1-8
「クロウ様、起きてください。また西門の方で応援要請です」
ウェルヴェーヌの声ではっと顔を上げる。
「ん……?ああ、また寝落ちしてたのか……」
いつの間にか書斎の机に突っ伏して寝ていたらしい。クロウは強張った身体を引き上げて、毛布が掛けられていることに気づく。
「気づいてたんなら、起こしてくれりゃ良かったのに」
「いえ、大分お疲れのようでしたので。とはいえ、結局このような形で起こしてしまい、申し訳ございません」
軽く頭を下げるメイドだが、いつものように表情は読めない。感情がないわけではないことは分かってきたが、未だにその機微はつかめていなかった。常に平坦な声音と物腰なので、緊急度合いや重要度がどうにも測れないでいた。
今回はしかし、わざわざ起こしてきたということは急いでいるのだろう。
「それで、またってことは、魔物関係か?」
大きく欠伸をしながらクロウが立ち上がると、ウェルヴェーヌは「そのようです」と短くうなずいた。
「いよいよ、人員不足が顕著だな……いくら戦える人間が少ないって言われても、こう毎回俺が行かなきゃならんのは流石にきついぜ……」
「警備隊の増員計画は前倒しにしないといけないかもしれません。しかし、その場合も外部からの引き込みが必要ですので、即効性はやはり期待できません」
「だよな。正直、そこまでまだ手が回らない……とりあえず、行ってくるか。馬車で行けるのか?」
「途中までは。そこからはまだ道が整備できていませんので、徒歩になるかと」
「了解」
窓から外を見るとまだ早朝のようだ。昨夜、書類の束を仕分けているところまでは覚えている。夜の暗さで時間は測れないが、2、3時間は寝ていたのだろうか。
階下の大広間を通ると、朝から怪我人の看護をしている者たちが慌ただしく動き回っていた。重傷者のために開放したのだが、今もそこそこの人数がいる。医療関係者も数が少ないため、一日中働きづくめだ。
まだまだ予断を許さない重傷者がいるため、災魔の襲撃から5日ほど経っても町は混乱が続いている状態だった。これでも迅速に安定させたつもりだが、辺境の町とはいえそれなりの数の人間が生活している。その人の数だけ、対処すべき問題も無数にあるということだ。
庭に出て待っていた馬車に乗り込むと、先客がいた。
「おはようございます。早朝に領主様自ら魔物退治とは大変ですね」
銀髪の長髪が朝陽に照り返って眩しかった。魔法士のロレイアは、紺のローブをまとって魔杖を携えている。完全に戦闘体制だ。
「お前も行くのか?」
「一応、近衛隊の魔法士として雇って頂いてますので」
そう言えばそんな役職だったか。ロレイアは突然やってきたかと思うと、ほとんど押しかけに近い形で雇用関係を迫ってきたのだ。どこぞの賢者と同様、初めから拒否権がこちらにはないという前提のごり押しだった。この世界の人間はみな強引なのかと錯覚したほどだった。何にせよ人手は欲しかったので、なし崩し的に雇ってはいるのだが。
馬車の向かいの席に座ると、御者は勝手知ったる様子で勢いよく走らせ始めた。かなり飛ばしている様子からして、緊急性は高いようだ。
「ふぁぁぁ……それで、相手はどの程度のやつらなんだ?」
また大きな欠伸をひとつ漏らして、クロウは聞いた。
「狼型の魔獣の群れのようですね。こんな人里まで降りてくるのは珍しいというのに、もう4、5回にもなると聞きました。はっきり言って異常です。何か原因があるはずなので、解明した方がいいですよ?」
「ああ、オホーラの爺さんにも同じことを言われた。とはいえ、そのための時間も人もない。まずは町の住民分の食料確保と怪我人の回復が優先で、後は家をなくした奴らの継続的な寝床を用意しなきゃならねえ。凸凹になった道も均さなきゃ馬車も通れねえし、リソース配分で手一杯だ」
「周辺に助けを求められないのは厳しいですね。前任者のせいでしょうが、主国にさえ救援要請できないなんて……どうにか自給自足できていた環境が仇になるとは皮肉ですね」
「まったくだな。おまけに周辺っていっても、奥に一国あるだけっていう無茶苦茶な立地だしな」
「ナゼン皇国、でしたか。そちらも、かなりクセのある国だと聞きました。前途多難ですね……」
ロレイアは眉根を寄せて嘆息した。
「そんな無茶苦茶な状態の町に、なんで士官しようとしたんだ?あの婆さんの言ったことを気にしてるのか?」
ロレイアの祖母フィーヤは、臨終の際にクロウたちに従え、というような遺言を残していたのだ。
「それもありますが……わたし自身、確かにあなた方に何かを感じたのです。それを蔑ろにはできないと思いました……この話、既にしましたよね?」
「……ちょっとした確認だ」
正直、よく覚えていなかった。勢いに押されて承諾した記憶はあるが、細かいところは曖昧だ。それというのも、同じように賢者を名乗るオホーラという老人の件があったからだ。この世界における賢者という存在はかなり希少であり、その肩書を名乗れる者はそれこそ両手で数えるほどしかないとのことだ。
