8-9
町中を乗合馬車が駆けてゆく姿が目立つようになった。
一定の順路を半日走り回るこのシステムは、日々広がるベリオスの町の交通として定着しつつあった。
それもこれも、安全に馬車が走れる道の整備が進んだおかげだ。
また、路上で生活するほどの貧民もいないことも驚異的な特徴の一つだ。思い思いに好き勝手に座り込んでいる者がいれば、これほどスムーズに走り回れはしない。住民には職と住居を与えて自活できるよう支援し、孤児や身寄りのない人間は施設で保護している。そうした事の一つ一つが、町の秩序を保ちつつ安定した暮らしを実現している。
王都でもないただの地方の自由都市の一つが、これだけ計画的で先進的な町づくりをしていることは、まだ大陸で知る者は少ない。
訪れた者だけがこの町の真の凄さに気づく。色々なものが洗練されていることに驚く。
ベリオスの町は活気に満ちていた。
その立役者である道楽の賢者オホーラは、今日も様々な計画を立てながらも、その傍らで自身の研究も行っていた。
「こういう……感じかのぅ」
手元の細長い棒をいじりながら、灰色の長い髭の老人が呟く。
その奇妙な棒は幾つかが枝分かれしており、不意に緩い光がその先端でちらついた。
「んで、さっきから何をしてるんだ?」
その光景をぼんやりと眺めていたクロウは、賢者の執務室の椅子で足を組み替えながら尋ねた。
「地下で見たものが気になっておったんでな。見よう見まねで作って実験しておる……」
そう言われて初めて、目の前のものをクロウは思い出した。
「そういや、なんかそんなものがあったな。触れるとなくなるとか訳が分からねぇものだったような……?」
ラクシャーヌと共にオホーラも気にしていた代物だ。
「うむ。これ、というかあれはおそらく魔力を伝達する役割を持った即席の中継器だった可能性が高い。その場のあり合わせで作ったとのだとしたら、かなり画期的なものじゃ。わしも是非とも欲しいと思ってな……」
「そうか。けど、俺の記憶だともっと細いもんだった気がするんだが?」
「これはあくまで試作品じゃからな。本物はおそらく繊維質の何かを撚り合わせたものじゃろう。であれば、軽く触れただけで分解され、風に飛ばされて消えるのも納得がゆく」
「良く分からねぇが、そうだとして何のためにあったんだ?あの男が使ってたってことだよな?」
ガンラッドという名は偽名であることが確定したため、その名で呼ぶことは何となくためらわれた。最後まで本名を名乗ることもなかったので、正確な名前は今も分からないままだ。
「ある種の探知機じゃろう。それに道標でもあった。複数設置し、それを中継することで来た道を戻れる。本命の機能としては、どこかで途切れた場合に人為的なものによる可能性が高いゆえ、追っ手がいることなどを知ることができる。実際、わしらの存在を彼奴はそれで察知したんじゃろうて」
「ああ、途中で幾つか勝手に消えちまったときのか……けど、オホーラはもう使い魔の蜘蛛でそれを実現できてるんじゃねぇのか?」
「魔力の消費量が雲泥の差じゃ。これは下手したら百分の一程度で済む可能性がある。いずれこの町の防備にも役立つこともあろう」
「町に配備するのか?何を警戒するんだ?」
クロウはただ素朴な疑問を投げたつもりだったのだが、賢者は一瞬動きを止め、それからこれ見よがしに長い溜息を吐いた。
「おぬし……もう少しこの町の領主として危機感を持つべきじゃぞ?今や、この町は周辺地域でかなりの注目を浴びる存在になっておる。まだ視察程度ではあるが、いずれ力尽くで奪いに来る国が来ないとも限らぬ。独立したからには、徹底した自衛手段の構築は一刻も早く仕上げておかねばならぬ」
「視察って、今度来る国のやつらのことか?」
「それは氷山の一角に過ぎぬ。これから色々な国や組織と渡り合わねばならんということじゃ」
「……面倒すぎる……」
成り行きで領主になったクロウとしては、そんな他所の思惑など知ったことではなかった。一方で、立場的に無視できないことも分かっている。こちらで無視を決め込んでも、向こうから押し付けられるものもある。自分一人の問題ではすまない以上、適当な対応で周囲に迷惑をかけるのも寝覚めが悪い。
領主会やオホーラに外交関係は一任しているものの、何も知りませんで通るとは思っていなかった。
だが、今は事後処理の方が先だろう。
自称ガンラッド=ハルオラのオホーラ暗殺未遂事件が本当に終わったのかどうか、その確認を急いでいる。
