7-1
別世界という表現で連想されるのは、まるで見知らぬ光景であったり想像もできない景色あたりだろうか。
御伽噺や吟遊詩人が歌う過去の時代の描写などもそれに近いのかもしれない。
最上級の古代遺跡もまた、一般的にはそのようなイメージを持たれている。
遥か昔の古代文明が大地ごとそのまま地中に埋もれているというのが通説だ。どれほど信じ難くとも、その真偽を確かめられる者が限られている以上、大多数が信じる噂話が真実のように語られるのが世の常だろう。
そんなウィズンテ遺跡の地下世界について分かっていることは多くない。
転移魔法陣という現代では失われた魔法技術があること。未知の魔物が多数生息していること。地上と見紛うくらいに広大な大地が広がり、丘も山も森もあり、川が流れて自然を内包していること。太陽のような光はないが、光源として様々な発光植物などがあること。かつての文明の名残の建物が点在していること、等々、探索者ギルドが日夜調査している。
魔物のレベルが高いことや未知の場所で危険なことから、ある程度の腕のある探索者のみがその探索を行っているが、その成果はまだまだ少ない。
所有者であるベリオスの町運営側としては、決してその探索を急いでいるわけではなかったので、そのことについて気にはしていなかった。ゆくゆくは高価な過去の宝石類や、失われた技術の産物、魔道具などが見つかることを期待してはいるが。
しかし。
状況というものは変わるものだ。
領主であるクロウは、その地下世界に危険人物が逃げ込んだことを突き止め、その捜索をする必要が急務となっていた。宰相役である賢者オホーラの暗殺を企てた者がいて、今もなお狙っているとなれば、何としてでも捕縛しなければならない。時間をかけて悠長に構えている暇はなくなった。
おまけに、ココとシロを実験体にして弄んだ魔法士が潜んでいる可能性も出てきた。後顧の憂いを取り除くためにも、分かっている危険人物は探し出して排除すべきだ。放置はできない。
「で、これがその探索装置とやらなのか?」
大人が両手で抱えなければ持てなそうなほどの大きな箱を目の前に、クロウは蜘蛛の使い魔状態であるオホーラに尋ねる。
本体で参加したがっていた賢者だが、狙らわれている本人が追跡するというのは危険すぎるということで、周囲の猛反対によりこの形になった。その代わりというか、魔法面での補強のためにユニスが加わっていた。ロレイアやテオニィールといったクロウ会の魔法担当は現在、他の仕事や転移魔法陣の方で抜け出せないために白羽の矢が立ったのだ。
しかし、ユニスが来るとなると連動してもう一人の警備隊の猪戦士がやって来そうだったので、シリベスタをぶつけることでその同行を阻止する作戦を発動した。獲物を追う独自の嗅覚は魅力的だが、猪突猛進すぎる性格の厄介さの方が上回ると判断してのことだ。探し出そうとしている相手は狡猾で悪知恵に長けている。まずは突っ込んで殴ってから考える、といったスタンスのネージュを連れていくわけにはいかなかった。
探索ということで、本業のステンドに運用係として訓練を積んだウェルヴェーヌ。探索者ギルドからはミーヤが参加している。前衛の盾役にはまだ町に残ってくれている防衛騎士のブレンも協力してくれており、斥候担当にはウッドパック商会のイルルといつもの面子だ。
元々はこの少数での捜索隊の予定だったのだが、ココがどうしてもついてくると聞かないので折れることになった。大本命のガンラッドだけではなく、ウガノースザというココとシロの天敵もいる可能性が出てきたので、心情的に近づけさせない方がいいとのことだったが、当人が是非にと言うのであれば他に道はない。
クロウにはその心理面は正直理解できていないものの、動揺して意識を失ったりすると行動に支障が出るという理由で弾いていた。そんなクロウの懸念を知ってか、シロは「不意をつかれることがなくば、大丈夫だ。何より我らは立ち向かわねばならぬのだから」とのことで保護者からの願いもあっては拒否はできなかった。
「うむ。急造ではあるが、何もないよりはるかにマシであろう。範囲はそこの優男の魔力次第じゃが、少なくとも目視の十数倍は役立つ。魔法士としての腕は知らぬが、魔力量はそこそこありそうに感じるゆえ、有効活用するがよい」
「賢者殿、僕の魔力だけを当てにしているような物言いはやめて頂きたいね。華麗な魔法の数々も披露できますよ。しかしながら、ネージュ様がそばにいないということで大分洗練度は下がってしまいますが」
