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「そういうわけで今日からここがクロウ様の書斎になります。と、同時に現在は町役場の方が崩壊していますので、執務室というか仕事場にもなります」
淡々とそう告げたのは、ダークブロンドの髪が美しい眼鏡のメイド、ウェルヴェーヌだ。
凛とした佇まいで芸術品のような容姿の美人なのだが、愛想が皆無なために無機質な置物のようだった。実際、その機械的な振る舞いのためにこの屋敷に残されている。元の主人は絶賛、どこかへ逃亡中の身だった。
「仕事場と言われても、何をすりゃいいんだか……」
高級そうな椅子に座らされたクロウは、居心地が悪そうにもぞもぞと落ち着かなく身体を動かす。昨日まで地下牢の石造りのベッドにいた身だ。急な待遇の変化に戸惑いを隠せない。
「わっはっは。いきなり出世したものじゃな。一気に領主とは、たいしたものじゃないかえ?」
書斎の机の上に偉そうに座っているラクシャーヌは、手元にあった何かの銅像のような置物をしげしげと眺めている。
「誰も望んじゃいない。成り行きとはいえ、とんでもない展開だぜ……」
「ちなみに、これまでに届いている要請をまとめたものは、嘆願書としてそちらに束ねております」
そっと傍らに控えているままのウェルヴェーヌは、机の上の書類を指し示す。感情が乗っていない平坦な声音だが、そこから手をつけろというような無言の圧を感じたクロウは、反射的に一枚を手に取って見てみる。
西区画で食料が足りていないので供給して欲しいとの要望が、綺麗な字で書かれていた。文字の読み書きについては、既に可能だと言うことは理解していたが、自分の字はこれほどきっちりとは書けないだろうと予測はできた。
他にもぱらぱらと斜め読みすると、現在の苦境についての情報が寄せられていた。
「……これはどういうシステムで拾い集めてるんだ?当事者がわざわざ報告というか、訴えに来てるのか?」
「いえ、屋敷に矢文や紙石として放り込まれます。前任の領主様はそうした訴えを受け付けておりませんでしたので、強硬手段としてそのような方法を取る方が多いです」
「ん?受け付けてないなら、こうして嘆願書にならないんじゃないのか?」
紙石というのは要するに紙を丸めて球状にしたものらしい。ゴミのような形で屋敷に投げ込まれたら、普通は捨てるのではないだろうか。
「自由時間が多くありましたので、それらは私が個人的に行っていたものです」
「お前ひとりで?」
書類はかなりの数がある。昨日今日だけのものではないということは明白だ。前任の領主に冷遇されていたのは、そうした命令違反によるものだったのではないだろうか、いや、順序が逆か。いずれにせよ、従順ではない態度でよく首にならなかったものだ。
「……とりあえず、ここから緊急性のあるやつを片づけてくか。今動かせる人員とかって分かるのか?」
「まだ完璧には程遠いですが、確認できた生存者リストと、領主会に所属している者のリストはこちらに」
ダメ元で聞いたつもりだったが、すぐさま一覧表が出てきて驚く。物凄く有能なのではないかと、クロウは無愛想なメイドを見直す。相変わらずの能面だが、その眉根が少し下がっているようにも見えた。
「すぐ誰かに御用命であれば、領主会商人長のナキド様を軸に動かすのが上策かと思います」
領主会というのがこのベリオスの町の運営組織らしい。ウェルヴェーヌは人選にも長けているようだ。
「そうなのか?というか、いきなり俺が命令とかして従ってくれるもんか?就任して数刻も経ってないぜ?」
「問題ないかと思います。少なくとも、町のためになることならば協力してくれるはずです。前任の方が最低評価でしたので、どんなに低く見積もっても比較対象として優位性があります」
あの領主じゃ、そうなるか……
クロウは前任のユンガ=ビーダムのことを思い出して苦笑する。ビーダム家がこのベリオスの町の領主を代々務めていたのだが、その評価は芳しくなく色々と鬱憤が溜まっていたようだった。他人事のようにそういう話を聞いていたが、その代わりとしてまさか自分が領主になるなどとは夢にも思っていなかった。
