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人の手が入っていない森の特徴として、樹木は背が高くなり、その幹は太くなる傾向がある。
原生林は自然淘汰のサイクルが長期間に渡ることも一つの要因だろう。
樹齢を重ねた大木はゆえに、倒れた樹木の上にまた新しい樹木として育つという経緯があり、条件によっては枯れて腐りかけた元の樹が依然としてまだ下部に残っているものもある。それは命の循環を感じさせる構造になっていて、大木の歴史が垣間見える光景だった。
ユニスたちが背にしていた大樹は、そうした年月を考えさせられるほどの立派で厳かな佇まいで君臨していた。
そして、その前に立ちはだかる巨大な影。
全身を灰色の剛毛に覆われた熊系のウッテだ。その巨躯からして上位種の魔物ドムウッテだろう。残忍そうな相貌と強靭な牙を剥き出しに、獲物を前に興奮している。
ブレンが最前線で大楯を構えて牽制をしているが、その足元はおぼつかない。大分激しく打ち合ったのか、自慢の鎧はドムウッテの爪跡で蹂躙されている。地下世界の魔獣は地上のそれと比べて圧倒的にレベルが高い。上位種のドム系ならば更に強さは跳ね上がる。
ウェルヴェーヌとココも支援したのだろうが、ブレンの後ろで片膝をついて満身創痍の状態だった。それだけ手強い相手だということだ。
ステンドの姿は見当たらないが、どこからか戦闘している喧騒は聞こえている。別で戦っているということか。
その場所に辿り着いた瞬間、クロウは戦況をそう理解した。
ミーシによって分断されたという推測は当たっていた。更に残された方でも、幾つかの襲撃があったようだ。
敵はこの状況を作り出すために段階的な罠を仕掛けていたということだ。
そう考えていると、すぐそばをシーアが物凄い勢いで駆けまわってゆく。
「ThiThiーーーー!!!」
その後ろから追いかけまわしている魔物がいる。巨大化したリスのようだ。元が小動物なだけに、大きくなったところで人間の4、5歳ほどではあるが、発達したその前歯である犬歯は砥石で磨かれた刃のように鋭く、素早い身のこなしで迫られると相当の脅威だろう。
ブレンたちが苦戦したのは、このリスの魔物、ネズミと同様にラームズに分類される敵にも襲撃されたからかもしれない。
シーアはそのためなのか本能のためか、このラームズから逃げ回ることで囮の役割を果たしているようにも見えた。
一般的に違う種族の魔物が連携して同じ得物を狙うということはあり得ない。そのことからも、これら一連の攻撃が一つの意志によってもたらされているという推測が補強される。
「ユニス!ガンラッドの位置は分かるか?」
クロウはドムウッテに斬りかかりながら叫ぶ。とりあえず、ブレンに一息つかせるためにも注意を逸らす必要があった。
「やっとお戻りかい?あんまりのんびりされると困るね」
皮肉を言えるだけの余裕はあるようだ。急に顔を出したクロウに驚いたそぶりは見せない。少なくとも、表面上は。
「あいにくと、魔防壁の維持に忙しくて魔力探知をしている暇はないよ」
「しばらくこっちで引き付ける。今すぐやってくれ」
なぜ今そんなことをしなければならないのか、一瞬ユニスは質問しようとしたが、そんな暇はないと判断してすぐさまクロウの言葉に従った。信頼しているがゆえの反応だとも言える。
その間、イルルとミーヤも加わって、ドムウッテへと牽制の攻撃を加え続ける。
「麗しき救援、感謝する!」
ブレンがいつもの調子で大声をあげる。自らを鼓舞するためかもしれない。やはり、相当疲弊しているようだ。
ドムウッテは巨体にもかかわらず、その身のこなしは機敏で、イルルたちの手数で攻める攻撃にも翻弄されることなく対応する。二本の腕と身体の硬化という魔法を駆使して、近接戦闘の強さを遺憾なく発揮していた。
