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地下世界の森は薄暗い。
ただでさえ光源が少ない上に、樹々の葉が上空からのわずかな光すら遮っているのだから当然ではある。
そんな仄暗い草木に覆われた中で、それらの特性以上に陰鬱な空気を醸し出している場所があった。
後ろ手を縛られて拘束された状態の男を取り囲むように人の輪があり、真正面に対峙している男がいた。
いや、実際に会話をしているのはその頭の上に乗った蜘蛛だった。
道楽の賢者オホーラである使い魔がその正体だ。遥か地上にある本体から操作している。魔法によって操られている使い魔がしゃべるということは、常識的にはとんでもないことではあるのだが、その場で気にしている者は誰もいなかった。それどころではないからだ。
彼らはウィズンテ遺跡中層の地下世界まで、今目の前にいる男を追跡してきた。その最終目的を半ば達成している状態で、尋問の真っ最中だった。
「……いつからその呪いに蝕まれておる?」
オホーラの質問にガンラッドは答えない。
相変わらず、憎しみを込めた目で見つめ返すだけだった。
「呪いってのは何のことだ?」
口出しするつもりはなかったクロウだが、どうしても気になってしまった。当事者が黙ったままなので尚更だった。
「こやつのマナには異常が見られる。使い魔状態では詳しくは判断がつかぬが、今の反応からしても間違ってはおらぬじゃろうて。わしをつけ狙う理由に関係していると思われる」
「そいつはこの魔道具使い(ユーザー)が爺さんを殺さなくちゃならない呪いを受けてるって意味か?」
不意に会話に割って入ってきたのは、つば広の帽子を被った男ステンドだった。
「ステンド!?そっちも片付いたのかい?」
「まぁな。予想以上に手こずって時間喰っちまったが……オレが必死こいて戻って来なくてもどうにかなったみたいで何よりだぜ」
「結構ギリギリだったけどね。君が厄介なのを引きつけてくれたおかげでもあるよ」
「うむ。絶佳なる判断に敬意と感謝を示そうぞ!」
「そうかそうか。褒められて悪い気はしねーが、今はこっちが先だろ?」
満更でもない顔で笑ったステンドだが、すぐに表情を引き締めてガンラッドに向き直る。誰に教えられるまでもなく、目の前にいる男が追っていた男だと分かっているのだろう。
「んで、自白させる魔法は使えねーのか?」
「僕はそういう下品な魔法は学んでいないよ。だいいち、強制的な精神干渉があっても相手が衰弱した状態かつ精神的に弱者でないと難しいはずだ。自白させた内容が嘘だったことも実例がある。頑固な人間にはあまり効果が期待できないっていうのが通説だ」
ユニスが肩をすくめるようにして答えた。
「そうじゃな。一方、それはそれとして呪いを見極める方法はなくもない。軽い鑑定魔法系なら使えるであろう?」
「賢者様には何か考えがあるんですね?一応できますが、まさかそれで呪いを鑑定するとか言いませんよね?」
「そのまさかじゃ。一般には知られておらぬが、ちょっとした工夫で呪いの解析に近いことはできる。目安程度ではあるがの」
「本当ですか?そんな話聞いたこともない……いや、だからこそ、か」
それからオホーラがユニスに何かを伝授したようで、紫髪の魔法戦士は見慣れぬ所作で手印を切ると、徐にガンラッドに向けてその魔法をかけた。
無関心を装っていたガンラッドだが、背中を見せるようにユニスが指示を出した際には、身じろぎして多少の抵抗を見せた。かまわずにブレンがガンラッドの背中を露にすると、そこには火傷跡のように火ぶくれした皮膚があった。奇妙なのはその跡が何かの模様のように残っていることだ。
「呪紋であるな……」
ブレンが短く呟く。
