1-7
クロウは自分がどの程度の強さなのかなど分かっていなかった。
目覚めてすぐに瀕死になっていたことを考えると、むしろ弱い部類の人間な気もしていたが、ラクシャーヌの呪いによって何かが変わった気がしていた。
一方で、転生人という種族の特性によるとこの世界の人間よりも身体・魔法適正共に優れているものらしい。それらが無意識下で噛み合っているのか、不思議とその若者の一団を前にしても、自身の身が危険だとは露ほども思えなかった。
内部にいるラクシャーヌのおかげもあるのかもしれないが、そのならず者たちを前にして冷静に自分が優位だと確信していた。
ゆえにこそ、何ら臆することなく対峙できた。
「それで、そっちのリーダーは誰なんだ?」
「なんだ、てめえは?まさか、新しい領主とかいうんじゃないだろうな?」
「そのまさからしい。別に好きでなったわけじゃないが、一応責務は果たそうと思ってな」
突然御輿から降りて来た男が、本当に領主なのか訝しむのも無理はない。
クロウはいたって普通の風貌で、戦闘向きの体つきをしているだとか、知性溢れる賢者のような格好だとか、そういう威厳のようなものは皆無だ。何より若い。若者の一団の中に混じっていても、年長組として違和感がないほどだ。おまけに武器の一つもなく、ふらっとやってきた村人のような装いだ。領主だと見抜く方が難しいだろう。
「マジかよ……?てめぇみたいなのが災魔を追い払ったってのか?到底信じられないぜ」
ラクシャーヌがいつものように腹から顔を出せば、その異常性で信憑性が増すかもしれないが、今回はなんとなくラクシャーヌ抜きで鎮圧する方向で話がまとまっていた。例によってテオニィールの案なのだが、一応の説得力があったのでクロウも乗ったのだ。曰く「新しい領主は転生人で、スキルなしでも腕っぷしも立つ」といことを強くアピールすれば、今後の風通しがよくなるとのことだ。偉ぶる気はないのだが、それで面倒ごとが減るのならそれはそれでいいだろうと、クロウも同意したという流れだ。
「別にお前に信じてもらわなくてもいいんだが、とにかく代表者を出せ。わざわざ話を聞きに来たんだ。無駄な時間をかけたくない」
「んだと!?てめぇが領主だってんなら何か証拠を出せよ、証拠を!」
そんなものがあるのか分からないので、後ろで控えているテオニィールを見ると、その首が横に小さく振られた。小声で付け足される。
「一応、国から正式に任命された証書みたいなものがあるところはあるけれど、このベリオスの町は多分ないだろうね」
そう言えばベリオスの町は一応なんちゃら王国の属領だが、辺境過ぎて忘れ去れているという冗談のような話を聞いていた。これ幸いと前領主は国に税も納めていなかったため、災魔に襲われたときも助けを求めることができなかったという。つくづく、ろくでもない。
仮に証書が存在したとしても、正式な手続きを踏んでいない現在のクロウには関係のない話だろう。つまり、証拠など出せないし、あまりその必要性も感じなかった。ならず者に合わせる道理はない。
「疑うのなら、とりあえず領主の屋敷に来たらどうだ?少なくとも、俺は実際にそこから来たし、怪我人のために開放もしている。その権限があることは分かるだろうよ。そよれり、お前以外の話せるやつをだな……」
「ハッチ、お前はもういい。下がってな」
野太い声がして、天幕の一つから男が出てくる。大柄な恰幅の良い体格でいかにも力自慢といった風体だ。落ちくぼんだ目が不健全な印象を与えるが、まだ若い。雰囲気からしてこの男が頭だろう。
「わざわざ本当に出てくるとはな。俺様はゴダン。輝く栄光の張り手団の団長だ」
「輝く……なんだって?いや、いい。お前の団体の名前に興味はない。俺は領主になったらしいクロウだ。何が望みなのか一応聞いてやる。言ってみろよ」
「随分上から目線だな。こっちには人質がいることを忘れんなよ?いいか、お前みたいな青二才が領主とか俺様は認めねぇ。素直にその地位を譲れ。そうすりゃ、この町もちっとはマシになるだろうぜ」
まったく論拠が分からない上に、青二才はそちらの方じゃないかとクロウは思った。元より従う気はない。
「要するに領主になりたいって話か。ところで、人質は無事だろうな?これから領主になろうって人間が、領民を傷つけるなんてことはないとは思うが……」
「あん?ああ、ほとんど無傷だぜ。まぁ、一人ばかり怪我人のやつがいたみてぇだが、元々くたばり損ないだったんだろ。勝手におっ死んでたが、それだけだ」