クロウはそんな二人の攻撃の隙間を埋めるべく動きながら、ドムウッテの魔核を見極めようと注視していた。外側から削って肉薄するような相手ではなかった。一撃で核心を叩き、一気にかたを付けたいところだ。
そのためにも破壊するべきその部位を確認しなければならない。動物系の魔物は心臓が弱点ではあるが、魔核を破壊されない限り何度でも再生可能な個体も存在する。このドムウッテ級ならば十分に考えられるケースだった。
「……っ!?カタすぎっ!」
イルルが自身の小刀をドムウッテの急所に突き刺さそうとしたものの、その硬化した毛皮に阻まれて弾かれていた。
「頭を推奨。効きが悪い」
周囲を素早く駆けまわって注意を引きつけているミーヤが助言をするが、ドムウッテの全長は5メートルほどある。容易に頭部への攻撃は届かないだろう。現状、ドムウッテは二足状態で立っている。威圧感を出すためだろうが、まさに聳え立つ壁のような状態だ。
「位置は変わってない!今も同じ動きをしてるよ!」
ユニスがガンラッドの魔力探知を終え、クロウに向かって叫ぶ。
その答えでおおよその推測が間違っていないと確信したクロウは、オホーラに向かって問いかける。
「オホーラ!魔力を偽装することはできるのか?」
ドムウッテの頭部への攻撃は自分が担当するべきだと分かっていたので、疑問を口にしながらも身体は動かしていた。
ミーヤに視線が移っていた巨漢の死角から飛び上がり、その顔の側面へと下方から剣を振り上げる。思ったより深く通らなかったが、傷は確実に与えた。
「DOAAAAAAーーーーーーーー!!!」
上手い具合に片目を跨いだ刃が、その視覚機能を減じることに成功する。
痛みに暴れるドムウッテの狂乱した四肢の牙から逃れるために、クロウは魔物の身体を蹴って距離をとる。着地したのは丁度、ブレンの方だ。
ユニスの頭の上から賢者の声が届く。
「おぬしが聞きたいのは己のダミー情報を作れるか、ということじゃな?」
「え?賢者様、それはどういう?」
そこにはクロウの意図を理解している者とそうでない者の違いがはっきりしていた。
「ああ、ユニスが見ているもんが、偽物の可能性があるのかどうかが知りたい」
「は?いやいや!動いているんだからそれはないよ!?」
すぐさま否定するユニスだが、オホーラは肯定した。
「ふむ、そうじゃな。魔道具で小細工をしているかもしれぬ。わしら以外の人間の魔力探知で特定している以上、固有の魔力ではなく人型の魔力に過ぎぬ……騙されておる可能性は少なくないか。じゃが、それは向こうがこちらを認識している前提でないと成り立たぬぞ?」
「さっきのミーシは魔札で操られていた可能性が高い。その前提は既に成立してるんじゃねえか?」
「なるほど。ならば、間違いなかろう。つまり、この一連の攻撃すべてが罠か」
賢者も同じ結論に至ったことで、クロウは自身の推測が正しいことを知った。
「ユニス!特定してるガンラッドの魔力を弾いて、それっぽいのを捜してくれ。多分、近くにいるはずだ」
「くそ……もうやってる。少し時間をくれ」
話の流れから自分の間違いを知り、名誉挽回のためにユニスは既に集中していた。時間は一秒も無駄にできない。
「我にはいまいち分からぬのだが、一体どういうことかね?」
ブレンは体力回復に努めながら、ユニスの頭の上の蜘蛛に尋ねる。
「おそらくガンラッドは追跡者の存在に気づいた時点で、己のダミー情報を持った魔道具を用意し、それを何らかの仕掛けで動かしている。そうして、自らは別の場所で逆にこちらの位置を探っていたというところじゃろう。そのために魔札で魔物などを使役した。あるいは今も、こちらの隙を狙っている可能性もある。ドムウッテ同様、そちらも警戒する必要がある」
「魔物を使役?まるでどこかの魔物使い(テイマー)ではないか。魔道具使い(ユーザー)にそんなことができるのかね?」