ある種の呪いは、その契約の証拠とも言うべきものが身体に刻まれる。呪紋と呼ばれるそれは痣や傷跡のようにも見え、呪いが果たされるまで決して消えることがない。大きさによって呪いの強さも決まるらしく、全身が呪紋だらけの呪われた海賊の話が一番有名だ。その男は陸に上がれない呪いをかけられており、生涯を海で過ごさなくてはならないために海賊になり、悪名を轟かせたというものだ。
「どんなもんか分かったのか?」
「あくまで大枠だけど、やっぱり誰かを殺すことに特化しているみたいだね。それ以外を許さないような制約が課せられてる……背中ってことは当然、誰かに強制的にそうさせられたって線が濃厚だね」
ユニスが結果を告げる。
呪いには大まかに二種の使い方がある。完全な罰や咎としての呪いと、代償としてのものだ。後者はデメリットを受け入れる代わりに、特殊な力を得られるメリットもあるため、人によっては自ら呪いを享受することもある。ガンラッドの場合は完全に前者のもので、元々は奴隷などが逃げ出さぬよう強制で義務付けられていたものと同じように思われた。
非人道的過ぎるために、今では魔法教会が認可制でのみの使用を提言し、一般的には禁止している代物だった。
当然、ガンラッドのそれは公に認められたものではないだろう。
その意味ではガンラッドもまた被害者であることは間違いない。そうしなければならない事情があったわけだ。
だからといって、オホーラが殺されていい理由にはならないが。
微妙な空気が流れる中、クロウはオホーラに先を促す。
「こいつをどうするのかは、オホーラが決めてくれ。本人が何も語る気がないなら、これ以上時間をかけてもしょうがないとは思うけどな。何にせよ、さっさと片をつけて地上に戻りたい」
「そうじゃな……上もおぬしらが戻って解決せねばならぬ問題が起こりそうじゃ。ここでのんびりしている暇はない」
何か気になることを言いながら、ユニスの頭の上からオホーラが最後通告のようにガンラッドに向かって告げる。
「ガンラッド=ハルオラよ。何も語らずここで終わって良いのじゃな?」
いよいよ終わりが近づいていることを悟ったのか、ようやくガンラッドが沈黙を破る。
「……今更貴様と話したところで何が変わるわけでもないだろう。今すぐその場で死んでくれるなら別だがな」
「そんなことができぬのはお互いに承知しておろう。せめて、近親者に遺言でもあれば伝えるのにやぶさかではないぞ?」
それは完全に生かす選択肢はないという宣告でもあった。賢者の中で決断はもう下されているようだ。
「はっ!慈悲に感謝しろとでも?私にそのような者がいると思うか?そんな余計なことをしている暇など一秒たりともなかったわ。ただ貴様を殺す為だけにすべてが費やされた。くだらない問答はもうやめろ」
血反吐を吐くような言葉に隔たりは深まるばかりだった。どんな事情があろうと、求める結果が相容れない以上、妥協点はない。
「そうか。ならば、せめて一思いに終わらせよう……」
使い魔の蜘蛛の状態でも何か魔法が使えるのか、ユニスの頭の上でその多脚の一つが振り上げられる。
「……最後に一つだけ尋ねたい」
ぽつりとガンラッドがそれまでの声音とはまったく違う声でささやく。
「何じゃ?」
蜘蛛が動きを止めて問い返す。
「……貴様が乗っているその男が一番弟子なのか?」
「いや、わしに弟子はおらぬ」
「……ならば、仕えている主は?」
無意識にちらりと蜘蛛がクロウを見る。それだけで悟ったのか、静かにガンラッドが続ける。
「貴様がここにいないのなら、最後は貴様に一番近しい者の手で終わらせてくれ。使い魔風情では納得がいかん」
「いいだろう。俺がやる。オホーラもそれでいいな?」
クロウは即断してすっと前に進み出た。元々、手を下すなら自分が率先してやるつもりだったので何も問題はなかった。
「しかし……いや、頼めるか?」