「殺しちまったわけか……」
負傷者が出ていなければ、多少の情状酌量の余地はあるかと思っていたが、死人が出たのならそうもいかない。怪我人だったとはいうが、人質なんてものにしなければ、治療なりなんなり手が打てたはずで、間接的に殺したことに違いはない。
「殺しちゃいねえよ。勝手に死んだって言っただろ?お前、バカか?」
バカはお前だと思いながら、クロウはこれ以上話しても無駄かと感じ始めていた。何か深い事情でもあるのかとも勘ぐっていが、一切そういうものはなさそうだ。それでも最後に確認しておく。
「ちなみに聞いておくが、お前が領主となったらどういう政策をするつもりだ?」
「制作?何を作るかって?そりゃ、俺様たちが快適に過ごせるための……なんかだ。町を直すついでにこう、なんか、いい感じのもんができんだろうよ」
驚くほど底が浅かった。記憶がない自分でも、もう少しマシな答えが出せる。やはりこれ以上は無駄だと判断する。
「OK。もう十分だ。最終勧告する。今降伏して反省するなら情けはかけてやるが、その気はあるか?」
「はぁ?何を言ってやがる?俺様は――」
返事は分かっていたので、それ以上聞く気もなかった。武器は何も持っていなかったが、自分がどれだけ動けるかの目途はついていた。その効果の程も、与えられる影響力もだ。素早く踏み込んで飛ぶと、あっさりと柵を越えてゴダンの懐に辿り着く。ゴダンは驚いた様子で身体は硬直したままだ。反応できていない時点でどうしようもない。
その首筋に向かって掌底を打ち込む。当たり所によってはそのまま死に直結する危険な攻撃だが、クロウに躊躇する気は皆無だった。死んだら死んだでかまわない、そういう一撃だ。
「ぼふぁっ!!!」
ゴダンはなす術なくそのまま後ろへ倒れ込む。意識を失って身体を支えきれなくなったためだ。
「団長っ!!?」
危険な倒れ方をしたボスを見て、ハッチと呼ばれていた先ほどの男が血相を変える。リーダーが瞬殺されたのだから当然ではある。
しかしクロウはそんなことを気にしていなかった。
「なるほど……」
思った通りに身体が動くことに満足していた。
(なんじゃ、意外と機敏じゃのぅ?)
(転生人が普通の人間より身体的に優れてるってのは本当らしい。やたら回復が早かったのもそのせいなのかもな)
(お?ならばもっと吸ってもよいかえ?)
(いや、やめろ。その辺は後で計画的に摂取量を考えるって決めただろ?)
(なんじゃ、ケチくさい……)
ラクシャーヌが不満げに鼻を鳴らす。内部にいる際は、意思疎通が口にせずともできることを発見したため、こうして内密に会話もできるようになっていた。奇妙な共生状態だが、色々便利なこともあると分かってきたところだ。
「て、てめぇ、よく見たら装石がないじゃんか……転生人だと!?」
ハッチが今気づいたというように目を見開いて、クロウの耳元を指差す。
「ああ、そうらしい。降伏するか?」
「ううっ、特殊技能持ちかよ……」
後ずさりながら、ハッチは葛藤する様子を見せる。やはり転生人というのはこの世界では特別なようだ。
度々耳にしてきた装石というのは身分制度の義務で、大陸の者は全員六歳になるまでに耳に魔鉱石を埋め込まれて、その種類で判別できるようになっている。平民は一つで黄色のシジャラム鉱石、貴族ならば二つで黄色と青色のニキラム鉱石と決まっており、それらがないのは転生人ということになる。
奴隷ですらクズ石と呼ばれる茶色のマカラム鉱石をしているため、まっさらな耳というのは結構目立つらしい。ちなみに奴隷は両耳で、その他は片耳という規則になっている。なんちゃら団の人間は皆平民のようだ。
クロウは身分と言われてもいまいちピンと来ないが、その身分階級によって権利や保証などが国ごとに違うということは何となく分かった。逆に言うと、転生人はそれらの一般的な法則から外れるということだ。この町ではどういう扱いになるのか尋ねたら、ウェルヴェーヌは前例がないのでご自身で決めるのがよろしいのではないかと提案してきた。
要するに、このベリオスの町に転生人はいたことがないということで、それだけやはり珍しいのだろう。
「とにかく他の面子も呼んで来い。ごねるようなら容赦なく行く」
時間をかけたくないので、強気にそう言い放つ。転生人効果があったのか、先程までの威勢のよさはなくなって、ハッチは「ちょ、ちょっと待っててください!」と天幕の方に駆けていった。
(雑魚が随分と雑魚らしくなったのぅ……それで、降伏したらどうするのかえ?)