「普通はできぬ、というかそんな魔札はありえぬと答えるところじゃが、クロウが実際に見たのならあり得るのじゃろう。この地下世界の何かを取り込んだ未知数のものがある以上、否定はできぬというのが正しい」
「さもありなん。ここが常識外であると考えれば、美しく合理的でもあるか……」
「とりあえず、アレをどうにかしないとな」
クロウはオホーラから必要な答えを得て、再びドムウッテに向かって駆け出した。ようやく魔核の位置はつかんだ。
牽制しつつその場に留まらせていたミーヤとイルルに声をかける。
「二人は下がれ。後は俺がやる!」
片目を失ったドムウッテには、死角となる領域が増していた。その方向から一気に攻めるべく加速する。
一時は盲目的に暴れていた魔物は既に怒りを糧に、絶対に逃がさないと言わんばかりに残る瞳に殺意を込めて周囲へとその殺気をまき散らしていた。それはただの雰囲気に留まらない。実際の魔力の余波がドムウッテの半径2メートルほどに展開されており、下手に足を踏み入れようものなら瞬時に凶暴な爪で引き裂かれるだろう。
その危険を分かっていながらも、クロウに止まる気は皆無だった。
既に魔核が首裏辺りにあることは特定した。
その急所目掛けて左側面からの一撃を叩き込むために、敢えて右側面へと回り込んで注意を引く。
覇気のような警戒網がある以上、不意打ちでいきなり狙っても防御姿勢を取られる可能性がある。ならば、初めから相手を翻弄する形で隙を作ればい。武道において、ないものをあるものに変化させるのが技の意義の一つだ。連続技や一連の型というべきものはその典型的なものである。
クロウにそのような知識はなかったが、戦闘を繰り返してゆく内に経験と知見によって自然に体得していた。合理性の到達点はおおよそ一つに収束する。相手の防御を見越した振り下ろしから、左薙ぎ、右薙ぎと淀みない動作で想定通りの斬撃を与えながら、クロウは徐々にドムウッテの視界から自身の身体をずらしてゆく。
身長差があるために巨体の下半身への攻撃になりがちだったものの、相手の身体そのものを利用して上部へと駆け上がり、適度に上半身へも斬りつける。次につなげるための攻撃と移動を繰り返し、決してその動作が止まることはなかった。
そうして機敏に攻撃しながら相手の視線、五感を誘導して、最終的に誤認から消失という状態まで持っていく。絶え間なく連続で斬りつける一撃一撃の強度も決して弱くはない。だからこそ魔物も集中して対応した。その速度と的確さに必死になるうちに、ついにドムウッテの意識の中にまで隙が生まれる。
完全に死角の位置取りになった瞬間、クロウは首裏の魔核に向かってその刃を突き立てた。ドムウッテは目の前から不意に掻き消えた人間の姿に戸惑っている間に、一体何が起こったのか分からなかっただろう。
「GOAAAAAAーーーーーーーーーーーー!!!」
断末魔のように鋭い苦鳴を上げて、ドムウッテの巨体がついに倒れる。
おそらくこれで倒したはずだが、動物系の魔物の場合、心臓と魔核、両方を潰さねばならない場合もある。倒れ込んだ身体の胸深部にもとどめの一撃を与えておこうとしたとき、
「クロウ、上!」
ミーヤの鋭い警告で、何かが頭上から降ってくる危険に気づいてその場から飛び退った。まるで何もなかったはずの場所からの攻撃だ。想定外すぎて直前まで分からなかった。
後方に飛びながら、クロウは見た。とてつもなく長く太い鞭のようなものが飛んでくるのを。
あれほど固かったドムウッテが瀕死になっていたとはいえ、その巨大な一撃で粉砕される様を。
「ボルアード!?」
ミーヤが驚いた声をあげる。すぐさまそれが古代樹、樹齢を100年以上重ねた巨木などが魔物化した場合の名だと気付く。
頭上から振り下ろされたその巨大なものは枝だった。質量からは予想できないほどしなやかな動きで、まるで鞭のようにドムウッテを打ち破った。