そんなオホーラも、突然やってきて一緒に生活するというようなことを一方的に宣言し、実際に屋敷の一室に今も居座っている状態なのである。賢者曰く「そなたは特別な時流の波を渡る力を持っておる。わしはその行く末を見守らねばならん」とのことで、それはどうあがいても避けられない流れとのことだ。時流というのは即ち運命のようなものらしく、オホーラは時流読みという特技があるとのことだった。
だからといって、なるほど運命ならしかたがないと受け入れるべきなのか疑問であるし、本当に賢者なのかも怪しいとは思う。道楽の賢者と名乗っていたが、その通り名は誰にも知られていなかったことも付け加えておく。一方で、様々な知識や見識があるのは事実で、相談役には悪くないと思ってしまったのも事実で、とりあえず好きにさせている状態だ。
ロレイアについても、結局のところ同じ感覚で受け入れている。クロウは自分のことは未だにさっぱりわかっていないが、無意識化で何某かの意思決定のための原理は働いていると感じていて、その直感とも言うべき何かは信用することにしていた。そういう意味で、賢者も魔法士も悪人ではないだろうという勘だけで側に置いている。
ラクシャーヌに意見を求めてみたところ「人手が足りぬなら、来るもの拒まずで受け入れるがよかろ。害になるようであれば捨てればいいだけじゃ」と単純明快に斬って捨ててきたので、それもそうだと思ったこともある。ちなみに今は中でぐっすりと眠っている。体力、というか血の節約になることが分かってきたので、これも自由にさせている。
「わたしが言うのもなんですが、もう少し人選は慎重になった方がいいんじゃないですか?邪な考えを持った人間も近づいてくると思いますよ?」
まるでクロウの考えていたことを見透かしたように、ロレイアが苦言を呈する。結論が出ているので、答えは一つしかなかった。
「そう言われても、最終的には自分の目を信じるしかないだろうよ。嘘つかれたら何を聞いたって分かりゃしないしな。明らかに不審な奴はまわりだって気づくだろ」
「その時に追い出せばいいと?」
「ああ、使ってみなきゃ分からないのは人も道具も一緒だろうぜ」
「道具と一緒にされるのは心外ですが……一理はありますね。少なくともわたしについては、無益だったとは思わせません」
「じゃあ、これから向かう先のやつ頼むわ」
「いえ、今回はあなたの力を見せて頂きます。わたしも無能な人につく気はありませんので」
澄ました顔ではっきりと言うロレイアを、クロウは真顔で見返した。
内心でお前の方が押しかけて来たくせに、と思いながら。
魔物退治の方は驚くほど手早く終わった。
群れといっても大型でもない狼系のものが10匹程度だったので、ラクシャーヌの魔法一発で片がついた。
わざわざラクシャーヌを起こしてそんな攻撃魔法をする必要もなかったのだが、ロレイアからの実力を見定めたいというリクエストがあったため、深く考えるのも面倒になってさっさと終わらせたというのが正しい。
「このわっちにやらせるとはなかなか太々しい小娘じゃな。腕の一本でももいでやろうか」
快眠を邪魔されたラクシャーヌは少しご立腹で、なかなか凶悪な物言いをしていたが、
「……想像以上に凄まじいですね。これだけの広範囲魔法を詠唱なしに、しかも的確に倒している……炎魔法で焼かなかったのも、食料とするためですよね?」
「食い物はあればあるほど困らぬのじゃろ?肉はなかなか美味じゃしな」
ロレイアが賞賛の目を向けると、すぐに機嫌を直して踏ん反り返っていた。ラクシャーヌの声はロレイアに聞こえていないのだが、なんとなく会話が成り立っていた。
「お前は肉食っても腹の足しにはならねえだろうが」
ラクシャーヌのエネルギー源はクロウの血のみであることは判明していた。
「ふん、何を言うか。わっちにも味覚はある。美味いものは食べるべきじゃろうが」
「無駄に食料を減らしてどうする……」
「わっちが狩ったんじゃから、その権利は当然あるじゃろっ!」
その食糧不足の原因はそもそもラクシャーヌなのだが、今更言ってもどうにもならないことではある。
「……とにかく帰るか。その魔獣の肉は飯の足しにしてくれ」
魔獣と言っても元は野生の動物で、ざっくりと言ってしまえば魔獣というのは大量の魔力を宿した動物というだけで、その肉は普通に人間にも食べられる。魔力抜きというちょっとした工程が必要だが、この世界では普通に行われる料理の一手間で特に問題視はされていなかった。
