7-3
大きさがそのまま強さに直結するのは自然の摂理だ。
ゆえに蟻が一体化して巨大化する行為は、合理的な判断だと言える。威嚇以上に、絶対的な力関係を示すのに分かりやすい。
単なる動物、昆虫同士であれば、だが。
災魔という魔物の中でも上位に属するラクシャーヌにとっては、質量の大きさは関係なかった。
マナの大きさが絶対的な判断基準であり、かの蟻軍団を率いる女王はお眼鏡にかなわなかった、そういうことだ。
見たこともないほどの大きさの蟻を眼前にして、息を呑んだクロウたちとはまったく違い、軽くあしらうようにその手を振る。
一陣の風が吹き荒び、巨大な蟻の顔が崩れ去る。
見事な牙は折れて飛び散り、背後の身体半分もその形を保てずに散り散りになって地面に落ちてゆく。
「もっと大物かと思うたが、興ざめじゃな。わっちはもう寝る……」
「あ?この状態で放置する気か?」
「中心が出てきたんじゃ、後はどうともでもなるじゃろうよ」
ラクシャーヌはつまらなそうにそう言うと、そそくさとクロウの身体に入り込んだ。本当に眠る気らしい。
残されたその場に妙な静寂が落ちる。
その場の主導権を握っていた者が唐突に消えたのだ。戸惑うのも無理はない。
蟻の一団も、ラクシャーヌの気配が薄れたことは気づいているだろう。気勢を削がれていた雰囲気がまた変わりつつあるのを感じた。
クロウは一早く立ち直り、状況を整理した。
「ラクシャーヌ曰く、後はこっちでなんとかできるらしい」
「はぁ?具体的には?」
災魔の声はクロウにしか聞こえない。ステンドが呆れたように言う。だが、問われても今のがすべてだった。
「ない。中心がどうとか言ってたから、多分女王蟻を探して倒せってことなんだと思うが」
「確かにそりゃ道理だけどよ……どうやってだよ?」
ステンドが帽子の下で不満げに表情を歪める。ラクシャーヌが圧倒していただけに、そのまま片がつくと思っていたのだろう。急にはしごを外されたような気分なのはクロウも同じだった。
「女王蟻には何か特徴があるのか?」
「そりゃ、見た目は他のやつとは違うけどよ、クソみたいにうじゃうじゃいる中から探せると思うか?」
「それもそうだけど、普通に考えてまた引っ込むじゃんないかな。今のうちにどうにかしないと、地中に戻られたらどうしようもなくなるね」
ユニスが冷静に状況をまとめてくる。
悠長に話している暇がないのは確かだ。巨大な蟻が崩れた今、また個別に襲撃しようとしている気配はある。その隙に、指揮官は当然安全な場所に退避するだろう。さっきはラクシャーヌの挑発に乗ったようなものだが、その相手がいなくなれば地上にいる必要はない。
とりあえず風か何かで上方に巻き上げて、その中にいるのに賭けるべきか。
とっさに思いつくのはそんな方法しかなかった。迷っている暇はない。そう言おうとしたところで、何かが頭の上に降ってきた。
「やれやれ、やっと戻ってこれたようじゃの」
蜘蛛の使い魔となったオホーラが帰ってきた。
「お?そうか、結界はさっきので壊れたのか」
「うむ。それより女王蟻を討つのなら、ユニスよ、このマナの波形を覚えるがよい」
糸で引っ張ってきたのか、一匹の蟻が眉のような状態でユニスの前に引き出される。
「こやつは女王蟻の近衛のようなものじゃ。この波形と同じものを辿れば、女王蟻の居場所が特定できるじゃろうて」
「なるほど。近衛ならば当然女王の近くにいるというわけですね」
「爺さん、そんなもの一体どこで捕まえて来たんだよ?」
「そんなことは後にするがよい。敵は待ってはくれぬぞ?ブレンよ、位置を特定するまで時間を稼げ。他の皆も無闇に攻撃するでない。下手に追い詰めると女王蟻に逃げられる。一定時間防衛戦をするのじゃ」
「蹴散らしちゃダメなのか?」
攻撃しようとしていたクロウは意図が分からない。ある程度相手の陣形を崩した方がいいのではないだろうか。眼前では、今まさに襲撃しようと地上の蟻たちが何段かに重なって地面を埋め尽くしていた。どんなに平面的に広がろうと、攻撃参加できるのは接触地点周辺の一部のみだ。重なって高さを得ることで、その数を増やそうという作戦だろう。
その行動にはまぎれもなく知性がある。
「集団蟻に有効なのは、撤退しながら確固撃破しての逃亡じゃ。まともにやり合ってもキリがない。あれらは歩行速度がないゆえに、そうして逃げ切るのが常套策。じゃが、今は女王蟻を捕らえるのが目的。地中に逃げ込まれぬよう、一気にかたを付ける必要がある」
「ええと、すみません。そもそも捕らえる必要があるんでしょうか?結界が解けた今、素直にこの場から離脱でいいのではないでしょうか?」