ユニスは手入れの行き届いた艶のある紫髪をかき上げながら、自らの身体を抱きしめるような妙なポーズをとる。
そういえば、そういうナルシスト気味な男だったことを思い出す。自らの容姿に自信を持ちすぎるとおかしな言動になるというが、そのポーズに反応したもう一人の男を見ると何となく納得感がある。
「ふふふ、貴殿の華麗な魔法とやら、是非とも期待する所存。我が33の美技とどちらがより美しいか、気になるところだ」
「ふっ、貴方の大盾の噂は警備隊でも有名ですからね。機会があれば麗しきハーモーニーも奏でられるでしょう」
「確かに。それはさそがし美麗であろうな」
怪しく笑い合う二人を無視して、クロウは続ける。
「……で、範囲内にやつがいれば見つけられるってのは分かったが、逆に相手にはバレないのか?」
「いや、基本は魔力探知と変わらぬ仕組みゆえ、向こうも魔力反応で気づく可能性はある。ゆえに、発見次第迅速に距離を詰めて強襲する前提で動いた方がよかろう」
「奇襲ってわけにはいかないわけか」
「チャンスはあるじゃろうが、絶対ではない。相手の出方次第で臨機応変な方法を取れるようにしとくべきじゃな」
「そうか。それと、どの辺りを探るべきかとか大まかな見当はつくのか?」
砂漠の中から一粒のダイアモンド、などという文言が浮かんだが、それほどの無茶ではないとしても、この地下世界の広さを考えると魔力探知というレーダーを使っても闇雲に歩き回ったところで当たりを引くとは思えない。
「その辺りは本業の者に聞くがよかろう。まぁ、わしから言えるのは『逆張り』じゃがな」
「逆張り?」
話を振られたステンドがミーヤの方をちらりと見ながら答える。
「爺さんが言いたいのは、探索者が探さない場所を狙えってことだろうよ」
「同意。合理的な結論。探索者は基本、建物や宝がありそうな場所を探す。つまり、それ以外」
ミーヤの補足で理解した。
「なるほど。探索者が向かわない場所ってことか」
例のウガノースザの研究場所だった横穴も、崖下の人目のつかないような隠れたところに入口があった。地下世界で過去の遺物を探すなら、まずは目立つ文明の跡を追う。当然、人の手が入った建造物や立地の好さそうな場所だ。偶然迷い込まなければ分からないようなところを、捜し回ったりはしない。
これまでギルド側で何の痕跡も見つけられていないのは、そういった明確な方針があり、逃走者としては回避すべきポイントが分かっているからという側面もありそうだ。
とはいっても、とクロウは周囲を見回す。
始まりの町から探索者ギルドがあまり開拓していない方面へと足を進めた。そして、小高い丘から眺めてどこへ向かうか決めようとここに登ったところだ。その眺めはあまり良いとは言えない。
見渡す限りの森林と荒野というただっ広い地平線を前に、具体的にどこがいいのかはさっぱり分からない。
「建物を立てるのに良い場所ってのは、地盤やら平地やら土地そのものの条件と、十分な周囲の広さとか水源が近くにあるかとか色々な要素があるわけだが――」
ステンドが言いながら一点を指差す。
「中でも重要なのはやっぱ周辺との位置関係だったりもするわけだ」
「位置?どういうことだ?」
つば広の帽子を被った探索者の指先は、右手に森、左手に開けた荒野しかない何の変哲もない場所を指し示していた。
「あそこには多分、昔は湖があった。今は干上がって荒野と一体化しちまってるが、そっち方面に薄い溝の一本線が見える。河が流れてたはずだ」
言われてみるとそういう風にも見えるが、遠目ではよく分からない。何より薄暗い。思ったよりも眺望がぱっとしないのは、やはり光が少ない視界の悪さにある。
「ああいう場所は人が集まりやすい。河の近くには道がよく通るからな。つまり、あの一帯には何らかの町があった可能性がある。どうだい、ミーヤの嬢ちゃん?」
「優先度は高い。探索目標の一つ」
ミーヤが即座に同意する。で、あれば、
「あの辺りから離れた場所を探すべきってことか」
しかし、それを条件にして絞ってもまだ選択肢は多い。東西南北の一つが減ったに過ぎず、残る三方向は無限に続くかのように広がっている。正確に言えば背後には始まりの村があり、そちらか移動してきたので二方向には絞られる。もっとも、始まりの村からこの丘に来た時点で、現状の方角が間違っていればすべての仮定に意味はない。そこまで前提を疑えば何もできなくなるので考えないでおくが。