応援を呼んだ警備隊の一人が「ご苦労様でした!」と敬礼をよこす。魔物には普通の武器での攻撃が利かず、魔力を通した武器でしか傷つけられないため、彼には対処できなかったというのが今回の経緯でもある。本当はウェルヴェーヌが馬車にその手の武器を納めた武器箱をしっかりと手配してあったのだが、まったくクロウは気づいていなかった。それらを渡して対処させることもできたはずだが、訓練が不十分では扱い切れないというのも事実だ。
もともと、警備隊は魔物に対処できる隊員とそうでない者がいたようで、その辺りの適材適所の配置も人手不足のためにままならない現状だった。
「魔法武器ってのが、もっと誰でも扱えるようにすればいいのにな……」
帰りの馬車の中でクロウはぼそりと愚痴る。
「魔法に適正があるように、魔法武器を扱うのにも適正があります。おまけに、その武器作成にも鍛冶職人の魔法属性的なものが反映される以上、万能な魔法武器というのはかなりレアですよ」
「属性ね……ラクシャーヌは何でも扱えるっぽいから、その辺はどうもよくわからねえな」
「あなたのその特殊技能の使い魔がデタラメすぎなんです。たとえばわたしは火属性で、水属性はほとんど扱えません。何でもいけるというのは歴代の賢者様でもいなかったはずですよ……」
「わっはっは。わっちが凄すぎるということじゃな、褒めたたえよ!」
いきなりぴょこんと腹の中から出てくるラクシャーヌを押し戻す。
「出て来んな。さっき魔法を派手に使って消耗してるだろうが。無駄に人の血を消費すんな」
「ぐぬぬ!けちんぼめっ!」
言いながらも大人しくクロウの体内に戻るラクシャーヌ。この何日間でラクシャーヌのエネルギー問題については多少理解を深めており、どうやらクロウの血液のみで動いているのは確かだと分かった。ラクシャーヌ本人には、自分のエネルギー上限がなんとなく分かるらしい。同時にクロウの血液量の総数も把握できるため、適度に調整するのはラクシャーヌの分担となっていた。人は血液の30%以上が失われると危険領域に入るため、その辺りでうまくやり繰りする必要があることを確認した。
とはいえ、クロウの場合は一般的な失血死というのは起こりにくいらしい。その代わりに初日にまったく身体が動かなくなったように、生命活動が極端に縮小される現象になるという推論が立っていた。体の防御機構として、ラクシャーヌに急激に血液を奪われるとクロウの方は生命維持のために体の運動機能を停止するといったものだ。緊急時以外、クロウとしては勘弁して欲しい機能だった。
「ラクシャーヌ様があなたの血で動いているというのは本当なんですか?」
自分の特殊な体質について、クロウは隠すことなく皆に伝えていた。いざというときに状況が分かっていないと困るだろうと言う判断だ。
「ああ、毎日ちょっとずつ吸われてる。つっても、どうやら普通の人間より血液を作る機能が優秀らしくて、無駄遣いをしなければ十分賄える算段になってるみたいだがな」
「転生人ならではの特化機能なのかもしれませんね。その……試すような真似をしてすみません。ラクシャーヌ様が機嫌を損ねていなければいいのですが……」
「単純な奴だからな。あの魔獣の肉を後で食わせてやれば大丈夫だろう」
(おい、わっちを餌で手なずけようとするでない!失礼じゃぞ!)
(じゃあ、肉はいらないのか?)
(なぜそうなる!よこすがよいっ!)
やはりチョロい。苦笑しながらクロウは窓の外を見やる。大分町の活気は戻ってきているようだ。至る所で家屋の復旧を試みようと使えるもの、使えないものの分類が行われ、瓦礫の排除が行われている。死体に関してはあらかた処理が終わっている。一部の反発もあったが、疫病対策のために一気に焼却するとお触れを出して、問答無用で実行済みだ。
人の死というものについていまいち実感はないのだが、その元凶が自分の中にいると思うと、多少複雑な気分ではある。そのことに関してはまだ誰にも打ち明けてはいない。いずれ、オホーラ辺りには腹を割って話して助言をもらおうとは思うが、まだそこまで信頼はできていない。
「わたしも直接お話しできればいいのですが……」
ラクシャーヌの言葉を理解できるのは、今のところクロウのみなのは変わらなかった。博識を自負し、様々な言語が分かると豪語したオホーラもお手上げだったのが現状だ。
「あいつ自身はこっちの言葉が分かるから、お前の気持ちは伝わってるだろうよ」
(うむ。肉で許してやろう)
そんな会話をしていると、突然馬車が激しく揺れた。いや、揺れると言う表現では生易しい。馬車が縦に跳ねた。
「きゃあっ!!!?」
「なんだ、地震か?」
慌てて御者が馬を宥めて止める。次いで、叫んだ。
「りょ、領主様!前方に巨大な――ひぃっ!!」
御者の言葉は悲鳴に変わった。
何か尋常でない事態だと悟って、クロウはすぐに馬車を出る。
すると、目の前に大きな壁が聳え立っていた。文字通りの石壁だ。いや、壁は動いたりしない。
「こいつは……?」
「まさか、魔法岩人形なの!?」
同じように地面に降り立ったロレイアの声が辺りに響いた。