」
自分が連絡する必要性については疑問はあるものの、おしゃべり男と無駄な問答を続けるのも億劫だった。何より、それをもたらした者がテオニィールであっても重要な事実に変わりはない。早めに伝えておくべきだ。
「え、あ、うん。よろしく頼むね」
余計な隙を与えずに行動を起こしたので、テオニィールはあっさりと見送る言葉しか口にできなかった。ぽつんと席に座ったままの占い師をその場に残して足早に立ち去る。
ロレイアは町役場となっている領主館を目指しながら、ベリオスの町並みを何となしに観察する。
初めて来たときは何の変哲もない田舎町だった。
元々は祖母のフィーヤの容態が思わしくなく、その最期を看取るつもりで来ただけだった。今でこそ町の運用に関わる立場にいるが、まさかこんな風になるとは思ってもいなかった。災魔の襲撃に出くわし、それを撃退したクロウと出会い、祖母の遺言のような言葉に導かれてこの町に腰を落ち着けている。
一度は壊滅的に荒れ果てていた通りを歩きながら、その面影を既に感じさせない力強い今の光景に感動すら覚えた。そして、目まぐるしく変わったのはこの町だけではなく自分自身もだ。
ロレイアは自分を特別な魔法士だと思ったことは一度もない。ただの凡庸な人間だと自覚していたし、それでいいと思っていた。それが今や、大陸でも珍しい地下世界で転移魔法陣の研究などをしている。しかも、賢者と呼ばれるような雲の上の人物と共に働いている。
道楽の賢者オホーラ=ダイゼル=ヨーディリッヒ。大陸でも数少ない偉大な賢者の名を冠する魔法士だ。
魔法を扱う者にとって、賢者の二つ名を持つ者は特に特別だった。単に魔法士として優れているだけではない。魔法の真理に近づき、独自の魔法を持ち、魔力の本質に迫れた者だけがその名を与えられる。そんな大物に間接的にとはいえ、師事できているのは信じられない僥倖だ。
フィーばあちゃんはこうなることが分かっていたのかな……
クロウのそばに未来があると言って逝去した祖母の真意はどこにあったのか。未だに分からないままだが、そのおかげでオホーラの元で魔法を学べているのは事実だ。人には定められた運命があると信じているのは家系の血筋のせいか、祖母の影響なのか。いずれにせよ、進むべき道はもう決めている。
この町の領主がクロウである以上、その町を守るのは当然の義務だ。何かが起ころうとしているのなら警戒しておくべきだろう。
それにしても、つい先日にオホーラの暗殺未遂という大事件があった後だ。なかなか世界は穏やかにはまわらないものらしい。その首謀者は地下世界まで逃げ込み、クロウたちが捜索隊を組んで追い詰めて処分していた。できれば自分も加わりたかったが、転移魔法陣の研究管理の役目を任せられたためにかなわなかった。
犯人についても、オホーラから一通りの説明を受けていた。表面的な動機は逆恨みということだ。偉大な賢者の過去にも色々あるのは間違いない。人間は感情の生き物で、合理的な理性のみで取捨選択をするわけではないことはよく知っている。ちょっとしたすれ違いでも悲劇は起こり得る。
実際には呪いの影響で、その男もまた被害者だったという話を聞いたとき、なんとも救われない話だと思った。現実は非情だ。
賢者自身がそのことについてどう考えているのかは、心情を明かさない人なので詳しくは分からない。
暗殺未遂事件は結局、犯人を処刑したことで終わりを迎えたことになっている。一応背後関係をまだ洗っているらしいが、ほぼ単独での計画だったということに落ち着いたようだ。どんな形であれ、終結したことは素直に安心できる。警備隊の一人が身代わりのような形で殉職したことは残念だが、このご時世では珍しくもないというのが率直な感想だ。
関連して、警備隊のトッドがしばらく塞ぎこんでいた。直接的な手を下した形になったクロウが責任を持って話したらしく、大分苦悩していたようだ。亡くなった警備隊員は知り合いの忘れ形見で、特に目をかけていたという。複雑な気持ちになるのもうなずける。誰もが納得する形で物事は進まないものだ。
しかし、そういうものは得てして時間が解決してくれる。
人は忘れることができる生き物だと教えてくれたのは、祖母だっただろうか。良いことも悪いことも、時が過ぎれば薄れゆく。
そのトッドも最近になってまた警備隊の仕事に復帰したと聞く。古参で警備隊長代理という役職でもあるので、なんとか折り合いをつけてくれたのなら心強い限りだ。
賢者も責任を感じていたのだろう、少し悲しそうに見えていた。あるいはそれは、例の犯人のことを含めてだったのかもしれない。それともただの気のせいだったのだろうか。何事も見通しているような賢者が、世俗的なことにいちいち心を痛めることはないのだろうか。
いえ、そんな非人道的な人では決してないわ。
オホーラを密かに第二の師として尊敬しているロレイアは、いつでも何か力になれるよう賢者に気を配っていた。だからこそ、最近の様子を見て元気がないというより、精神的に疲れているような気配を感じていた。
そしてそれは、使用人長のウェルヴェーヌも同様に思えた。地下捜索の際に捕まえて仲良くなった巨大な雛鳥――矛盾している形容に思えるけれど、そういう存在らしい――が、犠牲になったとのことだった。犯人の最後の一撃を防ぐために、クロウがやむなく特殊技能で盾にしたという説明だった。
何かを犠牲に何かを守る。
そうした選択ができる者が、人を率いることができるのだろう。ロレイアは自分には無理だと思った。その雛鳥はクロウとも親しかったと聞く。一体、どんな思いで決断したのか。