引いてゆく根本を視線で追うと、いつの間にか周囲を覆うように樹々が密集しており、見上げるほどに高い複数の幹と屋根状に複雑に広がる葉に阻まれて、奥がまったく見えない。それほどまでに濃い森だっただろうか。というより、あの枝はどれだけ長いのか。
完全に辺りの景色は様変わりしていた。
ミーヤがボルアードという名を出したことにも納得がいく。通常の樹の魔物ならば、その名では呼ばない。それらは単独のものであるからだ。ボルアードは別名、森の魔物という。特定の空間の森そのものが、古代樹によって支配された状態でもあるのだ。
「こんなに突然、どこから?」
イルルも戸惑って周囲を見回す。
「ダメだ!既に特殊空間に取り込まれてて、ガンラッドの魔力探知ができない!」
ユニスの憎々し気な報告で決定的になった。
これがガンラッドの仕掛けた罠であるなら、ボルアードの支配領域に引きずり込むことが最終目的だった可能性はある。どうやってなのかは不明だが、あの巨大な枝の触手攻撃は厄介だ。出所が予測不可能で、あの速さと重さだ。避けられないと甚大な被害を生む。四方八方から無秩序に飛んでくるので、後手にまわらざるを得ない。。
更に、ブレンも含めてあまり万全に動ける状態ではなかった。
ウェルヴェーヌとココは未だに座り込んでいるような体勢のままで戦力には数えられない。
イルルとミーヤは健在だが、あの鞭のような枝攻撃を受け止めるのは不可能だ。本人たちは避けられるが、ユニスを含めての守護は期待できない。
万能型のステンドがいればまた違ったかもしれないが、転生人の先導役はこの空間に取り込まれてはいなかった。他の魔物に一人で対応している状況だ。そちらも気になるものの、助けはあてにできないだろう。
ボルアードの手数に対して、現状は不利な状態だった。
「ボルアードであれば、やはりどこかにいる親木の魔核破壊をせねばらなぬか。それまで我がきっちり守って見せよう」
ブレンが気丈に言い放つ。防衛騎士であり、守護こそが本分なのでどうにか対応できはするだろう。だが、長くもつかどうかは疑問だ。
その発言通り、親木が持っている魔核を早急に壊す必要があった。
「ユニスは魔核探知に切り替えられるか?俺とブレンでその間は守りを固める。ミーヤ、イルルはユニスが絞り込め次第、その場所へ向かう準備を頼む」
「ココのティレム化は使えぬか?」
オホーラの提案に、シロからの伝言が即座に届く。
(先日のティレム化で魔力消費してから、まだ日が浅い。主殿がやれと命令するならば応えるが、ココの命の危険がある上にそう長くは保てぬぞ?)
地下世界に来てから既にココはティレム状態になって、深い睡眠を必要とするほど疲弊していた。今の状態でまた使用できるとは思えなかった。
「もう一回使ってるから現時点では厳しいそうだ」
「やはりそうか。ならば、あの雛鳥を有効活用するべきじゃろう」
賢者は分かっていたというように、すぐに作戦を切り替えた。ユニスに何やら指示を与えた後、イルルとミーヤに向かって言う。
「おぬしらはボルアードの枝による一撃を受けることは不可能じゃが、あの雛鳥を盾としてブロックすることはできよう。体毛の硬化である程度の衝撃は吸収できる。ドムウッテがやっていたことと同じじゃ。うまく誘導してこの防御陣を保守するがよい。魔核の位置が分かるまで防衛に参加せよ」
オホーラの指示に否やはなかった。問題はシーアが意図通りに従ってくれるかどうかだが、ウェルヴェーヌがどうにか説き伏せた。
ラームズに追い回されていた黒トサカ鷲の雛鳥は、その追跡劇に終止符を打ったようで、今はユニスの硬化魔法によって立派な戦力になりそうだった。その役割が肉壁ということを本人が自覚がしているかどうかは別として。
「とりあえず、また時間稼ぎか」
襲い掛かってくる通常の大木の幹ほどもある枝を剣で受け流しながら、クロウは気合を入れた。
森の魔物と戦うのは初めてで、これからどう展開してゆくのかは未知数だった。