首謀者の本人は確かに地下世界で死亡を確認しているが、仲間がいないとも限らないということだ。第二次報告までは完全に単独犯で、一時的な協力者がいただけだとされている。しかし、依頼主が死んだ後も律儀にその依頼をこなすような請負人も世の中にはいるため、可能な限りの関係者の洗い出しが重要となるわけだ。
ウッドパック商会、正確にはウッドパック武器商会の調査待ちではあるが、現段階では最終報告でもそれほど変わらない見通しではある。
当初の首謀者として目されていたデオム国の執政官長メメオ=パズス=チャタムについては、その後の調べでガンラッドにそそのかされていたことが発覚している。その例にならうなら他の関係者も皆、同じようにあの魔道具使い(ユーザー)に手駒にされた可能性が高いという推論に落ち着く。
あの男が有能だったことに疑問を差し挟む余地はない。その才能をもっと他に使えば違う結果になっていただろう。オホーラの口からあの男について語られることはほとんどなかった。何か思うところがあったとしても、それは本人しか分からない。
「背後関係に国や組織がなければ、わしの件はもう気にせんでよかろう」というのが、暗殺事件に対する賢者の最終判断だった。
「そういえば、ウェルヴェーヌの方はもう落ち着いたのか?」
地上に戻って来てからも、シーアを失った使用人長は時折心ここにあらずといった状態になっていた。致命的なミスはないものの、今までにないうっかりをすることがあって皆に心配されていた。もっとも、クロウは普段通りにしか見えていなかった。他人の心情には疎いので、多分その印象は間違っているのだろうが、その判断も満足にできない。
「俺には普通に見える」
だからそう答えるしかなかった。
「ふむ。少なくとも、おぬしといつも通りにしゃべれているのなら悪くはなかろう。特殊技能について詳細を語れぬ以上、あまり具体的に問われても困る状況でもあるしな」
あの時はシーアとウェルヴェーヌ、どちらかを犠牲にするしかなかった。その事実を素直に告げようとしていたのだが、賢者に止められている。
真実を知ることが常に最善となるわけではないらしい。
色々と経験が浅いクロウには難しい話だった。
「聞かれれば答えてもいいと思っているんだがな……何も言ってこない以上、お前らの忠告通りこっちから余計なことを言わなければいいんだろ?」
「うむ、それがよい。ところで、今回の特殊技能はトリガーとなるものがやはり生命の危険であるように思える。条件の一つとしてはこれまでのものと矛盾せぬ。そう考えると、やはりおぬしはできるだけ安全に過ごすことが周囲の人間を巻き込まないですむ最良の策じゃ。それを忘れるでないぞ?」
「そう言われても、俺自身が勝手に巻き込まれてるだけのような気がするぜ……」
「だとしても、じゃ。常にそういう気持ちを心掛けて……む?」
その時、扉をノックする音が聞こえた。
賢者の執務室には現在、クロウとオホーラの二人のみしかない。どちらかに用があるのだろう。
「入ってよいぞ?」
部屋の主である賢者が声をかけると、こじんまりとした童顔の女が静かに入ってきた。クロウは初めて見る顔だ。
「御師様、そろそろよろしいですか?いつまで経っても、お呼びの声がかからないので……」
「ああ、もうそんな時間か。すまん、すまん、忘れておった。クロウよ、おぬしらがいない間にちょっとした学者連中を雇おうと思って試用しておったんじゃ。このホウライはその団長でな。今日、おぬしと引き合わせようと思っていたんじゃ」
「お初にお目にかかります、クロウ様。あたしはホウライ=ツァンカイ。御師様の弟子として精一杯務めさせてもらいたいと思います」
ぺこりと頭を下げた女は三つ編みのお下げを揺らして、にっこりと笑う。幼く見える顔で10代にも見えるが、実際はもっと年上なのだろうか。女性に年齢を聞くなとウェルヴェーヌから言われているので、尋ねそうになった言葉を飲み込む。代わりに賢者に尋ねる。
「弟子を取ったのか?」
「まぁ、なんというか、交換条件で出されてしまってのぅ……そんな気はないのじゃが、ホウライと共におる者たちは皆、在野とはいえなかなかの博識揃いの学者連中でな。それだけの人材がまとめて手に入るとなれば仕方あるまい」
「学者……そういや、団長とか言っていたが。けど、学者で団長?どういうことだ?」