「付け加えるならば、おそらくは平野ではないということぐらいかの。先日の崖下の横穴のような洞窟、深い森の最中の岩山、険しい山の山腹などが定番ではあるが、探索者目線でそういった場所は古代の宝が隠されていそうなスポットでもあるゆえ、その外観そのものが隠されているものを見つけねばならぬ」
「それは結局、このような小高い丘から眺めていても見えない場所ということになりませんか?」
ウェルヴェーヌが無表情に眼鏡のポジションを直しながら言う。
「うむ、その通りじゃ。だからまずは大地の起伏が激しそうな方角へ進み、森があれば率先して分け入るといったところじゃろう。そこから更に、といった風になる」
それならば分かりやすい。とにかく山と森を探せという話のようだ。
「ま、そんなところだろうな。ギルドはまず建物を探しているはずだから、積極的に山に登ったりはしていないだろうぜ。同じように森とかも魔物を警戒して後回しにしてるはずだ」
「肯定。そうした場所は記録に留めて、町の痕跡捜しを第一目標にしている」
ギルドは現在、浅く広く周囲の探索範囲を広げている。明らかな文明の象徴である町の跡以外の場所は、全体的な地図を描くことに専念しているところだった。探索のスペシャリストでも、最上級の古代遺跡の地下遺跡となれば慎重に慎重を重ねなければならない。本来なら、大国が専属の腕利き探索者のみに任せるほどの危険地帯だ。多少腕に覚えがあったところで、その常識は通用しない。
そんな場所に素人同然のクロウがいるのもおかしな話だが、転生人は例外だと思われる。実際、厄介な魔物だと認識してもそこまで脅威だとは感じていない。状況と数にも寄るとは思うが。
「そうか。けど、森も山も見えないな……」
というより、丘に登ってみたものの想像以上に視界は狭いと感じていた。地下世界も光源が思ったよりあるとはいえ、それは地上のそれとは比べ物にはならない。全体的に暗いことは間違いなく、遠くになればなるほど暗くなっていて見えないのだ。
「蜘蛛ならもっと遠くまで見えるのか?」
オホーラの使い魔状態の蜘蛛には複数の眼がついている。遠くの闇も見通せそうだ。
「何じゃ、知らんのか?蜘蛛の視力はよろしくない。それぞれが単眼で視野は広いとは言えるが、遠くを見通す力はないぞ?」
「そうなのか?じゃあ、多少高いところから見下ろしても、遠くが暗すぎて見えないんじゃあまり意味はなかったな」
「そうでもないぜ、クロウ。先導者ってのは遠見の魔法も使えてなんぼだ。当然、暗所でも見通せる。ここからオレが見ることに意味があるわけだ」
ステンドが得意げにニヤリと笑った。
「ならば御託はいいから、行くべき道を示すがよい。わしらは限られた期間で最大限の成果をあげねばならぬ。時間との勝負でもあるのじゃぞ」
色々とそんなやり取りがあって、まずはステンドが見つけた山らしきものの麓を目指すことになった。
賢者が言うように捜索隊にはタイムリミットがある。ベリオスの町の運営から長期間離れるわけにはいかない。ある程度は表の領主会とオホーラの本体がいるので問題はないが、不測の事態やクロウでなければ決断できない用件もでてくることは十分に推測できる。だらだらと探している暇はなかった。
「んー、ココ、お腹減ったのん」
しかし、背中からのしかかるように小さな身体がぶつかってきて、緊張感のないことを言われる。
どうにも締まらない出発だった。
道中は思っていたより順調だった。
魔物に襲われることもなく、予想外のアクシデントは何もなかった。ユニスが一人、探知装置を抱えながら歩いているので大変そうだということ以外、一行は平穏に地下世界を歩いていた。
少しおかしいと思うのは、山を目指して歩いていはずなのに森の中にいることぐらいだ。
先頭を切って歩いているステンド曰く「森を突っ切った方が早いし、途中で何か見つかるかもしれないぜ」とのことだ。
そんなステンドがテンポ良く背の低い草木の枝葉を伐採している。丁度胸の高さ辺りに鋸葉が来るので、危険なために取り除いているのだ。葉の縁がギザギザしている鋭利な形のため、硬くなくともよく切れる。軽い気持ちで手で避けたり避けようとして、思いも寄らずに大けがをしたという話はいつでもあるらしい。