(死人が出たらしいからな……この団長が生きてたらこいつに責任取らせて、他は……地下牢にぶちこんでも手間がかかるな……)
(さくっと殺ってしまえばよい。死体と一緒に焼けて、処理も楽じゃろうて)
(そんなにサクサク殺していいものかどうか、判断がつかねえな……)
クロウは自身の倫理観を未だにはかりかねていた。所詮他人の命、しかも悪人のそれならどうでもいいと思う一方、それでも命は軽んじていいものではないという感覚もあって、なかなか立ち位置がはっきりしない。
こうすべきだという一般常識みたいなものは知識としてあるが、個人としてその体験や身近な何かに置き換えての比較ができないので、何一つ実感が伴わないような座りの悪さを感じるのだ。
(ならば、やってみればよいではないか。取り返しがつかないことなんて早々ないであろ。領主とかいう立場なら尚更、自由にやってやるのじゃ)
他人の命を奪ったら戻せない時点で取り返しはつかないとは思うが、その辺の感覚も現実感がないので、まぁ、そうもありかと頷く自分もいた。
そんなことを考えていると、天幕の方から慌ただしく何人かが出てきた。
なんちゃら団のメンバーのようだ。皆若く、身なりからして決して裕福ではないことは見て取れる。
「だ、団長が!?」
「マジかよ……」
「転生人って本当にいたんだな……」
口々に言いながら、どこか及び腰でクロウを見る。ハッチから経緯を聞いたのか、既に戦意は喪失しているようだった。
「それで?降伏するのかしないのか、さっさと言え。面倒な問答もしたくない。お前らに時間をかける気はないんだ」
何か文句を言いたそうな者もいたが、ハッチが大きな身振りで黙らせた。意外にも影響力があるのだろうか、見張りの下っ端だと思っていたのだが。
「わ、分かってます。俺らは降伏――ぐへっ!」
「勝手に決めんな、クソハッチがっ!」
背後から勢いよく蹴り飛ばされて、ハッチが地面を転がる。ひょろ長い背丈の青年が一歩前に進み出てくる。
「領主だか何だか知らねぇが、いい気にな――」
それ以上何も言わせなかった。こういう典型的な馬鹿が出てきて来るのは予想済みだ。ある意味丁度いい。
瞬時に再びその懐へ飛び込んで、団長のゴダン同様、首元への一撃で黙らせる。
「問答はしないって言っただろ。降伏するかしないか、それ以外は聞いてねえよ」
二度目の威圧は効果覿面だった。若者たちは一斉に両膝をつけて両手を上げる。全面降伏のポーズだ。
「……そういうことらしい。警備隊のやつ、後処理頼む。無駄に抵抗したら殺してもいいぜ」
こうしてあっさりと臨時補給所占拠事件は片付いた。
わざわざ出向く必要があったのかと考えていると、遠巻きに見ていた町の人々が近づいてきて「領主様、ありがとうございます!」「あっというまに収めるなんて流石です!」などと感謝の意らしきものを盛んに口にする。
すかさずテオニィールが声を上げて応える。
「新しい領主のクロウ様は、皆を決して見捨てない!困ったことがあればきっと手を差し伸べてくれるよ!災魔すら乗り越えたこの町は、今は厳しくとも今後は絶対に安泰だ。クロウ様を信じてついていこう!」
「おおーっ」と訳の分からないまま、周囲にいた人間が皆盛り上がっていた。テオニィールの思惑通りになったようだが、クロウにはやはりいまいち良く分からない。とにかくこの場は収まったようなので帰ろうとすると、急に地面がぱかっと開いて老人が出てきた。
「ふぅ……久々すぎて難儀じゃったの。身体を動かす感覚などとうに忘れておったわ。む、そなたが例の者か。ふむふむ、なるほど?」
突然現れた老人は、立派な木製の杖をついたまま、遠慮なくクロウを眺めまわす。まるで商品を見定める商人のごとく、じろじろと見つめているのだが、その瞼が腫れたように垂れ下がっているので、完全に瞳を隠しているように見え、そんな状態で視界があるのかどうか疑わしいほどだ。
「……誰だお前は?何か俺に用か?」
「いや、それよりも出現の仕方に驚くべきだよ!?いま地面から出てこなかったかい、この爺さん!」
テオニィールが突っ込んでくる。魔法というものがあるのなら地面から出てくることもあるのかと思ったが、そういうわけではないらしい。
老人はしかし、そんなテオニィールの言葉を無視して何やらぶつぶつと言いながら、尚もクロウを見つめている。
関心はそこにしかないようだ。
(こやつ、何やら変わった魔力を持っておるのぅ……今までの人間とは違うようじゃぞ?)
(どういうことだ?)
(分からぬ。ただ、そう感じるだけじゃ。まぁ、わしほど特別じゃないがな。わっはっはっ)
張り合う必要はないと思いながらも、ラクシャーヌが何か感じたのならただ者ではないのだろう。訝しんで返答を待っていると、老人は不意に皺だらけの手のひらをかざしてくる。
「何も害はない。光に身を委ねよ」
「なにを――?」
尋ねる間もなく、その手のひらから膨大な光が爆発する。一瞬身構えたが、不思議と老人の言う通り危険なものではないと信じられた。
その光に包まれていたのが、一瞬だったのか数秒だったのか、時間の感覚がないままにそれは唐突に終わりを告げた。
そして、老人が穏やかに言い放つ。
「わしは道楽の賢者オホーラ=ダイゼル=ヨーディリッヒ。しばらくそなたと共生しようと思う。よろしく頼む」