一瞬ためらったオホーラだったが、すぐに考えを改めたようだ。誰も何も言わない。決めるのは賢者だと分かっているからだ。蜘蛛が振り上げた脚を戻したことを確認してから、クロウはガンラッドの前に静かに立つ。
ゆっくりと剣を抜き放って構える。
もう余計な言葉は不要だと感じていた。賢者の望み通り、一息に終わらせるつもりだった。
だが。
「くっくっく、かかったな……」
ガンラッドが突如不気味な笑い声をあげる。落ちくぼんだ目が瞬間的に怪しく輝き、うつむいていた顔がばね仕掛けで跳ね上がるかの如く勢いよく持ち上がった。
「憎きオホーラよ!せめて貴様の一番大事なものを奪ってやるっ!!!」
この期に及んでまだ何かをするつもりらしい魔道具使いは、叫び声と同時に強く上下の歯を打ち合わせた。それが何かの発動のキーだったのだろう。ガキンと辺りに響きそうなほど強い音を立てた動作はしかし、その一歩手前のクロウの一言で台無しになった。
「アテル!!」
「はいなのですっ!」
何をしようとしていたにせよ、ガンラッドの身体は瞬きの間にその全身が黒いものに包まれた。座っている体勢も取れなくなったそれは、ごろりと地面に転がる。
まるで黒い繭のような塊は、それ以上ぴくりとも動かずにその場に横たわっていた。
一瞬の静寂。停止した世界。誰かが長い息を吐く音で、皆が呼吸を取り戻したかのように時間が再び動き出す。
「い、今のは?」
「何かやってきそうだったから、アテルを忍ばせておいた。案の定だったな」
ユニスの疑問にクロウは淡々と答える。
「あの黒いのは大丈夫なのか?」
「アテルは色んなものをほぼ無効化できる。規模にもよるが、弱りかけの一人の魔法なら余裕なはずだ」
審問の間という一定の空間を覆えるほどのキャパシティーがあることは立証済だ。万が一何かを仕掛けてきたら、男の全身を覆うことで何もできなくさせるよう事前に手は打っておいた。先刻の黒い霧のような非常識なものではない限り、どうとでもなると分かっていた。
「そ、そうなのか。伊達に最上級の古代遺跡にいた魔物じゃねーってことか……」
ステンドは呆れ半分の賞賛を口にする。
「で、何を仕掛けてたか分かるか、アテル?」
「はい!多分、最後の魔法で自爆しようとしたんだと思います!」
内容とは裏腹にやたら明るい声でアテルが言う。話せることが嬉しいらしく、どんな時でもアテルははきはきした喋り方だ。普段、魔物がしゃべるという非日常的なことを控えさせている反動もあるのかもしれない。
「本当にそんな余力がまだあったのかい?あれだけの規模の魔法の後では信じがたいんだけど……」
「だからこそじゃろうて、ユニスよ。もはや尽きかけていた魔力の代わりに生命力を使ったんじゃ。自身で叫んでいたように、わしを殺すことができぬと悟り、今わしに一番近しいものを道連れにしようと、そんなところだったのじゃろう……」
苦い砂を噛むような口調で、賢者の言葉が落ちる。色々と責任を感じているのか、その声は重く暗い。
何とも言えない空気が辺りを占め、樹々の葉のざわめきだけが場を埋め尽くす。
目標の自爆の失敗。その事実だけが目の前に横たわっていた。
「……死んでいるなら、もう解いていいぞ、アテル。よくやってくれた」
「はいなのです!」
黒い繭がするりと消え去った後、残されていたのは黒焦げになった人間の肉片のような成れの果てだった。アテルによって閉じ込められた空間で、内部から爆発したせいだろう。アテルは魔法を無効化する壁のようなもので覆っただけで、魔法そのものを無効にしたわけではない。
威力がすべて自分に向けられた結果は、哀れ以外の何物でもなかった。
「と、とにかく……やっとこれで終わりだな。さすがのオレも疲れたぜー」
ステンドが気を取り直すようにわざと明るく言った。
「そうだな。さっさと地上に帰るとしよう」