人跡未踏の森では道などない。獣道があっても小動物である場合、二足歩行する人間の背丈のことは考慮されていないのでそのまま使えるとは限らない。
先導者の役割には、そうした場合でも皆が安全に進めるよう整備することも含まれる。いつもかぶっているあの帽子も、実はそうした危険から頭を守るためのものなのかもしれないと思ったが、町中でも屋内でも身に着けているいるので、多分そういうことではないだろう。
「ところで、これは本当に反応するのかい?ここまで、まったくうんすともすんとも言わないままなんだけど?」
ユニスが手に持っている探索装置を恨みがましい目で見ていた。
余計な荷物を持って移動させられているようなもので、大いに不満なのだろう。その効果が分からないままでは尚更だ。
「そうたやすく反応するはずがあるまい。対象も絞っているゆえ、逆にここまで誤動作していないことが優秀さの証拠じゃ」
「賢者様を疑いたくはないですけどね?僕は一回もその反応とやらを見ていないわけで、初めから動作してないんじゃないかな、とか思ってしまうわけですよ」
「ふむ?試運転はわしがしっかりとしたが、言葉だけでは足らぬか。ならば、少し制限を解除するゆえしばし待て。おぬしら全員に反応することが分かるじゃろうて」
現状の探索装置はクロウたちを対象としないように調整されているらしい。原理や仕組みは不明だが、マナではなく人間の魔力に反応するようになっているらしく、その場合は自分たちも検出してしまうため、例外の措置をしたとのことだった。それを今、一時的に解除するということだ。
木箱のような外観の側面に大小様々な魔鉱石と、それらをつなぐように半透明な筒が複雑に絡み合い、その中を乳白色の液体が流れている。構成部品一つとっても何も分からない。見た目は完全に怪しい箱としか言えない代物ではあるが、人間の魔力だけを探知するというのは大分凄い機能らしく、その証明を明文化できれば城が立つほどの偉大な業績だと聞いた。
クロウにはまるでピンと来ないが、オホーラの魔法士としての腕はそれくらい際立っているということのようだ。
「遠隔だとちと時間がかかったが、これでよかろう。魔力をこめてみよ」
「何も変わった気はしないけ――おっ?おおっ!?こ、これは……!」
ユニスが箱を持ったまま不意に震えたかと思うと、その場に立ち尽くすように棒立ちになった。珍しく隙だらけだ。雷に打たれて息を呑んでいるようにも見える。
「身体で感じられじゃろう?それが魔力反応じゃ。今は近々の反応じゃったろうが、距離がある場合にはその方向とおおよその距離感が感覚的に伝わるはずじゃ」
「な、なるほど。分かりました。賢者様の素晴らしさに疑問を挟むような真似をして申し訳ない。この麗しき発明を疑うことは今後一切ないと約束するよ」
本人しか分からない感覚のようだが、確かにその効果は発揮されたらしい。
「機能していることが証明されたのなら、この森にはいないということでは?」
「森全体をカバーできていない。判断は時期尚早」
「それよりも、我が美的感覚的には魔物の一つもいないことの方が奇妙に思える」
「一応気配はある気がするっす……ただ、近づいこないというか」
その後も思い思いに話しながらも森の中の行進は続く。
クロウにとっては森という地域そのものが珍しく、様々な樹の種類があり、その色形のどれもが違っていることに驚きを感じていた。過去にこうした森林の中を歩いたことがあるのかすら分からないが、足に絡まりそうな厄介な下草に至るまですべてが新鮮に感じられた。
なんとなく木材の原料が樹木だという感覚でとらえていたが、周囲すべてを覆うような木立の集合に囲まれていると自然の雄大さというものを思い知る。
心なしか空気も良く感じるのはやはり気のせいだろうか。
オホーラにそれを聞こうとしたところで、頭の上の蜘蛛が何やら唸っているのに気づく。
むむむ、といった嘆きのように聞こえる。
「どうかしたのか、オホーラ?」
「そ……が……さ……ら、ど……接……わ……」
「何だ?」
途切れ途切れの言葉にクロウは足を止める。
同時にイルルが後方を振り返って警告を発し、ステンドも首を傾げた。
「主、なんかこの森おかしいっす」
「なぁ、オマエら妙な感じしねぇか?」
どうやらまた何かが起こっているようだ。
相変わらず、クロウは言われるまで気づかなかった。周囲の緊張よりも、自分の危機察知能力の低さを危惧してしまうクロウだった。