団長というと、どうしても騎士団のようなものを思い浮かべてしまう。目の前のホウライという女は、とてもそうは見えない。
「それをあまり自称してるつもりはないのですが、対外的にあたしたちはシズレー学者団で通っていまして、その関係であたしが団長という肩書をつけられているだけです」
少し疲れた表情で語るホウライに、クロウは少し親近感を覚える。成り行きであるなら、同じ立場だ。
「そうか。ああ、悪い。名乗るのが遅れた。もう知っていると思うが、俺はクロウだ。オホーラが雇い入れたのなら、相当優秀なんだろう。よろしく頼む」
「こちらこそよろしくお願いします。けれど、まだあたしたちは正式採用されたわけではありません。むしろそのことで本日呼ばれたと思っていたのですけど……?」
「そうなのか?」
二人が同時に賢者の方を振り返る。オホーラは今も例の細長いものをいじっている最中だった。すっかりご執心のようだ。それでも視線には気づいていて、とぼけたような声で答える。
「最終決定はクロウじゃからな。ホウライをクロウ会に認めるか否かはわしの裁量ではない」
「クロウ会、ですか?」
「勝手にそんな風に呼ばれてるだけだ。要はこの街の裏の方面の運用を取り仕切ってるみたいな感じだ」
「なるほど……けれど、その情報を正式に所属していない内からわたしに話すのは賢明ではないのでは?」
「……もうオホーラが試用して何日も経ってるんだろ?問題ないって判断していいんじゃねぇか。何か企んでいるにせよ、こんな初っ端の方で尻尾を出すような真似はしないだろうし」
「そういう考えはありませんが、おっしゃることはその通りですね。であれば、あたしたちにできるのはこれから信用を重ねていくだけです。クロウ様と直接やりとりするのは、あたしの他に二人ほどいますので、その内時間があるときにお目通りできればと思います」
「ああ、必要ならウェルヴェーヌ辺りに調整してもらってくれ」
「ありがとうございます。それと、御師様。ココ君についてのお話は既にされていますか?」
「おっと、それもまだじゃったな」
「ココ?」
意外な名前が出てきたので、思わずクロウは聞き返す。既にココと接触したという話は聞いていない。なぜ、ここで出てくるのか。
「あぁ、それについてはわしから言うべきじゃな。言うのが遅れてすまなんだ。実はココの状態について、わし自らもう少し調べるべきだとは思っておったんじゃが、丁度良くホウライたちが来てくれたんでな。ここはひとつ任せてみるのも手だと思った次第じゃ。あの娘が今は安定しているとはいえ、地下世界でティレム化した後、調子を崩していたことは分かっておろう?正確に言うならば魔力低下によって体調不良気味になることじゃが」
「それは誰だってそうなんじゃないのか?俺も実際ぶっ倒れちまったし……」
「あの娘の場合、もう少し深刻に考えた方が良いかもしれぬ。中のアーゲンフェッカの魂にも影響が出るかもしれぬと常々危惧しておったんじゃ」
「どういうことだ?」
オホーラはココたちの様子に気になる点でも見つけたのだろうか。半ばラクシャーヌの眷属化された今、その主としてクロウが気づいていいないというのはあまりよろしくない。詳しく知る必要があった。少し険しくなったクロウの雰囲気を察して、賢者は軽く首を振る。
「いやいや、そこまで本当に危険があるとは思っておらぬ。ただ、万が一の保険のようなものと考えてくれてよい。それと、既にあの娘の秘密をホウライに伝えてしまっていることも合わせて謝罪する。おぬしらが地下世界にいる期間が長すぎて、色々と手を伸ばした結果、ある程度事前準備が必要だったんじゃ。一応、このホウライにのみでまだ留めてもらっておるゆえ、それ以上広がっておらんことは保障する」
逆にそこまでホウライを信頼しているということ証でもあった。仮にも弟子入りを許していることを考えると、オホーラは大分気を許しているのだろう。
「それに、じゃ。おぬしの呪いに関しても、シズレー学者団ならば少しは分かるかもしれぬ。色々な分野の知識を蓄えた者たちがおるからの。そういう意味でも、この町にとって有益な者たちじゃよ」
「俺の?呪いの専門家がいるってことか?」
「いえ。専門家と言うのは語弊があります。ただ、魔法的な制約や不可思議な現象、いわゆるオカルトなどに精通している者もいますので、何らかのヒントになり得る可能性はあるかと思っています。ちなみに、具体的な症状などは聞いていませんので、御師様が何でもべらべらしゃべったわけではないことは言っておきますね」