わたしならきっと迷って何もできなかったに違いないわ。
優柔不断だとは思わないが、即断即決できる性格でもない。とっさの判断で重要な問題に対処できるとはロレイアには思えなかった。
クロウについては様々な見解がある。過去の記憶がないせいで冷淡だと思われていたり、無表情なせいで何を考えているか分からないといった声も聞く。そういう面があるのは事実だと思うが、それがすべてでもないというのがロレイアの考えだ。普通に笑いもするし、優しさも感じる。淡白に見えるのは喜怒哀楽の表情があまり表に出ないだけだろう。その点はウェルヴェーヌも同じだ。
思えば、あの二人はどこか似ている。一見すると無機質に思えたり、抑揚のないしゃべり方など共通する点は多い。お似合いの主従関係なのかもしれないと改めて思う。その二人が、一時的に微妙な雰囲気だったとミーヤから聞いた。先の雛鳥を犠牲にした件でクロウが使用人長に対してどう接していいか分からずに戸惑っていたという。
それだけウェルヴェーヌを大事にしている証拠だろう。その光景を思い浮かべると少し微笑ましく思ってしまう。亡くなった雛鳥のことを鑑みると申し訳ないが、まったく知らない動物なので仕方がない。その報告をしてくれたのが、ミーヤという探索者というのもまた不思議な縁だ。彼女もどちらかと言えば無表情な部類だ。
類は友を呼ぶのだろうか。あの三人が無言でテーブルを囲んで食事をする風景をふと妄想すると、誰もしゃべらない静寂な絵の構図が浮かんだ。それはそれでとても様になる気がした。
そんなくだらないことを考えていると、不意に後ろから誰かに抱きつかれた。
「ロレイア!」
振り返ると腰の近くに褐色の肌の少女の顔があった。金色の瞳がきらきらと輝いている。
「ココさん。どうしたのですか?」
「んー、久々?」
ココはにへらと笑って小動物がじゃれつくようにロレイアに身を寄せてくる。なぜかロレイアはこの不思議な少女に懐かれていた。あまり会話した覚えははないのだが、クロウに引っ付いていない時は寄ってくる傾向があるような気がしていた。人肌が恋しいのだろうか。
狼のアーゲンフェッカと融合している特殊な人間であることは知っている。クロウの周囲にはそういう特殊な魔物に近いものが集まってくるらしい。アテルや災魔のラクシャーヌなどを見れば明らかだ。この町を襲った災魔がラクシャーヌだという事実には驚いたが、クロウ会の人間は誰もそのことでラクシャーヌを責めなかった。
災魔というものはどうやら自由意志がない存在で、現在のラクシャーヌとはまた別の何かだという認識があるからだろう。皆が自然に使い魔として受け入れているのは、そうした暗黙の了解があるからだと思っている。とても大人の対応だ。理性的な判断で行動できる人たちの集まりなのは頼もしい。
それは自分も同じか。一昔前ならば信じられないと眉をひそめていた気がする。今では、そういう非常識な人外の者と一緒にいる自分に違和感をまったく感じてなくなっていた。慣れとは恐ろしいものだ。
「今日は何をしていたのですか?」
一方で、この少女は違うと思った。大人の性格とは正反対で、どこまでも無邪気で感情的だ。皮肉なことにとても人間らしいとも言える。特殊な生い立ちと謎に包まれている存在であるのにも関わらず。
「魔法の特訓なのん!ココ、もっともっと強くなるのん!」
小さな拳を固めて前に突き出すココ。魔法ではなくそれは格闘だと思うが、いじらしいポーズだ。
「どうして強くなりたいのですか?」
「アイツを……やっつけるため」
少しだけ口調が真剣なものになったことにはっとする。その対象はおそらくウガノースザという魔法士だ。ココを実験に使った外道魔法を操る人物だという。禁忌の魔法研究をしているらしく地下世界にその拠点と痕跡がある。今もどこかで生活していることが確実視されているものの、未だにその姿を見た者はいなかった。
ココはその男を倒そうと心に決めたようだ。身体を勝手にいじられた憎き相手だ。決着をつけたいのだろう。
今回の捜索隊に志願したのも、そのためだったが結果は振るわなかった。悔しい思いがあるのは伝わってくる。
強張ったココの身体を感じながら、自分に妹がいればこんな感じなのだろうかとロレイアは思いを馳せる。あまり他人と接するのは苦手な自分でも、慕ってくれる子には優しくありたい。特に、ココのような子には笑っていてもらいたいと思う。純粋さはかけがえのないものだ。
「では、魔法は誰に教わっていたのですか?」
ふと、気になって質問すると「ラクサーヌ」と答えが返ってきた。上手く発音できないらしいのもまた可愛い。
「ばーんと溜めて、ぐぁーって放つって言われたんだけど、ココ良く分かんないのん……」
それはそうだろう。感覚で魔法を使う者の教え方そのものだ。わりと良く聞く話でもある。
「じゃあ、わたしが少し教えてあげましょうか?」
珍しくそんな言葉をかけられたのは、ようやくこの町に平穏が戻って来たからなのかもしれない。
「ほんとなのん!?やったー!」
ココのこぼれるような笑顔を身ながら、ロレイアはそっとその頭を撫でた。
黒髪のやや硬めの毛髪なものの、色艶はとても良い。ウェルヴェーヌが清潔に保とうと苦戦しながらも井戸の側で洗ってやっている光景を見た記憶がある。
いつか自分もやってみようかなどと思えるほど、ココの存在は明るく気持ちのいいものだった。
やっぱり、わたしも変わったのかしら……?
ココとベリオスの町の活気にあてられたのか、内向的な自分が少し開放的になっているのをロレイアは感じていた。