根本的な疑問をウェルヴェーヌが投げかけると、オホーラは即否定した。
「ラクシャーヌがわざわざ引っ張り出したことの意味を考えると、この女王蟻は捜索に役立つ可能性がある。ゆえに、捕らえて聞き出すのが優先事項じゃ」
「え?女王蟻ってしゃべれるんすか?」
「分からぬ。じゃが、少なくともかなりの知性はある。せっかく遭遇したのじゃ、試さぬ手はなかろう?」
何か考えがあるように思えた。クロウはすぐに決断を下す。賢者の言に従って失敗したことはほとんどない。
「ユニスが場所を特定するまで、俺たちは耐えればいいんだな?その方向で行くぜ」
「よくは分からんが、守りならば我の出番だ。33の美技の一つ、回転美麗円陣を披露しよう」
ブレンが出番とばかりにその大楯を掲げた。
「どんな技か知らねえが、オレもその支援に回ろう。前方はそれでいいとして、左右と後方を頼むぜ」
「左を担当」
ミーヤがすぐさま反応したので、クロウは「じゃあ、俺が右だな」と続くと、その支援にイルルが名乗りを上げた。
「では、私が背後を警戒します」
ウェルヴェーヌが言うと、ちらりとココを見る。どうしてもと言ってついてきた褐色娘は、ここまでずっと静かなままだ。騒がれるより大人しい方がいいのだが、いつもと違う様子であることは確かだった。何かあるのだろうか。あるとしても、クロウには見当もつかない。
「ココ、後ろを見てるのん……」
ともあれ、配置は決まった。四方を固めて時間を稼ぐ。
「勝手に僕が酷使される流れになってる……ネージュ様以外に命令されるのはあれだけど、頼られたら仕方ないね。僕の耽美な魔法を堪能してよ」
「いえ、美意識より時間優先で願います」
ぴしゃりと諫められてユニスは不満顔だが、マントを翻して魔力探知を始めた。
その間に蟻たちも陣形を整えたのか、先行部隊のように羽蟻たちが突進してきた。
近くに寄ってくるその羽音が耳障りで、数もかなりの量だ。剣風で跳ね返すが、漏れたものが体中に張り付く。
「皆の者、威力ではなく範囲で対応じゃ!取り付かれた場合は、動いて振り落とすよりも瞬発的に魔力を放出するがよい」
オホーラが助言を叫ぶが、魔量の放出の仕方がクロウには分からない。
(ご主人様!ワタシにお任せくださいなのです!)
(お、頼むぜ、アテル)
(はいなのです!)
魔法担当はラクシャーヌが寝ていても、アテルがいると安心だ。逆にいつまで経っても頼っているから微妙なままなのかもしれないが。
数で押してくる羽蟻を処理していると、前方の地上の蟻軍団に対してブレンが盾を振り回しながら応戦しているのが見て取れた。
独楽のように自身を回転させ、その際の風圧か何かで壁ができているようだ。美技とやらが肉体魔法だと言っていた気がするが、何となく理解できるでたらめさだった。
効果は抜群で大量の小さな蟻たちが吹き飛ばされるように散って行く。
しかし、あの状態をいつまで保てるのだろうか。自分ごと回っているので目が回るだろうし、人は永遠に回転を続けることはできない。
その懸念はステンドも同じらしく「おい、止まったらどうすんだよ!?」と不安をのぞかせていた。
それに対してブレンは即答する。
「ふふふ、当然考えてあるとも!我が美技に隙は無し!」
威勢よく叫んで回転を止め、案の定ふらついたかと思えばそのまま逆回転に再び回り始める。
「―――??」
ステンドもクロウもその意味が分からなかった。ふらついている状態でまた回り出しても、足元が覚束ないために転ぶのが関の山ではないだろうか。
ところが、ブレンはそのまま綺麗にまた回転を続けている。
「ど、どうなってんだ?普通、回り続けたら倒れるだろ?」
「ふふふ。分からないのかね?先程と逆回しになれば、チャラになるのだよ!」
「ならねぇよっ!?」
ステンドの突っ込みが正しいが、現実的にブレンは今も回転し続けている。どういう理屈なのか。そういう魔法があるのかもしれないと思っていると、賢者がどこか諦めたような口調で呟く。 「あれに関しては深く考えぬ方が良い。天性の思い込みというものは身体的にも不可思議な影響を及ぼすということを体現している男じゃ。現象的に道理が通らぬことでも、本人が本気で信じ続けていると、我々が不可能だと実証しうることすら超越することがある。あれの場合、右に回ったなら同じ分だけ左に回れば元の状態になるんじゃ」
「そんなバカな」
クロウも思わず口に出すが、賢者が嫌そうに認めているということは本当にそうなのかもしれない。