学者団という名は伊達ではないようだ。確かに、知識が豊富な人間はこの大陸では貴重な人材だ。それがまとめて手に入るのなら有益であることは間違いない。信用できれば、だが。
「……分かった。俺やココを調べて何か分かるのなら、やっておいて損はないな。けど、どんなことをするんだ?ココに人体実験みてぇなことをさせるつもりはないぜ?」
「非道なものを想像しているなら、まったくの誤解です」
微妙に凄んだクロウの口調に、慌てたようにホウライは両手を振る。
「多少の血を抜いたり、魔力反応を見るくらいです。場合によっては、ちょっとした薬を飲んでもらって容態を確認したりしますが、決して人体に害のあることはしません」
「うむ。さすがにそんな真似はわしが許さんよ」
賢者も同意して頷く。そういうことであれば、クロウも協力するのにやぶさかではなかった。後日、ココを連れて訪問する約束をしたところでホウライは出て行った。まだシズレー学者団の住居などの調整や準備が終わっていないのだという。
「イルル、いるか?」
ホウライが出ていってすぐ、クロウは虚空に向かって呼びかける。
「……いるっす」
どこからか一瞬で現れるウッドパック武器商会の笛に対して、もう驚くことはない。秘密裏に常に潜んでいることは、既に当たり前のものとして受け入れていた。
「あの学者たちを監視できる人手はあるか?一応、何か――」
「それなら既に手配されてるっす」
「ん?」
「当然、わしがミレイの嬢ちゃんにもう頼んでおるよ。一巡りはもう経過観察はすんで、今の所問題はなしじゃ」
賢者に抜かりはないようだ。それにしても、人手がよく足りているなと思う。ウッドパック商会には町全体の諜報活動全般を依頼しているので、会員の数が足りないと会長のミレイから愚痴られていたはずだ。そんなクロウの懸念を察してか、イルルが説明する。
「会長がほとんどの会員をこっちに呼び寄せたんで、当面の人員は足りてるっす。更に、新人を教育して補充する予定もあるっす」
「そういや、応援を呼ぶって言ってたか。そうか、もうあれから結構日にちが経っていたんだな……」
月日が経つのは早いものだ。いや、地下にいた期間が思いの外長かっただけだろうか。
「ついでに会長から伝言を。『周辺国のスパイに関してどうすべきか指示せいって報告書送っとるのに、どないなってるんや?一回直に会って文句言わせんかい!』だそうっす」
わざわざ物真似しながら言う必要性があったのか疑問だが、クロウはイルルに近く会いに行くと返事をすると、藍色の髪の少女は音もなく消えた。
すぐに報告しに行ったのだろう。急かされていたのかもしれない。実際、報告書はうんざりするほど溜まっている。当然、まだ目が通せていなかった。
「……あの娘、大分しゃべるようになったのぅ。おぬしの影響か?まぁ、よい。それで、ココについてじゃが……ウガノースザの影響についても懸念しておってな。今回気負って向かったわりに、それほど収穫はなかったゆえ、精神面でやや不安定さが見られる。人間、見えない敵を想定するより、具体的なものの方が安心する傾向がある。つまり、今後も外道魔法士については継続して情報収集することを明言し、尚且つ自身の状況について正確に理解させることがあの娘の安定につながるのではないか?」
「そのためにも、学者たちに調べてもらえというわけか」
クロウはオホーラの意図を理解した。ココとシロについてはまだまだ不明な点が多い。記憶が曖昧で唯一思い出したのが、自分たちを実験扱いしていたウガノースザという魔法士だ。地下世界にいるような痕跡は見つけたが、直接見たわけでも確証もない。すっきりしない感覚でいるのは十分考えられる。
そういう意味では、クロウ自身もラクシャーヌのことや転生人であることなど、不可解なままの謎は多く残ったままだ。他人のことに首を突っ込んでいる余裕などない。
いや、ラクシャーヌの眷属になっている今、身内になるからやっぱ面倒見なきゃダメか……?
事実確認をすると、やはり目を逸らすわけにはいかない案件のようだ。
「うむ。後手に回るより、早めに確認する方がよかろう。それと関連して、S級探索者の件の連絡もあってだな――」
オホーラからの連絡はまだ終わりそうにない。
クロウは強く頭を一回振ると、賢者の言葉に再び耳を傾けることにした。