この世界では弱肉強食がルールの一つであり、勝者が敗者からあらゆるものを奪うことを是としていた。ある種の実力主義の原則があり、例え王位であろうと簒奪も忌避されない思想がある。この場合、地位を奪われたり追われるのは無能であるからだという論拠で、優勝劣敗の観点で正しいということになる。
ベリオスの町を襲った災魔に対して、領主のユンガは何も対応できなかったどころか、本人は取り巻きと共に町から逃げようとしていたことが発覚して、完全に降格の流れになっていた。そこへその災魔を退けたというクロウが現れたので、必然的に領主の座へと収められたというのが現状だ。いきなり無名の人間でいいのかと思ったものだが、前述のように実力主義が根底にあるゆえ、実績があれば問題にならないとのことだった。
単に地下牢から出られればよいと思っていただけなのだが、気が付けば辺境とはいえ、町をひとつ運用する立場になってしまっていたのである。
正直、何が何だか分からないというのがクロウの本音だ。自分自身のことですら把握できていない状態で、ラクシャーヌのことといい厄介なものが積み重なっていく。ひとまず落ち着いて考えたいのに、周囲の環境がそうさせてくれないのは面倒なことこの上ない。
あるいは、これもラクシャーヌの呪いなのだろうか。特殊技能に関しても、まだまだ不明なことが多いので確認したいことが山ほどあるというのに、そんな暇はなさそうだった。 「じゃあ、まずは――」
何はともあれ一つずつ片づけるしかないとあきらめたクロウは、思考を切り替えてできることから始めた。
ベリオスの町は半壊状態だった。
一番の中央大通り沿いの建物はほとんどが潰れており、唯一整備されていた道も隆起が激しくて馬車も通れなくなっている。重傷者を運搬するのにも一苦労な上、運び込む先も定かではないという最悪な状況だ。幾つもの担架に乗せられたまま、苦しんでいる人々が道沿いに放置されていた。
トッドはそんな呻き声で埋め尽くされた中を走り回っていた。
警備隊の人間も五分の一ほどしか残っておらず、そんな中でなぜか臨時の警備隊長をするはめになって奔走していたのである。
「やっと緊急療養先が決まったぞ。新しい領主様が屋敷を開放してくれて、そこに運び込んでいいそうだ。薬師や魔法医のトーレさんもそこに集まっているはずだから、状態の悪い人から早速担架を運ぶぞ」
「おお、新しい領主様が?あのユンガのハゲが逃げたってのはやっぱ本当だったんすね!?」
「ああ、持てるだけの財産を詰めてる浅ましいところを自分は見てしまった。あそこまで外道だったとは思わなかったよ……」
「え?現場にいたんすか?でも、あのハゲは逃亡したって……逃がしちゃったんすか?」
「その場にいなかったくせに、勝手なことを言うな。ニガロさんが魔法で煙幕みたいなのを出して、大変だったんだ。追っ手を割いてる人手もなかったしな。邪魔者がいなくなったってことでよしとするしかないだろう」
トッドは同僚というより部下に近いピトリに渋い顔をした。
「無駄口を叩いてないで、ヨハンとかにも伝えてきてくれ。馬車が使えないから、何往復もすることになるぞ。一応、領主会の方でも人手を出してくれることになってるが、あっちもそれほど人員がいるわけじゃないからな。とにかく、動け動け」
うへぇーと嘆きながらも、ピトリは元気よく駆け出して行った。いつも通りの明るい振る舞いは、こういうときでも発揮されていて悪くない。沈みがちな雰囲気の町の中にあって、陽気な性格というのはいるだけで助かるものだ。
「トッドさん、トッドさん」
そんな警備隊長に声をかけてきた者がいる。振り返ると、見知った露店売りの女店主だった。
「忙しそうなとこ悪いけど、あの……あれはどうしたらいいんだい……?放っておくわけにもいかないだろ?」
その視線の先には、申し訳程度に布をかけられて隠された山がある。誰もが見ないようにしながらも、視界に入ってしまうものだ。既に死んでいる遺体が積み重なってできた山だった。
「ああ、それは後で一斉に焼くことになっている……疫病の元にもなりかねないということで、個々で対応している暇がないから仕方ないんだそうだ」