一般常識が通用しないとは、ブレンの美技というのは空恐ろしいものなのかもしれない。いや、この場合はブレン本人がとんでもないのか。
とにかく前方はそれでどうにか防げている。ステンドも何気にその補佐としてすり抜けた蟻たちを巨大な布で追い払っていた。なぜ布かと思うが、その布が広がった状態で固定されており、範囲を重視した結果だとすぐに分かる。どうやっているのかは分からないが、おそらくはステンドの特殊技能だろうと想像はつく。忘れがちだが、ステンドもまた転生人だ。
その布を振るたびにその表面と裏面に大量の蟻が吸いつくように群がり、びっしりと埋め尽くされてゆく。さながら、蟻取り布といったところか。それを一定の量が溢れたところで地面に叩きつけて処理しているといった具合だ。効率がいいのか悪いのか、少なくともクロウと正反対に位置するミーヤ方面よりはうまくいっているようだ。
ミーヤの方は、地面の土を抉るように前方へ吹き飛ばし、進行してくる蟻の集団ごと押し返すという力技で防衛している。意外にもパワータイプの戦い方のようだ。獣人だからかもしれない。 中心のユニスは魔法に集中しているのか、右手を前にいかにも何かしてますというポーズで固まったままだ。まだなのか、とは気軽に聞ける状態ではない。
苦戦しているのは後方のウェルヴェーヌとココだった。
背後からの襲撃は相対的に数が少ないとはいえ、その小さな蟻の物量は決して軽視できない勢いだ。おまけに有効な対抗策がない。どうしてそれを持っているのか甚だ疑問な箒を両手に、物凄い手さばきで迫り来る蟻の集団を弾き飛ばしているが、接地面に限りがある以上、抜けが多く出ている。そのあまりをココが土の魔法か何かで防いでいるが、ミーヤのそれと違って土塁を築く方法で効果はそれほどない。その土壁を食い破ってくるので一時的な時間稼ぎにしかなっていなかった。
やがて勢いで突破されるのは時間の問題に思えた。
イルルは既にこちらの支援から、ユニスへと群がる羽蟻や包囲を抜けた蟻たちを処理しているが、その数は増える一方だ。
限界が近づいている気がする。
かといって、今の状態を続けるしかなかった。妙手が急に増えるはずもない。その後も皆の防衛線は続く。
クロウ自身も身体に大分まとわりつかれる数が増加している。アテルがその度に跳ね返しているが、ジリ貧なのは間違いない。
進捗が気になるが、ユニスを急かしたくはない。集中力が途切れてまた最初から、などということは勘弁だ。だからこそ、誰も「あと、どのくらいだ?」と声をかけていない。
「主、このままだと後ろが持たないっす!」
イルルが珍しく焦った声を上げる。
ウェルヴェーヌの箒ではやはり厳しかったようだ。当然だ。むしろ、ここまで持った方が不思議だ。
「クロウ様、大丈夫です。まだ――」
そう気丈に言うメイドだが、その服には既にかなりの蟻が這い上ってきていた。うぞうぞと群がるその黒い集団は虫嫌いだったら卒倒ものだ。アテルを向かわせるべきか、そう逡巡していると、
「ココに任せるのん!」
褐色のその身体が突如光輝き、辺りへと膨らんだように見えた。巨大な何かが覆うように広がり、ユニスを中心に構えていたクロウたちを囲む。
「ティレム!?」
それは不可思議な性質の壁のような何かだ。かつて感じたように表面はザラついていて、見る角度でも印象が変わる。ココが危険な状態に陥ったとき、その身体を保護するための防御機構だと思っていたが、いつのまにか自身で発動できるようになっていたらしい。
(長殿、しばしこれで蟻共は抑えられるが、その間の攻撃がすべてココにとって無害というわけではない。できる限り早い解決を頼みたい)
(シロか。ああ、分かった。ところで、このティレムの壁?みたいなのはユニスの魔力探知は阻害しないんだよな?)
(…………)
常に即答するシロが沈黙した。
まさか、考えていなかったわけじゃないよな?
そう不審がるクロウが何か言う前に、ユニスの身体が浮き上がった。ティレムの一部が足場を作って周囲を囲んだ壁の高さ以上に押し上げているのだ。それが解決策ということか。
「ふむ。とっさにいま、思いついたな……?」
賢者の呆れた呟きが真相だろうが、それでどうにかなったならよしとしよう。肝心のユニスは自分が高所に持ち上げられ居ることすら気づいていないのか、妙なポーズのまま未だに集中している。とにかくこれでしばらく大丈夫なことを皆に伝える。
「今のうちに入り込んだ蟻を駆除しておいてくれ。ユニスの探知が終わり次第、攻勢に出る」
まだしばらく耐える時間が続きそうだった。