クロウはその流れに乗って、ガンラッドだったものに背を向けようとする。実際は場の空気を読んだというわけではない。その辺の一般的な感情の機微は分からないからだ。ただ、多少なりとも経験を積んできたことで、状況判断でなんとなくの雰囲気を学んでいただけだった。
「すまんがちょっと待ってくれ。わし自身でできぬことを頼むのは心苦しいが、その者を埋めてやってはくれぬか?」
「埋める?」
「まともな弔いを要求するつもりはない。ただ、どんな事情であれ、こやつがこうなった責任の一端はわしにあると言える。爺のわがままな願いですまないが頼む」
死者を悼む慣習があることはクロウにも知識としてはある。
敵に対してもそうするのは通例ではないと思うが、賢者が望むなら殊更に反対する理由もなかった。その意義については良く分からなかったが。
「なら、オレがやってやるよ。貸しだぜ、爺さん」
気安く請け負ったステンドが、早速地面を木の枝で掘り出す。
「……ならば、我らはあの鳥の方を担当すべきではないかね?華々しく散ったかの勇気に感謝を示したいと思う」
ブレンがクロウに向かって提案する。
「あん?シーアの姿が見えないと思ってたけど……そういうことなのか?」
「ああ。ガンラッドのヤバい攻撃を受け切るために、シーアを犠牲にするしかなかった」
「……お前の特殊技能でってことか。なるほどな。けど、クロウ。そいつは嬢ちゃんには言うなよ?トッドみたいにこじれる可能性がある」
ステンドの言葉に、少し前のオホーラが含みを持たせていた意図を知る。素直に話すことが最善ではないということなのだろう。
「そうか」
クロウは未だにその辺りの判断には自信がないため、素直に従うことにする。
「じゃあ、僕らはシーアの墓でも作ろうか。命を救ってもらった礼があるのは確かだ」
そうして黒トサカ鳥の雛と襲撃者という二つの墓を用意することになった。
いずれもただ亡骸の一部を地中に埋め、その上に木標を立てただけの簡易的なものだった。比較的簡単に作業は進んだが、そこに刻む文言などで少し考える時間が必要だった。墓標に刻まれるものは一般的に名前なのだが、ガンラッド=ハルオラは偽名であることが濃厚だ。違う名前を刻むことはできない。
また、名前のない墓というのは大陸では災いを呼ぶため、そのような場合は何かしらの呼び名を刻むことになっている。
オホーラはゆえに『三本傷の偉大なる魔道具使い』という名を刻むことにした。曰く「不幸な呪いがなければ、もっと世の中に役立つ魔道具を生み出せていたじゃろう」という思いを込めたようだ。賢者の複雑な心中は本人にしか分からない。ブレンが代理でその名を木に掘った。
雛鳥の方はウェルヴェーヌが考えに考えて、一つの結論を出した。その身体はもうどこにもなく、焼け焦げた羽根の一部と思しきものしか残っていなかったが、メイドは丁寧にそれを地中に埋め、自身の服の一部を切り取って沿えると、ゆっくりと土をかけて地面を戻した。
その上に刺さった木標には、シーア=シーリッジと言う名が刻まれていた。
気落ちしていた眼鏡メイドは、自らの名を与えたことで踏ん切りをつけたのか、いつもの無表情に戻ってクロウに言った。
「少なくともこれで……地上であの子をどうするのか、考える手間は省けましたね」
「そうだな。育てて空を飛ぶペットみたいにしてみたかった気もするが……あいつはお前しか乗せなかったかもしれねぇな」
「その時は私がちゃんと調教しましたよ、多分」
「そうか」
不謹慎なようでいてどこか親し気な主従の会話に、皆はただ黙って耳を傾けるだけで何も言わなかった。あの巨大な雛鳥については、二人にしか分からないものがあったことを知っていたからだ。不意にどこかで鳥の鳴き声が聞こえたような気がした。
「少しお腹が、減りましたね……」
誰にともなくウェルヴェーヌが呟いた後、
「……任務完了。可能な限り早い帰還を推奨」
地下捜索隊の最後はなぜか、探索者ギルドのミーアの一言で終わりを告げた。