「え?一緒くたに焼くのかい?いや、まぁ、こんな言い方はあれだけど、確かに匂いもひどくなってくるし、何かしら早くしてあげなきゃならないんだろうけど……それにしても、焼いちゃうのかい?」
「ああ、そうしないとさっきも言ったが疫病につながるらしい。皆思うところはあるだろうが、生きている者を優先する必要があるということだ」
「そ、そうだね……せっかく生き延びたのに、病気にかかっちゃ元も子もないものね……でも、あの中に……誰がいるか、分かっているのかい?まだ町のみんな全員の生存確認ができていないんだろう?せめて、最期に家族に会いたいって人もいるんじゃないかい?」
「……気持ちは分かるが時間がない。少ない人手でどうにかやり繰りしている。納得が行かなくても、協力してもらうしかないことは理解して欲しい」
「そ、それは分かっているけれど……」
女主人は口ではそう言っているが、明らかに不満そうだ。トッドはしかし、そうしたクレームの一つ一つに対応している時間はなかった。新しい領主であるクロウの方針は明確だった。とにかく生きている者を優先し、救える命を救うことを第一として他は後回しでよい、と。
そのために領主会の残った者たちも一丸となって働いている。何よりも、役割をきっちりと明確に分けてくれたことが助かっていた。
「悪いが、何か要望があるなら領主の屋敷の所に行って直接言って欲しい。自分は今、怪我人の搬入で手一杯なんだ」
「領主様のところへ?あの方はそういうものは受け付けてくれないじゃないか。町がこんな状況だってのに、何もしてくれない薄情者だよ?」
「ああ、それなら安心してくれ。ユンガはもうこの町にいない。あのハゲはここを見捨てて逃げたんで、今はクロウという新しい領主様になっていて、精力的に街の復興に着手してくれている。大分、マシになるはずだ」
「何だって?新しい領主様?」
まだ住民には広まっていないようなので、これはいい機会とばかりにトッドはクロウが災魔を追い払った立役者で、期待できそうな領主だと大げさに吹聴しておくことにした。この女主人ならば、すぐにでも辺りに広めてくれるだろう。全体的に暗い雰囲気の町には希望が必要だ。あまり好かれていなかった領主の交代は、明るい話題になるはずだ。
「それはいいニュースじゃないかい。木偶の棒の領主様じゃなくなったんなら、この町も良くなるってもんさね。みんなも喜ぶはずだよ」
女主人はこうしちゃいられないと、どこかに飛んで行ってしまった。遺体の件はもう頭から離れているようだ。現金だとは思うが、その方が有難い。
担架を運ぶ人手を待つ間、トッドは変わり果てた町並みを見て、改めて思った。
「よく生き残れたもんだ……」
臨時の警備隊長の呟きは、青空に向かって静かに消えていった。
陽も傾きかけた夕方。
クロウは御輿に揺られていた。なぜか向かいにはテオニィールがいて、熱弁を振るっている。
「――だから、君が直接彼らをぶっ飛ばすのが効果的なんだよ。新しい領主様、ここにあり!ってことだよね。みんな結局、自分の目で見たものを信じたがるわかりやすい連中だからさ。いやぁ、考え方次第だけど、いいタイミングだったんじゃないかな。バカもたまには役に立つってことだよね。まるで計ったような浅はかさ。やっぱり君はなるべくしてなったんだよなぁ」
「けど、その若いやつらってのは元々この町の住民なんだろ?何でまた急にそんな真似を?」
「そりゃあ、魔が差したとか、ここで一旗あげようとかそういうことじゃないか。人間、弱り目を狙うことはままあることだよ。勘違いしちゃうんだろうね、今なら自分でもいける、みたいな?バカだよね、本当に。狭い視野でしか物事を考えられないから、そういう愚かなことをする。所詮、その程度の人間だからどうなっても文句は言えないよ」
「……バカには違いないな。面倒ごとを増やしてくれるなとも思う」
なかなかに辛らつなテオニィールの言葉を聞きながら、数刻前に入った報告を思い出す。
どうやら若者の一団が臨時で用意した補給所を襲って立てこもっているらしい。前領主のユンガが逃亡したことを知り、警備隊の数も減っていることを踏まえて、ならば自分たちでこの町を牛耳ろうと画策しているとのことだ。元々町では鼻つまみ者の集団だったようで、気性が荒く厄介ごとを多く起こしていた連中だという。
そんな一団の要求として、新しく領主となったクロウにその座を明け渡せという脅迫が入ったというわけだ。人質として、補給所にいた住民が数人と物資を盾にしている。それを聞いて、テオニィールが前述のように直接クロウが出向いて、これを叩きのめせと進言したのだ。
自称稀代の占い師は、現在領主付き筆頭占い師という肩書を名乗っている。やたら熱心にクロウが災魔を倒した英雄だと担いでいたのは、自分がその役職に就きたいがためだったということだ。地下牢からすぐに出れたのはテオニィールの功績なのは間違いないので、特にそれに関して言うことはない。ただ、今もそうだが、占い師というよりは広報担当官のような振る舞いが多く、多弁すぎることもあってややうるさく思ってきたのも事実だ。クロウは自分がどちらかというと静かな人間を好む方だと自覚しつつあった。
「ぶっ飛ばすというが、具体的に殺してもいいのかえ?」
ひょっこりと腹の辺りから首を突き出して、ラクシャーヌが物騒なことを言う。
「急に出て来てなんてこと言いやがる……」
「おっと、使い魔は何と?」
ラクシャーヌの言葉はクロウ以外に聞こえないのは確定なようで、テオニィールが聞いてくる。かなり奇抜な状況も、もうすっかり慣れてしまったようだ。
「対処の仕方について、というか……その連中を鎮圧するとしてどの程度までOKなんだ?法律?的なものをまったく知らねえから、その場で殺してもいいのか、捕まえるのか、とかそういうところを全然分かってないなと今更気づいたんだが?」
「ああ、なるほど、なるほど。そんなことを気にしていたんだね。そんなに気に病むことはないよ。法は一応あるけど、なんたって君は領主様だからね。思うままにやってみればいい。たいていのことは後付けでどうにもでもなるから」
大分ざっくりとした答えが返ってきた。そんな適当でいいのだろうか。自由にしていいのならそうさせてもらうが、テオニィールの弁のみを信じてもいいのかどうかが多少不安に思うところもある。一方で、クロウは自分の倫理観というものも良く分かっていないと気づいた。
なんとなく、命を粗末にしてはならないという考え方があるように思えるが、悪人は殺してもかまわないという気持ちもある。どの程度の罪が死罪に値するのか、その価値観も記憶がないためなのか見当がつかない。既に大量虐殺を行ったラクシャーヌを匿っている現時点で、良心の呵責などもそれほどないということを鑑みると、自分は博愛主義ではない気もしていた。かといって、他人の命をどうでもいいと思っているわけでもなく、救えるものなら救った方がいいという心情も確かにあった。実際、領主としてその方向で動いている以上、それもまた真だと言えるだろう。
「自由にやれるのはいいが、基準が曖昧なのもあまりよろしくない気はする……適切な助言ができるやつが欲しいところだな」
「助言だって?まさしく僕ので――」
「お前以外でな。こういうのは複数の意見を聞くのがいい気がする……」
勢い込むテオニールを制して、そんなことを言っていると御輿が止まった。担ぎ手が、「到着しました、領主様」と慇懃に声をかけてくる。
前任のユンガに見捨てられた彼らは職を失うのが怖いらしく、大仰なほどクロウに遜っている。ここに来ることになったのも、本当は自分の足で移動しようとしていたときに半ば無理やり御輿に乗せられた経緯があった。馬車が通れない道でも、御輿ならば問題ないと力説されたからだ。
楽ができて結構だが、実際の所、それほど御輿で移動する必要性があるかは疑問だと思っている。今口に出すことはないが、後で考えるべき問題ではあるだろう。
御輿を降りて件の臨時補給所の前に立つ。遠巻きに見守っている住民と、簡易的な柵を挟んで対峙している警備隊らしき男と犯人たちの一人が見えた。思ったよりも小規模な気がするが、奥には天幕が幾つか並んでおり、時折すすり泣く声なども聞こえるので、やはり平穏とは言えないようだ。
「はん、本当に新しい領主様とやらが来たのかよ!」
ぼさぼさ頭の若者が威勢よくこちらを睨んでくる。
「さて……どうしたもんかな……」
クロウは皆の視線が集まる中、ゆっくりと歩みを進めた。